不思議な生き物・幸村編


 或る日、立海の中学三年生、幸村精市は、帰りの通学路で実に奇妙な物を見つけた。
「……」
 じっと彼が無言で見つめる先は、電信柱の根元…のダンボール箱。
 箱そのものは特に変わった物ではなく、どうやら野菜の運搬に使用されていたものらしいということが、脇のプリント柄で分かった。
 しかし今、箱の中に入っていたのは野菜などではなく、明らかに生物と思しき物体が一つ。
 白い耳とかろうじて見える球体に近いふわふわ尻尾…だけならば、ウサギが一番近いと思う。
 それでも、幸村は何度も目を擦り、何度もその生命体を凝視したが、どうやってもウサギには思えなかった。
「…何、コレ」
 ぼそりと呟いた言葉には困惑の色が色濃く滲んでいる…が、例え彼でなくても誰であってもほぼ同じ様な反応だっただろう。
 何故なら…
『……』
 箱の中から不安そうに彼を見上げるその生き物は、耳と尻尾を除けば、ほぼ完璧な『女性』の姿をしていたからだ。
 人の中でも体型はほぼ幼児の様な三頭身…しかし顔立ちは幼児ではなくそれよりは年長、自分とそんなに変わらない年代だろうことは分かる。
 何処のものとも知れない制服姿で、髪は黒く、二本のおさげでまとめられている。
「…UMA?」
 一番考えうる可能性を呟いてみたが、箱の正面のマジック書きによるメッセージ『拾って下さい』の一文が思考に待ったをかける。
 UMAって、そんなにあっさりと捨てたり拾ったり出来るものだっけ…?
 悩みつつじっと箱と生命体を見つめていた幸村が、ふと箱の中に入れられていた二つ折りの紙に気付き、それを取り上げた。
 開くと、そこにも何行かに渡るメッセージが記されていた。

『家の事情で飼えなくなりましたのでどなたかお願いします。名前は桜乃です。賢くて噛みません。しつけも済ませています。何でも食べます』

「……」
 ほぼ捨て子という事は間違いないけど…結局この子、何ていう動物なんだろう…
 肝心の事は分からず仕舞いのまま、幸村はふぅと溜息をついたところで、桜乃と目が合った。
「…」
『…』
 目は口ほどに物を言い、と言うが、この時幸村はそれが人間に限った話ではないと知った。
 拾って下さい、かまって下さい、可愛がって下さい…
 箱の縁に手をかけ、尻尾をふりふりと振り、うるうると黒くつぶらな瞳を向けて、死に物狂いでアピールしてくる相手を見ていると、そのまま捨てていくのが物凄い罪悪の様に感じられてしまう。
「…ふぅ」
 興味を持った時点で俺の負けか…捨て主の手紙まで読んでしまったし…
 よいしょ、と箱ごと桜乃を抱えた幸村は、その軽さに驚きながら、再び家へ向かって歩き出した。
 しかし、自分は家族と同居している…この子を見せて、家族が大騒ぎになってしまったらどうしようか…?


 そんな幸村の懸念は帰宅早々に払拭されてしまった。
『あら、可愛いウサギね。飼うならちゃんと責任を持つのよ』
『え…?』
 在宅していた母親に、内心どきどきしながら桜乃を見せた幸村だったが、彼女はあっさりと桜乃の事を『ウサギ』と断言したのだった。
 人の形をしている様には見えていないらしい。
 そう言えば、桜乃が捨てられてから、おそらくは通行人も何人も彼女の事を見ている筈…なのにこれまで騒ぎになっていないという事は、もしかして、こういう姿で見えているのは自分一人だけなのだろうか…?
(…どういうこと?)
 結局、それから暫く母親と話し込んだ結果、桜乃はどうやら自分以外の人間には純白の子ウサギにしか見えていない事が分かった。
 大きさは自分が感じている、両手で軽々と掬える程度のものであることは変わりない様だ。
 飼育の許可はあっさりと勝ち得た幸村だったが、謎は却って深まるばかりであり、どうしたものかと思いつつ、桜乃を自室へと連れて行った。
 家の中に入った時から、桜乃は外界との匂いの違いを敏感に感じ取ったのか、せわしなく伸び上がってはくんくんと鼻を鳴らし、耳をぴこぴこと動かしている。
「はい、取り敢えずここが君の住まいになるよ。後でケージとか買いに行かないとね…ちょっと散歩してみる?」
 中学生男子にしては見事に整頓された部屋の中で、幸村が桜乃の入っていた箱を床へと降ろした。
 桜乃は暫く箱の中できょろきょろと辺りを見回していたが、やがてゆっくりと…おっかなびっくりといった感じで外へと出てきた。
『…???』
 きょと…と幸村を見上げ、それから部屋の全体を見回し…ゆっくりと隅っこの方へと移動してゆくと、そこから素直に壁伝いに部屋の中を歩き出した。
(うーん…やっぱりまだ慣れてないからぎこちないな…それにしても)
 四肢はしっかりと人間の形をしているし、耳と尻尾を除けば、間違いなく人間そのものなんだけど…
(…ペットって呼ぶのにちょっと抵抗感があると言うか…)
 ヤバイ人間みたいだ…と訳もなく罪悪感に陥りそうになりつつも、幸村は自前のPCでウサギを飼うのに必要な物品を検索し始めた。
「ええと、ケージはやっぱり必須みたいだな…あとは? スノコと…牧草…ふぅん」
 真面目に画面と向き合いながら、メモ帳に必要な物品を書き留めている間に、桜乃はちょこまかと部屋の中を歩き回り、自分の新たな世界を肌で感じていた。
『…?』
 大体を確認したところで、桜乃は改めて幸村の方を見遣る。
 とても大きな人。
 初めて出会って、自分をここまで連れて来てくれた人…
 今は不思議な形のモノをじっと見つめているけど…私を見ていた時は、凄く優しい目をしてくれていた。
 だから多分、食べられたりすることはないと思う。
 食べられたりはしないけど…可愛がってくれるかなぁ…?
「…ん?」
 ふと、足元に感じた気配に視線を動かすと、幸村の足元にあの人型ウサギがちょこんと座り込み、こちらをじっと不安げな眼差しで見つめていた。
 ウサギではなく人として見えている分、表情から相手の心情が伺えるのは良い事かもしれない。
「散歩は終わった?」
 微笑みながら尋ね、幸村が手を伸ばして桜乃を抱き上げる。
 軽々としたそのウサギは、大人しくされるがままに、彼の膝の上に乗った。
「ごめんよ、今、君に必要なものを調べてるんだ…もう少ししたらペットショップにでも買いに行こうか…後は…」

 きゅ〜〜〜っ

「……」
『……』
 小さな音が何処からともなく聞こえてきて、幸村がきょろっと辺りを見回し、その音源が見つからなかったところでゆっくりと桜乃の方を見ると、彼女は両目を必死に閉じて真っ赤になっていた。
『〜〜〜〜〜!』
(…もしかして、今の…)
 相手の腹の虫が原因であった事を察して、その事実と相手の恥らう姿が可愛くて、幸村は思わず笑ってしまった。
「ふふふ…そうか、お腹空いてたんだね、ごめんごめん。すぐに美味しいご飯、買いに行こうね……と、そうだ」
 ふと思いついた様に、幸村は改めてPCを操作した。
「一応、ウサギは草食ってことだけど…食べられないものも調べておいた方がいいな…ガーデニングで食べられる物を栽培するのも面白いかも…」
 この子が慣れたら、自分と一緒に庭園を散歩するのもいいかも…と早速そんなご主人様の野望を企てている間に、PC画面が、ウサギの食べ物について画像を映し出した。

『ウサギに食べさせてはいけないもの ベンジャミン、スイセン、ツツジ、オシロイバナ、アサガオ、ダリア、チューリップ、アマリリス、シクラメン、ヒヤシンス、アジサイ、パンジー…』

「……」
 ガーデニングを楽しむ人間であれば、一度は目にするだろう植物の名前がわんさと記されており、幸村が一気に沈黙する。
 更に…

『ネギ、ジャガイモ、ゴボウ、ピーマン、タマネギなども与えてはいけません。ペットウサギは野生のウサギに比べて『おっとり』している為、食べ物についても警戒せず、味の良し悪しだけで食べてしまうので注意しましょう』

 そんなに駄目なものばかりなの!?
 なら、俺の庭なんて、この子にとっては毒の園みたいなものじゃないか!
 しかも、自分で危険を回避すら出来ないって…!?
「あれ、おかしいな…書置きには何でも食べるって…」
 改めてその書置きを眺め、再び画面へと視線を移す。
 それを何度か交互に繰り返したところで、幸村は不思議そうにこちらを見上げてくる桜乃を見つめ…はぁと溜息をついた。
「……リードも要るかな…これは」
 野放しにして変なモノを食べて大事になったら大変だし…でも…
(…ウサギの姿じゃなくて、制服姿の女の子に、リード…?)
 それって、更に倒錯的な光景じゃないか…?
 精神衛生上、絶対に害になる気がする…しかも自分がそれを持つなんて…!
「…ウチの庭では、抱っこで我慢してね」
『…??』


 かくして、小さな謎の生き物である桜乃は、全く労せずして一番の特等席をゲットすることに成功したのである。

 それから暫く後には、すっかり桜乃の可愛さにやられた幸村が、大事に大事に彼女を抱き抱えて庭を歩く姿がよく見かけられる様になったという…






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