絶対に起こすな
「あん? テレビ見てるのか、桜乃」
「あ、景吾お兄様。お帰りなさい!」
某日、いつもの様にテニス部の活動を済ませ、自宅である跡部邸に戻って来た跡部は、リビングの大型テレビの前に座っていた妹に声をかけた。
長いこと生き別れになっていた妹は、昔の彼女そのままに人懐っこい笑顔を兄に向け、一時テレビ観賞を止めて彼の方へ走っていく。
「何か面白いものでもやってるのか?」
「うん、ニュース」
中学生の女子にしては何とも健全且つ模範的回答に、跡部はそうかと満足げに頷いた。
「お前ぐらいの年頃の女性なら、バラエティーとかドラマに目がいきそうなもんだがな」
「うん…私もお友達に勧められたのを見たりしていたんだけど…何か、笑いどころが分からなくて」
「…それは別に無理に分かる必要もねぇだろ」
自分と同じく異国で…しかも修道院で育てられてしまった妹は、世間では贅沢を極めたセレブで通じているが、その実態はテレビさえこれまでまともに見た事がない、或る意味気の毒な娘だった。
そんな桜乃が帰国した後、兄の跡部は元々のシスコン気質に輪をかけた状態で彼女を溺愛している。
その延長線上、何とか跡部家に相応しい贅沢に慣れさせ、日本の文化にも馴染ませようともしているのだが、三つ子の魂の呪いはなかなか消えてはくれない様だ。
しかし、最近特に多くなったと感じる下品なバラエティーなどについては、別に慣れてもらわなくてもいいと考えていたところで、妹の発言が続いた。
「ドラマもシナリオがイマイチで…格好いい人出てるって言われても、お兄様ほどじゃないし」
「まぁ当然だな」
相変わらず自信たっぷりの帝王だったが、妹に褒められるというのはまた満足度も別格のものであるらしい。
ふふん、と鼻で笑ったところで、厳しい一面もある兄は桜乃にびしっと忠告も忘れなかった。
「言っておくが、変なアイドルとか中身もねぇ奴に現を抜かすんじゃねぇぞ。お前は俺様の大事な妹で、この由緒ある跡部家の令嬢だ。俺の眼鏡に適う奴じゃねぇと、交際なんざ絶対に許さねぇ」
「お兄様の眼鏡に適うって…どんな?」
きょとんと首を傾げた桜乃に、跡部は指を折りつつ希望を羅列する。
「先ず知力、体力は言うに及ばねぇ。それと財力と権力、ルックスが俺と張り合える奴なら、『会って』やってもいい。ま、時の総理と会えるぐらいの地位なら及第点ってところか」
「それだけ揃っててもまだ『会う』止まりなんだね…」
どうやら自分は地球人とは結ばれない運命らしい…と、窓から空を眺め、遠い目をしながら桜乃が呟く。
しかし意地悪ではなく、自分の事を考えての兄の発言だという事も分かっているだけに、何となく文句も言いづらい…言ったところで聞いてくれるかどうかも分からない。
(まぁ、別に今は好きな人もいないしいいけど)
「兎に角、お前は俺様の妹なんだ、相手に媚売ったり色目使う様な真似は絶対にするなよ…って言っても、まぁ呑気なお前にそんな頭はねぇだろうが」
「褒められてるのか微妙だなぁ…」
小さい時に生き別れ、長年会えなかった兄にようやく再び甘えられるようになった今を満喫したいという気持ちもあった桜乃は、その時にはそれ以上の発言は行わなかった。
その夜…
「…っ」
深夜、ふと跡部は自分のベッドの中で目を覚まし、知らず身体を硬直させていた。
(…この違和感はっ…!?)
誰もいない筈の自室に、人の気配…
目を見開いたまま、跡部は暗闇の中でその気配の動きを探った。
どうやらドアから入ってきたらしいその気配は、そちらから自分のベッドの方へと寄って来ている…
ひた、ひた…と静かな足音が響く…まるでホラーやオカルトの映画のワンシーンの様に…
そしてやがて、ぎい…と微かな音をたて、その気配の持ち主がベッドに乗りあがったところで、跡部の忍耐は限界に達していた。
「さっきから…」
その呟きの直後、彼はがばっと跳ね起きながら傍のテーブルランプを付け、且つ怒声を上げていた。
「俺のベッドで何してやがんだ桜乃――――――っ!!」
「きゃ〜〜〜〜っ!!」
相手が起きているとは思わなかったらしい桜乃は、忍び込んでおきながら自分の方が大声を上げてしまった。
もうこうなると誤魔化すことも出来ず、彼女はパジャマ姿のままで兄の詰問を受けることになってしまう。
「盗人にしちゃ気配を消すのが下手だと思ってたら…」
「ぬ、盗人やったことないから苦手なんです〜」
「当たり前だ!!」
跡部の機嫌がいつになく悪いのは別に寝起きが悪いからではなく、可愛い妹が男の部屋に忍んで来たという理由が原因だった。
実の兄の部屋だからまだましとしても、こういうはしたない行為は跡部家の令嬢がやるべき事ではない…それは夕方にも言いつけてあった筈だ。
「…で? 何しに来た、まっすぐに俺のベッドに来たって事は、俺に用事でもあんのか?」
「うう〜〜〜〜そのう〜〜〜」
こっそりと忍んできただけあって口に出すのは恥ずかしいのか、桜乃はもじもじと両手の人差し指を自分の身体の前で遊ばせつつ、ぽそっと小さい声で言った。
「夕食後に、ちょっとテレビで心霊写真の番組やってて…面白かったんだけど、寝る時になったら恐くなっちゃってぇ」
「怒るぞ」
そういう下らない理由か…と思いつつ、跡部はやれやれと溜息をついた。
帰宅後の会話では、まぁまともな番組選択だと評価したばかりだってのにそう来たか…まぁそういうオカルトものが好きな女は多いと聞くが。
「恐がるくらいなら最初から見るんじゃねぇよ」
「ううっ、見る時にはじいやさんやメイドさん達が傍にいたから恐くなかったんだもん〜。今日だけ一緒に寝てもいいでしょ、景吾お兄様」
「…ったく、中学生だろうがお前…」
呆れながら跡部は枕元に置いてあった目覚まし時計をちらりと見遣り、既に十二時を過ぎている事を確認した。
明日は幸い土曜で学校は休みだが、個人のトレーニングは朝から行う予定である。
ここで言い合って時間を潰しても仕方ない…多分、この様子だと部屋に追い返しても、桜乃は恐い思いをしてなかなか眠れないだろう。
結局、どうあっても最後は妹に甘くなってしまう帝王は、再びベッドに身体を落ち着けつつ、自分の隣の掛け布団を捲ってやった。
「しょうがねぇな…今日だけだぞ」
「! うん!! 有難うお兄様っ!」
跡部も桜乃も、自室のベッドはキングサイズの大きさなので、一人増えたところで落下するなどの危険はない。
きゃ〜〜っと大喜びでベッドに潜り込んで来る妹を苦笑しながら眺めていた跡部は、彼女がちゃんと横になったところで再びライトを消した。
「もう遅い、早く寝ろよ」
「うん、お休みなさい」
暗闇の中で改めて就寝の挨拶を交わし、そして兄妹は間もなく眠りへと落ちていった…
翌日の早朝…
「…ん」
目覚まし時計が時を告げる前に、跡部はぱちりと目を覚ました。
それは別にいつものこと…あくまで目覚ましは用心の為の手段だったので問題なかったのだが…
「…っ、桜乃」
「ん〜〜……」
上体を起こそうと思ったが何かにそれを阻まれ、そちらへと目を遣った跡部が一気に眠気を吹き飛ばす。
いつの間にか、ぺったりと隣に寄り添っていた桜乃が、自分のパジャマの前合わせの裾をぎゅっと握ってきていた。
向こうはまだ、安らかに寝息をたてて、無邪気な寝顔を晒している。
自分が練習に行けるのならわざわざ寝ている妹を起こす必要はないのだが、このままではこちらも身動きが取れないと、仕方なく跡部は相手の肩を揺すった。
「おい、放せ桜乃、お前はまだ寝てていいから…」
「うう〜〜〜ん…」
しかし相手はなかなか夢の中から覚め様とせず、更にひちょっと跡部に甘えるようにしがみ付いてふるふると首を横に振ると、眠気の混じった甘い声で答えた。
「やぁだぁ、まだ眠いのぉ…景吾お兄様も一緒に寝るぅ…」
「…っ」
その無防備な可愛さに、いつもは自身にも厳しい帝王がベッドの中で硬直した。
「……」
それから彼は何度か、妹の寝顔と時計とを交互に見遣り…
「…ちっ」
舌打ちをして、サイドテーブル上に置いてあった電話機の受話器を取り上げ、内線のボタンを押した。
「…ああ、じいか? 今日の俺様の朝のトレーニングは中止にする、朝食もまだいい。いいか、俺から連絡するまでは何の用件であっても取り次ぐな…絶対に起こすなよ」
最後の一言を特にゆっくりと強調し、跡部は受話器を置いた。
そして目覚ましのスイッチもオフの方へと動かし、再び寝る体勢に入る。
どうやら、妹の我侭に任せて自身も二度寝の覚悟を決めたらしく、帝王は妹にしがみ付かれたまま、再びその瞳を閉じた……
了
$F<Field編トップへ
$F>サイトトップへ