「喝っ!」
「!!」

 びたっ!!

 人間ですら硬直させる真田の喝に、小動物が敵うわけもなかったのか……
 生きた彫像と化してしまった動物に、レギュラー一同があーあと哀れみの視線を向けた。
「いつもながら凄いよな……」
「そのまま死んじまったりしてるんじゃ…」
「や、痙攣してるから大丈夫だろい」
「…それは本当に大丈夫なんですか…?」
 諸々の言葉が呟かれていたところで、席を外していた部長が、何かを入れたビニル袋を持って戻ってきた。
「ごめんごめん。多分、これで落ち着くと思う」
 そう言うと、幸村は動物の前に静かに歩み寄り、ビニル袋の中にあった物体を取り出して傍に置き始めた。
 茶色の棒に見える何かと、緑色の球体を見て、メンバーはすぐにそれが冷蔵庫にあったキウイだと知る。
「キウイ!?」
「しぃっ…」
 丸井の声に、幸村は人差し指をたてて沈黙を促す。
「……成る程、そういう事か」
 一人、柳だけが納得した様子で笑って頷いていた。
 それからは、殆ど我慢比べだった。
 とにかくひたすらに動物の様子を見守っていたレギュラー陣の前で、五分後、ようやく真田の呪縛から解かれた相手は、自分の傍に置かれたキウイの実と枝に興味を示し、ふんふんと鼻を近づける。
「おっ……」
 丸井が声を上げ、更にみんなが見守る前で、動物は一心不乱にキウイを鼻で嗅ぎ、つつき、前足で弄り始めた。
 その集中力はただ事ではなく、最早、立海のメンバーの事などすっかり忘れてしまっている様だ。
「何だ何だ…?」
 切原が目を剥いて眺めていると、今度はその生き物はキウイの枝を器用に鳥の巣の様な円形に形作ると、その中に入ってゴロゴロゴロ…と喉を鳴らし始めた。
 それは明らかに、猫と呼ばれる生き物の特徴。
「…ふふ、やっぱり猫だったみたいだね」
「何がどうなったんだ…?」
 首を傾げる真田に、幸村は笑って猫を見つめながら答えた。
「キウイの枝にはマタタビ作用があるんだよ。だから、もし猫ならこれで落ち着かせられるかなって思ったんだ」
「流石は精市だな」
 幸村の意図をただ一人察していた柳の賞賛に、相手はくすりと笑う。
「ガーデニングのお陰でね、植物にはちょっと詳しいんだ」
 ようやく部室に平安が戻り、彼等は一気に緊張を解いて息を吐いた。
「いてててててっ……くそー、遠慮なくやりやがって」
 緊張が解かれたら痛覚が戻ってきたのか、切原は顔につけられた幾本もの爪の傷跡に触れてしかめっ面をした。
「猫などに遅れをとるとはたるんどるぞ、赤也!」
「だって、最初はモップかと思ったんスよー!!」
 聞くと、床掃除をしようと探したモップに手を掛けると、それがバネの様に飛び上がり、そのまま切原の目の前に落ちてくると同時に…
 バリッ!
と、見事な猫クローをお見舞いされたのだという。
 その時の声が、あの見事なまでの絶叫だったというわけで、後のことはみんなが知っている通りである。
「やはり猫に遅れをとったのではないか!!」
「テニスが猫と格闘する競技なら俺も反省しますって!!」
「二人ともそこまで。切原、手当てしてあげるからこっちにおいで」
 真田と切原のやりとりにくすくす笑いながら、幸村が薬箱を出してきた。
「切原、手当てを受けながらでもビデオは見られるよね。蓮二、準備を頼む」
「うむ……しかし、この猫はどうする? 追い出すべきか?」
 柳の困ったような相談に、幸村はそうだね、どうしよう…と少し考え込んだ。
「……猫ってさぁ」
 ふと、丸井の声が聞こえる。
 彼はいつの間にか、猫の目線に自分のそれを合わせる様に屈み込み、枝に酔っている相手をじ〜っと見つめていた。
「……やり方によっては…食べられるんだよな…」

 じゅるるるるるるっ……

 最後のヨダレの音にメンバー全員、ぞわっと背筋に悪寒が走る。
 こんな奴の前で、猫を野良状態にしてしまったら……
「幸村っ!! 頼む! ここにおいてやってくれ!!」
「ってか、お前が面倒見てやっといてくれ!!」
「絶対に丸井には渡すなよ!?」
「俺達、もうキウイ要らないから、全部丸井にやってくれっ!!」
 丸井の目前から猫を奪い取り、幸村に押し付けて懇願するメンバー達に、丸井が非難の声を上げた。
「俺だって、そんなんばっか考えてるワケじゃねーやぃっ!!」
「ヨダレをしまえ! ヨダレ!!」
 ジャッカルが相棒に叫び、なお猫を自分へと差し出す姿を見て、幸村は、はぁと息をついて仕方ないと笑う。
「…分かったよ、じゃあ…取り敢えず、部活の間はここに置いておこう。見た感じ凄く綺麗な毛並みだし、多分何処かの飼い猫だ…後の事は後で考えるよ」
「けど、首輪もつけてないッスよ。マヌケな飼い主なんじゃないスか……っててててっ!!」
 どうにも猫にしてやられた悔しさが抜けないのか、減らず口を言う切原の頬を、幸村がきゅ〜っと抓った。
「いいからおいで」
「ひゃいひゃいひゃい(はいはいはい)!!」
 そして、彼等はテレビの前に陣取り、切原は幸村の手当てを受けながら、昨日の試合の様子を映したビデオを確認し始めた。

 映像が流れて二十分が経過した頃……
「ああ――――――っ!」
 大声を上げたのは切原だった。
「何じゃ、赤也! 静かに見んか」
「モップだ! モップ!! あれっ!」
「あ…?」
 テレビの画面を指差した切原の、その指し示した先を見て、立海メンバー全員が目を見開いた。
「ありゃあ……」
「向こうにいるの…」
「確かにこの猫だ!」
 映像に映っているのは、試合が終了してコートから人がいなくなった空間…その向こうで青学の陣営に、一瞬だが、あの猫が横切る姿が映し出されていたのだ。
 遠目ではあるが、あの長い毛で膨らんだ姿、足と顔に入っているポイント、大きな尻尾…・間違いない!!
「じゃ、じゃあ、コイツ、もしかして青学の誰かの猫か?」
 ジャッカルが驚きながら猫を見る。
 自分の事を指されているとは気付いていないのか、猫は居心地がいいらしく、ビデオ鑑賞の時から幸村の膝の上で喉を鳴らしてくつろいでいた。
「昨日、帰る時にでも抜け出してしまったんだね…きっと」
 幸村の言葉に柳も思い当たるところがあるのか大きく頷いた。
「確か、昨日キウイを貰ってから食べて帰るまでの間、暫く部室を空けていた記憶がある……おそらくキウイに誘われて中に入り、酔っ払って寝たところで、部室に閉じ込められてしまったのだな」
「全く気付かなかったな……」
「モップだと思ってたんだろい、多分……」
 それには全員が納得……
 そして、幸村は思い出した様にはっと顔を上げた。
「いけない、なら急いで青学に連絡しないと。もし誰かの飼い猫なら、きっと今頃大騒ぎになっている筈だよ」
「俺がやろう。まだ向こうも学校にいる筈だ、連絡先は記憶している」
 すぐに幸村の代わりに柳が連絡を入れ、しばらく向こうとの話が続いた後、飼い主と連絡がついたのか、回線を切ってこちらへ振り返った。
「…越前の猫でカルピンというそうだ。すぐに越前がこちらに向かうと言っている…昨日、バスの中に紛れ込んだのに気付かず、まさかここにいるとは思わなかったらしい」
「そう、良かった。じゃあ、その時までは俺達が預からないとね」
「…………」
 一人、切原だけが幸村の膝の上のカルピンをむすっとした顔で見下ろしており、その視線に気付いたカルピンもふーっと小さく唸り声を上げた。
 仁王と柳生が並んで、その一人と一匹の様子を見つめる。
「…さて、柳生よ。こういうのをことわざで何と言ったかのう」
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し…ですか」
「じゃな」
 それからカルピンは、身元が分かった事で安心して立海のメンバーに一時的に預かられることになり、ビデオの後の部活動では一緒にコートに連れ出された。
「いーててててて…やめんか、痛いじゃろ」
「仁王君の髪が気になっているみたいですよ」
 ベンチに座っていた仁王の背中に、カルピンが前足をひょいとかけ、必死に彼の括られた後ろ髪を捕らえようとしている。
 小さな爪がウェアを通して背中を刺激するのか、仁王は苦笑しながら身体を捩るが、その表情は意外と優しい。
「しかし、最初に見た時にはかなり興奮が強かったのですが、こうしていると非常に大人しいですね。人慣れしているようです」
「次、俺な! 俺!」
 丸井が仁王の背中からカルピンを外すように持ち上げ、その身体に頬ずりをする。
 確かに柳生の言葉通り、カルピンは丸井からそうされても、じっと大人しくしていた。
「うっわ〜〜〜〜、ふっかふかのモッコモコ〜〜〜! 気持ちい〜〜〜〜、綿菓子みてぇ」
「…食うなよ、頼むから」
 ジャッカルは半ば本気で怯えながら相棒に注意したが、そこを通り過ぎた切原はけっと面白くなさそうに言い放った。
「身なんかほとんどないっしょ、毛ばっかで」
「赤也!」
 ジャッカルの叱責にもつーんと無視を決め込み、生意気盛りの後輩はすたすたと歩いてゆく。
「全くあいつは〜……」
「越前とは何かと因縁がある奴じゃからの…よしよし、お前さんは気にせんでええよ。あいつらの問題じゃき」
 丸井の腕に抱かれるカルピンの喉を優しく擦り、仁王が笑う。
 それからも触り心地のいい珍客は、立海メンバーに気に掛けられ、可愛がられて、平和な一時を過ごした……


「カルピン!!」
 越前リョーマが立海に着いた時、既にテニス部の活動は終了しており、コートには誰もいなかった。
 一人、部室の前に、見知った顔の男が立っている……部長の幸村だ。
「!? 越前君」
 猫の飼い主の登場を見て一瞬驚いた表情をした彼は、続けて安心したように笑った。
「良かった、カルピンを迎えに来てくれたんだね」
「カルピンは!?」
 余程、心配だったのだろう。
 挨拶もそこそこに飼い猫の安否を気遣う少年に、幸村はふ…と沈んだ表情で視線を横に逸らせた。
「それが、その…ちょっと……先に謝っておくね、ごめん」
「え…っ!?」
 越前の顔がざぁっと青くなる。
 まさかカルピン…一昼夜、放置されていたせいで何処か身体の調子が……!?
「なに……っ!?」
 縋りつかんばかりの相手に、幸村は彼を誘い部室の方へと招くと、かちゃ…とそのノブを捻って扉を開いた。
 そこには……
「ホント、ごめん…ウチの部員が可愛がりすぎて、カルピン酔い潰しちゃった」
 『てへっ』という声が聞こえてきそうな顔の幸村が指し示した机の上、キウイの枝に包まれて、幸せそうにのべーっとのびてしまっているカルピンの姿があった。
「うわ――――――っ!!! カルピン――――――ッ!!」
 叫ぶ越前を見て、他のメンバーもようやくの彼の到着を知った。
「あ、越前だ」
「おお、来おったか」
「遅いぞー」
「何いきなり喚いてんだぃ」
「たるんどる、うろたえるな見苦しい」
 そういう彼らの言葉は完全に無視で、越前は大慌てでカルピンに縋りつく。
「カルピン!? カルピン!?」
 軽く揺すって生きているということは確認できたが、当のカルピンはまだ夢の中なのか、んにゃ〜〜と唸ってはすうすうと寝続けていた。
 その伸び切った姿は、見た目はまるで虎の敷物そのものだ。
「心配するな、しばらく寝かせていたらマタタビ効果も切れて元に戻る。今日はそのまま連れ帰るのだな」
 柳の冷静な言葉にようやく越前も落ち着いてきたのか、少し呼吸を整えた後に、僅かに頭を下げた。
「……スミマセン…っす」
「…全くだぜ、散々メーワク掛けやがって」
 ぶすっとした顔でそう言った切原に、ムっとして視線を向けた越前が暫く無言になる。
「…………」
 切原の顔に幾つも貼られた絆創膏……そこ以外にも残る、複数の線状の傷跡……
 単純に考えたら、小動物の爪の跡の可能性が高い。
「……へぇ」
 越前がにやっと笑って、改めて切原に顔を向けた。
「へー、俺のカルピンがどうやら迷惑かけたみたいでごめんごめん悪かった(棒読み) カルピン、偉かったね、今日は帰ったらオヤツ多めにあげるから」
「うるせ――――! 却ってムカつくわその謝り方――っ!!」
 がぁっと大声で怒鳴る切原を真田が即座に拳骨で黙らせ、幸村は優しく眠っているカルピンを抱き上げると、そっと越前に渡してやった。
「じゃあ、カルピンは返すよ。今度はちゃんと家に連れて帰ってあげるんだよ」
「…はいッス」
 そして越前にカルピンを返した後、立海メンバー達も部室を閉め、家路についたのであった…


 その後の青学と立海の練習試合で、越前と切原がどうしているのかと言うと……
「よう越前リョーマ、元気か?……モップ」
「……アンタも元気そうだね…猫にやられる身体能力の割に」
 どうやら、全く進歩は認められないようである……






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