(大変だなぁ…)
うわぁ…と親友の後姿を見送っていると、彼を追って桜乃も部室へと向かっていた。
「竜崎さん?」
「何か、お手伝い出来るか聞いてみますね」
「…ああ、頼んだよ」
テニスに関してはまだまだ彼の足元どころか爪先にも及ばない少女だが、こと精神的な支えになることは確かだろう…
親友だからこそ分かる真田の心情を察して、幸村は敢えて彼女を部室に行かせたのだが…
「真田さん…?」
彼が部室に入ってから数分が経過し、それを追った桜乃が同じく部室の前に立ち、ドアノブを握った瞬間だった。
突然ドアが、ノブを弄る前に勢い良く開かれ、真田がプリントアウトしたばかりの報告書を手に飛び出して来たのだ。
どんっ!!
「むっ!?」
「きゃあっ!!」
ばさあぁぁぁぁっ…!!
宙に舞った白い紙が、何枚も何枚も気の向くままに散ってゆく。
「…!!」
残り、五分…
ピ――――――――ンチッ!!
紙を呆然と見つめていた真田の脳内にいよいよ危険信号が鳴り出したが、その彼の意識を現実に戻したのは、ぶつかってきた少女だった。
「す、すみません! 真田さん…っ」
「あ…竜崎?」
ふと気付くと、ぶつかった拍子で彼女を抱き締める状態になってしまっていた真田は、慌ててその身を解放すると同時に、床に座り込む。
無論、落ちた書類を拾い上げる為だ。
どうやら自分がどれだけ大胆な行動をしていたかという事は、今の時間に追われた彼には思い至らないらしい。
その相手につられて、桜乃も座って書類拾いに加わる。
「すみません〜〜〜! 私の所為で〜〜!!」
「い、いや、お前だけの所為ではない。俺もさっきは配慮に欠けていたのだ、気にするな…!」
ばさばさばさばさ、と紙を拾っては手にまとめ、何とか二人は然程時間をかけずに全部の書類を拾い上げる事が出来た。
「どうぞ、真田さん!」
「ああ、有難う。では俺は急ぐからこれで」
「はい!」
桜乃から彼女が拾った分を受け取ると、真田は今度こそ会合が行われる教室へと足を向けた。
何とか、何とかギリギリで間に合うだろう。
廊下を走る訳にはいかないが、競歩でいけば何とか…!
「……ふぅ」
真田の後姿を見送った桜乃は、短い時間でも額に浮かんでしまった汗を拭いながらふと視線を下に落とした。
「…!」
部室へ続くドアの僅かな隙間から、白い物体が見える。
物凄い嫌な予感…本当は見ない振りをしたかったが、やはりそうも出来ず、彼女はきぃ、とドアを開いてそれを拾った。
書類だ!
しかも印刷されたページナンバーを見ると、あの副部長が持って行った書類の一部であることにほぼ間違いない!!
(大変〜〜〜〜〜〜っ!!)
おろおろと桜乃は書類を持ったままそこを歩き回った。
どうしよう、何とかこれを会合の場所に届けないと!!…でも、何処に!?
それに今追いかけても、もう会合は始まっているし、そんな場所でこれを堂々と渡したら彼が忘れ物をしたと周囲に思われてしまうかも…!
自分がぶつかりさえしなければ、こんな事にもならなかったのに…!!
「はう〜〜…!」
自身の責任であると心を痛めつつ、相変わらずうろうろと歩き回っていた桜乃に、不意に声がかかった。
「何じゃ? こんなトコで反復横とびか? 竜崎」
「あっ、に、仁王さんっ!」
「?」
明らかに普段とは違う様子の相手に、銀髪を揺らしつつ男が近寄ってゆく。
「真田は行ったか…どうしたんじゃ?」
「こ、これっ…真田さんに渡し損ねちゃって! ど、どうしたら…」
「あ?…報告書…今日の会のヤツか」
桜乃から渡された書類をひらっと躍らせながら見通して、若者は即座にそう判断する。
もう会合が始まっているのなら…
「成る程、それで慌てとったんか」
「そ、そうなんです〜! 真田さんに御迷惑が掛かったら、大変です! 何とかしないと…」
「ふむぅ…」
考え込んだ仁王が、にや…と桜乃に意味深な笑みを浮かべた。
「…もし俺がお前さんを助けたら…お前さん、俺に何をしてくれるんかのう…?」
「え…っ」
銀髪の詐欺師はタダでは働かないと言わんばかりに唇を歪め、悪魔の契約を求めたが、桜乃はん〜っと難しい顔をして即答する。
「えっと、あのっ…部室のお掃除と! ボール拾いと! コートの片付け…何でもしますっ!!」
「……」
悪魔の契約とは思えないあまりにも健全な公約に、逆に仁王が困った顔で小さく唸った。
「…相変わらず攻略難度高い子じゃの〜〜〜…真田もまた厄介な子を…」
「え…」
尋ね返す桜乃に仁王は首を横に振った。
仕方がない、今回は、俺が一肌脱いでやるとしようか…
「いや、こっちの話…そうじゃな、何とかは出来るかもしれんよ。お前さんが手を貸してくれたらの」
「私が?」
一方、真田は…
(な…何とか間に合った…)
乱れそうになっている息を何とか平常に保ちつつ、彼は指定されていた席についていた。
会は丁度始まったところで、到着は本当にギリギリセーフだったと言っていい。
「では、風紀委員長も揃ったところで、会を始めましょう」
生徒会会長の発言で、辺りに緊張感が含まれたざわめきが起こる。
報告書を準備する他の委員の人間に混じり、真田もばさっと書類を取り出した。
一回派手に床にぶちまけてしまってから、とにかく急いで書類をかき集めてそれっきりだったので、ようやく彼は書類のページを揃える事が出来た。
「………」
一枚目、二枚目…と数えている間に、真田は書類をかき集めていた時の事を今更ながら思い出していた。
(そう言えば、あの時は竜崎と随分派手にぶつかってしまったな…怪我などしていなければいいが…まぁ、俺が支えていたから転びは…)
心に、竜崎を抱き締めていたあの時の自分が浮かぶ。
という事は、あの時、自分と少女の身体は触れ合ってしまったということで…しかもあろう事か己の腕の中に抱き締めていたということに…
「っ!!」
今になり、自分の行動の大胆さに思い至り、真田は再び書類を取り落としそうになってしまった。
(なっ…!! おっ…俺は、何という事を…!!)
いや、それは仕方がないことだし、とフォローを入れてくれる人物は誰もおらず、真田は一人で真っ赤になってしまった。
「? 真田委員長、どうしたんですか?」
「い、いや、何でもない…」
不審に思った隣の男子生徒が声を掛けてきたことで、真田ははっと気を取り直し、再び書類のページを確認する…と…
(七枚目…八枚目…ん? 八枚目…が…)
何処にも、八枚目のページの印字を打った書類が見当たらないっ!!
(ま、まさかっ……!!)
あの時…まだ、拾っていない紙が何処かに…!?
今頃その事実に気付いて、今度は赤から一転青くなってゆく。
「あ、あの…本当に大丈夫ですか?」
再び声を掛けられたが、真田は書類の方へ集中して声など出せる状況ではなかった。
「…では、委員長が参加している風紀委員から報告をしてもらおうかな」
「う…は、はい」
どうしようと思っても、もう仕方がない。
やれるだけの事はやって、書類の不備の部分は正直に…
「失礼します!」
「お茶をお持ちしました!」
真田がぎり、と唇を噛み、悔しさに耐えているところに、いきなりドアが開かれ男女の声が響いた。
「!?」
はっと顔を上げると、仁王…そして桜乃が、盆に紙コップを大量に乗せて入ってくるところだった。
「え…? 君達は…」
当然、生徒会の人間達はいきなりの二人の来訪に目を丸くしていたが、仁王はにっと笑いつつ真田へと目を向けた。
「ウチの副部長から、会合中に皆さんが喉が渇くかもってことで、差し入れをするように言われたんで…」
「配ったらすぐに退室します」
「!?!?!?」
無論、嘘である。
仁王は慣れた口調でつらつらと嘘の理由を話し、さっさと部屋の中に入ると、傍の生徒達からコップを順次配り始めた。
「竜崎、お前は向こうじゃ」
「はい」
少女もまた、中に入って真田が座る席の列へコップを配り始めた。
『これは嬉しいな』
『流石、風紀委員長…こうした気配りはなかなか出来ないよ』
『規律に厳しいだけじゃないな…』
生徒達の囁きの中で真田の前に来た桜乃は、彼にもコップを渡し…
『真田さん…これ…』
「あ…」
同時に差し出されたのは、問題の見つけられなかった書類だった。
(もしかして…)
これを渡す為に、差し入れを…?
二人の視線が一瞬絡まり合い、少女の目が笑みと共に細められる。
『頑張って下さいね…戻ったら、テニス教えて下さい』
「っ!!」
上手く人目を誤魔化して書類を渡すことに成功した二人は、再び入り口の場所まで戻った。
「では失礼します」
「お邪魔しました」
再び一礼してお茶くみ係の二人が去っていった後、改めて会合が進められてゆく。
「では、風紀委員長、お願いします」
「はい」
揃うものが全て揃えば、サルでも出来る。
しかし今ここに立つのは真田弦一郎その人であり、無論、サルと比べられるような発表をするつもりは無かった。
「やあ、お帰り。報告には間に合ったみたいだね」
会が終わり、真田が再びコートに戻ると、全てを知っている顔で幸村達が迎えてくれた。
そこには当然、桜乃も揃っていた。
「竜崎さんが、『お茶を下さい!』って来た時には驚いたけど…まぁ、仁王のアイデアに助けられたね」
「…ピヨッ」
目を向けられた銀髪の詐欺師は、照れているのか自分のそれを逸らしてお馴染みの一言。
「…すまなかったな、竜崎、仁王、助かった」
「いえ、私の所為でもありましたから! でも、間に合ってよかったです」
ほっと胸を撫で下ろしている少女に、幸村が声を掛ける。
「じゃあ、竜崎さん、あとは弦一郎に付いているといいよ。弦一郎、指導よろしくね」
「う、うむ」
続けようか、という部長の一言で皆がわらわらと散っていき、その場には二人だけが残された。
「あの…宜しくお願いします」
「あ、あ…そうだ、竜崎」
「はい?」
落ち着かない様子で、真田が視線を泳がせつつ相手に詫びる。
「その…さっきはすまなかった。ぶつかった時に、その…」
「え…?」
「いや……わざとではなかったのだが…お前を、その…」
「……っ」
そこまで言われて、初めて桜乃も真田の抱擁を受けた瞬間のことを思い出し、言葉に詰まった。
「い…いえ……そんな…」
頬を染めた桜乃と、暫く照れあいながら佇む副部長を、遠巻きに他のレギュラー陣が見守っている。
「こりゃ、先は長いよぃ、真田〜」
「まぁいいんじゃないか? 本人達が幸せなら」
へへへ〜と丸井が面白そうに笑う隣で、ジャッカルは無難な発言に留まったが、離れた場所では柳が何となくすっきりしない表情を浮かべていた。
「どうしたの、蓮二」
「いや…おそらく今回の件、竜崎には実害はないだろうが…」
幸村の言葉に、柳は自身の予想…しかもかなり確率が高いだろうそれを述べた。
「仁王が弦一郎に要求する見返り…かなり高くつくぞ」
「……確かにね」
う〜んと幸村も苦笑いを浮かべたが、これはもうどうしようもない。
しかし今回の件については、真田もそれ程嫌な顔をせずに取引に応じるのではないだろうか…
何しろ、面子を保った上、桜乃との貴重な時間も得られたのだから。
「まぁ、仁王もあの子には甘いからね、弦一郎にそんな無茶は言わないと思うよ? ここは一つ、傍観しようか」
「ふむ…精市がそう言うのなら」
彼らの視界の中、真田と桜乃はようやく緊張も取れた様子で、テニスのラケットを握っている。
そこそこに平和で幸せなら、たまのアクシデントもいいんじゃない?
幸村の言葉の通り、副部長のアクシデントの後には、コートに穏やかな時間が流れていった……
了
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