「ああああああのっ…!!」
背後で墓場並の暗い空気を醸している真田を気遣いながら、桜乃はいよいよ混乱も露に店員に説明した。
「デッ…デートなんですっ!!」
「は?」
きょとんとする店員に構わず、桜乃はぎゅーっと真田の腕にしがみ付いた。
「お父さんじゃなくて、そのっ…真田さんは、恋人ですからっ!」
「え!?」
そこで初めて硬直する店員と一緒に、真田も同じく固まってしまう。
いや、確かに自分はデートという心積もりでいたが…恋人…?
ダメージを被っていた心に、次には非常に嬉しい言葉が滑り込んできて、今度こそ若者は混乱してしまった。
どうしたらいい!?
ここは同じ様に恋人として振舞えばいいのか? いやしかし、そんな図に乗った行為をしてしまったら、後でどんな誤解を受けてしまうか…しかしここは嘘も方言という諺もあるし…いやいや、自分は決して嘘という気持ちでこの娘と一緒にいる訳では…それにこの娘の本心はどうなのか…
ぐるぐるぐるぐると混乱した頭で必死に考えて真田に、ぽん、と誰かが肩に手を乗せてきた。
「?」
誰かと思い振り返ると、見知らぬ若い男性が、随分と不躾な視線を自分へと向けてきている。
「ちょっといいかな。話を聞きたいんだけど」
「…話?」
見知らぬ男が一体自分に何の話だ…
不思議な展開だったが、少なくともこの素朴な疑問は真田の心から余計な動揺を取り除くのに一役買ってくれた。
特に向こうは桜乃が同伴する事には文句を言う事もなく、二人を店の前へと連れ出した。
どうやらそれは店側に配慮するが故らしいが、勿論二人には何の事やら分からない。
そうしている内に、今度はその男の連れなのか、知り合いなのか、同じ年代の男達が寄ってくる。
(…まさか、強盗まがいの奴らではなかろうな)
全員で四人か…まぁ人通りも多い場所なので、すぐに馬鹿な真似はしないと思うが…と、真田が警戒心を持って彼らを一瞥した時だった。
「じゃあ、住所と名前、それと職業を教えてくれる?」
「???」
何事…と思わず彼が桜乃へと視線を向けてしまったが、向こうの少女は更に怪訝な顔で見返してきた。
取り敢えず、職業を問われるところを見ると…嫌な誤解はまだ続いているらしい。
「俺はまだ中学生ですが」
「じゃあ学生証」
もしかして生活指導の教師か誰かだろうか…と思いつつも、真田は仕方なくそれを取り出そうとポケットに手を入れた…のだが、
「……あ」
無い! そう言えば今日に限って、それを入れた記憶が無い!
どうやら昨日の寝不足が災いしてしまった様だ、自分としたことが…
「…ここにはありませんが、自宅にでも問い合わせて頂けたら」
何より主張したい事を先に述べると、何故か向こうは酷く不機嫌な顔になり、真田に向かってきつい口調で言った。
「あのね、今更そういう下手な言い訳はいいから。往生際が悪いよアンタ」
「は!?」
往生際が悪いとはどういうコトだ!!
何をもってしてそういう事を言ってくるのかは知らないが、随分と傲慢な口を利く大人だな、と厳格なテニス部副部長は反感を抱いた。
こういう大人は大嫌いだ、ただ年月を重ねたら偉くなる訳でもあるまい!!
「言い訳ではなく真実だ」
最早丁寧な口調で応じる義理もあるまいと、真田はそう応じて相手をきつく睨みつける。
すると向こうははぁ〜と実に大袈裟なため息をつき…とんでもない台詞を吐いた。
「アンタみたいな悪い大人がいるから、相手の女も図に乗るんだよ。大体そのなりで中学生気取れる訳ないでしょ。話は署で聞くから、ああ、そっちの女の子もね」
「!!」
「え…?」
まさか、まさか…
最悪な事態…もしや自分は、女子を金銭でどうにかしようという最低最悪の人種と看做されているのか!?
真田が怒りと屈辱に言葉も無くしている脇で、桜乃も徐々に状況を把握しつつあった。
(え…じゃあこの人達ってもしかして刑事さん…? もしかして、パトロール中だったの…?)
そして、店での自分達の店員とのやり取りを聞いて、『そういう』カップルだと勘違いされているのだろうか…
(どーしよ〜〜〜! そっちの『パパ』でもないのに〜!! いずれ解ける誤解だけど、このままじゃあ真田さんが…)
怒るだろうな…とちら、と横目で相手を見ると、とんでもなかった。
(いやあん、もう手遅れ〜〜〜〜〜〜っ!!??)
びきびきと青筋を何本も浮かべて拳を震わせ、いかにも『どうしてくれようかこの馬鹿ども!!』という怒りの叫びが聞こえてきそうだ。
でもここで下手に手を出してしまったら、今度は公務執行妨害とか変な罪状付いちゃうし、何とか宥めないと…!と桜乃が声を掛けようとしたら、相手はその前にポケットから携帯を取り出した。
そして、向こうの刑事達にそれを見せて押し殺した様な静かな声で尋ねる。
「一件だけ電話したい…すぐに済む」
「はいはい、一件だけね」
向こうは相変わらず不遜な態度だったが取り敢えずは許可をもらえたので、真田は無言でぴっぴっと何処かのナンバーを押すと、それを顔へと近づけた。
「…すみません、お忙しいところ…実は」
(…何処に掛けてるんだろー)
相変わらず怒りのオーラは振りまいてはいるものの、口調は随分と丁寧だ…目上の人物に掛けているのだろうか…でも何を…
そうしている間に、今度は真田が携帯を顔から離し、何故か向こうの刑事へと差し出した。
「どうぞ」
「は?」
「是非話したいと」
誰が出るかは知らないが、取り敢えず出てみようかと刑事はぞんざいにその携帯を受け取り、面倒そうな口調で応じた。
「もしもし?………え」
その表情が見る見る変貌してゆくまで、五秒と掛からなかった。
他の男達も何事かと見ている前で、その刑事は真っ青になり、口調まで露骨に震え出していた。
「こっ…これは真田教官っ!! い、いや、一体、どうして…」
(…教官?)
桜乃はん?と首を傾げていたが、当の携帯の持ち主である真田は、むすっとしたまま全てを悟った様子でその場に佇み、向こうの男が携帯を持ったまま見えない相手に何度も深く頭を下げている様を見ている。
「りっ、了解致しましたっ! はいっ、す、すぐに解放します!!」
最早、先程までの傲岸不遜な様は見る影も無く、相手は携帯を手にしたまま真田へと向き直って深々と頭を下げた。
「あ、あの真田教官のお孫さんでしたかっ、失礼致しました!! ど、どうぞ行って頂いて結構ですっ!」
「…誤解が解けたのなら、それでいい」
自分の立場はただの中学生に過ぎず、身内の七光りは自分のものではないと、真田はそれ以上苦情を言う事も無かった。
そして、刑事達がそそくさと立ち去った後、真田は桜乃に詫びながら再び携帯を口元へと持っていった。
「すまんな竜崎、お前まで下らん騒ぎに巻き込んだ……師匠、お手数をお掛けして…」
本当はそこで簡単な挨拶と同時に、通話は切れる筈だったのだ…少なくとも真田はそのつもりだったのだが、しかし運命は更に無情だった。
『弦一郎――――――っ!! 貴様は他所様の大切な娘さんをたぶらかして、何をしとるか〜〜〜〜〜っ!!』
「うお!!」
「きゃああ!」
それはもう携帯の機械が壊れてしまう程の大音量であり、真田と桜乃だけではなく、通行人達も何だ何だと振り返ってゆく。
「しっ、師匠! 誤解ですっ!! 俺は決して、たぶらかした訳では!!」
今度は自身の祖父に対し、携帯を通じて真田は必死に弁解を試みている。
やはり身内…師匠と呼ぶ程に敬愛している相手だからか、先程の若手の刑事達相手とは多少勝手が違うらしい。
(ああああ、何かまた別の問題が起きちゃってるみたい…)
桜乃が見ている前で、携帯を通じて祖父のものと思しき声がまだ聞こえてきている。
『そもそも日本男子というものは、これぞと心に決めた女子とこそ寄り添うもの!! 浮ついた心で付き合うなどとはもってのほかじゃ!! ワシの孫だからと言って見逃すことなど、天地が逆になろうとも、決してないと思えーっ!!』
「…」
ぶちっ!!
そして、遂に真田の中の何かが派手に切れた。
そもそも桜乃と一緒にデートをする為に自分はここに来たというのに、何なんだ今の状態は!!
今日は仏滅か!? 天中殺か!?
あの娘も実に不名誉な疑惑を掛けられて、今も当惑しているし…
トラブルが去ったと思えば、今度は身内から謂われない軽挙妄動を非難され…
「お…っ」
全てのストレスが貯まりに貯まった爆薬となってしまい、この時ばかりは「確乎不抜」の信念も吹き飛んでしまった真田は、大声で訴えていた。
「俺は本気で付き合っていますっ!!!」
「!!」
通行人も相変わらずこちらを眺めながら通り過ぎていく程の大声で高らかに宣言され、桜乃がかぁっと真っ赤になった頬に手を当てた。
「さ…真田さん…?」
「……!!」
宣言した後でぶちっと携帯を切り、暫くぜーはーと息を荒げていた若者は、ようやく少し心が落ち着いたところで自分がとんでもない暴挙をしてしまった事実を思い知る。
大自爆…!!
相手の…桜乃の目の前で恋人とかそういう話を全てぶっちぎって、しかも公衆の面前で告白をかましてしまった…!
「〜〜〜〜〜!!」
今更ながらに自身の発言で大ダメージを食らってしまった男は、がくっと膝をついて落ち込み方もハンパではない。
「…いっそ殺してくれ…」
アイデンティティ、大ピ〜〜〜〜〜〜ンチッ!!
「さささ、真田さんっ! と、取り敢えずどっかに入りましょうっ!! 飲み物でも飲んだら落ち着きますからっ! ねっねっね!?」
「……」
こんなところ、立海の他のメンバーに見られてなくて本当に良かった…!
もしあの後輩に見られでもしていたら、この人は本気で自害しかねない!!
桜乃はそれだけでも神に感謝しながら、珍しく脱力しきった若者をずるずると引きずって、近くの喫茶店に入り込んだ…
「落ち着きました?」
「そう見えるか…?」
小さな円テーブルを挟んで座り、二人はそれぞれジュースとコーヒーを前に一時を過ごしてみたが、真田はやはりかなり憔悴した様子だった。
少しは浮上出来たものの、相変わらず眉間の皺は深く刻まれたまま。
「祖父に助力を求めれば収拾がつくと思っていたが…とんだ醜態を晒してしまった」
却って面倒な事に…と唸る相手に、しかし桜乃はちょっぴり嬉しそうに首を傾げて笑う。
「そんな…わ、私は、相手が真田さんなら…全然良かったですけど」
「!!」
「あ、でも…その場凌ぎのものだったなら、忘れても」
ちょっと待て!!
それはもしかして…あの時の自分の言葉に対し受諾という意味に捉えてもいいのか?
独りよがりな想いではなかったと、そう看做してもいいのか!?
お前は先輩としてではなく、兄のような存在としてではなく…俺を…
「い、いや!! そんな事は無いっ! 断じて忘れるなど!!」
まるで離れていきそうな幸運の女神を捕えようとするかの如く、真田は夢中で相手のテーブル上に置かれていた腕を掴んでいた。
掴んで、またも自身の暴走した行為にはっと我に返り、恥ずかしげに視線を逸らしたが、それでも彼は相手の腕を離そうとはしない。
「す、すまん…その、色々あって…本来あるべき形には程遠くなってしまったが…俺が師匠に、祖父に言った事は真実だ。お前のこと、只の遊びだと思ったことなど一度もない」
「真田、さん…」
「こ、これを切っ掛けにというのもおかしな話だが…俺と、付き合ってはもらえないだろうか?」
若者の告白に、桜乃はそれこそ瞬間湯沸かし器の様に途端に真っ赤になっていったが、その表情はとても柔らかく、幸せそうに笑っていた。
「じゃあこれって…デートでいいんですよね?」
「え?…あ、ああ」
「良かった。最初に誘って下さった時、デートかどうか分からなくて、ちょっと不安だったんです…どういう立場で行けばいいのかなって。テニスの後輩か…妹みたいな友人か…」
「そ、れは…」
相手の隠されていた不安を吐露された真田は寧ろそれが酷く嬉しいと思ったのだが、あからさまに喜ぶ訳にもいかず、腕を組んでつい仏頂面になってしまった。
「こっ…恋人でよかろう」
「…はい、弦一郎さん」
「う…」
「そう呼んでも、いいですか?」
「あ、ああ」
苗字ではなく名を呼ばれ、更に嬉しさが倍増してしまった真田は、どういう顔をしていいのか分からずコーヒーに手を伸ばす。
「…俺も、名前で呼ぶぞ…桜乃」
「うふふ…はい」
それからも桜乃は、ようやく落ち着いたらしい『恋人』と共に暖かな、満たされた時間をゆっくりと楽しんでいた……
後日
「…あー、桜乃」
「はい? どうしました? 弦一郎さん」
立海のコート脇で、見学に来ていた少女が一人になった時を見計らい、彼女の恋人がこっそりと相手に声を掛けていた。
「その…お前の好きな色を、教えてもらいたいのだが」
「え? どうして…?」
「いや…それが」
物凄く不本意なんだが、という表情のまま、真田はその理由を桜乃に明かす。
「先日以来、師匠からお前の事を聞いた母親が、是非お前に着物を仕立ててやりたいといって聞かないのだ」
「え!?」
「それに…ウチの家族がお前に挨拶をしたいと言って、絶対に連れて来るようにと」
「えええ!?」
何か、物凄い大事に発展しちゃってませんか!?
「げっ…弦一郎さん…?」
「…すまん、そういう家族なのだ…責任は取る」
まさか家人に『奥手なこの子に、祖父に啖呵を切るほどに好いた娘が出来るとは! これは家族を上げてお祝いしないと!』と勝手に盛り上がられたとは言えない…
(ええ〜〜〜〜〜〜!?)
嫌じゃないけど、私はまだ中学生で…い、いいのかな…
二人の若い恋人は、照れていいのか困っていいのかよく分からないまま、互いに視線を合わせてはそれを逸らし、終始落ち着かない様子だったという……
了
$F<前へ
$F=真田リクエスト編トップへ
$F>サイトトップヘ