恐怖の詐欺師


「あ、お早うございます、仁王先輩!…あら?」
 朝練に来て、レギュラー陣の中に入って来た三年生の仁王の姿を見て早速挨拶をした桜乃が、いつもとは何かが違う彼の様相に首を傾げ…すぐにその正体に気付いた。
「どうなさったんですか? その首の包帯」
「んー? ああ、これか?」
 桜乃の質問に周囲のメンバーが注目する中、まだ少し眠いのか覇気のない声で答えた仁王の隣から、同年の丸井が早速茶々を入れた。
「おっ、やるじゃん仁王! キスマークかい!?」
「き…っ」
 言われた当人より先に、聞いていた桜乃が激しく反応を示して真っ赤になった両頬を押さえる。
 ほ、本当に!? 中学生なのに、仁王先輩ったら凄くだいた…
 そこまで考えたところで、仁王がぽくんっと丸井の頭を軽く拳骨で叩いて鼻を鳴らした。
「教室ではともかく竜崎の前でそういう発言はやめんしゃい、刺激が強いからのう。因みに、キスマークでもないぜよ、ほれ」
 そう言いながら、仁王はしゅるんと躊躇いもなく包帯を解く…と、その左の首筋に、うっすらと赤い点が見えた。
「…えーと、キスマークに見えますが」
 切原が少し引いた様子でダメ押し。
「違うじゃろ…竜崎、よーく近づいてみんしゃい」
「え、ええ…えーと…」
 言われるままに、彼女がひょこんと仁王の首筋に顔を寄せてその点を確認してみると、その部分が限局的にぷっくりと膨らんで、腫れている事が確認出来た。
「あ、虫刺されですね?」
「その通り。昨日の夜に油断しとったところをやられた。まだおるんじゃなぁ、とっくに時期が過ぎたもんと思っとったんじゃが…」
 渋い顔をする仁王に、部長の幸村がくすりと笑った。
「ふふ、また微妙な場所を噛まれたものだね」
「ああ、このままでおったらさっきの丸井みたいに変な噂を流されてしまうからな…緊急処置じゃよ、適当に腫れが引くまでかぶれたとでも言っておくか…しかし、うんざりじゃのう」
 やれやれといった様子の仁王に、誤解を解いた桜乃は、しかし何故か力強く主張した。
「虫刺されぐらいだったら別にいいじゃないですか。昨日の私よりずっとマシです!」
「んん?」
「どうしてだ?」
 仁王と同時に興味を持ったジャッカルが尋ねると、桜乃は両腕で自分を抱いて心底嫌そうな顔をした。
「昨日、寝ていたら金縛りにあって…天井から手が伸びてきたんですよう…気のせいだったかもしれませんけど、もうすっごく恐くって…気が付いたら朝になってました」
「科学で解明出来ない事象は確かに世の中に存在するが、金縛りなど深夜の体験は、脳の睡眠状態のアンバランスによって生じるものと概ね説明されている…」
「分かってますけど、その時はやっぱり恐いって思いますよう〜〜」
 柳の言葉にも必死に主張を続ける桜乃に、仁王はようやく目が覚めた様子で笑いながら彼女の頭を撫でた。
「よしよし、恐かったのう。いっそお前さんは蚊に刺されるぐらいで済んで、俺がそいつらを引き受けてやれれば良かったんじゃが…」
「あう…べ、別にそういう意味じゃなかったんですけど…」
「分かっとるよ…けどそうじゃな、またお前さんトコにそいつらが行こうとしとるなら、俺の処に来いと言っておこうかのう…そしたら、平気じゃろうが?」
 口約束ではあるが、そういう気休めでも本人には結構効くものである。
 そして、その場は特にそれ以上の事もなく皆はいつもの様に朝練を始めた……


 その夜…
「…ん?」
 深夜になり、眠っていた仁王が何の前触れもなく目を覚ました。
(…何じゃあ? ありゃあ…)
 ぼんやりとした頭で見つめる天井に、わらわらと何かが蠢いているのが見えた。
 手だ。
 真っ白な人間の手。
 それが幾本も幾本も、まるで百足の脚の様に不気味に蠢いている。
 普通の人間であれば、先ず驚き、そして恐怖を覚えるものなのだが、その詐欺師はまだ寝惚けているのか正気なのか、驚きもせず慌てもしなかった。
(ありゃあ…本当に俺の処に来たんか…律儀な奴らじゃのう〜)
 思っている間にそれらの手はしゅるしゅると天井から降りてきて、仁王の全身に纏わりつき始め、特に彼の首へと集中して触れてくる…いや、ぐぐっと締め上げてきている。
 普通なら…気絶してもおかしくない状況。
 なのに、それでもまだ仁王は身じろぎもせず、それらを見つめたままだった。
(何じゃあ? べたべたと身体に纏わりついて…ああ、マッサージでもしてくれとるんか? そー言えば最近、練習に身を入れすぎて、ちと筋肉も疲れ気味なんじゃよなぁ…そうじゃ)
 手よりも寧ろ自身の肉体の疲弊について真面目に考えていた詐欺師は、或る事をぴーんっと閃いた。
(どうせこれだけ手が沢山あるんじゃ…一本ぐらい、引っこ抜いてもむしり取っても構わんじゃろ…ユーレイなら痛くも痒くもないじゃろうし…どれ、どの腕が一番テクニシャンかのう…)

 びくっ!

(引っこ抜いたら俺専用の自動孫の手じゃ…ええのう、手だけならどんだけこき使っても文句も言わんし、餌も要らん…住まわせてやる代わりにたっぷり働いてもらうか…マッサージ代がかなり浮きそうじゃのう…)

 びくびくっ!!

(それに、向こうが死んどるなら民法も刑法も関係なしじゃ。言うこと聞かんなら、びしびし調教しても訴えられんし、そもそも口が無いんじゃから声も出さん…最っ高のオモチャじゃなぁ…ククク、楽しみじゃあ〜〜〜〜〜)

 びくびくびくっ!!!

 うけけけけけっ!!と、悪魔の笑い声が響いていそうな仁王の極悪な心の声を読んだのか、白い手らは最初に彼へ向かって来た時とは大違いの様子で、逃げ出す様にわたわたわたっ!!と天井の向こうへと消えていってしまった。
「……」
 しんと静まり返った部屋で、詐欺師はぼーっと天井を見ていた瞳を再び閉じた。
(チッ…逃げられたか……根性なしのユーレイどもめ…)
 そして、彼は何事も無かったように再び眠りに就いた…


 翌日…
「…っつーことがあったんじゃが」
「オメーが鬼だな、マジで」
 部室では、仁王がレギュラー達と桜乃に昨夜の話をしていた。
「怯まなかったのは天晴れだが、どうにも素直に感心出来んな…」
 相手が幽霊でもお構いなく無碍にこき使おうとしていた仁王の企みに、ジャッカルが呆れ、真田が渋い顔をしている。
「……」
 青い顔をしている桜乃に、フォローするように柳生が優しく声を掛けた。
「大丈夫ですよ竜崎さん。確かに仁王君は最近特に練習量が多かったですからね、これも身体の不調からくる幻覚でしょう」
「いや」
 その相棒の言葉に、きっぱりと仁王は否定の声を上げた。
「そりゃあ違うと思うぜよ、柳生」
「? どういう事ッスか?」
 聞き返したのは切原だったが、仁王は構わずに再度否定した。
「ありゃあ、気のせいとかそういうモンじゃなかったと思うぜよ?」
 言いながら、彼はしゅるんと昨日と同様に首の包帯を解いていった。
 そして、その全てが露になった時…
「ほら」
 仁王の白い首筋に浮かぶのは、赤く残った人の手形…それが、彼の首を締め上げる様な形でくっきりと浮かび上がっていた。

『ぎゃああああああああああああっ!!!!!』

 一秒後、複数の男女の悲鳴が部室から響き渡ったのは言うまでもない。
 それから数日間、仁王は首の包帯を巻いたままだったが、それが結局詐欺師の悪戯であったのか、それとも本物の幽霊の手形だったのかは、明らかになることはなかった……






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