(社会性の問題でやらないっちゅう事は、それだけの金はあるっちゅうことやろなぁ…ホンマ、底の知れん一家や)
そんな事を考えている忍足の隣で、思い出して感慨に耽っているのか、跡部は目を閉じて溜息をついた。
「俺様がアイツと引き離されて十年近く…長かったな」
「じゅ…」
「別れたのは俺様が向こうのスクールに通うことになったすぐ後だ。当然向こうでもアイツと一緒に毎日を過ごす事になると信じていたし、そう聞かされていた…」
そして跡部の表情が一変し、心底忌々しげなそれに変わると、彼はぶるぶると拳を震わせて続けた。
「なのに、或る日帰宅したら既に妹は遥か彼方の別の国に連れて行かれて、会えるのは十年後になるだなんてほざきやがる! 流石の俺様もあの時ばかりはグレてやろうかと思ったぜ!!」
(うっわ〜〜、金持ちがグレる程厄介なもんはないで…でもちょっと見たかった様な気が…)
そんな事を考えている親友にも気付く様子もなく、跡部は更に過去の思い出を振り返った。
「毎日アイツの世話をするのは楽しかった…体力はない華奢な奴だったが、それはもう可愛くて素直で優しくてな…食事をするのも遊ぶのも寝るのも常に一緒で、自慢じゃないが家族の中では俺様が一番懐かれていたもんだ…」
(あ〜〜〜…だからこいつに内緒で外国に飛ばしたんやな…ご両親)
つか、飛ばされたのはもしかしてコイツの所為なんじゃ…とも思ったものの、そこは親友のよしみで伏せておく。
「え〜〜…で、その妹さんは、今どちらに?」
「とある院で、淑女としての教育を受けている。完全に女性のみの環境で育てられる完全管理の寮でな、外部との連絡も緊急時以外では一切行えない。無論、男子禁制だ」
「スパルタやな〜〜」
「まぁ施設は最高級クラスで、普通に生活している限りはただのお姫様の様な生活だ。何の苦労もない筈だから、その点は心配はしてないが」
(ただじゃないお姫様って…?)
更に突っ込みたくなる忍足だったが、そこもまた自主規制。
まぁ…新しい、というか、元々家族だった人間が久し振りに戻って来るのなら、それは当然跡部でも表情に出したくなる筈だ…しかも幼少時より可愛がっていた妹なら尚更。
「…早く会えるとええなぁ…あ、妹さん、名前は何て…?」
「ああ…桜乃だ」
珍しい親友のいつもより柔らかな笑顔を見て、忍足も何となく嬉しくなりながら跡部邸へと歩いて行った。
その二人が跡部邸に到着し、主人が門を開けて中に入ると、いつもとは多少様子の違う出迎えが待っていた。
「あ…」
「?」
「ん…?」
広い広いエントランスに立っていたのは、純白のワンピースを纏った、一人の黒髪の少女だった。
随分と長い髪…なのだろうが、それはきっちりとおさげでまとめられている。
瞳が大きく、しかし艶やかに輝き、唇は健康的な赤色に染まっている。
華奢なその娘は、開かれた門の向こうに現れた跡部と忍足の姿を見て、ぱっと笑顔を輝かせたかと思うと…
「きゃあ! 景吾お兄ちゃんっ!!」
「!!??」
いきなり走り寄ってきたかと思うと、彼女は跡部に抱きついて声を上げたのだった。
「え…ま、まさか…」
言葉を失う跡部とは対照的に、相手の少女は瞳を潤ませ感極まった表情で、喜びの声を上げていた。
「お兄ちゃん! 会いたかった!」
「桜乃…桜乃か!?」
呼びかけておきながらまだ信じられず辺りを見回したが、そこに控えていた執事やメイドも何も言わずに二人を微笑ましく見つめていると言う事は…真実なのだろう。
「!!」
すると、跡部はいきなりがばっと桜乃の身体を引き離すと、忍足も置いて一人で門の外に飛び出して行ってしまった。
「お、お兄ちゃん!?」
声を掛ける妹にも答えず、既に遠くに行ってしまった兄を、彼女は呆然と見送り、それは忍足も同じだった。
「どうしたんや、あいつ…」
「…? あの…景吾お兄ちゃんのお友達の方、ですか?」
「あ、ああ…そうや、忍足侑士。初めまして、やな。桜乃ちゃんやろ? 丁度さっき、跡部からアンタの事、聞いとったんや」
「まぁ…お兄ちゃんが私の事を? 嬉しい」
その言葉に偽りなく、花のように微笑む桜乃を見下ろして、忍足はほうと小さく唸った。
確かに、華奢で、素直で、可愛い、優しそうな娘だ。
それだけに、あの俺様気質の跡部の妹であることが今ひとつ信じられないのだが…
(しかし…)
そして忍足はもう一つ、素朴な疑問が浮かぶのを感じた。
(…普通、お嬢様が『お兄ちゃん』なんて言うか? 俺のイメージでは、『お兄様』とかなんやけどなぁ…)
そうしている内に、再び物凄い勢いで跡部が戻って来た。
「あ、お兄ちゃん…」
「よく帰って来たな桜乃!」
その若者の手には真っ赤な薔薇の花束が握られており、彼はばさりとそれを桜乃に手渡しながら歓迎の言葉を述べる。
「……もしかして、お前それを買う為に外に出たんか」
「当然だ、久し振りに会う妹の待つ家に、花も持たずに帰るなど!」
(ホンマもんや…)
正真正銘のシスコンである事が確定致しました…と内心呟く忍足の隣では、跡部が執事たちに振り返って思い出した様に尋ねていた。
「しかし、どうして急に桜乃が戻って来たんだ。戻るなら戻るで、何故俺様に連絡しない」
確か、帰国まではまだ日があった筈…と思っていた跡部に、何故か執事は少しうろたえた様子で主人に小さな声で告げていた。
「け、景吾坊ちゃま…それについては後ほど…取り敢えず、忍足様もご一緒に別室へお通し致しましょう」
「ああ…そうだな」
そうしよう、という主人の一言で、跡部と忍足は一度客間へと通され、桜乃は帰国したばかりで片付ける荷物もあるという事で、彼女の部屋へとメイドと一緒に連れられていった。
そして若者二人はようやく客間で椅子に腰掛けて落ち着いたのだが…
「景吾坊ちゃま、実は桜乃お嬢様の件なのですが…」
「ああ?……忍足はいい、続けろ」
親友がいる場所で一度は口を噤んだ執事に、話を続けるように跡部は促した。
「お嬢様は、どうやら当初お入りになる予定の院とは別の場所でお過ごしになっていたらしく…気付いた旦那様と奥様が慌てて戻された次第でございます」
『……』
跡部だけではなく、忍足も思わず沈黙する。
今、何と言った…?
「…何?」
「そろそろご帰宅の準備をと思い問い合わせたところが、一字違いで滞在先の誤りに気がつきまして。慌てて確認したところ、お嬢様はどうやら、とある修道院にてお過ごしになっていた様で」
「なにぃ!!??」
どういうコトだ!!と跡部は立ち上がって真っ青になる。
「ではアイツは今まで、預けていると思っていた処とは全く別の場所で生活していたというのか!? しかも十年も!?」
まさかロクでもない施設だったのでは!?と懸念する彼に、執事が必死に補足を入れる。
「い、いえいえいえ! 確かに予定の場所程に高級なものではありませんが、規律は厳しく躾にも定評のある場所でございました! ただ…」
「ただ!?」
ここまで頭に血が昇っている跡部も珍しいな…と最早傍観者になるしかない友人が見守る中で、跡部は執事から決定的な事実を告げられた。
「一般の者も対象の施設であり、座右の銘は『質素倹約』だったらしく…非常に庶民的なお育ちをされました様で…」
「両親を呼べ――――――っ!!」
それから跡部は延々と激怒し、無論、そんな状態でテニスなど出来る訳もなかった。
かくして、忍足は桜乃の秘密を知る数少ない存在の一人になってしまったのである……
(まぁ…別にばらす必要もないからええんやけどな…下手に言ったら跡部から酷い目に遭わされそうやし…)
朝からあの庶民派のお姫様の姿を見た氷帝一のフェミニストはそんな事を思いながら彼女の後姿を見送っていたのだが、彼はこの日の放課後も、テニス部の計画について軽い検討を行う為に跡部邸に足を向ける事になったのである……
放課後…
跡部と忍足が邸に戻ると、いつもの様に多くのメイド達が彼らを迎える。
『お帰りなさいませ、景吾坊ちゃま。いらっしゃいませ、忍足様』
「ああ、今帰った…朝、頼んでおいた桜乃の服はどうなっている?」
「は、はい景吾坊ちゃま…それが、仕立ててはみたのですがあれは…」
「? 何だ、もう出来たのか、早いな。で、アイツはそれを着て…」
一人のメイドが遠慮がちに何かを申し出ようとした時に、ぱたぱたぱた…と廊下の向こうから誰かが走ってくる音が聞こえ…
「お帰りなさい! 景吾お兄様!」
と、桜乃が走ってくる姿が見えた…が、
「ウチのメイド服じゃね―――か―――――っ!!!!」
と、速効で跡部は妹を叱り飛ばしていた。
確かに、黒のスカートに白いエプロンとカチューシャ…まごうことなきメイド服。
熱心にメイドに服の詳細を語っていたかと思ったら、そんな物を!?
「お・ま・え・は、ようやくお洒落心が出てきたかと思ったら〜〜〜〜〜っ!!」
「だってだって動き易そうだったんだもん〜〜〜〜〜!!」
桜乃は必死に弁解したのだが、再びほっぺたをむにむにと抓られてしまう。
最早兄の方も限界だったらしく、跡部は背後に控えていた執事に即座に命令した。
「もういい! じい! 予算はぶっちぎっても構わねえから、一流のデザイナーに流行に乗った服を作らせろっ!!」
「はっ!」
そして帝王は容赦なく妹にも指示を下す。
「お前はその服を脱いでクローゼットの中のどれかに着替えろ!」
「あうう、分かりましたぁ〜〜〜」
(……可愛えのになぁ)
静かに桜乃を見守る忍足だったが、彼はそのまま跡部と共に彼の部屋へと通された。
「ったく…相変わらず困った奴だ…言っておくが忍足」
「バラすなんて考えとらんわ……けど、ええ子やん? 変な贅沢知らんし、素直に言う事は聞くし」
「根は悪人ではないがな、毎日この調子だとこっちも疲れる!」
「ふーん…じゃあ、そんなに疲れるんなら俺が貰おか?」
「!!!」
「……」
あからさまに固まられてしまい、言ってしまった忍足の方が却って気を遣ってしまう。
「…冗談やて…あんなお兄ちゃん大好きっ子やのに、敵う筈ないやろ」
「お、お兄ちゃん大好き…って、馬鹿かお前、何を根拠に…」
明らかに照れている帝王に、氷帝一の曲者はあっさりとその根拠を述べた。
「最初に俺達とあの子が会った時、彼女、真っ先にお前に向かって走って来たやん…十年も会うとらんのに、お前のコト、すぐにお兄ちゃんやて気付いたって事やろ?」
「!!」
「よっぽど好きなんちゃうかな、それって。あんまり厳しく言うても可哀想やん? 桜乃ちゃんにとってはここは十年ぶりのそれこそ異国で、頼れる奴はお前しかおらんようなもんなんやし」
「……」
忍足の鋭い指摘に何か思うところがあったのか、跡部はじっと沈黙して何かを考えている様子だったが、ふいっと顔を背けつつしっかりと言い切った。
「俺様は別に嫌いとは言ってないぜ」
「そうやろな…疲れるぐらいに面倒見てやってんのやから。予算ぶっちぎる様な服も準備してやんのやろ?」
「〜〜〜〜」
親友のちょっぴり意地悪な切り返しに、跡部はむすっと唇をへの字に引き結んだが、それでも相手の心遣いには感謝していた。
互いに親友と認めた仲だ、相手が何を言わんとしているのかは言葉ではない部分でも通じるところがある。
「…俺様には、アイツを極上の淑女にする義務があるからな…兄として」
「それは心配いらんと思うで? ええ子やし」
「俺様の妹だからな」
結局、シスコンは変わらないままかと忍足が笑ったところで、そこに桜乃がお茶を煎れて入って来た。
言われた通り、服は別のワンピースに着替えている。
「お兄様、お茶を煎れてきました〜」
「何だ、桜乃、そんなのはメイドに…」
そう言いながらも、妹がお茶を煎れてくれたコトにはまんざらでもない様子の跡部だったが、彼女がそれをテーブルに運んで来た途端…
「〇プトンの100Pティーバッグを使い回すんじゃねぇ―――――――っ!!!」
どがっしゃーんっ!と派手にトレーをちゃぶ台代わりにしながら再び激怒。
「あ――――んっ! だってだってだってぇ〜〜〜〜〜〜!!」
再び謝る妹とその兄の向こうで、素早くトレーから自分の分だけを助けた忍足は、ずーっとそれを啜りながら彼らの様子を傍観していた。
〇プトンでも別に構わんし…と言うか、色と香りで見抜く辺りが眼力の凄さと言うべきか…それも妹の前では通じない様だが。
「…やっぱ俺が貰おか?」
跡部桜乃…真のお嬢様への道は果てしなく遠い……
了
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