ホールの中は幾つもの円形テーブルが並び、更に立食形式のバイキングということで、大量の食事が準備されていた。
 いちいち運ばれてくる食事を一つ一つ時間をかけて平らげていくという面倒な方法より、こちらの方が食べ盛りの男子には嬉しいかもしれない。
 少なくとも、丸井や切原にとっては願ったりの方式だった。
「よし、取り敢えずは食べよう」
「本来の目的だったッスからね」
 先陣を切って走っていく仲間達に続いて、幸村達も同じく食事を摂りながら暫し歓談の時間を過ごした。
 その内に、着替えを済ませた桜乃もその場にメイドと一緒に現れる。
「ちょっと恥ずかしいですね…」
 スレンダーラインの純白のドレスは、細身だった桜乃にはぴったりで、女性らしい身体をより強調している。
 軽く結い上げた髪には小さな飾りが一つ付けられたのみだったが、シンプルなドレスには丁度いいアクセントで、自然体を出すには丁度いい感じだった。
 他の招待客と十分に釣り合う姿になった少女に、この時ばかりは幸村達も跡部の心遣いに感謝。
「うわ、綺麗だね」
「よく似合っていますよ、竜崎さん」
「あ、有難うございます」
 こういうドレスを着るのは女子にとっても喜びであり、更にそれを褒められた事で、桜乃は花の様に愛らしく微笑んだ。
 そんな彼女がホールに来た事を知った跡部も、早速そちらへと足を向ける。
「フン…なかなか似合ってるじゃねぇか」
「跡部さん…こんな綺麗なドレスを貸して下さって、有難うございます」
「いや、大した事じゃねぇ…お前、ワルツぐらいなら踊れ…」
 再度、跡部は桜乃のむき出しになった白い肩に手を伸ばしたが…
 ぺちっ
「………」
「………」
 再び、幸村が軽く牽制…
「?」
 勿論、桜乃の死角での攻防である。
「いい加減、妹離れしたらどうなんだ、ああん?」
「『妹離れ』と『見捨てる』のでは、根本的に違うんだよねぇ」
 またもふふふふふ…と不気味に笑い合う部長達に、少しばかり慣れてきた切原が、生ハムメロンを食べながら呟いた。
「…結構、お互いに楽しんでるっすか?」
「まぁ、実力は認め合っている二人だからな…」
 させておこう、と柳が答えている間に、ふと思い出した様に真田が跡部に尋ねた。
「そう言えば、お前の学校の奴らはどうした? こういう場所に俺達を呼ぶぐらいなら、当然奴らもいると思っていたが…姿が見えないな」
「ん? ああ、ウチのレギュラー達の事か」
 幸村に叩かれてうっすらと赤くなった手を振りながら、跡部はしれっと言い放つ。
「アイツらなら、今頃はウチの学園の社会科見学で旅行中だ」

『………』

 暫しの沈黙の後、幸村が少しだけ引きつった笑みで相手に迫った。
「き・み・は? 氷帝学園生徒会長殿」
 それなりの立場の人間が、責任を放棄してどうするの、と言わんばかりの相手に、跡部はしかし怯まずに言い返す。
「別に俺がいなくても榊先生がいたら引率は問題ねぇだろ…それに、俺にとってはこいつに会える方が余程重要だからな」
「え?」
 丁度、デザートに集中していた桜乃が、きょとんとして跡部を見上げる。
 その時の帝王の瞳は、普段の彼とは思えない程に優しく、彼の隠された一面を覗かせていた。
 おそらく…桜乃が相手だからこそ、見せられた素顔だったのだろう。
 テニスのライバルとしても長い付き合いだった相手だが、こんな表情を見たのは初めてだ。
(こいつ…仲間達との旅行を蹴ってまで、竜崎と会えるチャンスを取ったのか…)
 ちょっとだけ、相手の本気を感じた立海メンバーはしんみりした様子で口を閉ざした。
 普通、そこまで公衆の面前で言うなら、相応の覚悟というものが必要なのでは?
 しかし、今、彼は何ら躊躇いもなくはっきりと言い切った…
 こいつ、俺様な性格だけど、本気で好きになった奴にはひたすらに一途なのかもしれない…
 こいつなら、好きな女を幸せにしてやれるのかもしれない………が!

『まぁそれとこれとは話が別』

「ちっ」
 どきっぱり!とあくまで譲歩を許さなかった相手方に、跡部は思い切り舌打ち。
 まぁ、こういう反応だろうとは分かってはいたが……
「相変わらずガードが固いな。お前の兄貴分達は」
「ふぇ?」
 苦労するぜ、と苦笑している跡部に桜乃が首を傾げていると、丸井が相手にちょっと不満げに言った。
「なぁ跡部―、メシはもう十分食ったしさ、美味かったんだけど……何か大人達ばっかでつまんねい。どっか遊ぶトコないの」
「あ、賛成! こんだけ立派な船なら、娯楽施設も充実してるっしょ?」
 遊びたーい遊びたーい、とリクエストする彼らに、跡部はん、と少しだけ考えて、軽くホールの出口を手で指し示した。
「しょうがねぇな…バーならそこを出て下だ」
「俺達、未成年だよ」
「じゃあマージャンならそこを出て二階」
「学生はマズイんじゃない?」
「カジノなら三階に」
「もっと中学生らしい娯楽がしたいって言ってるんだよ」
 流石におちょくられていると勘付いた幸村が微笑みながら突っ込むと、遊びはこれぐらいにするかと跡部がようやくらしい答えを返した。
「……とっておきのテニスコートがあるぜ?」
「乗った!!」
「それを早く言えよい!! 腹ごなしに丁度いいじゃんか!!」
 きゃっほう!!と飛び上がって喜ぶ丸井達のみでなく、他のメンバーも一気に食指が動いた様に顔を向ける。
 やはり彼らは、根っからテニスが好きなのだ…それでこそ、越えるに相応しい強敵達だ。
 これからの戦いが楽しみだな、と皮肉の笑みを浮かべながら、跡部は彼らにコートの場所を口頭で教え、念の為にと結局スタッフを案内係につけてくれた。
「服やラケットもレンタルがある。好きに使ってくれて構わないぜ…楽しんで来い」
「…? 君は? 跡部」
「ああ……俺はホストだからな」
 一緒にプレーしたい気持ちは山々なのだろうが、ここを引き受けた立場である以上、共に遊ぶ事は出来ない、と彼は同行を断り、そんな相手をメンバーは全員で見つめた。
「……俺らもゲストじゃよな?」
「あん?」
「ゲストはホストがもてなすべきですね」
 紳士達の台詞に、他の部員達も賛同する。
「そうだな…少し付き合うぐらい、誰も文句は言わんだろう。これだけ人がいるのだ」
「同じ顔ぶればかりでもデータを採るにはつまらない…新たな発見には変化が必要だ」
 真田と柳も、どうやら企んでいることは同じだ。
「…………」
「優秀な関係者がいるなら、君は問題児だけ相手にしていたらいいんじゃないの」
 さて行こうか、と相手の答えを待たずにコートへ向かった立海の部長に、呆れた様に目を向ける跡部だったが、その男の袖を軽く引いた桜乃がにこりと笑った。
「一緒に行きましょう、跡部さん」
 そんな客人達を帝王は無言で見つめ……
「…全く」
 いつもの皮肉の笑みを刻んだ。
 俺を引き離したいのか、それとも認めてくれているのか…本当に分からない。
 邪魔なら放っておきさえすればいいのに、こういう時に限って巻き込もうとする。
 兄貴分としての情か、恋人候補としての意地か…どっちだ?
「…お前の先輩どもは、変わり者揃いだな」
「ですか? でも、いい人たちばかりですよ」
 そう微笑む桜乃にもう一度笑い、跡部は彼らと共にコートへと向かって行った。



 それから暫く全員でテニスを楽しんでいたが、そんな時間ほど早く過ぎてしまう。
 気がつけば、パーティーの予定閉場時間が迫りつつあり、彼らも下船するべく準備を整え始めた。
「借りてた物品はそこの受付に戻してくれたらそれでいい。俺は他のゲストの見送りもあるから、先に下りていて構わねぇよ」
「分かった」
 副部長がホストの若者に答える一方で、桜乃は自分の借りていたドレスに着替えてから改めてそれを見つめていた。
「あのう…元の服に戻らないといけないんですけど…」
「ん? ああ、そうだったな、ならお前も着替えた部屋に連れて行くから…」
 こっちに一緒に来い…と手を伸ばした跡部だったが…
 ぺちっ
「………」
「………」
「?」
 やはりその途中で幸村がささやかなお仕置きを返し、流石に跡部がいらっと眉間に皺を寄せた。
「幸村…お前どうやら俺に気があるようだなぁ…(喧嘩の)」
「そうだよ跡部…君のコトしか見てないよ、俺は(監視の為に)」
 ごぉ――――――っと見えない猛吹雪が辺りに吹き荒れ、普段余程の事にも動じない真田ですらもぶるっと激しく全身を震わせた。
「精市…勘弁してくれ」
「後は着替えるだけなら早く済ませてくれよい…」
 それから跡部も立海の一団も、特に刃傷沙汰など危ない事件を起こすこともなく下船の為の通路を辿っていったのだが、途中で跡部が関係者と思しき一人に声を掛けられ、桜乃と共に案内から抜ける。
「すまねぇが、俺はもう少しゲストの見送りがある。こいつはメイドに任せるから、先に下りてくれ」
「分かった」
 まだ客人の送りが仕事として残っているらしい帝王を残して、ようやく立海のメンバーが下船を果たし、他の帰ってゆく客人たちを眺めていた、その時だった…
「……あ」
 ふと、仁王が声を上げた直後、

 ボォ――――――――――――――ッ

 船の汽笛が鳴り、陸から船へと続く桟橋が一斉に上げられ始めた。
「しまった!! してやられたかっ!!」
 珍しく、詐欺師が声を大きくする中、他の皆は一瞬何が起こったのか分からなかった。
「え…?」
 何で汽笛が…と思っている間に、今度は船が動き出して陸から離れていく。
「ちょっ…おさげちゃんはっ!?」
 まだアイツ、降りて来てないだろい!?と騒ぎ始めた丸井と共に、他の男達も狼狽する中、岸の手すりに手を掛けて身を乗り出した仁王が叫んだ。
「アイツ、最初からそのつもりで…!! 竜崎を拉致しよったんじゃ!!」
「ええ!?」
 切原がぎょっとしていると、岸から離れていく船の通路に、勝ち誇った笑みを浮かべた跡部と、その彼に連れられた桜乃が姿を現した。
 桜乃は当然こんなコトになっているとは夢にも思っておらず、心底驚きながら、きょろきょろと跡部と幸村達を交互に見つめていた。
「え、え、え!? こ、これって…どういう事なんですか!? 幸村センパーイッ!」
「悪いな幸村、そろそろ出航しねぇと、向こうとの待ち合わせに間に合わなくなっちまうんだ。ついでにコイツも連れて行くぜ?」
 言いながら、びしっと彼が取り出して見せたのは、最初に桜乃から受け取っていた封筒。
「氷帝の社会科見学、アメリカ西海岸への旅…コイツのパスポートも貰ったコトだし、コレでぬかりはねぇ……心配するな、コイツはお前らの代わりに俺がスイートでもてなしてやるよ」
「え〜〜〜〜〜っ!!」
 びっくりしている桜乃以上に、兄貴分達は半狂乱だった。
「この誘拐犯―っ!!」
 流石の真田もこれだけ距離が離れていては、もうどうすることも出来ない。
「竜崎! 絶対に、絶対に軽はずみな行動はするなよーっ!!」
 嫁入前の娘が男と一つ屋根の下(?)に居ることになるなどとんでもないっ!とジャッカルがせめて心得を確認すると、心外だと跡部が口を挟んだ。
「失敬だな、俺も一応紳士の心得ぐらいは弁えているんだぜ?」
「紳士は誘拐なんてしませんっ!! 取り消しなさいっ!!」
 相手が自分と同列に並べられるなど、決して許さじ!と柳生も怒り心頭だが、船は更に離れていき、声を届けるのも困難になってくる。
「じゃあな、旅から戻ったらコイツはちゃんと家に帰してやるさ。お前らはゆっくりと土産でも待っていろ!!」
 最後の宣誓を残して、帝王は乙女を攫って海の彼方へと去っていった。
「……っ!!」
 めぎっと嫌な音をたてて、幸村が握っていた鉄製の手摺が有り得ない形に変形する。
「…これは俺達への宣戦布告と受け取るよ…跡部!!」
 よくも俺達の可愛い妹分を…!!
 冷酷な表情が顕現した部長の立ち昇る覇気に、メンバー達の背筋が震える。
 かつてない程の相手の激怒振りに、親友たちですら声を掛けられない様子だ。
『神様っ、神様―っ!! お宅のお子さんがご立腹です〜〜〜っ!!』
『くっそ〜〜!! 竜崎帰って来るまで俺らが針のムシロじゃねーかよいっ!!』
『……何処まで通じるか分からんが、向こうのポリスにちょっと働きかけておくか…』
 形がどうあれ、一杯食わされた格好になってしまった男達は当然そのままで済ます筈もなく、帰ってきたら覚えてやがれ!と、怒りのままに復讐を誓っていた。



「はうう…日本が見えなくなっちゃった…」
 一方、見事に拉致されてしまった少女は、跡部に腰を抱かれたままずっと陸の方を見つめていた。
 先輩方、今頃凄い大騒ぎなんだろうな…
「引き摺るな、お前も…」
「…跡部さん、ちょっと強引ですよう…皆さん、きっと怒ってますよ?」
 本当はちょっとどころではないのだが、それでも桜乃は遠慮してそう相手に諭したが、無論、素直に聞く様な男ではない。
「アイツらの心配なんてしている場合か? あん?」
「え…」
 デッキで桜乃の細い腰を抱いていた跡部は、勢いよくそれを引き寄せ、そのまま相手の頬に軽くキスを落とした。
「…っ!!!」
「ここにはもう、お優しい兄貴達はいないんだぜ…? 嫌がる相手を無理やりに、なんて悪趣味は持ち合わせちゃいねぇが、その気になったらもう容赦はしないからな…」
 少しだけ意地悪な笑顔を浮かべた帝王は、そのまま唇を相手の耳元に寄せて悪戯っぽく囁いた。
「この旅行中に、俺が好きだって言わせてみせるぜ? 桜乃」
 だから、その気にさせてやる…
「っ!!」
 いつもなら、きっと立海の先輩達が止めに入ってくれてたけど……きっと今は、この人から離れないといけないんだろうけど…
 しかし、桜乃は結局跡部の手を拒む事はなかった。
(ど、どうしよう……離れられないよ)
 自分を抱き寄せている手が、強引に見えて…とても優しいから…
(ごめんなさい、皆さん…私、心が揺れてしまいそうです…)
 『軽はずみ』な事は絶対にしませんけど…でも、自信が持てない…
 私、私……大丈夫、かな…?
 揺れる乙女の心を表すように、船が起こす波もまた大きく揺れている。
 しかし、船そのものは波の影響など受けずに悠々と進んでゆく…まるで彼の様に。

 帝王と、彼に攫われた乙女の船旅は、今、始まったばかりだった……






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