暴かれた素顔
桜の頃も過ぎ、ようやく人々が新しい生活に馴染み始めた。
それはここ氷帝学園においても同様であり、進級した者、進学したもの、赴任した者、それぞれの立場に立つ人々の表情にも徐々にゆとりが見え始めている。
そんなのどかなある日のこと。
その氷帝学園のテニスコートがいつになく賑やかだった。
創立当初より世界の舞台を基準においた、上級志向の学び舎である此処は、施設もその指針に倣い十二分に充実している。
テニス部について言えば、コート面は言うに及ばず、ナイナーにも対応したライト設備、部員の体調管理を行う為のトレーニングルームやミーティングにも使用され
る部室も、全てが高級仕様だった。
そんなテニスを嗜む者にとっては夢のような、恵まれた場所に、今日は他校から「客人」達が訪れていたのだった。
単なる物見遊山ではなく、「試合」を行う為に。
「久しぶりだなー、アイツらと戦うのも」
「中学卒業して初めてかぁ? ま、向こうの一年の面子はあまり変わってないみたいだけどな?」
コート脇に立ってそんな会話を交わしているのは、青い帽子がトレードマークの宍戸亮、そして赤い髪をもつ向日岳人。
二人とも、去年までは中学三年生で、共に全国的強豪校である氷帝学園の男子テニス部レギュラーを張っていた実力者である。
そして現在は、高校一年生であり、高校の男子テニス部の新参レギュラー。
場所を中学から高校へと移しても、氷帝学園の鉄の規律は変わらない。
「実力至上主義」
年齢、容姿、家柄に関係なく、実力が伴う者には相応の活躍の場が与えられる。
自らを磨き、高める努力を怠らない者は、凡才であろうとも時に怠惰な天才に勝るのだ。
その規律に則り、彼らもまた高校一年生の身の上ながら、早々に入部した男子テニス部でのトーナメント戦で勝ち抜き、先輩達を悉く蹴落とし、現在の座に納まって
いた。
「ま、俺らの方も樺地や日吉がいないぐらいでさー、変わり映えしないよな」
「あんまりお喋りばかりしてたらあかんで、お二人さん」
そこに、物腰柔らかな関西弁の男の声が入り込んできて、向日と宍戸がそちらを振り返った。
「忍足か」
「ありゃ? お前、跡部に付いてるんじゃなかったの?」
「樺地がおるのにいつまでもくっつく義理はないやろ。どうせくっつくなら可愛い女の子の方が億倍マシやなぁ。岳人も、俺からべったりされるんは嫌やろ?」
「やめろって、寒気がするっての」
思い切り眉をひそめて答える向日だが、コート内だけではなく日常生活の中でも結構相手が忍足と楽しそうに連んでいるのを知っている宍戸は、何も言わずに笑って
いる。
「あちらさんもすぐに準備が整うらしいし、ぼちぼちアップし始めたがええんちゃうかな…ぐずぐずしとったら跡部が機嫌損ねるで、只でさえ相手が「王者」様ご
一行やしなぁ」
「王者、ね…そう言えば」
相棒の揶揄に、向日がちらっと少し離れた場所に立っている「客人」達へと視線を遣る。
「なーんか向こうも全く同じ顔なんだもん。つまんね」
「整形して来いとは言えんやろ?」
「そーゆー意味じゃないって」
「分かっとるわ」
「………」
相変わらず食えない奴だよなーと思いつつ、向日が視線を向けた先に見えるのは鮮やかな橙色のジャージ。
その色だけを見ても、テニス界を知る者達はそれを纏う者達の事を思い出すことが出来ると言われおり、それは向日達も例外ではなかった。
尤も、今日の練習試合の対戦相手の学校を、当人達が知らない筈もないのだが。
神奈川にある有名私立校である立海。
大学までエスカレーター式のマンモス校であり、氷帝学園に負けず劣らず学力・スポーツどちらでもかなりの高水準を誇っている。
それは勿論テニス部に於いても言えることであり、過去、立海の中学男子テニス部が三連覇という夢の偉業を成し遂げようと王手をかけたこともあった。
中学テニス界では文字通り「王者立海」と名を轟かせていた強豪達。
残念ながらその夢は最終的に青春学園によって阻まれる形になってしまったのだが、当時の決勝戦は歴史に刻まれる接戦となった。
その戦いに挑んだのが、何を隠そう、今日ここに練習試合に訪れている立海の高校生達なのである。
本来なら二年・三年が主な戦力になるのが筋なのだが、向こうに見える選手達も自分達と同じく一年生で占められている。
別に不思議には思わない、向こうも弱肉強食の規律がある以上、こちらと事情は同じなのだろう。
「よっ」
「ん?」
不意に呼びかけられた向日が振り向くと、目に鮮やかな赤が飛び込んできた。
そして続いて視覚に訴えてくる橙色。
その二色を認識するのとほぼ同時に、向日は相手の正体に気付いて声を掛けていた。
「お、丸井か」
「おひさ、今日はシクヨロ。あんたらが俺らの相手になるのかい?」
丸井ブン太、現在、立海大附属高校一年生の若者であり、今日の試合にレギュラーとして参加する選手だ。
確認しなくても、纏っているレギュラーのみ着用出来るジャージが彼の立場を何より雄弁に語ってくれる。
尤も、今の彼の口はお喋りよりも愛用のチューインガムで戯れるのに忙しい様だ。
「さぁな、どないなんのやろな。組み合わせは今跡部が決めとる最中や。挨拶に来てくれたんか?」
向日の隣にいた忍足がやんわりと応えると、向こうはガム風船をぱちんと破裂させた後で器用に口中に戻しながら肩を竦めた。
「んー、モノはついでって奴? ここの購買に寄ってきた帰りにあんたらが見えたから暇潰しに」
「そりゃどーも」
結構失礼な奴だ、と思いつつ宍戸がなぁなぁで返すと、向こうは今度はその宍戸に目を向けた。
「そーいやあんたは前はダブルスだったけどさ、今回はどうすんの? 相棒はまだ中学なんだろ?」
「その前はシングルスでやってたからな、別にどっちでも構わねーよ俺は」
「ふーん」
まぁどうでもいいや、と言いつつ、丸井がちらっと氷帝の校舎の方へと視線を遣り、楽しそうに笑う。
「相変わらず氷帝はモノが豊富だねぇ、購買のガムの種類も立海より揃ってるしさ、便利便利〜」
「…随分余裕じゃねーの、まだ試合が始まってもいないってのに」
向日の問い掛けに、丸井は売店の方から視線を逸らすまでもなくあっさりと返した。
「だってどうせ俺らが勝つもん」
「なにぃ!?」
「やめぇや岳人。すぐムキになるんは悪い癖やで」
「だけどさ侑士…!」
まだむかむかとする気分を抑えられないまま向日が相棒に訴えかけたところで、脇から部外者の声が割り入ってきた。
「丸井先輩もダメですよ、そんな事言ったら」
「ん…あ、おさげちゃん」
明らかに男ではなく、細く柔らかな女性の声に、真っ先に反応したのは名を呼ばれた丸井。
きょろっと首を巡らせ、そちらへと顔を向けた丸井は、人懐こい笑顔を浮かべてそこに近づきつつあった少女に声を掛ける。
「何かあった? 頼みごとなら聞くぜい?」
「…あれ? あんたは」
立海の人間ではない向日も、その少女の姿を見て首を傾げ、眉をひそめる。
「あんたまだ中学生じゃなかったっけ? 向こうのマネージャーやってたのは知ってるけどさ、今日は高校生だけの試合だろ? 違った?」
「いえ、違いませんよ」
向日の疑問に、少女がにこりと笑顔で答えた。
「今日の私はマネージャーと言うよりヘルパーですね。先輩方からの希望で、お手伝いに来ました。中学の方の部活はいつもの練習内容ですから、一日ぐらいなら私が
いなくても何とかなるだろうって事で」
「ふーん…あちこち大変だなぁ」
「でも楽しいですよ?」
向日は桜乃に対しては割と好意的に接しつつ、彼女の苦労を労ったが、桜乃本人は何でもない、という様に笑ってふと忍足の方へと視線を向けた。
「…」
「…」
丁度桜乃を見ていた忍足の視線と彼女のそれが合い、二人が何となく無言になる。
視線が合ったタイミングで、どちらともが遠慮して発言を控えるというのは日常生活でもたまにある話で、それそのものは大したシチュエーションではない。
「あ…こ、こんにちは、忍足さん」
「ああ、お嬢ちゃんも相変わらず元気そうやな…可愛えし」
「そんな…」
間が空いた所為か、ちょっと気後れした様子の桜乃が律儀に挨拶をし、それに対して忍足が優しく返す。
相変わらず高校に進学してもフェミニスト精神は健在の様で、さらりと恥ずかしげもなく言った一言に、桜乃が頬を染めて俯いた。
「……」
そんな桜乃の反応に、再び忍足が無言になって相手を見詰める。
(…おさげの時は目立たん子やと思っとったけど、下ろした時の格好知っとると、やっぱり違うなぁ…しかしそれにしても…)
前にも増して、綺麗になっていないか? この娘…
フェミニストではあり且つ女性に対する目利きも相当なものである事を自負する若者は、眼鏡の奥で瞳を光らせ、そう評した。
只の気のせい…と呼ぶ訳にはいかないだろう、周りの人間のどれだけが気がついているのかは定かではないが、彼女の印象は過去に会った時とはまるで違う。
まだ固く色づいていなかった蕾が、ふっくらと鮮やかな色を宿して開かんとしている…その瞬間の輝きを秘めた様な艶やかさが見え隠れしている。
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