「改めて見たら、確かに凄い事故じゃのう…」
「続報を見る限りでは、人的被害は免れそうですね…不幸中の幸いと言うべきですか」
席について落ち着いたところで、彼らは携帯と柳の手持ちのPCを用いて最大限、例の事故についての情報収集を行った。
某国にある跡部コーポレーション管轄の工場から突然の出火。
危険物を保管している特殊倉庫に近い場所だった為、迅速な消火活動が求められたが、残念ながら鎮火する前にその倉庫に引火、爆発…事態は一気に悪化の一途を辿る。
幸い、近隣の住宅とは最初からかなりの距離をおいていたことより、一般市民への被害は最小限に食い止められる模様だが、彼らからの工場存続への不安の声が強くなる事は避けられない見通しであり、これらの諸問題について早急な説明、具体的な対策が求められている…
取り敢えず、今のところ報道から得られた情報はこんなところだ。
あらかたの情報をまとめたところで、若者達は改めてテーブルを囲む形でそれぞれの顔を見回した。
「あれだけ凄い映像なのに、死者がいないっていうのは奇跡だよ」
「怪我をした人間も、マスコミを信用するなら腕の火傷程度だということだからな…命の心配は無用のようだ」
幸村と柳がそんな会話を交わしている傍では、マネージャーの桜乃が蒼い顔で無言のまま俯いている。
やがてそれに気づいた幸村が、心配そうに声を掛けてきた。
「大丈夫かい? 竜崎さん?」
「は…はい…ちょっと、びっくりしちゃって…こういうの、他人事でしか感じたこと、なかったから…」
「まぁ…普通はそうだよね」
身内ではないにしろ、跡部は部活動の付き合いからも知らない仲ではない。
彼女に限らず、それはここにいる全員に言えることでもある。
しかも、自社の所有している工場が爆発するなど、一般市民には到底想像も出来ないので、相手の気持ちに立つ事も困難だ。
となると、やはり最善の方法は、『当たらず触らず』…か。
「…こっちから声掛けたら、下手すりゃ野次馬だからなぁ」
「そもそも学校も違うし…やっぱ静観しとくのがベストじゃねぃ?」
ジャッカルと丸井のいつもよりかなり大人しいトーンの台詞には、柳も肯定の意で頷いた。
「正しい。もし俺達が今どんな声を掛けたところで、それは何の意味も為さない。そもそも例の工場は跡部のではなく彼の両親が経営しているものだ、流石にそうなると俺達は完全に部外者のレベルだしな…それに日本にいる跡部とて、今は色々とその件で忙しい筈。わざわざ少ない暇を俺達が潰す事もない。どうしても聞きたければ、全てが落ち着いた頃に聞けばいい」
「同感だ」
その件については一応落ち着いたところで、さて、と幸村が次の話題に移る。
あの、忍足から懇願された件だ。
「…忍足から、それについて俺達にも要請が来たんだけど」
「何スか? 今から行っても火消しには多分間に合わないッスよ」
「わざわざ国境越えて消火活動する暇な中学生はいないよ…そうじゃなくて、これから暫く、跡部については何を聞かれても答えるな、ってさ」
「? どういう意味なんでしょう?」
「まぁそのままの意味に取るしかないが…変わった頼みじゃの」
桜乃が首を傾げ、仁王と目を合わせるが、二人ともそれ以上の発言は控える。
「同じ、男子テニス部ということぐらいしか共通項はない筈だが…面妖だな」
わざわざあの氷帝一の曲者がそんな断りを入れてくるとは…と真田が眉を顰めると同時に、柳もこくりと頷いた。
「確かに。しかしあの男は、曲者とは言われるが親友の大事の時に、それを利用して何かを企むという不届きな輩ではない…その申し出を引き受けても俺達にも不利益はないだろう」
「まーな」
ジャッカルが相槌を打ちながら幸村に最終確認。
「んじゃ、俺らは取り敢えず、忍足の言う通りにしといたらいいんだな?」
「断る理由もないからね」
リーダーの許可が出て、そして誰もそれに否と言わない以上はそれが最優先で可決される。
この時点で、立海メンバーの報道関係者たちに対する姿勢は決定した。
「お待たせ致しましたー」
タイミングよく、そこに彼らが頼んだデザートや飲み物がウェイトレスによって運ばれてきて、彼らはレギュラー会議を兼ねたリラクゼーションタイムを過ごし始める。
「今日の試合の感触は如何でしたか? 仁王君」
「まぁまぁじゃなー。向こうも随分俺らを研究しとった様じゃけど、俺らも遊んどった訳じゃないし」
「けどさ…何かこう今一つ調子出なかったよなぁ」
「やっぱ跡部さんがいなかったからッスかねー。どーにも氷帝相手だと、あのぶち抜けたテンションがもれなくついてくるイメージっすから」
「……」
ジャッカルと切原が今日の対戦相手のことについて喋っている傍ら、桜乃はじっと大人しく座り、黙したままだった。
(……跡部、さん…)
練習試合中は極力雑念を取り払い、選手達の状況をつぶさに観察しながらお手伝いに集中していた桜乃だったが、それも終わり、跡部に起こったトラブルの正体を知った今、彼女は最早それについてしか考えられなくなっていた。
跡部本人がその場に居合わせ、事故に巻き込まれるなどしなかったのは良かった、本当に良かった。
しかし、家業で大きな損害を出したのは間違いない事実であり、両親が外国にいる以上、日本ではここにいる関係者が対応に追われることになるだろう。
あの世界でも有数の富豪である跡部家のことだ、こういう危機管理にも長けたアドバイザーなり腹心はいるだろうから全てを背負う必要はない。
しかし…今回に限ってはだからといって安心する気には到底なれなかった。
何故ならもう知っていたからである、跡部と言う若者がどういう人間であるのかを。
確かに彼には多くの腹心がいて、助力を望めば幾らでもそれは叶えられるだろう、しかし、それに甘んじるとは思えないのだ。
上に立つべき人間はそれによる恩恵を受けると同時に、上に立つべき覚悟を持たなければならない…彼自身がそれをよく知っている。
いつでも何処でも高飛車な態度だが、それは裏を返せばそれだけの自信が己にあるからだ。
そんな若者は、同時に不退転の覚悟も胸に抱えている。
きっと今度の事故に関しても、部下達の声は聞くが、彼らに任せっぱなしということはないだろう、寧ろあの男が自分の意志で矢面に立つ可能性が高い。
それを思うと、どうしても不安が拭えないのだ。
(無茶をされないといいけど…本当に大丈夫かしら跡部さん…)
出来たら様子を見に行きたいが、相手が多忙を極めていると分かっていて会いに行くのは無神経過ぎる。
今の自分は、相手にとってはただの知己に過ぎないのだ…『今の』自分は。
もし、自分が…
「…っ」
無意識の内に自分が考えたことに、桜乃は思わず動揺した。
(何を考えているんだろう…私、どうして…)
思ってしまった…自分でなければ別の人物として会いに行けたらいいのだと。
そう、自分と似ている『或る女性』に扮して行けば、もしかしたらあの若者も会ってくれるかもしれないと。
桜乃も詳しくは知らないことだったが、実は跡部には今、懸想の相手がいるのだ。
しかもその焦がれ様は、いつもの高慢にすら見える若者とは思えない程に激しい。
桜乃はまさか自分自身がその女性本人であるとは夢にも思っていなかった。
(…ダメよね、幾ら似ているからって、私が行ったところですぐにばれてしまうもの)
でも。
あの時あの人は言った…『お前だ』と。
確かに、自信を込めて、はっきりと言いきった。
あり得ないのに、分かっている自分ですらそうではないかと期待を抱かせてしまうような言葉を。
他の女性に向けての言葉だとちゃんと自分に言い聞かせて、竜崎桜乃はあくまで傍観者に過ぎないのだと何度も己を戒めていても…あの日から、彼の言葉が胸から消えない。
(初めての経験だったからよね……きっと、いつか私にも『身代わり』じゃなく好きな人が出来たら、きっと忘れられる)
「どうしたの?」
「っ!」
呼びかけられ、顔を上げると、不安げにこちらを覗き込んでくる幸村の視線と目が合った。
「あ…」
「さっきから浮かない顔だね…気分、悪いかい?」
気遣ってくれる相手に、桜乃はぱたたっと手を激しく振って否定した。
「いいえ! ただ……この事件と、あの完璧主義の跡部さんとイメージが何となく合わなくて」
「あー……まぁなぁ」
「別にあいつが指揮してる工場じゃないけど、やっぱそういうイメージは持つよなぁ」
うんうん、とジャッカルと切原が桜乃の台詞に大きく頷く。
「まさかこれで倒産とか、そんな心配はいらないとは思いますが…」
「じゃな、確かアイツの家が持っとる工場は世界中、十や二十じゃ足りん程と聞いちょる。一つが稼働停止したぐらいじゃ損害はあっても潰れはせん。それより問題なのは…」
「風評被害ですね」
「流石に柳生は分かっちょるの」
にっと笑った仁王に、柳生が眼鏡に触れながら苦笑する。
「外国で起こった事とは言え、本社が日本にある以上はある程度の注目を受ける事は避けられないでしょう。特に跡部の名は世界的にも有名ですから、マスコミも放ってはおかないと思いますよ」
「絶好のネタって訳か…けどあんだけ大きいと、ある程度はそういうのも抑えられるんじゃねい?」
丸井がテーブルの上にべたっと両腕を乗せ、更にその上に顎を乗せながらのほほんと言うと、柳がいや、と首を横に振った。
「丸井の案も正しいが、抑えるというのにも限度がある。それに、そういう企業は跡部だけとも限らないからな…暫くは奴の周囲も煩くなるだろう」
「庶民で良かったなぁ…」
しみじみと呟かれたジャッカルの台詞は、明らかに本音だろう。
「…跡部も大変だね」
幸村が嘘偽りない気持ちを吐露し、それに対して真田もうむと頷いた。
早く収束してくれるに越したことはない…
跡部の苦労を思い、例外なくそう思っていた彼らだったのだが、まさか翌日から自分達にもその苦労の一片が降りかかってくるとは夢にも思っていなかった…
続
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