ぽんぽん日記(中編)


 桜姫が仁王の許から宮に戻ってみると、丁度、都から小麦粉を一袋持ち帰って来た幸と、弦、そして蓮が揃って何事かを話している最中だった。
 妖達の中でも高位の三人が揃っていると、それだけでも威圧感があるものだが、彼らは桜の姿を見るとすぐにそちらに向き直った。
「やぁ、桜姫。小麦粉、帝から貰ってきたよ」
「幸様! まぁ、こんなに沢山? 有難うございます!」
 かなり大きな袋を見せられた桜は心からの礼を述べて、改めてそれをしげしげと眺めていたが、そんな彼女に首を傾げながら蓮が言った。
「桜姫、書き記した後に気付いたのだが、そのぽんという食べ物…焼くのは竈では不適の様だ。そう…寧ろ、壷などを焼く窯の方が好ましい」
「ええ? そうなんですか?…結構色々と要るんですね…でも窯って、私は見たこともありませんし、やっぱり何処かのそれを借りた方がいいんでしょうか…?」
「借りると言っても、壷や皿と並べて同じ様に焼く訳にもいかないだろうし…蓮の話では、石を切り出して積み上げ、固めた形のものの様だけど…結構な力仕事だね。吾がもう一働きしてもいいけど…」
「必要はない。石を切り出して積み上げるぐらい、鍛錬と思えば何と言う事もなかろう。吾がやる。蓮、詳しい造りを教えてくれ」
 そう名乗り出たのは、妖達の中でも屈強な身体を誇る弦だった。
 どうやらのどかな日々の生活に身体の鈍りを感じているらしく、久し振りに思い切り身体を動かせる口実を得られたと思っている様だ。
「弦様…!? あの、でも…そんな事まで…」
「一つ窯を造っておけば、後々また使う事になるかもしれんだろう。宮内に造る訳にはいかんから、外の空き場を使わせてもらうとしようか…ふむ、出来ればもう一人ほど、助勢がいた方が…」
『あ〜〜〜、暇だな〜〜〜』
 弦が言いかけたのとほぼ同時に、彼らの集っている場所の少し先から、赤也の気の抜けた声が聞こえてきた。
 確かに、あの声の調子だと、かなりだらけているのは間違いない。
「……」
「……」
「……」
「……」
 桜姫を含めた全員が、暫し沈黙してそちらの方向を眺めていたが、瞬間、静寂を打ち破るように弦が声の方向へ向かって疾走して行った。
 程なく…
『ぎゃ〜〜〜〜〜〜っ!! 何するんですか、弦主〜〜〜〜っ!!!』
『何もせん貴様に望み通りやる事を与えてやろうというのだ! 吾は幸ほど甘くはないぞ、四の五の言わずに働け―――っ!!』
 どうやら、赤也は力数として弦に拉致されてしまったらしい。
 それからも向こうからは赤也の悲鳴が聞こえていたが、それも徐々に遠ざかっていき、遺された幸達はしーんと奇妙な沈黙を保っていたのだが…
「…そんなに甘いつもりはないんだけどな…厳しくする前に寝ている事が多いだけで」
 ぽり、と頭を掻いて笑う神に、蓮はやれやれといった様子で扇をゆったりと扇いだ。
「弦ほどではなくとも、赤也には少しは自らを鍛えることを覚えてほしいものだな…紛いなりにも幸、お前に傅く妖なのだから」
「いいさ、いざという時の彼は頼りになる事は分かっている。いつも張り詰めている赤也なんて、こっちの方が落ち着かないよ……どうしたの、姫」
 何かを思った桜姫が、不安げな顔で自分達を見上げている事に気付いた幸が声を掛けると、相手はおず、と彼らに問い掛けた。
「あの…やはり妖になった以上は、私も力を得なければなりませんか? 幸様を守るための妖として…」
 自分は妖になる前まで、山奥の地でひっそりと暮らしていた。
 無論、都も知らなければ、世の流れもまるで知らない。
 野武士によって一度殺されるまで、武士の姿など絵巻物でしか見たこともなかった。
 しかし今、妖とその身を変えられたとあれば、やはり己も変わることを求められるのだろうか?
 山の中でこうしてのどかに暮らすだけでは……
「……いいのだよ、姫はそのままで」
 彼女の不安を取り去るように、幸はその頭に優しく手を置いて身を屈める。
「心から変わりたいと望めば、自ずからその様になる…変わりたくもないものになろうなど、自らを殺めるに等しい行為だ。それに、剣一振り振るったこともない姫に守らせる程、吾は弱い神ではないよ」
「あ……そ、そんな意味では…!」
 非礼なことを言ってしまったのかと却って慌てる桜に、幸はいい、いい、と笑う。
「姫は本当に可愛いね、どうかそのままでいてくれることを願うよ……それに、いざという時とは言ったけど、ね…」
 そして、くるんと背を向けて、若い神はうーんと唸って心からの疑問を呟いた。
「自分で言うのも何だけど、山奥に引き篭もって寝てばかりの吾に、刃を向けるまでの理由があるのかどうか…どう思う? 蓮」
「そこまで言い切られたら、吾は最早黙するしかないが…」
「……ええと」
 男達の微妙な会話に答えを返せずにいた姫だったが、そんな相手に気付いた蓮は、彼女を促すように扇で弦達が向かったのとは反対の道を指し示した。
「余計な気を遣わせてしまったな、姫…残りの材料はおそらく柳生が持っているだろう。お前になら分ける事はやぶさかではない筈だ。行ってみるといい」
「袋は、姫の部屋に届けておくよ、重いからね」
「は、はい、分かりました…失礼します」
 ぺこぺこと何度も礼をしながら去って行った桜の背中を見送った後、蓮はふうと息をついて幸の方を改めて見た。
「確かに、幸に暴れられるよりは、眠っていてもらった方が余程有難いのは事実だがな…前も、その前も、そのまた前も、お前が降りた戦場は兎に角、筆舌に尽くし難かった」
「ごめん」
 弁解しないという事は思い当たる節が有り過ぎるのか、幸はそれでもけろっとした顔でそれだけを答えていた。
 姫に聞かれなかったのは、幸いと言えただろう。



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