ぽんぽん日記(後編)
弦達の要請を受け、妖達随一の知識を誇る蓮は再び窯の場所へと赴いた。
見た目だけではなく、手で触れながら、その完成度を確認してゆく。
「…流石だ、石の切り出しも申し分ない。強度もこれだけあれば大丈夫だろう」
「そうか」
慎重な検証の結果、使うに支障なしと判断していた時、
『をわああああああ、何だこれ〜〜〜〜〜っ!!』
と、素っ頓狂な赤也の大声が聞こえてきた。
「…またあやつは…」
「今度は何だ」
うんざりといった表情で、二人がそちらへと向かうと、そこには盆から盛り上がった白い物体の前で、唖然としている赤也と桜の姿があった。
どうやら、あの問題の生地の様子を見に来たらしいのだが…確かに、元の大きさの裕に三倍は膨らんでいた。
「…本当に膨らんでる…」
「ほ、本当にこれって、食えんの!? 腹壊さね!?」
最早赤也はこの世のものではない物体の様な扱い方だが、姫は蓮の書付に従って、ふむふむと頷いていた。
「えーと、後はまた軽く捏ねて形を整えて、また少し寝かせた後で焼いたら出来上がりみたいです…ここまで来たらやってみましょう」
「おめー、意外と度胸あるよな、本当…」
女子の桜が落ち着いて取り組んでいる以上、自分も腹を据えないと、と思ったのかは定かではないが、赤也もその作業に加わった。
「で、どうすんだ?」
「丸い形に整えたらいい。団子作りの要領だが、あれよりは大きいものにな」
蓮が細かな指示を与えている間に、今度はそこに文太が現れた。
珍しく皆が外で集まっているのを見かけて興味を惹かれたらしい。
「あー、皆して何してんだよい、俺除け者にして〜」
「ち、違いますよ、文太様。ぽんを作っているところなんです」
「ぽん?…あ、もしかして姫が欲しがっていた小麦粉と関係あんの?」
「はい、後は丸めて、少し寝かせて焼いたら出来上がりなんです」
「へぇ〜〜〜〜、俺もやっていい?」
「いいですよー」
結局文太も加わり、皆がこねこねこねと形作る様を、弦と蓮が後ろから覗き込んでいるという、奇妙な構図が出来上がってしまった。
「結構な量が出来そうだな」
弦がひい、ふう、と数を数えてそう言うと、桜乃が手を止めて振り返る。
「皆様にもお分けしますし、帝にもお届けしたいと思って」
「景に?」
「はい、小麦粉を譲って頂いたお礼に」
普通の外の人間であれば、帝から物を貰うのもそうだが、お返しを届けるという思考自体があり得ない話なのだが…彼女にとっては地位の高さなど関係ないらしい。
「…奴の舌は流石に肥えているぞ、満足させられるかな」
「うっ…が、頑張ります」
面白そうに笑いながら指摘する弦に、ちょっとだけ引きつつも、桜は前向きな返事を返し、再びこねこねこね…とぽんの成形に集中した。
そして、ようやく生地の全てをぽんの形に整えた後で再び発酵の時間をとり、それらがぷっくりと膨らんだ事を確認すると、いよいよ焼成に入る。
「ええと…じゃあ薪をくべて…って、くべる処は何処ですか?」
桜の質問に、蓮はふるっと首を横に振った。
「それなりの温度を一定に保つ必要があるのなら、薪での調節は困難だからな、それならいっそ使わない方がいい」
「え? でも、じゃあ、どうやって火を…」
『……』
娘の言葉に他の妖達は一斉に一人の仲間に視線を向けた。
「…はい?」
その向かった先は、文太。
「お、俺!?」
自分を指差して瞳を大きく見開き、確認する相手に、蓮はこくんと頷く。
「炎を自由に操るお前にうってつけの仕事だ。窯に入って焼成してもらおう」
「何だよそれ〜〜〜〜〜〜〜っ!? あっさり言ってくれるけどな、炎を扱うのってすっげぇ力使うし腹も減るんだぜぃっ!?」
「そう言うな、お前が入れるように大き目の窯に造ったのだし」
「最初っからそのつもりかよい!!」
汚ね〜〜〜!!と非難轟轟の文太に、こそっと桜が囁いた。
「でも失敗したら、文太様の分のぽんも焦げちゃいますね」
「……」
「手伝って下さったら、私の分のぽん、分けてあげますけど?」
「そこまで言うならしょーがねーな」
(結構扱いに慣れてきたな、姫…)
あっさりと意見を引っ込めた文太に、他の妖達が一様に思う。
そんな中で、窯の中を確認して確かに自分一人が入る余地があると確認した文太は、振り返って蓮に尋ねた。
「ん〜、でもさぁ、どの位の炎で焼いたらいいんだよい」
「仔細な表現は難しいが、油に火が点るよりは低めだ。寧ろ焦げる方が不安だから、くれぐれも逸って炎を悪戯に強めないでくれ」
「曖昧だな〜〜〜…まぁいいや、で、どのぐらいの時間?」
「四半刻」
「そか…まぁそのぐらいなら」
うんうんと頷いて、文太は窯の中に入ってよいしょ、とその場に座す…と、途端に己の周囲に小さな炎の竜巻を生み、弄び始めた。
常人であれば、瞬時にその身を炎に焼かれて命を落とす光景にも関わらず、若者は退屈そうな顔をしながら窯の中のぽん達を一つ一つ見回す余裕の仕草すら見せている。
その姿は正に、炎の化身。
「だ、大丈夫ですか? 文太様?」
彼にとって、炎は身を傷つけるものにはなりえないのだと分かってはいるものの、つい不安になって呼びかけてしまう姫だったが、相手は軽く手を振って笑った。
「おう、別になんて事ねーよい。それより忘れんなよなー、約束」
「は、はい」
いつまでも見つめられていては、相手も居心地悪いだろうと、窯から少しだけ離れたところで、今度は河で別れた仁王が戻って来た。
「おう、何やら面白そうなものが出来とるのう。どうじゃ、姫、上手くぽんは出来そうか?」
「あ、仁王様。今、最後の仕上げを文太様にして頂いているところなんですよ」
そう言ったところで、桜はあら?と彼の姿を見つめた。
河で魚釣りをしていた筈の若者だが…手には竿も魚篭も持っていない…という事は先に一度宮に戻っていたのだろうか?
「どうでした? 釣れました?」
「おう、大漁大漁」
にっと笑った仁王は、思い切り両手を広げてみせる。
「このぐらいの魚が獲れたぜよ」
「まぁ、大きい」
「…その魚を餌にして、でかい熊を一頭釣って来たんじゃが」
「……はい?」
今何と仰いました?
耳を疑った桜姫に構わず、次に仁王はおい、と弦に声を掛けた。
「俺一人でも何とか運べるが、流石に重くてのう…弦よ、手伝ってくれんか? いっそここでばらして、焼いて食ってもええじゃろ」
「うむ、問題ない」
「すげーっ! 今日はご馳走だーっ!! 姫のお陰だなっ!」
褒められている事にも気付かず、桜は頭の中で自分の中の『釣り』の定義を必死に考えていた。
(く…熊?…熊って…釣る生き物だったっけ…え?)
うーんうーんと姫が唸っている一方で、文太が篭っている窯から突き出された煙突から、ゆっくりと香ばしい香りが立ち昇り、それは見えない風に乗せられて遠くへと渡って行った。
「…ん?」
くん、と鼻を鳴らし、昼寝をしていた悉伽羅はぱちりとやけに寝覚め良く目を開いた。
今、感じた匂い…懐かしささえ覚えたあの香り…
「…い、いやいやいや、まさか異国のこの地で、あれがある訳が…」
ふわっ……
「…っ」
心で否定していた傍から、再び同じ香りが漂ってきた。
この香りは…そうだ間違いない、けど、何故こんな山奥で!?
「…え?」
むくっと身を起こすと、悉伽羅は水平をなびかせて木々を渡り、香りの元を辿ってゆく。
しかし、近づけば近づくほどに、自身の主である幸が構える宮の傍に導かれてゆく。
「ど、どういう事だ!?」
悉伽羅が驚いている一方で、幸もまた、自身の布団の上で寝転がっていた身体をむくりと起こし、全てを見透かしている様にふふ、と笑っていた。
「やぁ、なかなかの出来みたいじゃないか…じゃあ、吾もそろそろ行こうかな」
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