「…! 火が消えた」
焼成が終わった事を知り、桜達は窯の前へと集まってゆく。
全員の視線を受けながら、やがてよろっとよろめきながら、中から文太が姿を現した…が、その顔色が非常に悪い。
まさか、力を使いすぎたのか?
「ぶ、文太様! 大丈夫ですか!? 顔色が悪いです…!!」
「…ひでぇ」
「え?」
ぼそっと呟いた文太は、よろける身体をそのまま寄って来た桜に投げ出し…わっと大声で嘆き始めた。
「うわああああああああん!! あんな良い匂いしている中で一個も食えねーなんて拷問だ〜〜〜〜〜っ!!!!!」
どうやら、彼にとって切実な問題だったのは、力加減ではなく腹加減だったようだ。
「すっ、すみませんっ!! 文太様には沢山お分けしますからっ!!」
「桜姫?」
彼女が詫びているところにふと声がかかり振り向くと、信じられないといった様子の悉伽羅が、彼女達と、初めて見る窯を交互に見つめていた。
「何だ、これは…まさかこれって…」
「あ、悉伽羅様」
振り向いて、桜乃はにこりと笑った。
「あの…ぽんを作ってみたんです…どうでしょう、上手く出来ているでしょうか?」
「え…」
嘘だろ…と今だ信じられない気持ちで、彼女の言葉を確かめるように悉伽羅が窯の中を覗くと…
「うお…!!」
芳醇な香りを放っている見事な焼き加減のぽんが、ずらりと並べられていた。
悉伽羅の反応を見る限りでは、成功と言っていいだろう。
「ど、どうしてこれをお前が…」
「うふ…悉伽羅様が食べたいって仰っているのを聞いてしまいました。蓮様に作り方を聞いて、皆様の助けを借りて、作ってみたんですよ」
「こんな窯まで造ってか!?」
「あ、造って下さったのは弦様と赤也様です…だって、悉伽羅様、故郷が懐かしいんじゃないかなって思って…せめて、作れるものだけでも差し上げられないかなって……余計なことでしたでしょうか…?」
「い、いや! そんな事はない、そんな事はないが…」
嬉しいという感情と感動で、言葉を失ってしまった悉伽羅がどもっている間に、今度はこの場へと至る道の方が賑やかになった。
言葉の通り、仁王が弦と本当に熊を一頭、引き摺って持ってきたのだ。
傍には柳生も酒瓶を抱えて同行している…どうやら、仁王に呼ばれて来たらしい。
「きゃああぁぁ…本当に熊…」
「何!? 何が起こってるんだ!?」
ぽんだけでも驚きなのに、今度は熊が丸々一頭運ばれてきて…今日は一体何の日だ!?
全然落ち着く暇のない悉伽羅の耳に、今度は呑気な幸の声。
「凄いねぇ、懐かしい友を連れて来た甲斐があったよ」
「あれを『連れて来た』と言えるのなら、天晴れだぞ、貴様…」
幸の言葉の次に聞こえた声は…桜には聞き覚えのないものだった。
「え…?」
振り返ると、見慣れた自分の主、幸…が、右腕に一人の若者の腕を掴んだ状態ですたすたと歩いて来るところだった。
掴まれた男は最早諦めているのか逆らう素振りは無く、唯、むすっとした表情で歩いて来る。
その装束は幸のそれと並んで非常に見事なもので、一目で高位に就いている人物なのだと分かる。
「いいじゃないか、どうせ休んでいたんだろう? 折角景も招待してあげようと思ったのに」
「招待ではなくて誘拐だろう、これは…」
執務を済ませて一人、部屋に篭って静かに休んでいたところに、いきなりこの神が現れたかと思うと、問答無用でこの山奥に連れて来られたのだった。
そう…都に住まう最高権力者、帝が。
今頃向こうが、自分が不在になったことで騒ぎになっていないといいのだが…
「で? 吾をこんな場所まで連れて来て、何を…」
尋ねる言葉を打ち消すように、幸の僕である男達の声が遠慮もなしに届けられてきた。
「幸!! 熊獲って来たんじゃが、食うじゃろ?」
「今から捌いて焼きましょう!! それとも丸ごと焼いてみます!?」
「あ! 景も来てるじゃねーかよい!! こっち来い、こっち!! 土産は!?」
「熊の手は珍味らしいな…興味ある」
「酒も準備してきましたが…おや、思ったより人数がありますね」
最早その光景は、神とその僕の集いという高尚なものではなく、殆ど山賊の酒盛り状態。
「お前らここでどんな生活をしてるんだ!?」
同じ神である景が思わず怒鳴って尋ねたが、幸はのほんとした表情で答えた。
「まぁ、こんな生活だけど」
そんな二人の許に、とことこ、と桜が焼きたてのぽんを幾つか抱えて近づいてきた。
「幸様? こちらの方は…?」
「ああ、桜姫は初めて会うのだったね…彼が今の帝…そして、吾と同じ神の景だよ」
「…」
紹介された景は、桜姫を見下ろして暫く黙した。
都では、化粧をしていない女性など久しく見た事もなかった。
神の目にはどんな化粧も無意味なのだが、こうして素顔を晒す人間を久し振りに見ると、それだけでも新鮮だ。
「まぁ、帝が来て下さるなんて…でも良かった、お礼を申し上げたいと思っていたんです」
言いながら、桜乃は幸と景に向かって、ぽんを差し出した。
「お二人のお陰で、無事にぽんが作れました…初めてのものですから、出来はどうか分かりませんけど…さぁ、どうぞ」
「有難う、桜姫」
そっと幸が一つを取り、景も続いて一つ取る…と、改めて景が桜乃を見遣った。
「帝と聞けば、宮中の女共は権力に一も二もなくひれ伏すもんだが…どうやらお前は違うな、桜姫とやら」
「はい?」
「言っただろう、世のしがらみを知らない子だと。少なくとも、都に住むどんな高貴な姫でも、彼女の純朴さには敵わないだろう」
「?」
何を言われているのか分からない様子でこちらを見上げる桜姫を、幸は優しく頭を撫でて可愛がる。
「確かに……面白い女だ」
帝である景も桜に興味を抱いた様に頷くと唇を歪め、宴に加わるべく二人と共にそちらへと歩いて行った。
そして、その場で宴が始まったのである。
初めてのぽん作りだったが、本場のものを知る悉伽羅も褒める程に出来栄えが良く、その初めての味わいに、他の妖達も非常に珍しがり、喜んだ。
「これがぽんか…米とはまるで違うな」
「だが、香ばしいな…噛む時の食感も独特なものだ」
弦や蓮がほうほうと感心しながら食べている傍では、文太が早速自分の取り分を次々と口に放り込んでいく。
「うめ〜〜〜! 柔らけ〜〜〜〜っ!」
そして仁王や柳生も、熊の肉を肴に、酒を酌み交わしながらぽんをちぎって口に含んだ。
「米のような満腹感はないが、肉と合うのう」
「中に空気の泡が大量に含まれているから、この柔らかさなんですね…酒がこんな所で一役買うとは」
「ああ、元々俺の母国はこの国より肉を食べる文化が根付いているからな。肉と合うのは当然だ」
二人に説明する悉伽羅は、先程から懐かしい味に感無量の様子で、酒もまわっていつにも増して上機嫌である。
そして、赤也は喋るのも勿体無いとばかりに、ひたすらに無言で食べ続けていた。
「幸様、景様、お酒、如何ですか?」
「うん、有難う」
酌に来た桜に礼を述べた幸が杯を差し出している脇で、景は初めて味わう異文化の食物に感嘆することしきりだった。
「これは美味だな…桜姫と言ったな。初めて試みた身でここまでやるとは見事だ」
「あ、有難うございます」
「…これからも、吾にもこれを焼いてくれるという事であれば、小麦粉はいつでも提供しよう…遠慮なく言え」
「わぁ…本当ですか?」
そしてそれからも、妖達は、気が向いた時には桜姫に願い、様々なぽんを食べるようになったという……
「人間ってのはスゲーよなぁ、今やパンなんて世界中に流通してるし、気がついたら誰でも作れるぐらいに機器も発達してるしさ。文明開化、万歳って感じ?」
立海のメンバー達が、部室で集まって食べているのは、桜乃が届けてくれた手作りのポンデケージョ。
作ってくれた当人は、今は少し離れた場所で、幸村と楽しそうに談笑している。
その二人の傍には真田と柳が立ち、時折二人の話に加わっている様だ。
それは、何ら普段と変わりない、中学三年生の先輩達と一年生の会話の風景だったのだが…
「けど、やっぱ一番は、姫の手作りに限るけどな」
「あれから千年以上経つけどさ〜、俺らの味覚も変わってねぇよな」
ひょいっと一口でそれを食べた丸井は、その若い身には相応しくない台詞を吐き出したが、ジャッカルはそれを咎めるでもなく頷く。
「まあなぁ…ま、味覚の執着捨ててれば、俺らはここにいなかったかもしれないが」
「俺はこのままでもいいッスけどね」
切原がのほほんと言っている脇では、仁王が相変わらず不敵な笑みを浮かべて桜乃達の方を眺めている。
「しかし、本当に面白い娘じゃの、姫は。あれからずっと、幸や弦達をこの世に引きとめとるんじゃから…いや、彼らだけじゃない、か…」
「ええ、私達も…そう言えば、景もまだここに残っているのでしたね」
「奴の西洋文化贔屓も、よく考えたらあの時の桜姫のぽんが切っ掛けだったんじゃないか? あれから気が向けば何度も小麦粉持って来て、姫がその度焼いてやっとったじゃろ?」
遥か昔、遠き山で過ごした日々は、今も自分たちの胸に息づいている。
人でなくなった自分達が、今だに人の真似事をしてこの世を愉しんでいるなど、あの日々には想像もしていなかったが…
「幸の気紛れが続く限り、俺達はこのまま生きてくんだろうな。人に紛れながら」
「いいだろい、ずっとそうしてきたんだし。今更他の生き方迫られても無理だって」
そして妖達は、千年の時を経て変わったこの国の中で、千年の時を経ても尚変わらぬものを抱きながら、笑っていた……
了
前へ
妖編トップへ
サイトトップヘ