悉伽羅の家出(後編)
「で、何で帝直々に現場に向かわなあかんのや…」
「母上の懸念は、早めに取り除いて差し上げるべきだろうが」
「素直に遊びに出たい言いや」
「ふん」
その日の夕刻には、景は一人の蔵人を連れて馬を駆り、問題の地蔵が安置されている堂へ向かっていた。
「はぁ…大体なぁ、帝ともあろう御方がたった一人の蔵人連れるだけで外に行くなんて、前代未聞の大事やで」
帝に対する口の利き方とは思えない不遜な口調で相手を戒める男は、彼とほぼ同年代の若者である。
蔵人という身分から考えると、非常に早い出世であると言えるだろう。
黒い髪は帝のそれよりかなり深く、瞳には蔵人らしからぬ高貴さが称えられていた。
「…蔵人一人連れるのが心配なら、前から言っている様にお前を大臣に取り立ててやってもいいんだがな…相応の能力があるというのに、全部撥ねつけたろうが」
「アホか、大臣と帝やったら尚更大事やろ…それに堅苦しい仕事ばっかの大臣なんか冗談ちゃうわ、そんな役押し付けたら即行で夜逃げしたるさかいな、景」
「分かった分かった…ったく、お前も大概頑固だからな、侑士」
神の名を呼ぶ、蔵人という立場に身をやつした彼の僕であった侑士は、で?と主人の男に改めて馬上から目を向けた。
「そのお地蔵さん、大后様の仰る通りならやっぱおかしいよなぁ…けど、今の処は悪さしとる訳でもないし…どないするつもりなんや?」
「取り敢えずは本物を拝んでみないことにはな…話だと何処ぞの僧侶どもが見張りをしているらしいが…ご苦労なコトだ」
「神仏盾に取られたらやり辛うて敵わんな」
「盾にされる程度の神など吾の知ったことか」
人なら傲岸不遜な物言いだが、神だとしたら…やはり傲岸不遜である。
やれやれと思いながらも結構楽しそうな表情で侑士と呼ばれた僕は景に追従し…日がかなり傾いた頃にいよいよ目的の堂の傍へと到着した。
馬から下りて、こっそりと近くの茂みに隠し、二人は向こうの見張りに気付かれないように寄っていく。
松明を堂の両脇に掲げて見張りをしているのは、確かに二人の僧侶と思しき姿をした男達だ。
「どないする? こら近づくどころの話やないけど…」
「…手っ取り早く雷落とすか」
「やめんかい!」
帝としては非常に優秀な手腕を揮う相手だが、神の姿を覗かせたら途端にこういう大胆な行動に出ようとする。
元々が冷酷で好戦的な性格だからなのだろうが、抑える僕にとっては厄介な性分であった。
「ええか!? 今はお前さんは神やなくて帝なんやから、もーちっと情ってもんをやな…」
「…ん?」
「は?」
説教を始めようとしていた蔵人の前で、不意に景が堂へと視線を動かして眉をひそめ、相手もそれを訝り同じく興味をそちらへと向けた。
「…あらら?」
二人の目前で、不自然な現象が生じていた。
目障りだった見張り二人が、急に口元に手をやって欠伸をしたかと思うと、そのままずるずると壁に身を預ける形で腰を落とし…居眠りを始めたのである。
何となく…いや、かなり違和感を覚える光景だった。
片方だけの僧侶なら、まだ話は分かる。
しかし、二人がほぼ同時に座り込む程の眠気を覚えるのは…余りに不自然だ。
「何や…? おかしいな」
「しっ…」
沈黙を促す景の声が聞こえた直後、二人の目の前で閉ざされていた堂の扉が内側からがらっと開かれた。
『っ!!』
息を呑んだ二人の前、堂の奥に立っていたのは、非常に見覚えのある男だった。
水平を纏った浅黒い肌をした若者…悉伽羅は、彼らが見ているとも知らずに呑気に大きく伸びをしながら堂から出てくると、きょろっと居眠りをしている僧侶を一瞥した。
驚くことではない、自分が術を掛けて眠らせたのだから。
「ったく…迷惑なんだよなぁ、こいつら来てからロクに食い物も探しに行けなくなったし…あー、嫌だ嫌だ」
呑気に頭を掻きながら、のてのてと景達が隠れている茂みの前を悉伽羅が通り過ぎた後、その景と侑士は互いに顔を見合わせる。
そして…相手が過ぎた後に同時にそこから飛び出していた。
「地蔵騒ぎの元凶は貴様か悉伽羅〜〜〜〜〜っ!!!!」
「ひ――――っ!?」
胸倉をいきなり掴み上げられ怒声を浴びせられた悉伽羅は何事かと悲鳴を上げ…相手の正体を知った処で激しく吃驚した。
「景―っ!? 何だ何だ!? 都で酒池肉林してるお前さんが何で此処にいるんだ!?」
「坊主の癖に随分と煩悩に塗れた発言してくれるな、おい」
「歴代帝に謝りや。お上はお上でそれなりに苦労しとるんや」
取り敢えず突っ込んでから、景と侑士は改めて相手を逃すまいと構えた上で詰問した。
「で? 何で幸の僕であるお前がこんな場所のあの堂にいるんだ? 少なくともあの幸が、こんなみみっちい騒ぎを起こす事を望んでいたとは思えないが?」
「いや、僕は僕だけど、俺今家出中だから」
「……」
悉伽羅の告白に景と侑士は一瞬黙り、呆れた様に言い捨てた。
『また?』
「ほっとけ!!」
どうやら彼の家出というか放浪癖は、仲間内だけに知られた話ではないらしい。
怒鳴られた景は、今はもう怒り返す気力も無くした様子で、少々疲れた表情を浮かべて話を続けた。
「まぁ家出はお前の勝手だが、地蔵の騒動は都にまで届いているぞ。人心を乱すような事をされては甚だ迷惑なのだが…」
「いいっ!? 都にまで!?」
まさかそこまで噂が拡散してしまっていたとは、と驚く悉伽羅に、侑士が更に補足した。
「あまり知られた話ではないんやけど、あのお堂は景の母上と少々因縁があるんや。それで何かおかしいいう事でなぁ、景が直々に赴いたんよ」
「……」
すると今度は悉伽羅がじっと景と侑士の方を凝視し…
「?」
「?」
不思議に思った彼らの前で顔を背け、くぅっと何故かおかしな同情をしていた。
「帝が来なきゃいけない程に、人材がいないなんてなぁ…」
「凍らすぞ貴様」
余計な世話だ、と景が言い捨てた後、彼らは改めて悉伽羅から大まかな話をその場で聞いた。
「…なに? 子供の魂が?」
「やってみたけどやっぱり剥がせなくてなぁ、俺の力じゃどうにも…かと言って、それこそ幸を呼ぶ訳にもいかんし、そうこうしている間に色々と…」
「はん…親の情ってのは厄介なもんだな」
皮肉の笑みを称える景に、しれっと侑士が答えた。
「そりゃ冷徹なお前がそこまで甘くなるぐらいやから…」
「何か言ったか侑士」
「いえいえ、何も」
自身の僕を黙らせた後、さてどうするか、と景が考え込む。
「ここでぐだぐだやっててもきりがない。見張りの奴もいつ目を覚ますか分かったものではないからな…仕方ない、お前、一度一緒に宮に来い。そこでどうするかを決める」
「え? 今すぐか?」
「? 何か不満があるか?」
何となく答えを渋る悉伽羅に景が尋ねると、向こうは困った困ったと再び頭を掻きながら堂へと向かった。
「しょうがないなぁ、食い物捕りに行こうと思ってたのに…じゃあ、あの子に断って、ついでに干してた蛇と蛙の干物も一緒に…」
「持って来たら貴様ごと氷柱にしてやるからな!!」
絶対に持参なんかするなよ!と念を押した後で、景は疲れも露にぼそりと呟いた。
「何で幸はあんな奴を下僕にしたんだ…」
「面白いからとちゃうか?」
尤もな答えを、侑士は当然だろうという顔で述べていた。
宮中 帝の間
「二十年…か…確かにそれだと母上の話とも合致するな」
ばくばくばくばく…
「岳人に探させた文書とも合うとるで、まぁ関係者の大后様のお言葉なんやから当然やけどな」
ばくばくばくばく…
「堂の所有権を主張している奴らを黙らせるにはこれだけでも十分だが…母上の気を病ませたのだ、少々仕置きも必要だな」
ばくばくばくばく…
「……」
「……」
真面目な会話が暫し途切れた後、景と侑士は先程から部屋の中で大量の食物を食べ続けている悉伽羅に苦言を呈した。
「もうちょっと静かに食えないのか」
「ほんまにやかましわ」
呈された悉伽羅は、しかし久し振りにありついた豪華な食事に上機嫌で答えるばかり。
「いやー、やっぱ凄いな時の権力者ってのは。黙っててもこういう豪勢なもんが出てくるなんてな〜。酒おかわり」
「お前、坊主だろうが」
「人騙す為に坊主になってるだけだもん、俺」
(何で幸はこんな奴を…っ(以下同文))
「ま、まぁまぁ景、抑えて抑えて」
主人を宥めてから、侑士は相手の気を逸らすように別の質問をした。
「仕置きもええけど、先ずはあの地蔵の子供の解決が先やろ? 悉伽羅や俺には無理やろうけど、神のお前なら何とかなるんとちゃう?」
「…ふぅむ」
問われた神は、腕組みをして何故か浮かない表情を浮かべた。
「…出来ない、という訳ではないし、そう言うのも少々癪だが…かなり危険は伴うぞ」
「え?」
危険、と聞いて悉伽羅の箸を動かす手が止まった。
「二十年の歳月ともなると、そいつの魂もかなり疲弊しているだろう。宿っているのも鉄などではなく石…まぁ木像よりはましだが……吾なら引き剥がそうとした拍子にそいつの魂ごと引き裂く可能性もある」
「何でそんなにやり方が派手なんだよっ!」
「半神半人だからよ」
悉伽羅の言葉に景は即答した。
「神の身ならそれ程に難問ではない…しかし今の吾は人間の身体を借りた存在だ。どうあっても純粋な神の身である時の能力には劣る…それに、吾は元々戦場を駆ける方が好きだからな、こういう人の魂の扱いは不慣れなのだ」
「う…」
どもる相手に、景は冷えた視線を向けて続けた。
「人の魂の扱いなら、それこそお前の主である幸こそ適任だろうが。冥府とも縁ある邪神なのだか…」
「言うな!!」
途端、温和で呑気な表情は瞬く間に消え去り、烈火の如き怒りの炎を瞳に宿したかの如く、それを爛々と光らせた悉伽羅が怒号する。
決して触れてはならない、大切で、尊くて、そして忌わしい何かに触れられた様に。
「幸は、邪神じゃない!!」
「………」
それ以上言ってみろ、と言わんばかりの鬼気迫る相手に、景は怯むことはなかったが、何かを察した様子で静かに頷いた。
「ああ…ああ、『そう』だったな。あいつはもう…それは捨てたんだったな」
「………」
何かがあったのだろうと思わせる彼らの会話だったが、侑士もまたそれを知っていたのか何も語ることはなく、相手方がそれ以上言及するつもりがない事を確認して、悉伽羅もまた一度は剥き出しにした闘争心を抑え、落ち着いた。
「…悪いな、それは俺らにとっちゃ禁句なんだよ」
「色々あったからな、別に構わん…しかし話は戻るが、やはり吾が手を下すのは危険だぞ」
地蔵の話に戻ったところで、悉伽羅は景の決定を聞いて渋い表情を露に首を傾げた。
「うーん……困ったな、どうしたらいいもんか」
「……決まっている」
「はい?」
「幸にやらせる」
「はいいい!!??」
何でいきなりそんな話に!?と驚く相手に、景はあっさりと答えた。
「あいつがどんな神であれ、吾もどうでもいいんだよ。今はすっかり怠け神になっている様だが、それでも人の魂を扱う術に長けているのは事実だろう…他に妙案もねぇし、そもそも手前の僕の不手際で起こったことだしなぁ、主として責任を取るのは当然だろうが、ああん?」
今日この時まで相手に翻弄されてきた仕返しとばかりに、景は楽しそうに笑っている。
「何だよ、それじゃあ俺がまるで悪者みてぇじゃねぇか!!」
最初こそ断固抗議する!という勢いの悉伽羅だったが…
「ほう、では誰が一番の元凶だと?」
と冷え切った瞳で射抜かれ、反論出来ずにあっさり降参。
「分かったよ、俺が悪かったよ!! あああああ、結局幸まで巻き込んじまうなんて…弦や蓮に何て言われるか〜〜…!」
「助けてもらえるように経でも読んでろ、生臭坊主」
冷酷な神の言葉は、やはり何処までも冷たかった……
翌日…の幸の宮
「すぅ…すぅ…」
その日も、幸は自前の布団の中で延々と安らかな眠りを楽しんでいた…
そこに突然、
「起きろ」
むぎゅ
「おう?」
掛け布団の上から派手に腹部を踏まれ、幸がぽやんと目を開ける。
「んん…?」
こし…と寝惚け眼を擦りながらむくりと身体を起こすと、久し振りに見る知己が呆れた様子で立っていた。
「…やぁ、景じゃないか。どうしたの、人が寝ているこんな時間に」
「答えるのも馬鹿馬鹿しいが、真昼間だ……たく、そんな腑抜けていつ寝首をかかれても知らねぇぞ」
「君は殺気がなかったからね」
あふ、と相変わらず呑気に欠伸をかみ殺していた幸が、ふと、向こうの背後に襟首を掴まれている状態の人物を見つけた。
「…悉伽羅?」
「…た、ただいま〜」
傍には景の僕である侑士も立っている。
「…どうして」
いかにも気まずそうに挨拶をする己の僕に幸がきょとんとしていると、その場にどどど、と賑やかな足音が響いてきて、
「幸っ!! 何者かの気配が…っ!!」
と、賑やかに、しかし刀を抜いた非常に物騒な姿の弦が飛び込んできた。
すわ侵入者か!?と構えた彼だったが、その者の姿を見て足を止め、どうした事だと眉をひそめる。
「…景? 幸に何用だ?」
そして、景が答えるより早く幸が応じた。
「夜這いだって」
途端、一度解いた構えを再び直し、弦が凄まじい形相で怒号する。
「斬るっ!!」
「這うか!!」
まだ寝惚けているのか!!と景が幸に突っ込んだが、相手はふーんとそっぽを向いて小さな独り言を漏らした。
「さっきお腹をしたたかに踏んでくれたお礼だよ」
このままでは収拾がつかなくなると判断した侑士は、ついてきて良かった、と思いつつ、先ずは弦に断った。
「夜這うつもりなら昼間からこれだけのおまけ付けてこんわ…ちょっと野暮用があるんは確かなんやけどなぁ…悉伽羅繋がりで」
「野暮用?」
「あ〜〜〜〜〜〜っ!!」
弦が復唱した直後、またそこに新たな声が加わった。
何か賑やかな事が…と様子を見に来た桜だった。
「悉伽羅様!!」
「お、桜か」
久し振りに会えた仲間に、桜は嬉しさのあまりに泣きながら走り寄り、同じく寄って来てくれた相手に縋りついた。
「うわあぁぁん、悉伽羅様〜〜〜! 帰ってきてくれて嬉しい〜〜〜、おかえりなさいませ〜〜〜!!」
「お、おうおう、よしよし」
まさかここまでの熱烈歓迎を受けるとは思っていなかった悉伽羅は、戸惑いながらもこっそり感動し、ぽんぽんと相手の背を叩いてあやしてやる。
そんな姫の行為で一気にその場の殺伐とした空気は払拭され、中でも彼女を初めて見る侑士がぎょっとした表情で相手を凝視した。
「何や? あん子…あんな可愛え姫さんが妖…?」
「野武士に斬り殺されたところを幸に拾われた。奴が作るものは結構美味いんだ。出来たら引き抜きたいが、幸の大のお気に入りの様でな」
景の説明に、侑士はまたも驚き、完璧に桜に同情してしまった様子でしみじみと頷いた。
「…そりゃあ気の毒になぁ…非道いことする奴がおるもんや」
そんな彼らの話を聞いていたらしい幸が、さて?と二人へと向き直った。
「…悉伽羅も帰って来たことだし、改めて君達の話を聞こうじゃないか…何があったの?」
「ああ…」
「まぁ、それは悉伽羅の口からな」
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