「へっへ〜、ひっさしぶりだなー、たまには賑やかなトコロも面白くていいわ」
 足取りも軽く、赤也は都の入口へと続く道を軽やかに歩いていた。
 普通の人間であれば、彼らの住まう山から都までは歩くだけで数カ月を要す長旅であるが、妖である彼の能力を使えば、距離というものはさして問題にはならない。
 鬼火となれば足を使わずに遠方へ移動する事が可能になるし、鬼火とならずとも、その驚異的な体力なら、多少の長旅も若者にとっては散歩程度の負担なのだ。
 勿論、人の目のあるところで鬼火に変化する程に愚かでもないので、赤也はある程度都に近いところからは、普通の旅人を装いつつ周囲の人間達に溶け込みながら歩いていた。
 たまにすれ違う者もいるが、殆どの道中の人々は、同じ方向へ向けて歩いている。
 行先はきっと、自分と同じ都だろう。
「へー、結構な人だなぁ…ん?」
 最初は流れる様に歩いていた人々の波が、徐々に大きく、混んだものになっていく。
 どうやら先で、彼らの波を堰き止めている何かがある様だ。
「何だぁ? 何かあったのかな…」
 もしかしたら、事故か何かで道が塞がっているのだろうか…もう少し先には、都の入り口でもある門が見えていると言うのに。
 確か、不審者を入れない為に、ここには門番が常駐して人々を検めている筈だ。
 昔は自由に行き来出来ていた事もあるのだが、昨今の辺境の乱れから、帝がやむなく今の体制を取る事にしたらしい。
 朝に門は開かれ、夕に閉じられる。
 人々は門番に或る程度の検分を受け、無害と見做されたら中に入る事を許されるのだ。
(おっ? て事はもしかして、そんな不審者が見つかっての捕り物があるとか〜?)
 幸が従える僕の中でも、この赤也という若者は特に、騒動ごとが好きな性分だった。
 若気の至りというのもあるのだろうが、喧嘩は見るのもやるのも大好きだ。
 但し、戦というものに対しては幸や他の妖達と同様に好いてはいない。
 曰く、『喧嘩はやりたい者同士でやるなら別にいいんじゃねぇの? けど戦はやりたくない奴らまで巻き込まれて、挙句に殺されっちまうんだからタチ悪い』のだそうだ。
(どれどれ〜〜〜?)
 面白い騒ぎになってるかも…と不謹慎な希望を抱きながら、赤也は立ち往生している人々の群れの中を掻い潜り、問題が生じていると思われている門の前へと移動した。
 そして、ひょこんと隙間から顔だけ覗かせて見ると…
「…ありゃぁ?」
 そこでは捕り物など行われてはいなかったが、確かに騒動は起きていた。
「まだ日は高いじゃないか!」
「何でもう門を通れないんだ!?」
「俺は今日から市に出るつもりでいたのに…ここで追い返されたら、どうすりゃいいんだ」
 人々の言葉を集めて集約すると、どうやら原因は、門番達が人々を都に入れない措置を取っていることらしい。
 彼らが訴える様に、左右の門番が二人、手にした槍で十字を作り、それで開かれている門を塞いでいる様な格好を取っている。
 槍は無論、立派な武器なので、下手に向かえばこちらがやられてしまう。
 しかも彼らは帝から命じられてそこにいる、言わば帝の意志の代理人の様なもの。
 下手に逆らってしまえば、その者は一生都に入れなくなる可能性もあるのだ。
(…っかしいな、こんな真昼間から人を通さないだなんて、何かあったのか?)
「ええい! 今日はもう終わりだ! 入りたくば明日の朝に来い!」
「そんな、困ります!」
「何とか、入れて下さいませんか」
「おとととと…っ」
 それは本当に偶然だった。
 門番と人々の押し合いへしあいの中流されかけ、赤也はたまたま門番の背後に控えていた、彼らと同じ役職らしい男が、旅人の一人から何か小さな袋を受け取るのを見た。
 何か…まるで幾らかの金が入っている様な袋を受け取ると、その後ろの男は、こっそりと騒動に紛れてその旅人を門の向こうへと誘導したのだ。
「…っ!!」
 大人ではないが、そういう汚いやり取りの意味ぐらいは知っている。
 赤也が目の前のその光景に目を剥いている間に、更に門での騒動は大きくなってきた。
 そんな時、赤也の前に大きな荷物を抱えた一人の老女が進み出て、門番達に必死の様子で訴えた。
「どうか通して下さらんか、ようやくここまで来たのに、市にも出られんとはあんまりな話ですじゃ…」
「えい! くどいわ、この老いぼれが!」
 周囲の非難に苛立っていたらしい門番は、その気持ちの高ぶりに任せて、老女を軽く突き飛ばした。
「あれ…!」
 男にとっては大した力ではなくとも、痩せた年老いた人間にとってはかなりの衝撃で、彼女は面白い様に地面へと転がってしまう。
「…っ!! ばーちゃんっ!」
 慌てて赤也が飛び出し、その倒れた老女を抱きかかえて怪我を気遣う。
「おい大丈夫かよばーちゃん! 怪我ねぇか?」
「あ、ああ、有難うよ」
 どうやら大事には至らなかったと知り、赤也はふぅと安堵したが、彼女をゆっくりと立たせた直後には憤怒の表情で門番達に迫っていた。
「ふざっけんな! おめーら年寄りに何て事しやがるっ! ここにいる奴ら皆市に行くんだろ!? 何でお前らが客の選り好みしてんだよ!?」
「黙れ小僧! 市に行くには特別な許可がないと入れんのだ、貴様の様な童が口を出すな!」
 罵る門番達の前で、赤也は懐からあの帝から賜った書状を抜き出して、彼らの目の前に突きだした。
「持ってるっての! これがありゃあいいんだろ? 夕方でもない今の時間なら、当然通して…」
 ひゅん…っ
「…………」
 言葉を切って沈黙する赤也の手に握られていた書状が、横一文字に斬られ、上の部分が風に煽られ飛んでいく。
 黙る赤也の前に突き出した槍を引き、書状を斬った門番の一人は意地悪な笑みを浮かべて言い捨てた。
「これで無効だ。とっとと返れ、小僧」
「………………」
 門番達はおそらく、赤也が無言になったのは、目前に槍を突き出されて恐れ慄いたからだと思ったのだろう。
 しかしそれは彼らの大きな勘違いだった。
 赤也は槍など恐れていないし、彼らという立場の人間にも恐れてなどいない。
 彼は…単純に怒っていたのだ…最早抑えが利かなくなる程に。



「…平和やなぁ」
 それとほぼ同じ時分…都の中央の殿にある帝の間では、のんびりと一人の蔵人がそこから見える青空を眺めて呑気に呟いていた。
 今は丁度執務の狭間、帝を含め、彼の僕達もゆるりとした休憩を愉しんでいる。
 本来、帝の間には大臣でさえも滅多に踏み込む事が許されない…そう、人間であれば。
 しかしここに集っている者たちは、人の世で言う立場は下位のものであろうと、その実態は、半神半人である帝・景の正体を知り、僕として仕えている者達ばかりなのだった。
 都に住まう人々は誰もその事実を知らない。
 蔵人達を帝が呼び集める事も、単に天上人の気紛れか、外の世を知らない帝の好奇心に依るところだろうと噂されていた。
「忍足様、また抜けだしたりしないで下さいよ。まだ仕事は残っているんですから」
 帝の傍に控えていた短髪の、鋭い視線を持つ若者が忍足に注意を促したが、当の本人は一向に気にする素振りは見せず、相変わらず青空を渡る小鳥たちを楽しそうに眺めている。
「分かっとるがな若…自分も大概心配性やなぁ」
「お前のこれまでの行動を考えたら、若の方に賛成するけどな、俺」
「つれないなぁ、岳人」
 相棒である岳人の言葉にも、忍足は相変わらず軽く返すばかりだったが、帝である景も特に気にする様子もない。
「気にするな、若。忍足にそんな事言っても、最初から聞く奴じゃない」
「…帝は甘いですよ」
 やれやれと渋い顔をする若にまぁまぁと優しく笑って、同じく控えていた大柄な若者が帝に尋ねた。
 彼もまた、忍足達と同じく景に使える妖の一人、鳳だ。
「そう言えば、今日も市が開かれておりますね…確か、幸様の僕の方もそろそろ都にいらっしゃるとか。お迎えしなくても宜しかったのですか?」
「ああ、向こうが不要だと言ってな、堅苦しいのは苦手な奴ららしい。ま、子供でもねぇんだ、都に来るぐらいは出来るだろうさ。顔ぐらいは出せと伝えておいたが…」
 帝である景が薄く笑ってそう答えると、若がまた苦言を呈す。
「弦様や蓮様ならともかく、他の奴らは何か余計な事をしてくれそうな気がしますがね」
「滅多なこと言うもんやないで若、そんな事言うとったら、ホンマにいらん騒動が…」
 忍足がそう言いかけたところで…
『も、申し上げますっ!! 一大事でございます!』
「ほーらきた」
 間の外、眼隠しに垂れ下がった帳の向こうから、慌ただしい声が聞こえてくると、そこに急いで駆け付けたらしい何者かの影が、向こうで座しながら改めて告げた。
『帝、ただ今、南門にて不審な輩が狼藉を働いているとの由! 門番達を退け、彼らが呼んだ衛兵たちも始末に負えない程の乱暴者だと!』
「ほーう」
 伝えている男の方はかなり切羽詰まっている風だが、聞いた帝は実に呑気…と言うか、気の抜けた返事を返すのみだった。
 まるでその正体を知っていると言わんばかりに、うんざりといった顔で、帳越しに確認を行う。
「…その狼藉者、どの様な姿か。天をも衝く程の巨人か?」
『い、いえ…その、姿はまだ十やそこらの童で…しかし、とんでもない怪力だと。真っ赤に、血の様に染まった目で睨まれた馬が、泡を噴いて倒れたとか…間違いなく鬼の子だろうと!』

(間違いなく俺らの客人だわ…)

 あ〜〜〜あ…とどんよりと立ち込める暗雲の中で黄昏る僕たちの気配を感じ取り、向こうの男が困惑の声を出す。
『あ、あの…?』
「何でもない。良かろう、すぐに治める故、案ずるな……忍足、若」
 景はすぐに自分の僕である二人に声を掛けて無言の命を出し、二人は受諾の意味として頭を下げた。
「はっ!」
「やれやれやなぁ…」
 実に対称的な返事を返し、去って行った二人の姿を目で追いながら、景はぼそりと不吉な声色で呟いた。
「全く、てめぇの下僕を甘やかすのも大概にしてほしいもんだ…また今度、きっちり言ってやらねぇとな」





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