のっぽさんと初デート
『なぁ、俺と付き合うてくれんね、桜乃』
『え?』
『大好きになったけん、俺の恋人になってくれん?』
(なんて言われて、嬉しくてオーケーしたのが一月前…そして今日が初デート…そりゃね、世間では長距離恋愛って呼ばれている部類には入るし、困難が多いって事もよく聞いてたけど、私だってちゃーんと覚悟はしてたわよ…でも…)
ある日曜日…
天気も良く、お洒落な店が立ち並んでいるその通りは、朝から人通りも激しく、いかにも休日の街並みの様相を呈していた。
そんな中で、一人の少女が所在なさげに佇み、店と店の間の空間で必死に何かに耐えるように目を閉じていた。
長い黒髪を軽く両サイドで結い上げ、リボンで留めている格好だが、これはお出かけ時のおめかしバージョン。
普段の彼女は、長い二つのおさげがトレードマークの中学一年生である。
中学生というだけで、特殊嗜好のある男性にとっては垂涎の的だろうが、今日の彼女はそれに加えてふわふわ感を意識した様なピンクのワンピースを纏っており、普段の学生服姿とはまた別の色気を出して男達の目を寄せていた。
しかし彼女の目的は複数の男性の注目を浴びる事ではなく、寧ろただ一人の為に、今日はここまで頑張ったのだ。
なのに、彼女を取り巻く環境は数分前から予想外の出来事が生じており、その少女は少しだけ朝の決断を後悔していた。
(こーゆー困難については覚悟の範疇外でしょ、神様ーっ!?)
心で叫びながらまだ目を閉じている少女の前で、二人の男が彼女の行く手を塞ぐ形で立っていた。
「ねぇ、一人なんでしょ、カノジョ」
「俺らと遊びに行こうよ、暇なんだろうからさぁ」
「結構です! 人を待っていますから」
見るからに遊び人風で、人生を真面目に考えた事などないような若者達だ。
ここまで典型的だと疑う必要も無い、ナンパである。
しかし性質が悪い事には、何度も繰り返し断っても相手の二人は諦める素振りも見せず、逆に少女を店と店の隙間に追い詰める形で逃げられなくしていたのだ。
非力な女性では、彼ら男性二人を押し退けてその場を離れるという力技も使えない。
少なくとも五回は誘われて、それだけの回数断っている。
いい加減うんざりしているのと同時に、娘はこれからこの状態がいつまで続くのか、断り続けるとどうなるのか、と不安さえ覚えるようになっていた。
(うう…こんな人達に絡まれるぐらいなら、やっぱりもう少し地味な格好の方が良かったよう…折角久し振りに千歳さんと会えるからって頑張っちゃったから…)
その子の脳裏に、一人の若者の姿が浮かぶ。
飄々として掴みどころの無い、しかしとても優しい笑顔を浮かべている、長身の男性だ。
その身長は二メートル近いが、彼はまだ成人ではなく中学生。
少女とは二歳違う中学三年生…名を千歳千里と言う。
本来なら関西の学校に在籍している彼なのだが、今日は久し振りに上京するという事で、少女はその恋人になったばかりの男と会う為にここに来たのだった。
本来の待ち合わせ時間まであと三分。
早く会いたいと思い十分前に来ていたが為に、少女は災難に巻き込まれてしまったのだった。
(うう…あと三分で来てくれたらいいけど……何か不安…)
目の前の若者達はまだしつこく何かを言っているが、それを意識に入れない様にしながら、少女はその恋人の人となりについて思い出していた。
(千歳さんってフリーダムな人だからなぁ…時間の待ち合わせをしても、守られた事の方が珍しいって白石さん言ってたっけ……どうしよー、今でも結構ピンチなのに、下手に一時間遅れて来られても、私、ここにいる事が出来るかどうか…)
「なぁ、シカトしてんなよー」
「いい加減来いっての、ホラ!!」
いつまでも対象が動かない事に業を煮やしたのか、遂に若者達の内の一人が、少女の右腕を掴んで無理やり引っ張った。
「きゃっ! ちょ…やめてくだ…」
ひるるるるる……
「?」
必死に拒否しようと腕を引いた娘の耳に、何かが風を切るような高い音が聞こえてきた。
しかも、それは徐々に大きくなってくる。
目の前の二人もきょろきょろと辺りを見回していることから、自分だけの空耳でもない。
おかしいと思っている間にも音はどんどん大きくなり、そして突然、
どすっ!!
「きゃ…!」
「おわ!!」
「な…っ」
三人の立っていたその至近距離…具体的に言えば少女の腕を掴んでいた男のすぐ横の地面に、何かが鈍い音をたてて落下してきた。
かなり重いものだったのか、目にも留まらぬ速さであり、驚きのあまりに男の手は娘の腕を離してしまっていた。
「何だこりゃ…ゲタ!?」
「あ…」
ごろんとぞんざいに転がったゲタを見て、少女の目が大きく見開かれる。
この黒く金属質な光を放つゲタは…もしかしてあの人の…
『おーい、桜乃―っ!』
連想するかしないかというところで、遠くから今度は男の声が聞こえてきて、程無く一人の若者が三人のいる場所まで走って来た。
(で…でけぇ!!)
(何だコイツ…!)
若者二人がぎょっとした様子でその新たな来訪者を見上げたが、何を考えているかは聞かなくても分かった。
肩上まで伸びたくせっ毛をまだ少し揺らし、色黒の長身の男は真っ直ぐに少女だけを見つめて笑っていた。
「おー、久しぶりばいね桜乃。今日はほんなごつ(本当に)むぞくなって、たまげた(驚いた)ばい!!」
「ち、千歳さん…」
特徴的な方便で手放しで褒められた桜乃が、真っ赤になって照れている間に、あわや事故の被害者になるところだった若者達は千歳に向かって罵声を浴びせた。
「おい! 怪我させそうになったのに詫びもナシかよ!!」
「全くだぜ、こんなゲタ放りやが……え?」
内一人が、そのゲタを屈んで手に取ろうとしたが予想だにしなかった重さに眉をひそめる。
難なく持ち上げられるだろうと思っていたその物体は、片手で持ち上げるにしては辛く、男は両手で持ってもいまだ信じられない様な、強張った表情を浮かべていた。
そんな相手の腕が、ゲタの重みに小さく痙攣しているのを見て、千歳は詫びる言葉どころか大きな声で笑い出した。
「ははははは!! 何ね!? 都会者はそぎゃんゲタ一つロクに持てんとね、だらしなかー! 馬やベコの方がよっぽど強かたい!」
大きな声で方便だったこともあり、周囲の通行人達がじろじろと彼らに注目する。
「てめ…」
「ふざけん…」
二人がムキになって千歳に向かっていこうと身体を構えた時、ふっと笑っていた千歳の表情が掻き消え、ほぼ同時にゲタが外れて裸足だった右足が勢い良く上げられた。
どかっ!
「ぐえっ…!」
その足底が見事にゲタを持っていた相手の腹部に命中し、彼は激しくよろけながら持っていたゲタを取り落とす。
「…こんゲタは程よく重くて心地良かけん使っとるとばってん、もう一つ良か事があっとよ」
笑みを含まない声で淡々と言いながら、千歳は相手が再び落としたゲタを器用に右足で転がし、そのまま履いた。
「これで蹴ったら、まぁ大体の男相手でも簡単に骨がひしゃげると(潰れる)。そんな鶏ガラみたいな身体しとるアンタ達なら、一発でとどめ刺せるばいね。火の国の男ば、あんま怒らせるもんじゃなかとよ…」
静かに物騒な台詞を紡いだ千歳だったが、向こうの二人は正直それをじっくりと聞く余裕は微塵もなかった。
「お、おい! 大丈夫か?」
「うええええ…っ!!」
腹部をしたたかに蹴られた男がその場で思い切りよく嘔吐してしまい、もう片方の男はその相手を気遣いながらも、もう千歳に歯向かおうという気持ちは霧散してしまっていた。
ゲタを外した生身の足の一撃だけでこの威力…この上あのバカ重いゲタを履いて同じ様な事をされてしまったら…確かに命に関わる事態になりそうだ。
「くそ…っ、覚えてろよ!!」
捨て台詞を吐いてその場を去ろうとした二人に、千歳がぎらっと挑むような視線を向けた。
「おう、覚えとくたい。今度会うたら、そん時は俺も容赦せんけん」
「〜〜〜〜!!!」
余計な事を言って墓穴を掘った男達が逃げるように去っていった後、のっぽの若者はふんと鼻を鳴らして改めて桜乃へと振り向いた。
その時には、彼の顔にはいつもの優しい笑顔が戻っていた。
「ああ、良かったばい桜乃。何処も怪我はなかね?」
「あ、はい…大丈夫です」
危機から助け出してくれた若者の労わりの台詞に、桜乃は全身の力が抜けた様に感じてほーっと長い溜息をついた。
「良かった…このまま千歳さんが遅刻したらどうなっちゃうんだろうと思ってました」
「何ね、その遅刻は確定事項みたいな言い方は」
ちょっと引っ掛かるばい、と苦言を呈した相手に、しかし少女は悪びれもせずにさらりと言った。
「だって白石さんが、千歳さんの遅刻する確率は口に出せないぐらいだから気をつけろって…」
(あん毒手男とは、一回きっちり話ばつけとった方がよかごたるね…)
アイツこそ覚えてろよ…と千歳が密かに思っていると、ナンパ地獄から解放された桜乃がまた大きな溜息をついた。
「もう…またあんな目に遭うと思ったら、安心してお洒落も出来なくなっちゃう…今度からはもう少し地味にしようかな」
「え…」
聞き捨てならない言葉を聞き、千歳が桜乃をじっと見下ろす。
制服姿でもおさげでも、会った時から可愛いと思っていた相手だが、今日の彼女を遠くから見つけた瞬間は、思わず拳をぐっと握ってしまう程に喜んでしまった。
これからまたデートを重ねる度にこの歓びを味わえると思っていたが、彼女がそんな事を言ってしまうというのは自分にとってはかなり危機!!
「いや、それはナシの方向で」
「ふえ?」
ぎゅ、と相手の手を握りながら、千歳が力説する。
「不安なら、桜乃と会う時だけは、俺、三十分前にでも来るけん! 早く来た分は、学校行く分から削っても良かし」
「削らなくていいですから学校行って下さいっ!!」
何さらりと不謹慎なコト言ってるんですか!と慌てて嗜めた少女に、千歳ははは、と笑いながらぎゅ、と相手の右腕を握った。
「まぁ、桜乃がそう言うならそれでも良かよ」
にぎにぎにぎにぎ…
「…何やってるんですか」
掴んだ腕を離そうとせず、逆に何度も握ってきた千歳に桜乃が質問すると、彼はまだ彼女の腕に注目しながら真面目に答えた。
「消毒」
「え?」
「この辺だったばいね、さっきの男に掴まれとったろ?…汚か手で握られたままにはしとけんもん」
「!!」
さすさすさすさす…ぺたぺたぺたぺた……
それからも、千歳の掌は桜乃の腕からあの男のDNAを全て除去してやると言わんばかりに擦り続け、たっぷり一分はやった後にようやく満足したのか、彼は嬉しそうに宣言した。
「消毒終わり」
「アリガトウゴザイマシタ…」
テニス以外の全てに於いては無頓着で、こだわりらしいこだわりも無いのか隠しているのか分からない男。
そんな男にとって、もしかしたら恋愛事はテニスと同じ様なものなのかもしれない…これだけの事をさらりとやって、さらりと言ってしまうんだから。
(いつもの千歳さん見ていたら、ちょっとびっくりしちゃう…ギ、ギャップ萌えって言うのかな、これって…)
ギャップかどうかは分からないけど、取り敢えず、萌えてしまったのは間違いないかも…と思いながら、桜乃はようやく恋人とのデートを始めるべく一緒に歩き出した。
Field編トップへ
サイトトップへ
続きへ