そして二人連れ立って街中を歩き出したが、彼らは例外なく全ての通行人の目を引く存在になってしまっていた。
「……目立ってますねぇ」
「ん? そうね?」
遠慮がちな桜乃の言葉にも、千歳は明らかに気付いていない様子で、都会の街並みを眺めて楽しんでいる。
「だって、みんな千歳さんの方を見ていきますよ?」
「んー?」
そう言われて、千歳は街の建物から周囲の人間達へと意識を向け、その視線の先が確かに自分であると確認した…が、
「まぁ、いつものことじゃけん」
と、あっさりとスルーし、思い出した様に付け加えた。
「桜乃がむぞかけん、みんな羨ましがっとっとよ」
「そ、そういう台詞を堂々と言わないで下さいっ」
真っ赤になって桜乃が止めたが、相手は本当に嬉しいとばかりににこにこと笑っていて、毒気すらも抜かれてしまいそうになる…まぁ元々そんなに持ってはいないが。
(…まぁ、今日は私もいるからなぁ…背が元々低い私と一緒に歩いているから、却って背の高さが目立ってるのかも…)
そう思って相手を見上げると、やはり同年代の男子、いや、同学校の男子の先輩達と比較しても、その高さは際立っている。
(…でも何だか遠い感じがして嫌だなぁ…)
折角こうして並んで歩いていても、顔と顔が遠いと、ちょっと残念と言うか心細くなってしまう。
「…あ」
そして桜乃は不意に顔を上げて、千歳に切り出した。
「あのう、千歳さん…ちょっと靴屋に寄ってみたいんですけど、いいですか?」
「ん? 良かよ、付き合うばい」
「有難うございます!」
行く当ても無くひたすらにぷらぷらとふらついて、気が向いたら何処かの店に立ち寄ってお茶にでもしようと思っていた今日のデートコースは、桜乃なりに彼の習性を考えてのものだ。
そんな少女のささやかな希望に快くオーケーを出すと、千歳はそのまま彼女が案内するのに任せて、女性靴がメインに置いてある一つの靴屋に入った。
ミュールやパンプス、ブーツなど、様々な色やスタイルの靴が所狭しと並べられており、見ているだけでも時間が潰せてしまいそうだ。
「女子の足は小さかとねー、靴がおもちゃんごたる」
「男の人と比べたら、当たり前ですよう」
千歳さんと同じ靴を履ける女性なんて想像出来ない…と返した後で、桜乃はきょろっと周囲を見回し、店の一画へと移動した。
「ん〜〜……あ、これなんかいいかも」
「…」
桜乃が棚から引き出したのは、コンチネンタルヒールのパンプスだった。
ヒールはかなり高めに作られており、八センチはありそうだ。
中学生が履くには少々不釣合いではないか?というデザインだったが、どうやら桜乃は冷やかしではないらしく、無言で見守る千歳の前で試し履きに取り掛かっている。
「ん…っと…これでよし」
靴ベラを使って両方の足にパンプスを履き、先ずは外観を確かめた後で桜乃は恋人に意見を求めた。
「どうですかー?」
「んー…」
背が高い男はよく見ようと屈みこみ、じーっと桜乃の足元に顔を近づけて暫く黙した後、ぐっと親指を突き出して答えた。
「ん、堪能したばい。ふくらはぎと足首のくびれ」
「蹴りますよ」
本気で蹴ってやろうかと思いつつもそれを抑えた少女は、羞恥に頬を染めながらもしっかり相手に釘を刺した。
「そうじゃなくて靴が似合うか聞いてるんです! ん、もう…何処かの学校の誰かさんみたい…」
「! 桜乃に俺以外でそんな破廉恥なコトをした奴がっ!?」
「されてません!…って言うか自分で破廉恥なんて言わないで下さいっ」
何となく店内の他の客達の視線を感じられる様になってしまったが、桜乃は気を取り直してゆっくりと立ち上がった。
「んー…」
そのまま静止していた少女を見ていた千歳が、くっくと含み笑いを漏らしつつ指差してくる。
「生まれたばかりの小鹿ばい」
「ええ?」
「足元ばよう見んね」
そう促して彼が指差した先、桜乃の足元は、確かにヒールのバランスを取る為にぷるぷると震えていた。
「まだ子供には早かとじゃなか?」
「むっ、そんな事ありませんってば、ちゃんと気をつけたら歩けます…」
子供と指摘されて、桜乃はちょっとだけムキになって歩き出す…が、元々運動神経もそう良い方ではなく、何よりヒール靴の初体験だった為、すぐにバランスを崩してしまった。
「はわわわわっ…!」
「…っと」
そのまま倒れ込みそうになるところを、傍にいた千歳が優しく受け止め、ぎゅーっと両の腕で拘束する。
「ふえ…っ」
「…」
軽くパニックになった桜乃が、ひょっと反射的に顔を上げると、間近で相手が自分を覗きこんでいる事に気付いてしまった。
(きゃあああああ!! ち、千歳さんの顔がこんな近くに…っ!!)
普段の身長差が激しい分、これだけ顔が近くなるという経験は初めてのこと。
しかも、今日が人生初のデートでもあり。
パニパニパニ!!と見えない心の中で大いにパニクってしまった桜乃が言葉も出せずに黙りこんでいる一方で、千歳はさして動揺する素振りもなくじっと相手を見つめていたが、やがて納得とばかりにほうと頷いた。
「…こういうコトをされたかとなら、別に靴を買わんでも」
「ぶちますよ」
こういう時に少しは気の利いた台詞を言ってくれたらいいのに、どうしてこうこの人は茶化すような事ばかり……好きになってしまった自分も自分だけど!
「ん、もう……やっぱり靴はいいです」
「ん? 買わんと?」
「背が高くなっても歩けなかったら意味ないですから」
「んー?」
靴を再び自分のものに履き替えて、店を出て歩き出したところで、千歳が興味深そうに尋ねてくる。
「さっきのってどぎゃん意味? 背が高くなってもって…桜乃は高くなりたかと?」
「そりゃあ…そうですよ。千歳さん、凄く背高いし…」
「ん…?」
「…顔、遠いし…」
「…」
ほんの少しだけ驚いた顔をして、千歳が横で歩く桜乃を見下ろすと、彼女がうっすらと頬を染めていくのが分かった。
「はは、だけんあぎゃん靴ば履こうとしとったと? ほんなごつ桜乃はむぞかねー!」
「きゃ…ち、千歳さん…!?」
だきっと思いきり抱きついてきて、そのまま頭をかいぐりかいぐりしてくる若者に、焦って桜乃が声を掛ける。
一応ここ、人の往来があるんですけど…と気にしている少女には構わず、男は嬉しそうに言った。
「そぎゃんこつせんでもよかばい。俺はちっちゃくてもでっかくても桜乃が大好きだけん、それでよかとじゃなか? 無理して合わん靴履いても楽しくなかろ?」
「う…それはそうですけど」
「じゃっとじゃっと(そうそう)……それになぁ、俺も困るけん」
「え…?」
千歳が何かを言おうとした時、突然少し離れた場所から女性の悲鳴が上がった。
『キャーッ!! 誰か捕まえて! 引ったくりよ〜〜〜〜〜〜っ!!』
「えっ!?」
何事!?と思って桜乃がそちらへと目を移すと、動揺も露に走りながら声を上げる主婦らしき女性と、その数メートル先を物凄い勢いで走る男性が見えた。
男性はサングラスをして容貌ははっきりとは分からないが、脇に、男が持つにはあまりに不自然な女性もののポーチを抱えている。
間違いない、彼が言われていた引ったくりだ!
でもどうしよう、物凄く足が速くて、今から自分が追いかけたところで間に合いそうもない…
ほんの一秒足らずの間ではそこまで考えるのがやっとだった桜乃の隣で、千歳はのんびりとした空気を崩さないまま、ひょいっと右足を上げて履いていた例の鉄ゲタを右手に持つ。
そして、まさに走り去ろうとしていた不届きな犯人の背中めがけて、思い切りそれを投げつけたのだった。
鉄ゲタである…重さ五キロである…
それが、まるで重さも感じさせないような剛速球宜しく滑空し、見事に彼の背中に直撃した。
めきょっ…!!
何とも形容し難い音と悲鳴が上がり、そのまま男はゲタに押される形でもんどりうって倒れてしまう。
数秒後には、桜乃達以外でも主婦の悲鳴を聞いていた通行人がどっと犯人の周りを取り囲み、内数人の男性達が彼をあっさりと捕まえてしまった。
「ほんなごつ都会者は弱かねー、あんぐらいで倒れとる」
「何か変な音しましたけど…」
当たった場所から言えば、肋骨が一本二本、いってしまったかもしれない…
「ま、自分に合う靴ば選ぶとが一番たい」
「千歳さんのゲタは、履物じゃなくて『凶器』でしょ…」
ああ、と溜息をつく桜乃とは対照的に、一番の功労者である千歳は相変わらず呑気な笑顔を浮かべていた。
それから警察が来て犯人は彼らに引き渡されていったのだが、千歳と桜乃も軽く事情を聞かれるなどした後に無事に解放された。
鉄ゲタをぶん投げて犯人を確保したなど前代未聞の話で、向こうも千歳の傍若無人な活躍には驚いていた様子だったが、検挙率アップの立役者と言えば立役者である。
それなりに感謝もされて一件落着となったのだが、初デートでのアクシデントとしては、残念ながらあまり色気はなかった。
「何だか、色々と忙しかったですね」
「はは、ま、退屈はせんで済んだたい」
現在関西にいる千歳は、明日にはまた学校生活が始まるということで、お別れは新幹線乗り場前の改札口だった。
駅構内に入る事は出来る桜乃も、流石にその向こうまでは見送りするのは難しい。
二人はその場に到着しても暫く名残を惜しむように留まり、言葉を交わしていた。
(もうちょっと恋人っぽいシチュとか期待してたんだけどなぁ…でも、千歳さん相手だと仕方ないかな、初めてのデートだったし…)
「…何か今、失礼なコトば考えとらんかったね、桜乃?」
流石、相手の意志を読む能力に長けている若者が、恋人の不審な思考を読み取って軽く追及してきたが、彼女はぷるるっと首を横に振って否定した。
「い、いえいえいえ…!! あ、そう言えば」
何か別の話題を…!と思ったところで、桜乃は不意に思い出した事を、これ幸いと相手にぶつけてみた。
「あの、千歳さん、あの時に言いかけてた事って…何だったんですか?」
「んん…?」
「靴屋を出た時に、千歳さん、『困る』って…私が背が高くなるのが困るんですか?」
桜乃の質問に、相手の答えは何故か歯切れが悪くなった。
「あ、あー……まぁ、それはなぁ」
ぽり…と頭を掻いて困った様子で視線を逸らした若者に、桜乃は不安げに顔を向けた。
「どうしてですか? 顔、あまり見たくないですか?」
「わー!! 違う違うっ!! そうじゃなかと!! 顔は見たかとばってん、その! 困っとよ…俺が…」
「え…?」
「…はぁ」
仕方ない、と千歳は軽く息をついた。
下手にここで誤魔化したら、後で彼女の心に変な誤解を生んでしまいかねない…それだけは嫌だ。
「まぁ…顔が近くなったら、こんな感じになるたい?」
膝を曲げ、屈む形で、千歳は桜乃の顔のすぐ傍に自分のそれを寄せた。
「は、はぁ…」
「近かろ?」
「そうですね」
「こんな近くなっとるとなぁ…」
ちゅ…
「!!」
優しく唇を奪われた桜乃が、瞳を大きく見開いて驚きを示した時には、もう相手の唇は離されていた。
「…我慢出来なくなるばい…ずーっと、何度でもしたくなっとよ」
間近で、千歳が照れ臭そうに笑う。
「はは、俺もまだ未熟たい。桜乃ん前ではどうしても格好つけたくなっと。他ん奴相手ならどうでも良かとにね…桜乃だけはどぎゃんしても自分のものにしたくて、子供みたいに我儘言いたくなって…近づくんが正直怖かとたい」
「千歳さん…」
「あー…だけん桜乃、絶対に嫌っとるって事じゃなかとよ? 誰よりも好きやけん、俺は…」
ぐいっ…!
言葉を続けていた千歳の両肩が突然下へと押され、彼はそのまま腰を屈めてしまい、気づいた時には桜乃からのキスを不意打ちで食らってしまっていた。
「…っ!?」
ぎょっとしている男の二度目のキスを奪った後で、桜乃は相手の肩口に、恥ずかしそうに顔を埋めつつぽつりと言った。
「…好きなら…していいと、思いますよ」
「桜乃…」
「…必ずまた来て下さい…私、一杯牛乳飲んで、背、伸ばしますから…また会った時には、少しでも近くなっておきますから…だから…」
最後の願いは、耳元で、微かに聞こえる程に小さな声で…
「…また、キスして下さい」
「〜〜〜!!」
テニスの真髄へと至る扉を一つ開いた時に感じた高揚感に勝るとも劣らない。
自分にもう少し理性がなかったら、きっとこのまま彼女を一緒に連れ帰ってしまっていただろう。
それでも良かったかもしれない、と不謹慎だとは分かりつつ思いながら、千歳は少女をぎゅっと抱きしめる。
「はは、何でこぎゃんむぞかっちゃろね、桜乃…俺、もう完全にやられたばい」
もう、お前を手放すことなど出来なくなった…この想いはきっと止まらず、強くなっていくだけだ。
「会いに来るけん…桜乃がどんなにちいちゃくても、絶対に見つけて離さんけんね…待っとって?」
「はい」
恋人達は暫しの別れを惜しみつつも、再び会えるその時を待つ喜びを胸に、甘く優しい抱擁を交わしていた。
了
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