二人っきり
米国から日本に渡り、色々とあったものの、取り敢えず桜乃は二卵性双生児の兄であるリョーマと同じ青春学園に通うことが決定した。
向こうでは制服などの概念が薄く、私服での通学が当たり前だったので、二人は最初こそその制服の着こなしに多少苦慮していたところもあったらしいが、一週間程もするとかなり馴染んできた様子だ。
「日本の学校ってみんな仲良い雰囲気なのは間違いないんだけど、アメリカと比べたらやっぱり何か違うねぇ、リョーマ」
「ま、人種も風土も違うからさ、当然じゃない? 向こうは最初っから人種のるつぼ状態だったじゃん」
「そだねー」
その日、桜乃はちゃんと家人の朝ごはんを準備し、弁当を作るという普段の仕事をきちりとこなした後で、兄のリョーマと一緒に登校していた。
青春学園からある程度の距離はあるものの、徒歩通学の範囲内には十分に収まる場所なので、彼らはとことこと歩道を歩いて行く。
その経験もまた二人にとっては新鮮なものだった。
「学校もこんなに近いしね、向こうで通学って言ったらバスだったし」
「俺はたまに自転車だったけど」
「それはリョーマだから出来るんだよ。私なんか自転車通学なんてしたら、絶対に辿り着けなくておまわりさんに連絡行っただろうなぁ」
「只の迷子か行き倒れでね」
「む〜〜〜」
相変わらず辛辣な兄の台詞に、桜乃は唇を尖らせたが真っ向から否定は出来ない。
事実、もし自分がトライしていたら、彼の言葉がほぼ現実になっただろうと本人も予想出来てしまうからだ。
兄の越前リョーマは、まだ中学一年生の身ながらアメリカでのジュニアの大会で複数回優勝の経験があるスーパールーキー。
毎日プロテニス選手だった父のしごきを受けて、今現在も絶賛成長中のテニス少年…いや、良い意味でのテニスバカと言ってもいいかもしれない。
対する妹の桜乃は、今でこそ普通の日常生活を送れているものの、幼少時にはかなりの虚弱体質で、屋内で生活することが殆どだった。
そんな、小さい頃からのライフスタイルがかなり異なっていた二人は、その所為もあってか双子でありながら性格も随分と異なっている。
片や兄のリョーマは生意気で強気、意地悪ではないのだがややクールな一面がある、「ノー」と言えるアメリカ人寄り。
片や妹の桜乃は内気で引っ込み思案で若干消極的な性格で、人に頼まれると断れない人の良さがたまに仇をなしている…典型的な日本人気質だった。
「でもリョーマだって、自転車で通学した理由ってお父さんにボロ負けした後のストレス解消手段だったじゃない。妙なところで負けん気燃やすんだから」
「いいじゃん、ちゃんと授業には出たでしょ」
「それはそうだけど…」
「あ、越前さん」
二人が何気ない会話を交わしている間に、別の誰かの声が割り込んでくると同時に、一人の男子学生が彼らの方へと後ろから走ってきた。
「え?」
「?」
越前「さん」と呼ばれたということは、おそらく桜乃の方へと呼びかけたのだろう事は二人とも同時に察しはついていたが、リョーマも何事だろうと彼女と同じく足を止めて振り返る。
近づいてきた生徒は二人のクラスメートだったが、まだ新学期始まり間もないので、然程親しい訳ではない。
「えーと…後藤君、だよね、お早う」
覚えたばかりの名字を確認しながら桜乃が挨拶をすると、向こうも軽く手を上げてそれに応えつつ、早速呼びかけてきた理由である用件を切り出した。
「はよう。ねぇ、いきなりで悪いんだけどさ、今日の日直変わってくれない?」
「え?」
「俺ちょっと都合があってさ、準備とかあるし頼むよ」
「え、え…」
頼むという割には有無を言わせぬ強引な口調で迫られ、桜乃が軽く困惑してきょろっと視線を宙に彷徨わせていると…
「ダメ」
桜乃ではなく、リョーマの声が相手の頼みを一刀両断した。
「え?」
今度は向こうの男子が困惑した顔で部外者のリョーマに反応したが、彼はつーんとした顔で目を伏せており、視線すら合わせないまま繰り返した。
「今日は桜乃は忙しいからダメ。ウチの家事頼まれてるんだ…だよね」
「う…うん」
兄に問われ、その通りだと桜乃が戸惑いながらも頷くと、兄は改めて相手の生徒を軽く見遣りながらきっぱり断言した。
「こっちにも都合があるからさ、悪いけど他の人当たってよ。桜乃以外にも人はいるでしょ?」
「わ…分かった、じゃあ」
ここまで断言されると取り付く島もなく、向こうの生徒は二人を追い越す形で離れていってしまった。
その相手の背中が見えなくなるかというところで、桜乃がリョーマに顔を向けて何かを言う前に、兄の方が先手を打った。
「相変わらず隙だらけだね、桜乃。ああいうのはびしっと断らないとさ」
「で、でもぉ…本当に困ってたら気の毒だし、家事はお母さんと分担してるから…」
「ダメ」
またも断言して、リョーマはすたすたと見えてきた学校の校門に向かって歩を進める。
「下手に家事分担したら、夕食の準備、お母さんになっちゃうだろ。そうなったら絶対に洋食になるし」
「あー…そっちの心配でしたか」
純和食を愛する兄の思惑を察して桜乃がうんうんと頷く。
二人の母親も純粋な日本人だが、味の好みは洋食に傾いているらしく、彼女が采配を揮った食事はほぼ洋食物になるのだった。
なので、リョーマ的には献立について非常に干渉し易い、妹の桜乃に実権を握っていて欲しいというのが本音なのである。
尤も、それだけが理由で彼が妹を庇い、守っている訳では当然無いだろうが。
そして、二人が校門をくぐったところで、また誰かの声が掛けられた。
「あ、おチビだ」
「越前、お早う」
「菊丸先輩、河村先輩」
「!」
今度は、声は桜乃ではなくリョーマへと掛けられたものだった。
振り返った二人が見た先には、リョマと同じ制服を纏った、年長組の二人の若者がテニスバッグを抱えている。
三年の菊丸英二と河村隆だ。
桜乃にとっては学年上の『先輩』という枠に位置する二人だが、リョーマにとっては加えて最近彼が入部した青学男子テニス部の『先輩』でもある。
もっと砕けた関係だと『仲間』とも呼べるのかもしれないが、何しろ入部したばかりのルーキーである事に加え、早速入部早々に二年生の先輩をひと悶着を起こしたばかりの若き侍は、まだ相手方をそう看做す程には心を開いてはいない様子だ。
これもまたアメリカという国で育った影響なのかもしれないが、菊丸と河村は特にそういう相手のスタンスについてどうこう言うつもりはないらしい。
元々優しい性格の二人は、警戒する猫の様な新入生にも気さくに朝の挨拶をすると、彼と隣の桜乃を交互に見遣った。
「今日も揃って登校か〜、仲良いんだにゃあ、二人とも」
にこにこと笑いながら呼びかけてくる菊丸も、越前と同じく猫の様な大きな瞳を持っており、行動も何処と無く猫っぽいのだが、人懐こさについてはリョーマよりもかなり上である。
「別に、ついでッスよ」
「こらこら越前」
つーんとつれない返事を返すリョーマに、どちらかと言うと桜乃に気を遣って河村が嗜めたが、桜乃はいつものことですとあっさりと笑った。
「リョーマお兄ちゃん、いつもこうなんですよー」
「にゃははは、噂に違わぬツンデレっぷりだねぇ」
「噂って、何スかそれ」
「何って…」
憮然として聞き返す後輩に、菊丸が応えかけたところで、はた、と何かを思い出し、くるっと桜乃の方へと顔を向けた。
「桜乃ちゃん…だったよねぇ、ちょっと時間ある?」
「はい? ええ、まぁ…」
元々、リョーマ達はテニス部の朝練に合わせての登校であり、別に活動に関係ない桜乃は確かに時間はあるだろう。
その返答を見越していた様に懐っこい先輩は少女に誘いを掛けた。
「んじゃあさぁ、ちょっちウチで遊んでいきなよ〜。不二と手塚も来ているだろうしさ、君がここに来ることになったのってあの二人も関わってるんだって? 君が行ったら彼らも喜ぶんじゃないかなぁ」
「ふぇ…?」
「んな…っ!」
菊丸の案を聞いたリョーマが顔色を変えて絶句している間に、桜乃は出された二人の先輩の名から彼らの姿を連想していた。
実は、菊丸の言う通りだった。
まだ青春学園に入学する以前、ちょっとした兄との気持ちの擦れ違いに傷心していた桜乃は、二人の若者と会い、とても世話になった過去があった。
その二人というのが、何を隠そうこの青学の男子テニス部の中でも化物並みの強さを誇ると言われていた手塚国光と不二周助なのである。
二人がいてもいなくても桜乃の帰結する場は変わらなかったかもしれないが、事を早く収束させるのに彼らが貢献したことは間違いない事実であり、その過去以来、桜乃は彼らに大変感謝していた。
言わば、入学する前からの、初めて出来た『先輩達』なのだ。
その彼らに久し振りに会えるということで、桜乃は当然菊丸の誘いに即座に乗った。
「いいんですか!? お二人ともとても忙しいでしょうから、お邪魔なんじゃないかって思ってて…」
「今なら問題ナイナイ! まだ始まる前だしさ」
話があっさりと進んでいく脇で、出遅れてしまったリョーマが恨みがましそうに呟いた。
「別に会っても話すコトなんかないのに…」
「そんなコトないよぉ? あの不二が珍しく君らがウチ(青学)に来た時は嬉しそうにしていたしね」
「そうなんですか? 不二先輩はいつも朗らかに笑ってらっしゃるから…」
「いやいや〜、親しくなればその違いも分かってくるものなんだって」
ちっちっち、と舌を鳴らしつつ指を振り、菊丸が解説していると、苦笑した河村が割り込んできた。
「不二が優しいのは確かだけどね…けど、いつまでもここでだべってる訳にもいかないだろう? 行くなら早くしないと」
「そうだにゃ、じゃあおチビも桜乃ちゃんも一緒においでよ」
「その呼び方、止めてほしいッス…」
結局、桜乃がついて来る事を止められなかったリョーマは、せめてもの仕返しとばかりにささやかな反抗を見せつつ、先輩達と共に部室に向かったのである。
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