夏を待つ花


「ぬーそーがんだ(何してるんだ)? 永四郎」
 その日、秋も過ぎた頃の比嘉中の教室で、三年生の甲斐が同級生の木手に呼びかけていた。
 彼らは同じテニス部に所属しており、部長と部員の間柄でもあるが、普段の学校生活の中では良き友人同士でもある。
 それは二人だけに限ったことではなく、他の部員達にも共通して言えることであり、彼らの友情の深さがテニス部の強さにも反映されている。
 その内の一人である甲斐が相手の教室を訪れた時、彼は何故か各航空会社の飛行機の時刻表を真剣に眺めており、不思議に思うのは当然だった。
「冬休みの計画を少々…ちょっと気になるイベントがありますのでね」
「イベント?」
 相手に答えながらも、時刻表からは視線を外さずに木手が答える。
「関東で大きなテニス選手権があるんです…ちょっと興味がありますから、休みを利用して行ってみようかと」
「へぇ…東京?」
「ええ、そうですね。どうせもう進学先は決まっていますし、受験勉強する程に危なっかしい成績でもありませんから」
「ふーん…参加すんばっちーはたーがうぃが(参加する面子は誰がいる)?」
「こちらが、その大会の詳細情報になります」
 甲斐の続けての質問にも、そつなく部長は時刻表の下に控えていた一枚のプリントを差し出した。
 どうやら公式のホームページから引っ張ってきたものの様だ。
「どれ……ふぅん?」
 それを渡された甲斐は、じっとそのプリントを見ていたが、徐々にその瞳に強い興味の光が宿ってきた。
「うおお、うむっさぎさーやんやー(面白そうだな)! 俺(わん)もいちぶさん(俺も行きたい)!」
「? 甲斐君もですか?」
「まじゅんんじいい(一緒に行っていい)?」
「……それは別に構いませんが、自分の旅費はもって頂きますよ?」
「分かてぃるって」
 東京とここ沖縄は結構な距離がある。
 電車一本で隣の町まで、みたいなお気楽さで出かけられる様な処ではない。
 無論、それなりの費用も掛かることであり、木手は当初自分一人だけの小旅行になるとばかり思っていた。
 しかし別に断る理由もなかったので、彼は何も思うこともなく、そのまま相手の要求を受け入れた。
「ふむ…では宿泊予定のホテルの部屋はツインで取りましょうか、その方が多少安上がりになりますし…」
「うんうん」
 そして彼らは、休憩時間中に着々と東京行きの計画を進めていたのだが…


「えー! 俺にんいちゅん(俺も行く)!」
「……俺にん(俺も)」
「まーさぬんぬがあいびーがやー?(美味しいものはあるのか)?」
 放課後に、三年のテニス部レギュラーが集まった折、甲斐以外のメンバーからもこぞって参加表明が上がったのである。
 平古場凛、知念寛、田仁志慧の三人の参加希望を前に、大幅な予定変更を余儀なくされた木手が、やれやれと溜息をついた。
「…結局、いつもの面子が揃いましたか」
「いーじゃん、皆で行った方が楽しいし」
 陽気な平古場が、既に行く気満々で楽しそうに言う。
 テニスの試合観戦もそうだが、久し振りの東京、流行の最先端を見るには絶好と機会だと思っているらしい。
「あまり長居は出来ないんですけどね…前日は多少の自由時間はありますが、翌日の試合観戦が終わればもうその足で帰るんですよ」
「ま、ホテル代もバカにならいからなー」
 甲斐は少し残念そうだが、それも仕方ないと納得する。
「かみーむぬがかみーられたら別にしむしが(食いモンが食えたら別にいいけど)」
「貴方、何の為に東京に行こうと思ってるんです」
 田仁志が自分の欲望に忠実な台詞を述べて、木手から突っ込みを受けている間に、ふと、思いついた様に平古場がぽんと手を打ちながら話題を変えた。
「そう言えば…東京って言ったら、あぬひゃー(アイツ)もいるじゃんか。ほら、夏休みに来た…」
「あー、あの迷子娘か」
「竜崎さんでしょう。そういう言い方は止めなさいよ、甲斐君」
「……」
 知念が沈黙を守る中で彼らの話題の中に出てきたのは、都内の中学校である青学の一年生の竜崎桜乃であった。
 青学はかつて比嘉と戦ったテニス強豪校であり、その顧問が桜乃の祖母であったという関係もあり、彼女は今年の夏に比嘉のメンバー達と短いながらも交流する時間を持つことが出来た。
 まぁ、一番の原因は彼女の類稀なる方向音痴の才能だったのだが。
 とにかく、その出会いを切っ掛けとし、彼らは大会中は応援席という遠くの場所にいた彼女と少しだけ距離を近くし、過去のしがらみと決別する事が出来たのだった。
 その為もあって比嘉のメンバー達は、他の本土の人間よりも桜乃には多少、心を開いている。
「そうそう、あぬひゃーもちゅーんがやー(アイツも来るかな)? 青学もんじーるがやー(出るんだろ)?」
「まぁ、彼らも研究対象になってますからね」
 平古場の言葉に淡々と部長が答えると、甲斐がんーっと期待を込めた目で青空を見上げる。
「いちゃららんかなー(会えないかな)」
「彼女は来るかもしれませんが、会うのは難しいでしょう。おそらく青学の応援に来ているのなら、御祖母様が準備された席で観戦するでしょうし…そもそも甲斐君、彼女の連絡先、知っているんですか?」
「あ…そっか」
 夏休みに仲良くはなったが、あくまでもあの時は迷子になっていた彼女を助けたというだけだったから、そんな連絡先を教えるなんて事、考えていなかった。
 向こうに、自分達が東京に行くなんて事、教えなければ気付く筈もないし…
「そっか…ちょっと残念」
「まぁ、下手に気を遣わせても申し訳ないでしょう」
 平古場達ががっかりしているのを木手が苦笑しながら慰めている少し向こうでは、相変わらず無口な知念が自身の携帯を取り出して何やらボタンを弄っていた。
 彼は最近念願の携帯を手に入れてから、よくそれを弄っている姿を見かけていたので、別に他の部員の誰も気にしていない。
「…ぬーそーがんだ?」
「……メール」
「ふーん」
 唯一、田仁志が隣で相手を横目で見ながら尋ねたが、それにも相手は淡々と返事を返すのみ。
 しかし相手も、それだけの相手の返事で満足したのか、それ以上深い事は尋ねようとしなかった。
 そうしている間に、知念はメールを送り終わったのか、ぱちんとそれを閉じてポケットの中にしまい込む。
 その画面が閉じられる瞬間、そこに記されていた送り先の名は、『竜崎桜乃』と記されていた……


 そして、あっという間に時は過ぎ、彼らは無事に飛行機を使い、東京の地に降り立っていた。
「……どぅーてー(身体)が鈍った」
 乗っている間の時間は二時間足らずというものだったが、それでも甲斐が疲れた様子で肩を回しており、その隣では恨みがましそうに平古場が田仁志を見ていた。
「やっぱ長さんなー…寝ようにも田仁志のいびきが凄くて…田仁志、いやー(お前)、もう少し痩せろ」
「飢えて死ぬ」
 彼らは今、手荷物受け渡し場所で自分たちの荷物を受け取り、いよいよ出口をくぐったところである。
「…さて、では東京を軽く見て回りましょうか…ん?」
 全員を確認して計画を実行しようとしたところで、木手は知念の怪しい行動に注目した。
 何やら、せわしなげに辺りをきょろきょろと見回している。
 確かに二度目の上京であり、まだ物珍しい景色ではあるだろうが、あの男があんなに落ち着きない動きをするのも珍しい。
「知念君、どうしたんですか、行きますよ?」
「……あ」
 促されたのと、知念がぽつりと呟くのと同時に、彼はある一点を指差した。
「ん…?」
 何だ?と他のメンバー達がそちらへと注目すると…
「あー! 比嘉の皆さん!!」

『!?』

 見覚えのあるおさげの少女が、嬉しそうに手を振りながらこちらに駆け寄ってくるところだった。
「えええっ!?」
「竜崎さん!?」
 紛れもなく彼女が竜崎桜乃であることを確認した知念以外の男達は、皆一様に驚いていたが、その間に桜乃はぱたぱたと彼らに駆け寄り、すぐ傍に来たところで立ち止まりつつ深々とお辞儀をした。
「長旅、お疲れ様でした皆さん! またお会い出来て嬉しいです」
「……?」
 『誰が呼んだの?』と言う様に田仁志が辺りを見回してみても、木手や平古場は言葉もない。
 当たり前だ。
 桜乃には会える筈もないだろうと、いつかの日もそう自己完結で終わっていたのだから。
 なのに、何故か彼女は自分達が東京を訪れる日を見計らった様にここに現れた。
 一体、何があったのか…?
「え、えーと…ひっ、久し振りだけど…何でここに?」
 驚きつつ甲斐が標準語を交えてそう尋ねると、桜乃は逆に不思議そうな顔で首を傾げた。
「何でって…皆さんがいらっしゃると聞いたので、折角ですからお出迎えしようと思ったんですけど」
「へっ? だっ、誰からそんな話…」
「え…?」
 更に重ねられた質問に、桜乃がじっと視線を移した先は…

『……』

 何の悪びれる様子も見せず、同じくじーっと桜乃を見下ろす知念だった。
「…知念君?」
 まさか、と思いつつも最早それしか考えられないと、木手が相手を呼んで確認する。
「君、竜崎さんに何か連絡を…」
 最後まで言い切る前に、知念がひょいと自分の買ったばかりの携帯を開いて見せ、その画面にはばっちりと桜乃からの返信メールが映っていた。
 その途端…
「いやー(お前)! わったーにぬーんあびらんぐとぅーっ(俺達にも何も言わねーでよ)!!」
「ずるいあらんがやー(ずりーじゃねーか)!」
「……」
 甲斐と平古場がぶーぶー言いながら相手に組手を仕掛けたが、向こうは向こうでひょいひょいと難なくそれをかわしてゆく。
 意外に、無口で目立たないながらも、知念の格闘に関する才能は比嘉のメンバーの中でも秀逸なのかもしれない。
「……もしかして、皆さんには私が来る話、いってなかったんですか…?」
「知念は口下手と言うか極端に無口やくとぅな。悪い人間やあらんしが」
 まぐまぐと手持ちのお菓子を食べながらフォローを入れる田仁志に、桜乃は苦笑いを浮かべつつ頷いた。
「それは知っています。夏にも助けて頂きましたから」
 相変わらず寡黙な一人と賑やかな二人の組み手は続いており、周囲の一般人の注目を集めているのを木手は渋い顔で見守っていたが、遂に我慢が効かなくなったらしい。
「甲斐君、平古場君、やめておきなさいよ。あまり目立たないで下さい」
「やしが、知念がぬーん言わあいびらんたぐとぅーっ(だって知念が何も言わなかったから)!!」
 平古場が言い返すが、それに対して知念はぼそりと一言。
「ぬーん聞かれねーらんたんし(何も聞かれなかったし)」
「聞かあらんだれー一生いやーぬわたぬ中か(聞かなきゃ一生てめーの腹の中かいっ)!?」
「いい加減にしなさいっ!!」
 完全に比嘉中メンバーの「おかん」になってしまっている木手が一喝したところで、一応はその場の収拾がついた。
「すみませんね、竜崎さん。見苦しいところを」
「いえいえ、相変わらず見事な腕前で」
 のほんとした少女が三人の身体能力を褒めていたところで、知念は思い出した様に自分の手持ちのバッグからごそごそと何かを取り出して、桜乃にひょいっと差し出した。
 掌から少しはみ出る程の大きさの白い化粧箱。
「? 何ですか?」
「…お土産」

(何を抜けぬけとこの野郎〜〜〜〜〜っ!!!)

 桜乃が来ることが分かっていたら、自分達だってそれなりに準備したのに!!
 これじゃあまるで俺達が不調法者じゃねーかっ!!
 再び、他のメンバーの一部からゴォッ!と怒りの炎が再燃…したところで、
「全員から」
「まぁ、有難うございます! わざわざお気遣い頂いて…」

『……』

 知念のフォローにメンバー沈黙。
 そんな話はなかった筈なんだけど…?
「開けてみてもいいですか?」
「…」
 嬉しそうに尋ねる桜乃に、こっくりと頷く知念。
 そして、何の事だか分からなくなっている他のメンバー。
 実に微妙な空気が流れている中で、すぐに少女の小さな悲鳴が響いた。
「きゃあ! 綺麗な髪飾り…これって、牡丹ですか?」
「ああ」
 桜乃が箱を開けて取り出したのは、鮮やかなガラス細工の髪飾りだった。
 牡丹を象ったそれは、しかし小振りな大きさで、重さも大したものではないだろう。



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