「赤が映えてとても綺麗ですね…でも、沖縄って言ったら何となくハイビスカスのイメージですけど」
素直な少女の感想に、集まってきたメンバーが髪飾りを覗き込む。
「まー、そうだろうけどな。けど、琉球舞踊の時に差す前花も、大体は椿か牡丹なんさ」
平古場が飾りを指差してちょっとした豆知識を披露すると、桜乃はなるほど〜と頷きつつ、手にした飾りをじっと見つめた。
「…折角頂きましたから、差してみますね」
彼らと会える時間が短い分、見せられる時に見せておこうと思ったのだろう、桜乃はきょろっと辺りを見回して、化粧室を見つけると全員に振り向いた。
「すぐに戻りますから、少しだけ待って下さいませんか?」
「ええ、それは構いません、ここにいましょう」
木手が笑ってそう答えると、彼女は安心した様にそちらへと消えて行った。
そして、男達だけになったところで、田仁志が知念に早速質問。
「…いちぬ間にあんなもの、準備してたんだよ」
「昨日」
「いやー(お前)はいちゃし(どうして)肝心なコトまで何も言わないで…」
答えた知念が、今度は自身の財布から一枚のレシートを取り出した。
「…一人七百円」
どうやら、あの髪飾りの代金の分割を申し出ているらしい。
まぁ全員からと言うのなら、それも当然の話。
「ちゃっかりしてんな〜」
ダブルスの相棒である平古場がそう評したが、お土産代としてはまぁ妥当なところだと判断し、特にメンバーからは文句も出ることなく全員分の徴収は問題なく果たされた。
「…で、竜崎さんにあれが似合うかどうかですが…?」
「まっとーばあびーんと(正直言うと)、いーぐわー(ちょっと)飾りが大きいかなって気がする」
流石にファッションには少しうるさい平古場が、贔屓目なしの批評を述べた。
「まぁ似合わないってコトはないだろうけど、おさげでまとめている髪にあれをそのまま飾ったら、寧ろ不自然に強調されるかもな」
「うーん、あびらりてぃんちゃれー確かに(言われてみたら確かに)…もうちょっと小さいのはなかったのか? 知念」
「…来た」
「え?」
甲斐には答えず、代わりに彼女が去っていった方向を示した知念に、メンバーが反応してほぼ同時にそちらへと目を遣り…ほぼ同時に言葉を失った。
「すみません、お待たせしました」
化粧室からぱたぱたと小走りにかけてきたのは間違いなく桜乃。
しかし、そのヘアスタイルは元のおさげではなく大幅にイメージチェンジしていた。
解いた髪を素直に遊ばせつつ、左サイドの髪をかきあげる形で後ろに持っていったところで例の髪飾り。
てっきりおさげのままで来るかと思っていた男達にとっては意外なスタイル。
しかし…今までの地味な印象は完全に払拭されていた。
髪を遊ばせることで飾りの大きさとのバランスを取り、左側に付けた飾りの鮮やかな赤が黒髪に映え、程よく目を引くアクセントになっている。
それに、髪が解かれた桜乃は確かにまだ少女という枠を出てはいないが、ほんの少しだけ色気を増した様な印象を受け、正直、おさげの時より何倍も可愛く見える程だ。
顔かたちは一切変わっていないのに、髪形が変わるだけで印象がこうも変わるとは、比嘉のメンバー一同、誰も思っていなかったに違いない。
「え……ええっ!?」
マジですか!?といった表情で桜乃を見る甲斐は、まじまじと相手を見つめて本人であるか確かめようとしている。
「へぇ〜…大したもんさ」
「これは…驚きましたね」
平古場や木手も冷静さは失ってはいないが、正直に驚いた気持ちを素直に言葉に乗せた。
「おさげだとちょっとバランス悪かったから解いちゃいました。変じゃないです?」
「いやー…器用なもんだな」
心配そうな桜乃に田仁志は少し外れた答えを返したが、うんうんと感心したように頷く姿から、少なくとも失笑を買うような姿ではないと安心したらしく、彼女は胸を撫で下ろす。
「良かった…じゃあ、このままにしておきますね」
そして、知念に振り返って嬉しそうに笑った。
「有難うございました、知念さん、皆さん」
「気に入ったなら、良かった」
「はい!」
その時、知念はほんの少しだけ笑みを浮かべると、すぐにそれを消して木手に向き直った。
「…何処に行く?」
「ああ、そうでしたね…一応、皆が行きたい場所からルートは考えていますが…そう言えば竜崎さんはこれからどういうご予定なんですか?」
リーダーの言葉に、桜乃は軽く手を上げながら申告する。
「全部は難しいかもしれませんが、有名な街とかなら、或る程度はご案内出来ると思います。そのつもりで来たんですけど…」
「……ふぅむ」
何故か…数秒間考え込んだ後に、木手はこくんと頷いた。
「…では、お言葉に甘えるとしましょうか。大体はよく知られた場所ばかりですから、そうご面倒をかけることもないでしょうし…ああ、帰りはせめてご自宅までお送りしますよ。皆も構いませんね?」
異論なく皆が頷いて答えると、それから全員はぞろぞろと交通機関を利用するべく歩き出したが、その中でこっそりと平古場が木手に尋ねた。
「何か、永四郎、今さっき悩んでたよな? 別に彼女が気に入らない訳じゃないんだろ?」
「当然でしょう? 嫌っていたら速効この場でさよならです」
(本当に遠慮ないよなウチのリーダー…)
思いつつも、お菓子を頬張ることで誤魔化した田仁志が沈黙を守る間に、木手は目を伏せながらメンバー達だけに聞こえる様に一つの忠告を行った。
「それよりも皆さん、今からはすぐに身体を動かせる様にしておきなさいね…実戦だと思っていた方がいいですよ」
「…はい?」
「何で?」
答えは、その日の内に明らかとなった……
「今日は色々とご案内頂き、有難うございました」
「いいえー、少しでお役に立てたなら何よりです」
それから、桜乃は比嘉メンバー達と一緒に都内のあちこちを巡り歩き、彼らの買い物に付き合って、非常に楽しい一時を過ごすことが出来、無事に自宅前へと送り届けられていた。
確かに、楽しい一時だった…のだが…
「皆様には、却ってご迷惑をお掛けしてしまった様な…」
「ああ、軽いさ、あんな奴ら。腕前も体重もなー」
「俺達は楽しかったけどな、久し振りに堂々と暴れられて」
「田仁志君、甲斐君、あまりそういう事は言わない様に」
こほん…と咳をしつつ、木手は彼らの発言を諌めると、改めて少女の全身を見下ろした。
「まぁ、貴女に変な害が及ばなかったのは何よりです。同行してもらう以上、守る義務は我々にありますからね」
「はぁ…」
そう言われはしたが、桜乃はまだ少し困惑している表情だ。
その脇では平古場が知念と一緒に指を折って何かを数えていた。
「えーと…俺は確か三人ぐらいシメた…いやーも確か電車で痴漢追い回してたよな。最後泣いてたけど、向こう」
相手の問いに知念はこっくりと頷き、平古場はそれから他の全員を見回した。
「ま、俺ら全員で結構な数の野郎をのしたけど…永四郎ってこういう読みも凄いよなぁ」
その一言に、知念は再び頷いた。
彼は何を読んだのか…答えは『桜乃が危険に遭遇する可能性』
木手があの謎の台詞をのたまってすぐに、彼らの都内散策と桜乃守護行脚が始まった。
おさげだったら、まぁそういう心配はそれ程しなくても良かったのかもしれない。
しかしあの格好の桜乃は、道々で不届きな男どもの格好の餌食になりかけていたのだった。
痴漢が狙うのは、確かに相手の容姿も関係あるが、もう一つ重要なポイントがある。
それは『隙のありそうな女子』。
おさげという地味アイテムを外し、代わりに鮮やかな髪飾りを着けた、根っからのほわほわ娘である桜乃は、痴漢達の絶好の標的となるだろう事を木手は真っ先に見抜いたのだ。
あのまま彼女を一人にしていたらどうなっていたか…それは彼らが今日一日でシメた男達の数が如実に示していた。
「けど、今日は入れ食いだったよな、次から次へと獲物が…」
「ああ、地元じゃもう俺達、大概面が割れてるからなー。警戒しやがって面白くねーっての」
「……」
素直に礼を言っていいものかどうか、一瞬桜乃は迷ったが、ここは黙って相手方の気遣いに感謝することにした。
「今日は私もとても楽しかったです…明日は皆さん、大会を観戦なさった後でお帰りですか?」
「ええ、明日の遅い便を取りましたが、それでもギリギリでしょうね」
「そうですか…じゃあ、明日も待ち合わせしませんか?」
「え?」
桜乃の申し出に、木手だけでなく全員が、ん?と注目する。
「大会は私も行く予定ですから、宜しければ一緒に観戦しましょう。試合の合間に色々と教えて頂けたら嬉しいんですけど…ダメですか?」
「いや…別に断る理由はありませんが…」
どうしましょうか?と他のメンバーを見遣ったら、向こうは全員でうんうんうんと激しく首を縦に振っていた。
多数決では、もし自分が否決をとっても勝ち目はない…とるつもりもないが。
「…構いませんよ」
「わ! 嬉しいです!」
そして結局彼らは、翌日もこの娘と共に行動し、彼女のボディーガードをする事に落ち着いた。
ホテルでささやかな休息を取り、翌日は約束通りの時間と場所で彼女と待ち合わせると、相手は昨日と同じ髪飾りを付けてくれていた。
更に、会場に到着すると、桜乃は予め持っていた複数のチケットを木手達に渡したのである。
優待席のチケットだった。
聞いてみれば、昨日の彼らのボディーガードのお礼ということで、彼女の祖母が持っていたそれを譲ってくれたらしい。
これについては、期待どころか考えにも及んでいなかった比嘉メンバー達にとっても、大変な贈り物となった。
そして桜乃は青学の生徒達とではなく、沖縄から遠路はるばる訪れた男達との観戦を望み、そして最終戦までずっと共に過ごしたのだ。
彼らからテニスの技や出すタイミングなどを教えてもらいながら、桜乃はとても充実した時間を過ごし、比嘉の男達もまた、試合から望んでいた新たな情報を得ることが出来たのだった。
誰もが心を満たした時間だった。
そして試合が全て終了し、男達の最大の目的が果たされた後には、再びの別れが待っていた。
「空港まで、行かなくてもいいんですか?」
「ええ、貴女はこのまま、お祖母様と一緒にお帰りなさい」
空港まで送ろうとする少女を、比嘉の一団は頑なに止めた。
彼女一人で見送りに来ても、今度は帰りに守ってくれる騎士達はいなくなってしまう。
そう考え、彼らは大会の会場で桜乃と別れの時を迎えていた。
「……」
彼らの意志を受け取った桜乃は暫く俯いて沈黙していたが、やがて自分の鞄から、白い何かを取り出すと、そっと男達に差し出した。
見た目、柔らかな布の様な…いや、様な、ではなく布だ…ハンカチ?
「今からの季節だと、マフラーとかがいいのかもしれませんけど、時間なくて…皆さんは沖縄の方ですし、あまり使われる機会がないかなって思って…」
言いながら、桜乃は一人一人に一枚ずつそのハンカチを渡していく。
純白のそれは、しかしよく見るとそれぞれに異なる、唐草紋にも似た幾何学模様の刺繍と彼らの名前が丁寧に縫い込まれていた。
「…貴女がこれを?」
木手の質問に頷き、桜乃は顔を上げる。
「以前、沖縄に行った時、沖縄の方々って凄く綺麗な汗をかくんだなって思ったんです。何か、その時の印象が凄く記憶に残っていて…皆さん、テニスをしたら汗をかくでしょう? どうか使って下さい」
全員が沈黙してしげしげと自分が受け取ったハンカチを見つめていたが、誰ともなく大事そうに握り締め、彼女に一礼を返した。
「有難うございます」
「気持ちいいな。これ」
「にふぇーでーびる(有難うな)」
「大事にするさ」
「…ちゅらさん(綺麗だ)」
木手を始めとする全ての若者が礼を述べ、嬉しそうに笑った。
「えへ…」
喜んでもらえたことで、桜乃も嬉しそうに笑ったが、その表情がふと寂しげに曇る。
「…沖縄って…遠いですよね」
男達が言葉に詰まって沈黙している間に、桜乃は慌てて自分のハンカチも鞄から取り出して目頭を押さえた。
「すみません…私の方がハンカチ先に使っちゃうなんて…」
いけませんね、と笑いながらも、彼女の瞳から溢れる涙がハンカチの向こうに見えた。
牡丹の花弁に光る露もかくやと思わせる、澄んだ涙だった。
「竜崎さん」
声を掛け、木手は桜乃の肩に手を置いて静かに言った。
「私達は、また夏に必ず来ます…今度は高校生という立場ではありますが、必ず」
「木手さん…」
「二度とあんな手は使わず…今度は本当の実力だけで、ここに来る事を約束します。夏など、この冬が過ぎてしまえばすぐに来る…泣くことはありませんよ」
「そーさ、またすぐに会えるって、泣くなよ、竜崎」
甲斐も、おどけるように木手に続いて桜乃を慰めた。
「あの生意気小僧にも言っとけ。いつかまた戦う時は今度こそお前の負けだってな」
越前に敗れた雪辱を果たすべく、田仁志も既に次の舞台を見据えている。
「また遊びに来る時は教えるさ。いやーも沖縄来る時は教えろよ、案内してやるから」
「……」
平古場が促した後には、知念が無口のままに、しかし少女の頭を優しく撫でた。
「…はい」
別れても、また会える…
彼らが約束してくれるなら、きっとそれは破られることなく果たされるのだと信じて、桜乃は涙をおさめると、改めてお辞儀をして別れを告げた。
「皆さん、どうか気をつけて帰って下さいね…夏が来るのを、楽しみに待っています」
その言葉を胸に、比嘉の男達は桜乃とその場で別れた。
鮮やかな、冬に咲く牡丹を髪に差し、去ってゆくその姿も花の様な人。
彼女が見えなくなって、ようやく彼らは身体の自由を取り戻したように動き始める。
「あーあ、いい子だよなー」
平古場の声が飄々と響き、甲斐が知念の脇を肘でつつく。
「いやー、あぬひゃー(アイツ)のメルアド、俺らにも教えろよな」
「まさか、お土産まで持たされるとはね」
そして誰からともなく、皆が再び渡されたハンカチをじっと見つめ…声には出さないが、同じ事を思った。
(勿体無くて使えない)
そして彼らは空港へ向かい、無事に沖縄へと戻り…
約束を果たすべく、新たな決意を胸にラケットを握った。
次の夏…それはすぐに訪れる…彼女との、再会の時も…もうすぐだ。
了
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