夕食時になり、桜乃達ご一行は、同じテーブルで美味しい食事を囲みながら、それぞれの一日について報告しあっていた。
「あー、そーゆーヤツこっちにもいたさー。腹立つよなー!」
「これは俺達ウチナンチューへの挑戦と見たさー」
 名物のジンギスカンを先程から田仁志にも負けない勢いでばくばくばくと食べ捲っている平古場と甲斐は、完全に怒りを食欲へと変換している様子だ。
 前もって食べ放題に設定してあったのは幸いだった。
「まぁ、こういうスポーツって、男の人にとっては自分のステータスを上げ易いものだってお祖母ちゃんが言ってましたから…あの人もそうなんでしょうか」
 もきゅもきゅと男勢の五分の一程度のスピードで食事を摂っている少女が、視線を上に向けながらそんな事を言ったが、速効で部長に切り捨てられた。
「あんなマナーの悪い男に興味を持つ女性なら、こちらから願い下げですよ」
 自身の実力を誇示したいのなら勝手にしたらいいが、こっちに近づかないでほしいとばかりの態度に、桜乃が笑う。
「いいじゃないですか、私は怪我もしませんでしたし、皆さんも今日一日で随分と上達しましたよ」
 潜在能力が功を奏したのか、それとも怒りが奇跡を生んだのか、桜乃の贔屓目ではなく彼らは一日で中級レベル程度の滑りを可能にしていた。
 普通の人間ならゆっくりと距離と角度を上げていくものだが、彼らは桜乃から基本を教わって後は実践のみとなると、恐怖という感情を知らない人種の様にガンガンとレベルを上げていったのだ。
 勿論、途中で転んだ。
 派手にこけた場合も数限りなくあった。
 しかし元々バランス感覚に秀で、身体の位置認識能力も武道によって鍛えられていた彼らは、転んだ時の衝撃もほぼ無意識の内に最小限に抑えられていた為、さしてダメージにもならなかったのである。
 ダメージを受けなければ無用の恐怖も生まれにくく、何より今の彼らを動かしていたのは、唯、怒りのみだった。
 そういう事で、彼らは基本の地固めを終えた後は、問答無用の勢いで怒涛の練習を続けたのである。
 過去にスパルタ指導を受けていた事が、ここで役に立つとは…
 因みに、今日は別行動をしていた平古場も、似たような精神状態で練習を重ねていたらしい。
 どうやら彼らは揃って、怒りをバネにするタイプの様だ。
「私もせいぜい中級レベルですから、明日以降は皆さんの自主練習にお任せした方がいいみたいですね。でも、くれぐれも気をつけて下さい」
「分かりました。では、明日はお言葉に甘えて…」
 木手が全員の総意を代表してそう答えたところで食事は終わり、その後彼らは温泉へと向かうことになった。
「えーと、皆さんは…スキーやボードが初めてということだったので、ちょっと忠告を」
「? 何?」
 平古場がきょとんとして尋ねると、桜乃は苦笑しながら首を横に振った。
「あ、いえいえ。大した事ではないんですけど…ええと、自分の身体を見ても、びっくりしないで下さいね」
「…は?」
「まぁ、後で分かると思いますから」
「???」
 その時はそれだけの忠告に留めて、桜乃は彼らと別れて女湯へと入って行った。
(私も最初にスキーやった時は『そう』だったもんね…皆さんも私よりは運動神経は良くても、結構派手に転んでいたりもしたし…多分…)
 そう思いつつ、よいしょ…と脱衣所で上着を脱いだ時だった。
『ううううおおおわああああっ!!』
『何じゃこりゃ〜〜〜〜っ!! ぶ、武道でも見たコトないし、こんなん〜〜!』
 女湯の向こうにある筈の男湯から、間違いなく甲斐と平古場のものと思しき大声が聞こえてきた。
(…やっぱり)
 その時はそれ程とは思わないけど、実はしっかり残ったりするんだよね…青タン。
 滅多に怪我する事のない人たちだから、却ってびっくりするかもと思っていたら、案の定。
 まぁ時間が経過したら消えるものだし…と思いつつ浴場で桜乃がゆったりと湯船に浸かっている間に、また向こうから声が聞こえてくる。
『すげーっ! 面白いさー!! ここにも出来てるここにも!』
『ボードだって負けてないし! 数は俺の方が上!』
 何となく、主旨が違ってきている気がする…と言うか、今の彼らは間違いなく出来た青タンに喜んでいるようにさえ聞こえる。
(さ、流石、負けず嫌いの一団……ああいうのって、男の子回路みたいなものなのかしら?)
 そして、至福の温泉時間をまったりと過ごし、ほこほこと温まった身体を浴衣で包んだ桜乃が外に出ると、同じくさっぱりした様子の男性陣が名誉の負傷を数え終わったのか、満足気な表情で立っていた。


「でも、甲斐さんと平古場さんも熱心ですねぇ…また滑りに行ってるんですから」
 する…と相手の持つカードの一枚を引きながら桜乃が言う。
 今、彼女はロビーでくつろぎながら、知念とトランプゲームの真っ最中。
 外はすっかり夜になってるが、ライトアップされたゲレンデはまだ多くの客で溢れており、あの二人はまたそこで自分たちの技術を磨いているらしい。
「まぁ、基本的に身体を動かすのが好きな二人ですからね…人並みに滑れる様になったのなら、好きにさせておいていいでしょう」
 答えたのは、別の席でまったりと読書に勤しんでいる木手だ。
 因みにその場にいない田仁志は、すっかり子供に懐かれたらしく少し離れた場所で彼らと遊んでいる。
「…でも、皆さんのお風呂上りの姿って何だか新鮮です、特に木手さんって髪が下りたら雰囲気も変わるんですね」
「…貴女も、髪を解いたら随分と変わりますよ…自分では気付かないだけかもしれませんが」
「そうですか?」
 木手に同意したのか、知念もこくこくと首を縦に振る。
 確かに、風呂上りで髪を下ろした桜乃の姿は普段とはかなり印象が異なるものだったが、本人は全く意図してはいない様子できょとんとするばかり。
「ええ、そう思います」
 木手は、今読んでいる本が面白いのか気になるのか、視線をそこから離さない。
「ふぅん……えーと、ところで木手さん」
 桜乃は、そんな読書している彼に遠慮がちに呼びかけてみた。
「木手さんも一緒にトランプしませんか? 二人でババ抜きって今ひとつスリルが〜…」
「今は遠慮します、丁度いいところなので」
 すっぱりと断られ、桜乃がやっぱり、と肩を落とすが、休憩時間をどう過ごすかは個人の自由なのでそれ以上は強制も出来ない。
「平古場さんも甲斐さんも、まだスキー頑張りそうだし…じゃあ今度はポーカーしましょうか、知念さん」
「…」
 知念は特に遊ぶものにこだわりはないのか、再びこくっと頷く。
 どちらかと言うと、ゲームより桜乃と一緒に遊ぶ事の方が楽しいのかもしれない。
「あの二人は、昼の件が相当悔しかったらしいですからね」
「………そうですか」
 そう言う木手が読んでいるのは『短期間でスキーを極めるには』と銘打った特集本。
 二人だけではなく、木手もやはり相当悔しかったんだろうな…という事は、桜乃は特に指摘せず、黙っていた……


 そして、彼らのスキー三昧の日は続き…最終日
「うわぁ、すっごーい、かっこい〜」
「あの人達、誰かしら、地元の人?」
「きゃっ! 今やったのってコークスクリューなんじゃないっ!?」
 そのゲレンデでは、朝から観光客達が自分たちの滑りを止めて上から滑ってくる一団に惚れ惚れとした目を向けていた。
 明らかに上級者向けである傾斜が激しい最難関コースを、見事な足捌きで若者達と思しき一団が流れるように滑ってゆく。
 一人はボードを使っていたが、彼もまたスキーの男達に遅れを取る事もなく、見事な技を披露している。
 一見したら上級のインストラクターか、それとも地元でスキーなどのスポーツが身近な者達だ。
 彼らは非常に心地良さそうに風を切って滑っていたが、その内の一人が何かに気付いた様子で他の男達に顎で何らかの指示を出すと、彼らもそちらを確認して同じものを認めたのか、頷いて一気にそちらへと方向転換を行った。
 向かった先には…いつか木手達とひと悶着起こしたあの男。
 そう、桜乃への仕打ちが元で彼らといがみ合ったあの男だ。
 ターゲットロックオン。
 向こうはあの日と同じ様に雪を大いに散らして雪面を滑っていたが、今の木手たちにはそれが如何に力押しの荒っぽいものであるかということが分かっていた。
 木手達が男を囲むように滑り、彼を追い越す。
 粉雪の直撃と雪焼けを防ぐ為にゴーグルとウェアーで覆われた顔面からは、こちらの正体は分からなかっただろうが、明らかに挑戦だと受け取った向こうは、一気に加速をつけ、再び彼らを追い越そうとスピードを上げた。
 チキンレースだ。
 勝利を掴むには、ただ技術だけではなく、如何に心を自制し、恐怖心を抑えるかということも大きな要因ともなる。
 それは扱うものが車であろうとスキー板であろうとボードであろうと同じことだった。
 最初にここに来た時の彼らは、恐怖心を制する技術には長けていた…が残念ながら技術が伴っていなかった。
 しかし、この数日。
 比嘉の男達は、自分達に欠けていた技術面をひたすらに磨き続けていたのだ。
 元々が武道により培われていた運動能力がトップクラスの彼らに、本気と言う燃料が加われば、最早向かう所敵無し。
 どんな隆起のある場所であろうと、彼らは減速など考えにもない様に華麗に身体を捻り、ストックを操り、滑降してゆく。
 そんな彼らの姿は、傍で滑る男にとっては憎らしい程に美しい悪魔にも見えたに違いない。
 こちらがどんなに追いつこうとしても、その心の焦りを嘲笑うように、見越しているように、彼らは一向に先を譲ろうとはせず、しかし一気に引き離そうともしない。
(なっ、何なんだ、こいつらはっ!)
 実は、彼はもう木手達の事など、記憶に残ってはいなかった。
 記憶に残っていたとしても、まさか彼らだとは考えもしなかったに違いない。
 たった数日前には初心者レベルで、年下の少女に習っている程度の南国の男達が、数日を経るだけでここまで上達していようとは。
 そんな彼が、遂に相手達の正体に気付いたのは…
「…っ うわっ!?」
 彼らの動きに気を取られるあまりに、ほんの小さな先の隆起に気付くのが遅れた男は、そこで一気にバランスを崩して転倒する。
 もうすぐで麓に下り切るというところでの転倒で、彼は何とか上手く衝撃は軽減したものの、そのまま一気に麓まで転げていった。
「う、つつ…くそっ」
 周囲の失笑を受けながら悪態をついた男の傍を、すぅっと結局最後まで滑りきった例の一群が通り過ぎ、彼は身体を起こしざまに怒鳴った。
「てめぇら何のつもりだよ! 幾ら腕に自信があるからって、絡むんじゃねぇよ!!」
『…』
 内一人がぴた、と板を止め、それからゆっくりとウェアーをずらしてゴーグルを上げた。
 木手だ。
「!!」
 男が声を失う中で、周囲の男達も次々とゴーグルを取り去り、過去に相手に暴言を吐かれた本人達である事を暴露する。
 一人、平古場だけは初対面という形ではあったが。
「……これはこれは、誰かと思えばいつぞやの…」
 ぞっとする程に礼儀正しい口調で、木手はまだ転んだ姿のままの男を眺め降ろして唇を歪めた。
「今日は随分と調子がお悪い様ですね…たかが南の島から来たばかりの俺達『超初心者』にも追い越されたばかりか、転倒までなさるとは…お疲れですか?」
 あからさまな侮蔑の色は見せなかったものの、明らかにその匂いがそこはかとなく漂っている。
 その木手の隣をすーっと滑りながら、甲斐も男を見下ろしつつ笑った。
「スキーって案外面白いやぁ…一月ぐらい頑張れば、もっと『それなりに』滑れるようになるんだけどなぁ…残念さー」
「仕方ないやっし、裕次郎。俺達も長居は出来ないしー…はは、気楽に何度も来れるヤツが羨ましいよなぁ。そりゃもう好きなだけ滑れるんなら上達も早いんだろー?」
「……」
 ボードに乗った平古場がとどめ。
 因みに無言の知念も、いつもよりかなり視線が冷たい。
「〜〜〜〜〜〜!!!」
 ぎりぎりと唇を噛みつつも、結局何も言い返すことが出来なかった男を放って、彼らはさっさとその場から離れてゆく。
『勝利!!』
 そんな満足感溢れる一言が彼らの頭上に輝いているのを見ながら、桜乃が苦笑して若者たちを迎えた。
「お疲れ様でした、皆さん。凄かったですね、見蕩れちゃいました!」
「そーかそーか」
「もっと褒めていーぞ」
 えっへん、とばかりに胸を張る甲斐と平古場に並び、木手も至極満足そうな勝ち誇った笑みを浮かべている。
 今日の勝利を得る為に、昼は実践による特訓、夜はスキー特集本で復習及び考察の日々を過ごしていたのだ、その気持ちも分からなくはない。
「やっぱり素質があると上達も早いんですね、私なんか次回があっても、もうお役に立てませんよ」
 今年はもう、今日で旅行が終わってしまう。
 田仁志もさっきから、向こうで仲良くなった子供達と別れを惜しみまくっており、年賀状を送りあう為に住所交換まで行っている。
 あと数時間もしたら、全員、迎えのバスに乗り込まなければいけないのだ。
 今回は何とか初心者の指導ぐらいは出来たけど、来年からは彼らがこういう場所に来ても、もう自由に滑る事が出来るだろう。
「……そんな事は…ない」
「え?」
「…やーが一緒なら…俺達も、楽しい」
 気弱な桜乃の言葉を否定しながら、知念がなでなでと彼女の頭を撫でる。
「…確かに、私達がここまで上達したのは特訓のお陰でもありますが、基礎を教えてくれたのは貴女ですからね、そこは素直に感謝していますよ。私達はまた沖縄に戻りますが、北国に近くない以上、またこういう機会を持てるのはどんなに早くても一年後です」
 木手の言葉に、平古場も頷いた。
「またその時に、竜崎が基礎を教えなおしてくれたら有難いさー。来年は俺もスキーやってみてもいいなぁ」
「人数は多いほうが楽しいし、竜崎さえ良ければ考えといてくれよ」
「え…いいんですか?」
 てっきり、もう自分は足手まといにしかならないと思っていたのに…とびっくりしている桜乃に、全員は頷いてくれた。
「…えへ、有難うございます」
 にこっと笑って、心から喜びの気持ちを表す桜乃に対し、彼らは嘘偽りない気持ちを述べたのであるが…そこにはもう一つの隠れた打算もあった。
『…まぁ、一緒についていさえしたら、コイツが遭難する事はないし』
『一緒にいることで、俺達の無茶の予防線にもなるやっし…』
『そういうことです』
『……』
 色々とあった冬の小旅行ではあったが、それぞれに楽しい思い出を残し、そして次なる約束をも交わして、彼らは白の世界を後にしたのであった……






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