酒乱でキズモノ?
『竜崎―、もし良かったら、俺らと一緒にバーベキューしないか?』
「はい?」
そんな連絡が入ったのは、沖縄に到着してから翌日の夕方のことだった。
「今日は、楽しそうな夕食にお招き頂いて、有難うございます、皆さん」
「おう、来たか竜崎」
「こっちこっち、早く来いって」
青学の一年生、竜崎桜乃が呼ばれて来たのは、とある沖縄の浜辺。
白い砂浜が美しい海辺、自然の織り成す風景画を眺めながらのバーベキューを企画したのは、その場所の近くに実家もある、比嘉中の三年生である甲斐だった。
家に帰るまでは何も考えていなかったのだが、戻ると、漁師の父親と深い交流がある知り合いの漁師が、随分と沢山の海の幸を持って来てくれていたのだ。
自分の家族だけでは食べきれない程の量であり、周辺の家にも分けようかと家族が話しているのを聞いて、甲斐の頭の中で一つのアイデアが閃いた。
『やまとぅからどぅしぐわーがちーうぃんやしが(本土から友達が来ているんだけど)、部活の奴らともまじゅんくわてぃしむがやー(部活の奴らとも一緒に食べていいかな)』
そういう事なら、と彼の家族も賛成してくれて、彼は多くの海の幸を貰い、部活の中でも特に親交が深いレギュラー達に連絡を取った。
バーベキューの開催と…本土から来ている或る一人の少女の招待について、全員に意見を伺ったのだ。
『宜しいんじゃないでしょうか? 彼女にもホテルの夕食よりは、活きのいいものを食べさせてあげられるでしょう』
『おー! うむっさぎさー(面白そう)!! バーベキューなんて久し振りさ〜!!』
『…参加すん(参加する)』
特に反対意見が出ることもなく、全員参加決定。
家に必要な道具はあるし、外も相変わらずいい天気で海辺は問題なく使用出来るだろう。
全てを確認して、甲斐はいよいよ桜乃に連絡をとったのだった。
夕方以降は別に何の予定も立てていなかった桜乃は、彼らの意外なお誘いに驚きながらも喜び、二つ返事で引き受けた。
『迷ったらならんから(いけないから)、絶対にタクシーで来いよ』
心遣いではあるのだろうが、相手の実に気合の入った念押しに微妙な気分になりながらも、前科もあった為にそこは素直に従った。
ノースリーブのワンピースにサンダルという夏の出で立ちで桜乃が現場に到着した時には、既に男達の手で大まかな準備は仕上げられていた。
「結構、本格的なんですね…わ、海の幸がこんなに!」
バーベキューセットの隣に置かれていた大きなクーラーボックスを覗き込むと、そこには様々な魚や貝が無造作に入れられていた。
どれも大ぶりで、食べ応えのありそうなものばかりだ。
「海から揚げたばかりだから、活きは最高さー。東京者じゃ、こういうのは滅多に食えないだろ」
「楽しみですー」
きゃーっと早くも大喜びしていた桜乃が、はた、とその場にいない人物に気付き、傍にいた平古場に尋ねた。
「…田仁志さんがいらっしゃいませんね…絶対に参加されると思ったんですけど」
「あー…アイツはなー」
「今回は、こちらの諸事情により、参加を辞退していただくコトにしました」
すっと眼鏡の縁に手をやりながら、木手が会話に参入。
「辞退…ですか?」
それもまた珍しい…と考えていた桜乃に、堅物の部長が説明する。
「まぁ、参加して頂いても良かったんですけれどね。我々は同じ沖縄の人間ですし、新鮮な魚なども食べ慣れていますから多少食べ損ねても次がありますし。しかし今回は本土から貴女がいらっしゃっていますし、こういう食材を口にする機会もそうそうないでしょうから、その食材が全て彼の口に入ってしまっては、招待の意味もなくしてしまうばかりか沖縄人の礼儀の有り様についても疑われかねません。彼が大食漢である事は貴女も重々ご承知の筈でしょうけれど、それとこれとは話が別。全てを食い荒らされる前に、今回は不参加という形を取らせて頂くコトにしました」
「……」
静かに相手の台詞を聞いていた少女は、暫し無言の後で確認した。
「ええと、つまり全部食べられたら困るから、敢えて連絡しなかったと」
「簡単に言えばそうですね」
「最初から簡単でいいやっし…」
「何事かと思ったさ…」
呆れながらも甲斐と平古場がセッティングを続けている間に、いつも無口な知念が、不意に桜乃の傍に近寄ると、彼女の髪の束を手に取る。
いつもは二つのおさげを揺らしている少女だったが、今日この時は、後ろで一つの束にした一つ編みのスタイルだった。
「あ、今日は泳いだ後ですから、めんどくなって一つにしてみたんですよ」
彼女の言う通り、触った髪はしっとりとまだ湿っている状態だったが、夕暮れの明りを受けて艶々と輝いている。
普段の手入れが行き届いているのだろう。
「……」
さわさわさわさわ…
「…………えーと」
どうやら触り心地が気に入ったのか、知念はそれからも無心に桜乃の髪の束を触り続け、一方、触られている方の桜乃は、どうしたものかと困りつつ笑っていた。
「知念君、飲み物をあそこの潮溜まりで冷やして来て下さい」
「…」
見かねた木手が指示を出してから、ようやく彼は桜乃の髪から手を離すと、言われた通りに飲み物の缶が入っているらしいビニル袋を手に海側へと歩いて行った。
「…俺、前から思ってたんだけど」
「ん?」
甲斐が、ぼそりと平古場に呟く。
「知念のヤツ、絶対に竜崎のコト、ちむひじぃうぃんよな(気に入ってるよな)…」
「あー……暗いぬはかわらんぐとぅんやくとぅ(暗いんは相変わらずだから)、竜崎は気がちちないどぅはじやしが(気がついてないだろうけどな)…」
「……ちょっと気になってたり」
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げ、平古場はまじまじと相手を見る。
「やー、まさか、あんな小娘に興味が…? 小動物好きな知念ならともかく…」
「それも結構失礼だと思うけど……なーんかなー、竜崎には別の顔があるような気がするんさ」
面白げに少女を見つめる甲斐に、いよいよ平古場は疑いの視線。
「あの緊張感ゼロのぽえぽえ娘が? どぅー(自分)が騙されたとしても言われなきゃ気付かないぐらいの鈍感レベルに、どんな別の顔があるって言うんだよ?」
「いやー。それは分からないけどな……けど、悪い子じゃないからな、悪意なんて無縁だし、一緒にいたら何となく落ち着くし…いいじゃん、何か」
「良い子なんは認めるさー、あの野性の勘で生きてる知念がべったりだからなー…けど、ちょっと子供過ぎるぞ、やっぱり」
「そうかー? 二歳ぐらいしか違わないし、俺らと」
そうこうしている間に、いよいよバーベキュー網に食材を載せようと、甲斐達が魚などをボックスから取り出してきた。
「あ、お魚、捌きましょうか?」
「いや、俺達で大丈夫」
「生魚に触ると、服にも生臭さが移るかもしれませんからね」
「竜崎はゆっくりしてるさー、今日はやーはお客様だからな」
流石に海に生きる男達は、魚の扱いにも慣れているらしい。
上げ膳据え膳の扱いを受けた桜乃は、それからバーベキューが本格的に始まるまで、知念に再び髪の毛を弄られ続けていた。
「では、満杯の海の幸と、竜崎さんの沖縄初来訪を祝して乾杯」
『かんぱーい!!』
無事に準備を整えて、若者達は海を見ながらの豪勢な夕食にいよいよ取り掛かっていた。
「えーっと、こっちはタカサゴにメアジ…貝は、そっちで焼くか」
「わ、まだ動いてますよ」
「火傷に気をつけろよ、竜崎、網に触らないようにな」
「知念君、彼女に取り分けてあげて下さい」
「…分かった」
木手に言われる通りに知念が分けてくれた海の幸を、桜乃が火傷しないように息を吹きかけながらはぷ…と齧る。
「ん…おいし〜い! 普段食べてる焼き魚とは全然違いますね!」
「こっちに幾つか刺身にしたのもあるからさ、新鮮なウチに食べろよ」
「わー、いただきまーす」
最近は魚が食べられない若者が増えているという話もあるが、この場に限ってはとんでもない。
全員が美味しく豪快な料理を思うままに楽しんでいた。
「ああ、凄く幸せ〜…ホテルの部屋で食べるより全然豪華ですよこっちの方が。本当に呼んで下さって有難うございました、皆さん」
「いやいや、喜んでもらえたらよかったさ」
「うちなーの海も大したもんだろ」
「今日の材料はなかなかのものでしたからね…まぁ、気に入ってもらえる自信はありましたが」
「……」
知念は無言だったが、その代わりに『良かったな』と言う様に、桜乃の頭をまたなでなでと撫で回している。
「えへ…あ、ちょっと喉が渇きすぎて、ジュースなくなっちゃいました。新しいの、貰っていいですか?」
受け取っていた缶ジュースが空になっていた事に気付いた桜乃がそう断り、男達は勿論頷いた。
「ええ、構いませんよ」
木手の言葉の後に、平古場が海辺の方を指差す。
「潮溜まりにまだ缶ジュースが残ってたからさ、好きなのを持って来たらいいさ」
「はぁい」
早速ぱたぱたとそちらへと駆けて行く桜乃の後を、知念がすたすたとついて歩いてゆく。
こうなると殆ど専属のボディーガードである。
「……ずっと気になっていたのですが」
不意に、そんな二人を見つめていた木手が、ぐるっと振り向いて甲斐と平古場に尋ねた。
「知念君は竜崎さんを呪っているんですかね?」
「いや…」
「…逆だと…思うけど」
いきなりどういう質問をかましてくるかなこの人は…と二人が思う脇では、木手がふむ、と至極真面目に考え込んでいる。
「逆、ですか…いや、なかなかの執着心だと思いましたので」
「執着は執着してるけど…」
「あの子、恨まれるような子じゃないし」
そんな三人が奇妙な会話を繰り広げている間に、桜乃は知念を連れる形で潮溜まりに辿り着いていた。
「わ、よく冷えてますよ知念さん…うーん、どれがいいかなぁ」
「…転ぶ、気をつけろ」
岩場もあり、足場が不安定な事を見越して、知念ははしゃぐ少女の肩を押えてバランスを支えてやる。
「あ、有難うございます…知念さんも、どれか持って行きますか?」
「……これ」
彼が手にしたのは、かなり炭酸が強い飲料の様だ。
結構刺激がある方が好みなのだろうか?
「それですか、えーと……あ、これレモン、さっぱりしてそう」
そして桜乃が選んだのは、レモンのイラストがプリントされた缶だった。
泡らしいイラストも表現されており、レモンスカッシュの様なイメージである。
まだ少し暑さを感じている桜乃にとっては、爽快感を期待させる飲み物であり、彼女は嬉々としてそれを選んで立ち上がった。
と、その拍子に身体が少し揺れ、知念の手が彼女の髪を止めていたゴムに当たってしまう。
「…あ」
「え?」
桜乃は背後の事なのでよく分からなかったが、知念の瞳には、明らかにゴムで止められていた部分の髪が乱れてしまったのが分かった。
「…すまない、ゴムがずれて…」
「あ、そうですか? いえ、いいですよ、すぐに直しますから」
にこ、と笑って桜乃は早速自分の一つ編みの髪を体の前へと持って来て、その束を取り上げた。
「……うーん」
「どうした?」
若者の問い掛けに、少女はちょっと悩みながら首を傾げる。
「まだ少し湿ってる感じがして…風も気持ちいいし、解いてみようかな…」
どうせ乱れてしまっているし、解かないといけないのは同じだから、という事で、桜乃はゴムをあっさり取るとその長髪を背中へぱさりと戻し、風の吹くままに遊ばせた。
「はぁ…気持ちいいですね…いい風」
さら…と流れる髪を指先で解きながら、少女は、ね?と知念に微笑みかけた。
「!!…」
一つ編みを解いた少女の姿は、元の見知った彼女とはあまりにも印象が異なり、知念が声を失う……が、元々が無口だった所為か、何の疑念も持たれる事はなかった。
(……ちびらしくちゅらさん(凄く綺麗だ))
元々可愛いとは思っていたが、何となく、長い髪が彼女の色気を更に引き立てている様な気がする…
下心など微塵も見えない笑みだからこそ、心が酷く惹かれてしまう…のか?
「……」
なでなでなでなで…
「な、何ですか?」
どうしても、頭を撫でるのが愛情表現なのは譲れないのか、知念は結局無口なまま、桜乃の頭をひたすらに撫でながら元の仲間達がいる場所へと戻って行った。
「戻りましたぁ〜、レモンスカッシュ、頂きます〜」
『!!!』
桜乃の髪が完全に解かれた姿を見たのは彼らも勿論初めての事…なので、その驚きは知念同様に非常に大きなものだった。
さっきまで、桜乃が着ていた服と全く同じものを纏ったお嬢さんが、何故か知念と一緒に来ている……
「えーと、どちら様?」
「え?」
思わず尋ねた若者に、リーダーが呆れた様子でびしりと指摘した。
流石に『殺し屋』は、他のメンバーより動揺を抑える事にも長けているらしい。
「竜崎さんでしょう、何を寝惚けているんですか平古場君」
「え……えええっ!?」
ぎょっとした顔で改めてまじまじと見つめられ、却って桜乃の方がたじろいでしまう。
「あ、あ、あのう…」
「竜崎!? 本当にやーが!?」
「はぁ……どなたに見えるんでしょうか…」
「〜〜〜〜〜」
確かに…声も仕草も、よく見たら顔の造りも、確かにあの娘本人に間違いなかったのだが…どうしてもおさげのイメージがついて回って混乱を生じてしまう。
(ぬ、ぬーがらぬーんちげぇいん(な、何か全然違う)〜〜っ!!)
内心慌てて頭を掻き毟る平古場に、ばしばしと背中を叩きながら甲斐が自慢げに言った…が、正直彼もかなり動揺はしている。
『ほら、んちんでー(見ろー)っ!! 違う顔じゃん、違う顔っ!!』
『そ、そーゆー意味だったのか!?』
「……?」
あわわあわわと慌てふためく二人を不思議そうに見ながら、桜乃は知念の傍で佇んでいる。
その知念はと言うと二人より若干の時間差があった所為か、今はもういつもの無言、無表情に戻り、しかし相変わらず桜乃の方をずっと気に掛けている様子。
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