氷の帝王と春の姫(前編)
その日、青学の一年生女子、竜崎桜乃は、久し振りに快晴となった休日を思い切り楽しもうと、おめかしをして街へと繰り出していた。
本当は友人の小坂田朋香と一緒に行くはずだったが、急遽相手の都合により、一人だけの外出となってしまったのだった。
「あーあ、一人だとやっぱり買い物にも身が入らないなぁ…似合う服とか見立ててもらおうと思っていたのに…」
早くも新作が並ぶ街のショーウィンドーは女の子にとっては魅力的な光景であるのだが、自分に合う服を見つけるとなれば、浮かれてばかりではいられない。
如何に予算内で、自分のイメージに合う服を見つけ出して手に入れるかということになれば、立ち寄った店全てが女性にとっては戦場となるのだ。
そういう時には自分だけの目に頼らず、他の人のアドバイスも取り入れた方が勝算は大きい。
しかし、今日、予定していた予備戦力は、あっさりと戦力外通告を出してきてしまったのだった。
「うーん…やっぱり一人じゃなかなか決められないよね〜、誰か背中を押してくれる人がいないと」
手にした女性誌の新刊には、これぞと選んだ服の部分に付箋を貼り付けている。
店も大体把握してはいるのだが…果たして今日は目的を無事に果たせるだろうか…?
「…諦めようかな」
無理に今日買う必要もないのだし…と思っていた桜乃は、そこで偶然通りの並びにあった花屋の前を通り過ぎ、何とはなしに足を止めた。
「わぁ…綺麗なお花…」
様々な花が店の中に咲き誇り、少女の瞳を引き付け、店内へと足を向かわせる。
徐々に高くなっていく日光から少しばかり逃れるように、桜乃は店の中に入ってきょろっと花々を見渡した。
元々何かを買うつもりはなかったが…こうしているとその気になってしまいそうだ。
「んー…」
どうしようかなーと悩んでいるその時だった。
いきなり店の前の道路に一台のバンが止まったかと思うと、中から数人の黒服の男達が出て来て、そのまま自分がいる店の中へと駆け込んできた。
「どうだ?」
「うむ、これぐらい持って行けば間に合うだろう」
何かを話しながら入って来た男達は、サングラスに黒服という、実にいかがわしい出で立ちである。
(な、何だろう、この人達…)
思っている桜乃の前で、彼らの内一人が、店員の一人に声を掛けた。
「この店の花を全て貰っていく。今すぐに全部、車の中に詰めてくれ」
(ええ!?)
驚いたのは桜乃だけではなく、店側の人間も同じ事で、相手の台詞が信じられないといった様子で戸惑っていたが、そんな相手に黒服の男は再度繰り返した。
「至急、花が必要なのだ。今ここで車に乗せられるだけ乗せてくれ。残りはまたすぐに別の車が来る。代金は全て跡部コーポレーションに請求を頼みたい」
(あと…べ…?)
何処かで聞いたことがある名前…と思っている桜乃に、別の黒服の男が声を掛けた。
「車に運んでくれ」
「…はい?」
何で私が…と思いつつ振り返るが、相手はさも当然といった様子で桜乃に花を生けたバケツを運ぶようにジェスチャーで指示していた。
「急ぐんだ、交渉はあっちの店員に任せて、早く運んでくれ!」
「え、えーと…」
どうやら…自分はこの店の店員と間違われているらしい…まぁ、見た目からバイトの店員と勘違いされてもおかしくはないが…
「あの…あのう、私…」
「急いで!!」
「はっ、はいはいはい…」
少しでも強気に出られる度胸があれば良かったが、流石にこれだけの怪しさ満点の男に凄まれたら、返す言葉もなくなってしまう。
元々が素直で従順な性格もあり、桜乃は言われるままについ身体を動かしてしまった。
よいしょよいしょと何度も店の前と車を往復し、花々を運んだが、不思議な事に店の誰も彼女に声を掛けようとはしない。
途中で誰かが気付くと思わないでもなかったが…もしかしたら店は店で自分を黒服側の人間と勘違いしているのかもしれない。
(うう、何だかよく分からないコトになっちゃったよう…)
これはもう早く荷物を運んで、終わらせて立ち去るに限る…と思い、桜乃は一際大きなバケツを抱えると、バンの空いた空間にそれを置くために、後ろから車に乗り込んだ。
「よいしょ…っと」
がたん…とバケツを置くと同時に、店から声が遠く聞こえた。
『よし、このぐらいにして後はもう一台に任せよう、すぐに出発してくれ』
『分かった』
ばたん…っ!!
「…えっ?」
すぐ背後で大きな音が聞こえて振り返ると、バンの背部ドアが既に閉められていた。
閉じ込められた…?
「あ、あの、ちょっと…!」
慌てて扉を叩いて注意を促したが、誰も彼女がそこにいることに気付かない。
そうしている間に、バンの前方に男達が乗り込んできた。
前部と後部は一般車とは異なる様式で、ガラス板のようなもので遮られていたが、桜乃はそれをばんばんと叩いて注意を促す。
「ちょっと…! すみません、あの…出して下さいっ!!」
必死に声を上げてガラス板を叩くが、向こうは彼女に一瞥を向ける様子も無く、遠慮なくエンジンをかけて車を発進させる。
(うそ〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
一体これから何処へ連れていかれるというのか…
街で呑気な買い物どころではないトラブルに巻き込まれた少女は、哀れ、誰にも気付かれることなく、見知らぬ車で拉致されてしまったのであった……
跡部邸ラウンジ…
「久し振りやな、ここでのパーティーも」
「お得意さん集めてのパーティーだろ? 大変だよな金持ちってのも、色んなトコロに気ぃ使ってさ」
これを豪邸と言わずして何と言うか…
何処かの広大な牧場をそのまま買い上げ、地をならし、豪奢な建物を造り上げたらこういう感じになるのだろうか…?
日本という国の中で、五指…いや、三指の中に入るだろう大財閥、跡部家。
その屋敷で、この日、財界の有志を集めた豪華な宴が開かれ、そこに、およそそぐわない年齢の若者達も数人、含まれていた。
彼らは跡部家の御曹司である跡部景吾の同校の生徒であり、同じテニス部に属する面々で、その跡部本人の特別な計らいで今日のパーティーへの参加を認められていたのである。
若者達は、同時刻、実に不幸な目に遭っている桜乃と同じく中学生であるのだが、流石に今日はこういう場所に合わせたそれなりの身形をしていた。
「ジローさん、立ったまま寝ないで下さいって」
「ZZZZZ…」
「あーあ…やっぱダメなんじゃん? 早く美味い物の匂いでも嗅がせないと」
日吉という若者が、くせっ毛で明るい髪の色をした男に肩を貸しながら嗜めたが、向こうは一向に聞いている様子は無く、先程から呑気ないびきを響かせ、それを面白そうに赤い髪の若者が覗き込んで笑っていた。
「少し早く来すぎましたかね、宍戸さん」
「ま、いいだろ、遅れたら遅れたでまた跡部からどやされるんだしな」
鳳という、後輩であり、且つダブルスの相棒でもある長身の若者の言葉に、好戦的な印象を持つ宍戸はあっさりと返す。
「しかし…準備が遅れとるようやな。いつもならもう会場に通されとるぐらいやろ?」
彼らの中でも跡部の次にリーダーシップを持つ忍足がきょろりと辺りを見回していると、どうやらまだ部屋の装飾に手間取っている様子である。
慌しく花々を運び込む屋敷の使用人たちを見ながらそんな事をのんびり考えていた忍足が、はた…と視線を一点へと留めて無言になった。
「…どうしたんだよ、忍足」
赤毛の向日がそんな相棒を見つめ、同じく彼の見ている方向へと目を向けると、使用人たちがぱたぱたと花の入ったバケツを運んでいる最中…その中に、そぐわない格好の人物が一人。
「あや? 私服の子がいる…花屋のバイトかな?」
「俺の頭の中にはもっと恐い可能性が閃いとるわ…」
その言葉通り、少しげんなりとした様子で忍足は足早に注目されていた私服の女性に近寄ると、とんとんとその肩を指先で叩いた。
「ほえ…?」
彼女が振り向き、忍足と視線が合ったところで、互いはほぼ同時に瞳を大きく見開いて声を上げていた。
「忍足さん…!?」
「青学のお嬢ちゃんやないか、やっぱり…」
互いが知己であることを認識している様子を他のメンバー達も目撃し、暇なのをいいことにわらわら〜っと集まってくる。
「忍足〜、知り合いなのか?」
「よく見てみい岳人、青学の子や。竜崎先生達とよく一緒におるんを見かけるやろ」
「あ、そう言われてみれば覚えが…たまにコートの整備とかを手伝って下さってましたよね」
周囲を取り囲まれ、手にしていたバケツを一時床に置いて、桜乃は丁寧に話しかけてくれた鳳へと軽く一礼し、他のメンバー達にも同様に礼を行った。
「あ…竜崎、桜乃…です…」
「…ああ、竜崎先生の孫の…」
相変わらず寝こけている芥川を抱えつつ、日吉が何となく覚えていた知識を披露すると、続けて宍戸がへぇ、と目を剥いた。
「けど、随分変わったトコロで会ったよな。何でこんなトコロにいるんだよ」
「…はぁ、何でこんな処にいるんでしょう」
「は?」
問われた側でありながら、その理由が自分でも分からないとかっくりと首を項垂れた桜乃は、不思議がる男達の前でこれまでのいきさつを話した。
「…そういう訳で…」
『……』
全員、暫し沈黙し…
「……激ダサ」
ぐっさ――――――――っ!
宍戸の容赦ない一言が、桜乃の胸に突き刺さる。
「宍戸――――――っ!」
「その言い方はちょっと…宍戸さん」
くすんくすん…と己の不運と『激ダサ』振りを嘆いてしまった桜乃を大慌てで向日がフォローに走り、鳳が渋い顔で先輩に進言する。
「あ、すまん、つい本音が…」
「誰がとどめを刺せ言うたんや」
あーあと嘆息しながら改めて宍戸に注意をすると、忍足はぽんぽんと桜乃の頭を優しく叩いて慰めた。
「そうか、まぁ、それは気の毒な話やったなぁ…しかし車の中からでも、おるって言うたら出してもらえたやろ?」
「それが…声を出しても仕切り板を叩いても、全然振り向いてもらえなくて…」
「……ああ」
それを聞いた忍足は、何か思い当たる節があるのか数回頷きながら背を向けた。
「あの車か…特殊な防音・防弾ガラスやからなぁ…まぁ、色々とあるから、この家…」
(ナニ!? ナニがあるの!?)
聞きたくても、恐くて聞けない…!
しかし、どうやら音が伝わらなかったのは、そういう要素が色々と重なってしまったからか。
「けど、巻き込まれただけなんだしさ、もういいんじゃないか?」
「そうやな…跡部には俺らが話しといてやるわ、お嬢ちゃんがそんな使用人みたいな仕事せんでもええやん」
「はぁ…でも良いんでしょうか?」
「ああ大丈夫やろ、お嬢ちゃんを連れて来た奴らが減俸かクビになるぐらいやから」
「ははは、働きます働きますっ!! も〜〜〜〜喜んでっ!!!」
あっさりと酷いコトを言った忍足の言葉を遮るように、桜乃はぱたぱたと両手を振り回して訴え、日吉が呆れた顔で彼女に断った。
「心配するな、そんな事ある訳ないだろう…忍足さんも、いい加減にした方がいいですよ」
「いや…まぁ、慌てるお嬢ちゃんも可愛いやろ思てなぁ」
(また病気が始まった…)
その厄介な相棒の病気を誤魔化そうとしたのか、そこに向日が割り込んできた。
「ま、まぁ取り敢えずさ、折角こういう風に会ったんだし、挨拶ぐらいしとこうぜ。俺、向日岳人!」
「忍足侑士や、宜しくな、お嬢ちゃん…」
「鳳長太郎です、二年生です。宍戸さんとダブルス組ませてもらってます」
「宍戸亮だ、鳳は俺の相棒でな。宜しく」
「日吉若…シングル…で、こっちで寝ているのが芥川慈朗…これでも一応三年」
全員に宜しく、と挨拶をした桜乃だったが、眠っている芥川が気になるのか、とてとてとそちらに寄って行くと、ひょこんと相手の顔を覗きこむ。
「よく寝てますねぇ…」
「ああ、ジローのヤツはとにかく周りに興味がない時は寝てばかりだからな…放っておいていいぜ」
宍戸が忠告している間もじーっと彼を眺めていた桜乃は、何を思ったのか、芥川の耳元に唇を近づけ、囁いた。
『…鳴くよウグイス』
「むにゃむにゃ…平安京〜〜〜」
『良い国作ろう』
「鎌倉幕府〜〜〜…う〜〜ん…」
「おもしろ〜〜〜〜い!!」
きゃ〜〜〜〜っ!と喜んでいる桜乃を、一歩引いたところで見ていた忍足がぼそりと言った。
「俺にはお嬢ちゃんの方がおもろいわ…ボケツッコミとはまた別の芸風やな…」
(青学の女子ってこんなヤツばっかなのか…? ちょーっと興味あるかも)
向日は、今度青学に行った時にもっとよく女子を見てみようと考え込み、日吉はツボに嵌ってしまったのか、真っ赤になった顔を背けて肩を震わせ、爆笑したいところを必死に堪えていた。
「愉快な人ですねぇ…」
「まぁ、敵意がないのはよく分かる」
にこにこと面白そうに笑う鳳と、うーむと悩んでいる宍戸が声を交わし、そこで男達全員は桜乃について或る共通の見解に達した。
『コイツ、フツーの女より結構面白いかも』
そこに一人の若者が加わってきた。
「ああん? ナニ話してんだお前ら…」
「お、跡部だー」
Field編トップへ
サイトトップヘ
続きへ