災難の朝練が終了し、ジャッカルはその後、親から貰った依頼状を印籠代わりに桜乃を傍に置いたまま授業を受けた。
元々は中学一年生の桜乃が幼い姿に変化しただけであり、精神年齢は変わらなかったので、彼女にとって授業中に大人しくしておくことは何ら難しい事ではなかった。
非常にいい子で、与えられていた絵本を静かに読んでいる姿は、他のクラスメート達からも非常に好評になり、女子からはお菓子などまで貰える始末。
「きゃー、かわいい〜〜」
「本当に静かにしてて良い子だね、ジャッカル君」
「ま、まぁな」
「キャンデー食べる?」
「わぁ、お姉ちゃん、ありがとー」
見た目相応の子供として振舞うのも容易いことで、桜乃は結局放課後までそのスタイルで通し切ったのだった。
当初は、バレる筈もないのだがやはり多少は緊張していた桜乃だったが、時間が経過するにつれて状況にも順応し、放課後の兄の部活が始まる頃には、寧ろ彼よりもリラックスしている程だった。
そんな彼女は、最後まで兄の部活動に付き合い、共に家に戻る予定だったのだが、ここに来て、多少様子が変わってくる。
「え? 桜乃を?」
「?」
放課後のテニス部部室。
部活動が始まる前、桜乃がジャッカルのクラスメートから貰った沢山のお菓子を丸井に分けてやり、一緒に食べている脇で、ジャッカルは携帯に掛かってきた親からの電話に答えていた。
「そりゃ、行き方ぐらいは分かるだろうけど…何で急に…どうしても必要?」
何やら自分に関わりのある内容らしい、と桜乃が思っている間に会話は終了したのか、相手ははぁ、と息を吐きながら電話を切った。
「桜乃、すまんが、親父が働いている店に来て欲しいって言うんだ。行けるか?」
「お父さんの店? うん、大丈夫だけど…何で?」
「さぁ、よく分からないが、どうしても来て欲しいとだけ言ってた」
「そう…じゃあ、行って来るね」
幸い、ジャッカルの父親が勤めているのはブラジルの民族料理店で、立海からも然程離れていない。
小さくなった桜乃でも通う事は十分に可能なのだが、どうしても姿が変わっている分、ジャッカルの心配は大きかった。
「ほ、本当に大丈夫か? ちゃんと歩道を歩くんだぞ、知らない人についていったらダメだからな」
「はーい」
てとてとと父親の店に向かった妹の後姿を不安げに見つめているジャッカルの隣で、彼女から貰ったチョコを食べながら丸井が呑気な一言。
「俺、お菓子くれるならついて行っちゃうかもなー」
「お前は別にいい」
多分、攫った犯人の方が早々にコイツの食費で根を上げるだろう、と思いつつ、彼は冷たい一言を返し、部活へと向かって行った。
一抹の不安を抱えながらもジャッカルは無事に部活動をこなし、その日の学内スケジュールを全て終えて、部室内で着替えていた。
そんな彼の脇では他のレギュラー達がこれからの事について雑談を交わしている。
「これからどうするんスか? 先輩方」
「んー、ちょっと腹が減ったから、どっか喫茶にでも行きたいなー。ウチの夕食まではまだ少し間があるし」
切原の質問に丸井が答え、次に同じ質問がジャッカルに向けられた。
「ジャッカル先輩は?」
「俺はこのまま親父の店に行く。桜乃を呼んだのが、何か気になってな…」
「あれから親御さんからは連絡ないの?」
不思議そうに幸村が当然の質問を投げかけてきたが、ジャッカルは同じく不思議そうな顔で頷いた。
「ああ…まぁ何の連絡もないって事は無事に到着はしているんだろうが、結局詳しい理由は知らないままだしな…何かこう、得体の知れない嫌な予感が…」
しかも、こういう時に限って嫌な予感は当たるものなんだ、と渋い顔をしたジャッカルに、幸村が少し考えた後に提案した。
「…俺も桜乃ちゃんのコトは気になるし…店ってここから近かったよね、一緒に行っていい?」
「幸村も?」
「うん…この間行った時に食べたポンデケージョも美味しかったし、持ち帰りも出来たよね? 久し振りに食べたくなっちゃった。他のデザートにも挑戦したいしね」
「そりゃあ、こっちとしては有り難いが…結構他のデザートは甘いぞ」
「甘い!?」
「は…っ」
失言した…と思った時には既に遅く、ジャッカルの背後で瞳をキラキラさせ、透明の尻尾をぱたぱたと喜びに振っている丸井の姿があった。
そして結局…
「…全員、来るワケね…」
ジャッカルを先頭にぞろっとレギュラー達が揃って歩いているという、結構見応えのある光景が、店の近くにあった。
「…言いだしっぺの幸村や他の奴らはともかく、何で真田達まで?」
ここまで人数を増やす必要があるのか?とジャッカルが疑念を呈したが、呈された真田や柳は逆にえ?という表情で聞き返してきた。
「…お前一人でこいつらをまとめられるなら、俺達はそのまま引き返しても構わんが」
「すみません、同行して下さい」
尤もな答えを返されて、即座に前言撤回。
そうだった!!
もし万一、切原や丸井が店で変な騒動を起こしたら、最悪自分の父親の失職の危機に陥るかもしれない!
流石に最低限の常識は弁えてはいるだろうが、それでも最悪の事態は考慮していた方がいいだろう…しかし…
「そんな事を考えなきゃいけない俺の友人関係って…」
「ははは、気の毒にのう」
悩める中学生を同じ学年の詐欺師が笑ったが、隣の柳生がびしりと鋭いツッコミを入れる。
「朗らかに笑っていますが、貴方の交友関係もかなり重なっているんですよ?」
「あー、そりゃそうじゃが、アイツの付き合いはあくまで心情的なトコロが殆どじゃろ?」
相棒のツッコミに仁王は悪びれることもなく、にっこりと笑って言い切った。
「俺の場合、もしお前さんが只のボケナスじゃったら、俺、お前さんと友達じゃないし」
つまり打算的なコトも含めているという訳か。
「今度、貴方との友人関係について考え直してみたいと思います」
「照れるのう」
「褒めてません」
やっぱり考え直してみようか、と柳生のみならずジャッカルも真面目に考えていたところで、いよいよ店へと彼らは到着した。
「ちーっす。親父、桜乃来てるのか…?」
からん、とドアベルを鳴らしながらジャッカルがそう言いながら店内へと入っていくと…
「いらっしゃいませぇー」
小さい幼い声が聞こえてくると同時に、ちょこちょこと桜乃がだぶだぶのウェートレス姿で接客に来た。
「親父―――――――――――――っ!!!!」
どういうコトだーっ!!と怒り狂うジャッカルの脇では、早速メンバー達が桜乃をぐるりと取り囲み、ウェイトレス姿の桜乃を愛でていた。
「おお、可愛い〜〜」
「ほんっとお人形さんじゃん!」
切原や丸井が騒ぐ隣では、真田が真剣に悩んでいる。
「…この場合、労働基準法は…」
「身内の手伝いです、と言えば、法の網とてザルになる…」
考えるだけ無駄だぞ、と柳が忠告している向こうでは、妹の処遇に怒り心頭のジャッカルが父親と揉めていたが、向こうにはこちらの言い分など殆ど通じていないらしい。
「はぁ!? 今日の客足が今ひとつだったから、桜乃にこの格好で接客させたら売り上げ倍増!? 知るか!! 娘を客寄せパンダにするなっつーのっ!!」
(ああ、そういうワケね…)
桜乃を呼びつけた敵の思惑が分かってきて、メンバー達が納得している間に、幸村が桜乃に屈みこむ形で顔を寄せる。
「……色々大変だね」
「お父さんのお手伝いですからー。それにこの服もひらひらして可愛いです」
「うんまぁ…可愛いのは知ってるけど…」
服じゃなくて本人がね、と心で付け加え、幸村は姿勢を戻して暫く考えると、はい、と挙手をした。
「予定変更。俺、今日は夕食もここで済ませていくよ」
えっと驚く仲間達に、彼はふっと優しい笑みを浮かべる。
「凄く良いモノ見せてもらったし、桜乃ちゃんへのご褒美ってコトでね…あ、でもその代わりに俺がここにいる間は、基本的に専属のウェイトレスってコトで」
「幸村―っ! お前まで何言い出すんだっ!」
いい加減にしろ!とそれを止めようとしたジャッカルに、ぼそっと幸村が囁いた。
「俺の専属ってことにしたら、少なくともその間は他の客にちょっかい出される危険性はないけど?」
「っ!!」
正に正論。
そういう危険性は基本的に考えなくてもいい、健全そのものの店だが、そういうやましい事を考える客がいないとも限らない。
ジャッカルが一番危惧している問題も正にそこだった。
しかし、幸村が食事を摂るという名目で店に居て、その間は桜乃を観察、保護してくれるということであれば……
結局、不本意ながらも委ねるしかないと分かってはいながら、まだ悩んでいるジャッカルの隣で、次々と他のレギュラー達も便乗していく。
「おさげちゃんがウェイトレスしてくれるんなら、俺も食べてこ」
「俺も、どうせ夕食も余裕で入るし」
「…キビって何じゃ?」
「興味深いですね、一つ頼んで分けましょうか」
(…いつか本当に出てってやる、こんな家っ!!)
人生で何度同じ誓いをしたのか既に分からなくなっているジャッカルは、心の涙を呑みながらも仲間達に加わり、久し振りに店で夕食を摂ることになった……
「ご馳走様でした」
「いやー、美味かったッスね」
「ブラジルのお菓子って、すっげーあめーのな、ビックリしたい」
「そう言いながら全部食ってたろうがお前は…俺など一口でまだ胸焼けがする」
うぷ、と口元を手で押さえている副部長を始めとして、全員が夕食を終えて店の外に出た時には、すっかり外も暗くなってしまっていた。
「…桜乃ちゃんもちょっと疲れちゃったね、身体は小さいんだから無理もないかな」
「ああ……まぁ、これじゃあもう店の手伝いも無理だろう。今日はこのまま家に連れて行く」
店の外に見送りに出たジャッカルは、こてんと疲れて眠りこけている桜乃を抱えたまま仲間達に別れを告げていた。
色々と心労は重なったが、店での食事が始まってからは彼らも節度を弁え、桜乃の面倒も良く見てくれたので、最終的には彼女の無事も守られたのだった。
「早く元に戻るといいけどね…」
「こればかりはな…明日になってそうなってくれていることを願うさ」
そんな会話を部長と交わしている内に、その声で少しだけ目を覚ましたらしい桜乃が、しょぼしょぼとした瞳でジャッカルを見た。
「…ジャッカル、お兄ちゃん?」
「おう、目が覚めたか桜乃…つってもまだ眠そうだな。いいぞ、寝ていて。そのまま家に連れて行くから」
「………うん」
その時、桜乃が寝惚けていたのが、この日のジャッカルにとって最大の不幸だった。
「…じゃあおやすみなさい、お兄ちゃん」
ちゅうっ…
『!!!!!』
他レギュラー達の面前で、夢現状態の桜乃が、家での習慣になっていたお休みのキスをジャッカルの頬にしたものだからさあ大変。
一気にその場の空気が北極点並みに凍りついたかと思うと、容赦ない糾弾がジャッカルに飛んだ。
『犯罪だ――――――――――――っ!!!!!』
「ウチはブラジルの習慣があるんだからしょーがねーだろーっ!!」
親にも同じ事やってんだ!とは弁明しつつも、実はこの習慣はジャッカルにとってもこっそり嬉しいものではあったので、当の本人も少し弱気。
これだけは仲間とは言え、知られたくはなかったのに…
「ずっりーっ!! ジャッカル先輩だけーっ!!」
「俺にもお休みのチューさせろいっ!」
「人の妹にどんだけ飢えてんだお前ら〜〜〜っ!!」
しっしっと野良犬を追い払う勢いで丸井達をジャッカルが遠ざけている一方で、幸村達は何かを深く考え込んでいた。
「……もっと親しくなったら、ほっぺにちゅうぐらいはしてくれるってコト?」
「止めてやれ」
「死因は間違いなく憤死だな、ジャッカル」
おそらく、これでまた彼の気苦労は確実に増えたな…と、何かを企んでいる部長の両脇で、副部長と参謀は諦めつつも何処か冷めた思考でそう考えていた。
翌日には幸いにも桜乃の姿は完全に元に戻っていたのだが、以降も兄の戦いは変わらず続いたことは言うまでもない…
了
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