「はい、どうぞ上がって下さい」
「お邪魔します…っと」
日曜日の部活終了後、ジャッカルは約束していた通り、桜乃へのアドバイザーの役を果たすべく彼女の住む寮に立ち寄っていた。
流石に女性の一人暮らしの部屋に個別に寄るというのは初めての経験で、何となく落ち着かない様子でジャッカルはリビングへと通された。
「…」
部屋に入ってすぐに、ジャッカルは相手が今日のデートにかなりの気合を入れているだろうことが予想出来た。
リビングの壁に、既に桜乃自身で選別された幾種類かのシャツやスカートが綺麗に並べられた状態で壁に掛かっていたのだ。
それらを見た瞬間、彼は改めて辛い現実を思い知り、こっそりと落ち込んでしまう。
(…何やってんだろうな…これじゃあ俺、完全にシラノ・ド・ベルジュラックじゃねぇか)
長鼻がコンプレックスの貴族が従姉妹の姫君に恋をしたが告白出来ず、親友に一目惚れした彼女と相手との仲を、本心を押し隠して取り持つことに徹する…そんな話があった。
心意気こそ見事だが、やはり周囲から見たら…道化にも似た立場だ。
(…けど俺は、シラノみたいに教養もそうないしな……それでも彼の真似事でも出来るならラッキーじゃないか)
そうだな…覚悟決めて来たんだ、今更逃げ出すのは主義じゃない。
「えーと…で、俺はどうしたらいいんだ?」
「やっぱり最初は服を決めたいんですよ。私が選んだものがここにありますけど、桑原先輩はこの中で好きなものってあります?」
「うーん……その、デートってのは、初めてなのか?」
少々不躾な質問かな、と思いつつ尋ねてみると、向こうは僅かに照れを見せつつ頷いた。
「え、ええ…そのう…二人っきりになるのは、初めて、かな…?」
「そうか、じゃああまり気合の入った露出の激しい服は、逆に引かれそうだから止めておいたがいいかな」
「桑原先輩は嫌いなんですか?」
「いや、嫌いと言うか…その、あまり派手な格好をされると気になると言うか…それよりは奥ゆかしい感じの方が好み……って、何を言わせるんだ!」
「ふんふん…」
「メモするな!!」
何処で利用するのか分からないメモを書き留める少女に慌てて禁止令を出し、はぁ〜と息を吐く。
「何で服のコーディネートに来て、こっちの好みまで白状しなきゃいけないんだ…」
「いいじゃないですか、後日の参考までに…う〜ん、じゃあこっちのスタイルよりも、こっちの系統の方がいいかな…」
どちらかと言うと肌の露出も少ないし、派手な色でもない、無難な選択とも言える幾つかの服を選ぶと、桜乃は壁からそれらをハンガーごと外して、自分の身体に当て始めた。
「どうですか?」
「うーん…」
服だけを見るのではなく、それを着る人間の肌や容貌が合うかどうかも重要なポイントだ。
一度は脱線しかけた話の内容だったが、そこからジャッカルも改めて真面目に相手のコーディネートについて見定め始めた。
「どれもいいな…ああ、でもその場合は上が今ひとつ。それよりこっちのと合わせてみて…」
「あ、こういう組み合わせもありですね〜」
「俺的にはこういう感じが好きだな…首元が寂しいのは何かネックレスでも付けてアクセントに…」
「えーと…じゃあ、私が持っているアクセサリーから何か…あまり無いんですけどね」
服だけの筈が、いつの間にかアクセサリーも含めての話し合いになり、そこからも控えめのものを一つ選ぶと、いよいよ桜乃が試着に入る。
「…覗かないで下さいよ」
「世の男共は、一度はこういうあらぬ疑いをかけられるのだろうか…」
鍵でも何でも掛けて下さい…と言って、桜乃を彼女の部屋に送り出して数分後、制服から、見定めた服に着替えた相手が中から出てきた。
「お…」
「ど、どうですか…?」
思わず声が出てしまった。
初めて纏うものではないだろうが、やはり相手に選んでもらったという事実が多少は気恥ずかしいものであるらしく、少女は心なしか落ち着かない様子だ。
しかしそんな初々しさが、却って男の本能に揺さぶりを掛ける。
その上、部屋の中でおさげも解いたらしく、今の桜乃は髪を自然に流した状態。
素のままの姿に、ジャッカルは動悸を覚えてしまった。
(や、やっぱ可愛いな、こいつ…)
今までも思ってきたことだけど…自分好みのスタイルになると、一層それが際立って見えてしまう。
しかし、一度は自分の見立てに拍手喝采を送りそうになったジャッカルだったが、それからすぐに、現実に戻って落ち込んだ。
(あーそうだった…今日は…俺とのデートじゃなかったんだよな…)
浮かれていた、一秒前の自分が馬鹿みたいだ。
こんなに可愛くしてやったのに、結局喜ぶのは相手の野郎じゃないか。
「…」
ずっと我慢していたものが、心の中で力を溜めて自分を追い詰めるような錯覚が起きる。
欲しいのに
こんなにこいつのコトが欲しいのに
何で俺は本人の目の前で、こんなに馬鹿みたいに突っ立ったままなんだ
何処までお人好しのままでいるつもりなんだ
欲しいなら、このまま抱き締めて離さなきゃいい
好きだと言って…そのまま…
「桑原先輩?」
「っ!!」
一瞬、心の中のやましい想いを見透かされたかと思ったが当然そんな事はなく、桜乃はきょとんと自分の事を不思議そうに見上げていた。
どうやら、思っていたよりも沈黙の時間が長かった様だ。
「どうかしましたか?」
「あ、い、いや、何でもない…け、結構イイ感じじゃないか、それ」
「わ、そうですか?」
「ああ…十分に可愛いと思うぞ、相手も喜ぶだろう」
「……本当にそう思います?」
何となく、疑っているのか不安になっているのか、自信のない口調でそう問われたが、ジャッカルは勿論だと頷いた。
「自信を持てよ、折角俺も見てやったんだから…っと、あまりぐずぐずしている暇は無いんじゃないか? 折角の大事な時間なんだから早く待ち合わせに行った方がいいぞ」
それは、相手への気遣いと同時に、自分の為でもあった。
これ以上、この姿の相手を傍においていると、いつ自分の心が耐え切れずに暴発するか分からない。
悔しくはある、悔しくはあるが、もう手放さなければ…!
これで向こうの男がケチつけようものなら、俺がシメてやる!と心に決めていると、ふと、桜乃がじっとこちらを上目遣いに見上げてきた。
「…あの、桑原先輩…」
「ん?」
「…これから、私と…」
「?」
「…わ、私と出掛けません、か…?」
「は?」
思わず間抜けな声を出すと同時に、ぽんっと頭の中の思考が完全に飛んでしまった。
何だそれは?
これから自分が考えていた予定ってものと、まるで噛みあわないんだが…
「え? だって、デートだろ?」
こいつが誰かと一緒に逢瀬を楽しんでいる間は、自分は何処かで一人、憂さ晴らしでもしてやろうかと考えていたのに…何でここに来て二人で行動を!?
全く予想出来なかった展開だったが、その内一つの可能性がジャッカルの頭に浮かんだ。
「あ、もしかしてそこまでのエスコートか? いや、流石にそれは勘弁してくれ、下手に疑われて修羅場になっちまったら大事だし、アツアツの雰囲気に当てられるってのもなぁ…」
と言うより、そんな現場、見たくもないのに…!
しかし、それから桜乃は、意外な言葉で相手に食い下がった。
「そ、うじゃなくて……先輩が、私と…」
「え…?」
俺が、お前と…?
何なんだ…と言い募ろうとしたところで、は、と男は気付いた。
少女の顔が真っ赤になっている事実に。
これまで『デートに行く』と宣言していた時にも見せなかった表情を、何故、今になって?
デートもそっちのけで俺と一緒にいるってことにそこまで恥ずかしがる様な…
(…あれ?)
待て、待て、待てよ…もしかして…
彼女の言っていたデートって…俺の知らない誰かとじゃなくて…もしかして…
(…俺、と?)
自惚れも大概な予想だが…しかし、そう考えると合致するのだ。
彼女が、コーディネートに自分を指名したことも、デート直前にも関わらず自分を誘ったことも…こうして今も、真っ赤になっていることも。
(…えええ!?)
ってことは…彼女は俺を…!?
「あ…」
どうしよう、どう答えよう…!!と悩んでいる内に、ジャッカルにとって最大の危機が訪れてしまった。
「……もういいです」
「へ!?」
タイムオーバー
ずっと恥ずかしさを耐えて、自分から誘ってくれていた乙女が、優柔不断な若者に愛想を尽かしてぷんっと背中を向けてしまったのだ。
「別にいいです、一人で行きます」
今の口調からして…間違いなく怒っている!!
「う、あ…ちょ、ちょっとタンマ竜崎っ!!」
兎に角、今は彼女を引きとめなければ!!
手の内から物凄い宝が擦り抜けようとしているのを感じながら、ジャッカルは物凄い勢いで、玄関に向かおうとする彼女を追いかける。
「あ、あのさ…その、さっきのって…デートのお誘いだったのか?」
「さーぁ?」
相変わらずつーんと背中を向けてつれない相手は、玄関先でいよいよ靴を履き出した。
これはもういよいよダメなのか…!?と混乱するジャッカルの脳裏には、そんなピンチを迎えながらも、歓喜している自分がいた。
相手はいなかった!
こいつを待っている、デートのお相手はいなかった!
そしてこいつは、明らかに自分に好意をもってくれている
それなら、今までの遠慮はもう要らない!
こいつの幸せを理由に、手を引く理由はもうない!
「竜崎…!」
我慢していた…心に溜めていた『欲望』が目を覚まし、飛び跳ね、心の殻を打ち砕いた瞬間、まるで示し合わせた様に桜乃がこちらを振り向いた。
「…もう、桑原先輩のドンカン!」
こんなに自分は頑張ってアピールしたのに、それにも気付いてくれないなんて!
今はようやく分かったみたいだけど、もう少し、困らせてあげるんだから!!
ちょっとした意趣返しの意味も含めて、桜乃はんぺ、と小さな舌を出した。
その時、ジャッカルを支配していた『欲望』は、桜乃も、本人すらも予想していなかった行動を彼に起こさせた。
「…!?」
まるでテニスの試合の時の様な俊敏さで、若者は桜乃のすぐ目の前にまで迫る。
そして、何事が起こっているのか分かっていない少女が身動きも取れない間に…
くちゅ…っ
(え…っ)
出していた自分の舌が、何かに包まれて…いや、挟まれている…?
しかも、目の前には、こんなに近くに桑原先輩の顔…が…
「…っ!!」
引こうとした舌が何かに阻まれていることで、ようやく桜乃は今の状態に気がついた。
噛まれているのだ、舌を…相手の歯で!
しかも、向こうの舌でこちらのそれの先端をなぞられつつ、唇も重ねられてしまっている。
「ふ…っ!」
初めての経験…それによって呼び起こされた恐怖に身を捩って逃れようとしたが、いつの間にか腰を抱かれていて身動きが取れない。
そうしている間に、向こうは捕えた舌をゆっくりと愛でる様に自分のそれで舐め上げ、ぴちゃりと音をたてた。
「ん…っ」
濡れた音を聞き、ぞくぞくっと背筋に震えを覚えたところで、桜乃はようやく唇を離される。
しかし一向に熱が引かないまま上を見ると、いつもの温和なそれとは程遠い、焼き尽くすような視線で、ジャッカルが自分を見つめていた。
普段の彼とは…明らかに違う…
「……お前は…俺が好き、なのか?」
今まで見た事も無い、男性としての一面を見せた相手に、桜乃は本能に煽られるように慄きながらも惹かれてしまう。
ほんの少し前、優柔不断な彼に向かって不満を言っていたなど嘘のようだ。
今度は相手の豹変振りに戸惑っている桜乃に対し、ジャッカルは再度問い掛けた。
「お前は…俺が好き、なんだな?」
そう看做して…間違いないな?
確認の言葉に、桜乃は一拍置いて…ゆっくりと頷いた。
「ああ…なら、もうダメだ」
「え…?」
「知らねぇぞ、もう…」
お前は俺が好きで、俺はお前が好きなら…もう遠慮の仕様がない。
「え、あ…っ」
抱き寄せられ、恥らう桜乃に、再びジャッカルが唇を寄せる。
何度も熱い口付けを繰り返し、すっかり身体の力が抜けた桜乃が外出を躊躇うほどに、二人の逢瀬は続いていた……
「いや、多分な、リミッターが外れるんだと思う…」
あの日から、無事に恋人同士に昇格した二人は、今日も一緒に帰り道を歩いていた。
あれからもジャッカルはいきなり人格豹変、などという事はなく、相変わらず温和でお人好しな毎日を送っているが、桜乃と二人きりになり、ちょっとスイッチが入ってしまうと、いつもの優しさに加えて多少強引な『好き好きモード』に切り替わってしまうのだ。
今もそれについて桜乃から指摘され、彼は自分なりの解説を試みている。
「で、いつもはブラジルの血を日本の血が程よく抑えているとゆーか…」
「全てのブラジル人が、ああいう感じだというワケでもないでしょうけど…」
「だよなぁ、俺もまさか自分にああいう面があったとは…」
こうしている時には自覚もないのか、ジャッカルはしきりに頭を捻って、桜乃に不安げに問い掛けた。
「…その、嫌か? そういう俺は」
「嫌ってワケじゃありませんけど…やっぱりちょっとびっくりしますよ。でも、強引でも優しいことには変わりありませんから」
「そ、そか…」
ほっとしたところで、あ、とジャッカルが声を出す。
「…そう言えば、今度の日曜のデートなぁ…またあいつらに捕まっちまって…」
ぽり、と頭を掻く相手に、桜乃は分かっているとばかりにくすくすと笑った。
「ワリカンにしましょ」
「う…スマン…」
「いえ、そういうジャッカルさんの方が、安心します」
「…喜んでいいんだか、悲しんでいいんだか…」
「うふふ…」
そんな事を言いながら、彼らは別れ道のところに差し掛かる。
「じゃ、また明日な」
「はい…」
そして、いつもの様に、別れ際のキス。
恋人同士の特権を堪能してから別れ、少ししたところで、二人は個別になりながらも、ほぼ同時のタイミングで己の唇に指先を触れさせていた。
(今みたいなキスもいいけど…)
(…あの日のキスも良かったよな)
唇だけでなく、舌を触れ合わせ、熱を分け合ったあの熱烈なキス…
今は思い出すだけでも恥ずかしい記憶だけど…いつかまた、あの人と
こっそりとそんな想いを胸に抱いて帰路につく、若い恋人達だった……
了
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