「まー、俺も青学に偵察に行ったことあるけど、設備はそんなに大きく変わらないよな。練習内容は…お互いに特殊だけど」
「はい…」
「で、向こうがコートな、んで、あっちにある建物が運動部の部室が集まって…って、おい」
「はっ、はい?」
 説明していた切原が、何となく反応の悪さが気になって振り向くと…桜乃はそこから数メートルは離れた場所に立っていた。
「…何か、遠くねぇ?」
「そ…そうですか?」
「そうですかって…遠いだろ、どう見ても」
「はぁ…」
「はぁって…何だよ、俺じゃ案内係は不服だってか?」
 むすっと不機嫌を隠そうともしない切原に、桜乃はおどおどと声を掛けた。
「あのう…」
「何だよ」
「あの…もう怒って、ませんよね」
「は?」
「あ、え…その…怒らせちゃったみたいだから…切原さん」
「…はぁ?」
 切原は思わず声を上げ、そのまま口をあんぐりと開けてしまった。
 確かにさっきまでは怒っていた、多少…しかし、自分をそうさせたのは…
「アンタじゃなくてあいつらだろ、怒らせたのは。何言ってんだ? アンタ」
「だって…私、いつもああなんです…その…ドジで…気がついたらトラブルの原因になってたり…私はもう慣れてるからいいですけど、周りの人が」
 聞いている間に何だか脱力してくる…
「あーそう…取り敢えず、慣れるのはやめといたほうがいいぜ。ロクなコトにならねぇ」
「はぁ…」
「とにかくだ! 俺はもう怒ってねぇよ…ってか、女に当たるほど堕ちてもいねえっての」
「…すみません」
「だーかーら! 謝らなくていいって…」
「喧嘩はいけないな、赤也」
「!!!!!」
 ともすれば、延々と続きそうな問答を終わらせたのは、柔らかで優しい声だった…が、それを聞いた切原は石像の様に硬直してしまう。
「ぶっ…部長」
「やぁ、竜崎さん」
 切原がゆっくりと振り向いている間に、その立海のテニス部部長は少女に対してあくまで丁寧に挨拶をし、その隣にいた副部長が代わりに切原を厳しい表情で見下ろしていた。
「赤也、さっきのサーブは何だ! 何処に打とうとしていたのかは知らんが、あまりにもノーコン過ぎるぞ! 部外者に怪我でもさせたらどうする!!」
「うげっ、見てたんスか!?」
「勿論だ。お前がサボりたそうな顔をしていたからな」
「うっ…」
 反論…出来そうにないな、と切原は肩を落としたが、そこに入ったのはまたも桜乃だった。
「あ、あの、真田さん」
「うん…?」
「お、お久しぶりです…あの、切原さんのことは、私の所為ですから」
「? どういう事だ」
「い、いやその〜…っ」
 慌てて切原が止めようとするが、桜乃は続けた。
 このままでは切原が必要以上に責められてしまう。
「私が困っているところを切原さんが助けてくれたんです。だから、切原さんだけ責めないで下さい。元はと言えば、私の所為でもありますから…」
「…アンタ…」
 真田の強面と威圧の声に負けずに、しっかりと意見を言える女性は立海でもそう見たことはない。
 下手をしたら教師でも怯える相手なのに…
「…ふぅん」
 桜乃の様子を伺った幸村は、口元に手を当てて少し考えた後、こく、と頷いて安心させるかのように微笑んだ。
「…俺達がいた所からは、最初に君がいた場所は見えなかったからね。ボールが飛んでいったところで初めて君がいると気づいて、もしや危害が及んだんじゃないかと心配したんだよ。切原のボールはそれなりに威力があるから…ワザとミスしたとしても」
「は…ははは」
 笑う切原の顔が青い。
 ばれてる…全部ばれてる…
 これは、桜乃の救済がなかったら、エライ目に遭うところだった…
「どうやら俺達も知らないトラブルがあった様だ、迷惑をかけたね、竜崎さん。切原、後で詳しく事情を聞かせてくれ」
「は、はい…わかったっス…」
 これは、あの先輩方、生きて帰れるか分からないな…と思いながらも、切原は即決で彼等を人身御供に差し出すことを決定していた。
 元々向こうの責任なのだ、こちらが命の危険を懸けてまで守ってやる義理もないだろう。
「弦一郎、赤也についてはそれでいいだろう、別に本当にサボっていた訳じゃないし…」
「ふむ…そうだな」

 ラッキ―――!!

 心の中でガッツポーズをとった切原の目に、偶然、先にある校舎の前を歩く一人の女性が見えた。
 ポニーテールのスポーツウェアを纏った女性…青学のテニス部顧問だ。
「なぁ、あれアンタのばあちゃんじゃないのか?」
「あ、本当、おばあちゃん」
「どうやら君を探しているみたいだね…会ったばかりで残念だけど、またおいで」
「はい…お騒がせしました」
 ぺこんとお辞儀をする少女を好意的な視線で見下ろして、真田が切原に向き直る。
「赤也、お前が送ってやれ。くれぐれも竜崎先生に失礼のないようにな」
「あ…はい…んじゃ、行くか竜崎」
「はい」
 大任を任された…のだろうか…
 微妙な感じではあったが、特に逆らう必要もない切原は頷いて、桜乃を連れて校舎へと歩き出した。
「悪かったな、世話かけさせて」
「え?」
「さっきの話だよ。アンタがいなかったらとんだ誤解受けるトコだった、助かったよ、有難うな」
「そんな…私こそ、切原さんのお陰で助かりました」
「そか、じゃ、あいこってことで」
「はい」
 にこ、と笑う竜崎の顔が、やけに近い気がする…
(あ…)
 さっきまでの距離でなく、桜乃が自分のすぐ隣で歩いている。
 何ということはないが、垣根が取り払わせた感じで、切原は少し気分が良くなった。
「なんだよ、やっと安心したか?」
「え?」
「さっきまでは随分遠くで警戒してたじゃん」
「あ、はい、そうですね」
(速攻で肯定かよ…)
 内心突っ込むが、かろうじて切原はこの時は平静を装った。
 自分より年下に、何でもかんでも本気で突っかかるのはあまりに大人気ない…越前リョーマは別としてだ。
「でも…今の切原さんは、恐くないです。優しいですから」
「…は?」
 あまりに唐突な発言に切原が目を丸くする隣で、桜乃はさらりと付け加える。
「あんまり怒らない方がいいですよ、切原さん。笑った方がいいです」
「な…なんだよそりゃ! 変なコト言うなよな…どんな顔すりゃいいかわかんなくなるだろーが」
「それなら笑えばいいですよ」
「だから何でそうなるんだって…」
「ダメですか?」
「ダメとかそういう話でもねぇっての」
「……」
「……」
 しゅん…とうな垂れる桜乃が無言になり、それに伴い切原も無言にならざるを得なくなる。
(え〜〜〜〜〜〜っとぉ)
 重い…ひたすら重い……
 まだ竜崎先生の所に着かないのかな〜と思いつつ前を見るが、結構そこまでは距離がある。
 そこに辿り着くまでに、この重い沈黙の中を歩いてかないといけねーの…?
 ねぇ、これって俺のせい? 俺のせいになっちゃうワケ?
 ぐるぐると頭の中をそんな考えが渦巻き、それは自身の眩暈にすら繋がってくる。
 ダメ、降参、耐えらんねー。
 副部長の拳骨食らってる方がまだましだーっ!
「分かった!分かった! なるだけ笑えばいいんだろ、笑えば!」
 手で顔を隠しつつ、切原はあえなく少女に降参した。
「けど、いつもバカみたいに笑うワケじゃないからな」
「バカになれなんて言ってませんよ?」
「………」
 話せば話すほどに積もり積もってくる、この疲労感は何だろう…・?
「あー…そうでしたね、はいはい」
 精神的な疲労がたまると、人間、笑うしかなくなるんだなー…初めて知った。
「…何だか疲れた笑顔ですけど…」
「うん…今はこれで勘弁して」
「はぁ…」
 ふらふらとふらつきそうになるのをかろうじて堪え、切原はようやく彼女を祖母の許へと送り届けた。
「こら桜乃、見学はいいと言ったが、迷惑をかけていいとは言っとらんぞ?」
「ごめんなさい、おばあちゃん」
 祖母は孫娘をきつく叱った後で、立海の部員に丁寧に礼を述べた。
「すまないね、切原。ウチの孫が迷惑をかけてしまって、練習の邪魔になっちまったかねぇ」
「いや、いいッスよ。迷惑かけたのはこっちもなんで」
「そうかい? でも、取り敢えずは有難うよ。もし迷惑だったら、すぐに追い出してくれて構わない、ここはあんた達のコートなんだからね」
「…大丈夫だと思いますけど」
 あの部長と副部長のお気に入りである以上は…
「じゃあ、私達はこれで失礼するよ。ほれ、桜乃」
「はい、おばあちゃん。有難うございました、切原さん」
「おう、じゃあな」
 これまで、自分が上手く笑えているかなーなんて思いもしなかった…と思いつつ、切原は笑って手を振った。
 なかなかの笑顔だったのか、最後に見せた桜乃の笑顔は嬉しそうで、切原の努力も報われる。

「……変なヤツ」
 二人が見えなくなり、切原はぼそっと呟いた。
 俺のことを優しいだなんて、初めてじゃねぇの?
 けど、まぁ、悪い気はしないけど…
 しっかしアイツ、俺の何処見て優しいなんて言ったんだろうな…助けはしたけど、そんな事、普通誰でもやるだろう? 違うのか?
 自分さえ知らない自分の優しさ…
 それを指摘された切原は、少しだけ、自分でも気づかない程度にほんの少しだけ、笑っていた…






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