夢の家


 とある日の夜…
「…前方確認」
 或る家の門から続く塀の角で、きょろきょろと辺りを見回す不審な影があった…
「…後方確認…敵兵不在確認……・おっし、今だっ!!」
 辺りに自分以外の人間がいないことを確認した不審な影は、角から飛び出すと一気にその家の門へとダッシュをかけて、やたら明るい光が差し込むそこを抜け、鍵が開けられていたドアの中へと飛び込んだ。
 すわ強盗か、という実に怪しさ極まりない来訪の仕方だったが、ドアの向こうの玄関では、静かに行動するべき強盗が、怒りに燃えた叫びを上げていた。
「ぅ姉貴―――――――!! 何だよアレ、またレベルアップしてるじゃねーかっ!!」
『あー赤也? おかえりー』
 怒気の篭った叫び声に対して返ってきたのは何とも気の抜けた返事であり、それが更に強盗犯…いや、この家の住人である切原赤也の怒りを増幅させた。
「人のハナシをちっとは聞けってんだ!!」
 叫びながら、肩に担いでいたテニスバッグを玄関にそのまま投げ置くと、どかどかとリビングへと向かってゆく。
 がちゃっとそこへと至るドアを開けると、既に帰ってきていた実の姉がのんびりとくつろいで本を読みながら煎餅を咥えていた。
「姉貴! もーいー加減にしてくれよ!! 毎日毎日、どっかで何かが増えてんじゃんか! あんなギラギラしたトコロ毎日抜けて帰ってくる俺の身にもなってくれよ!」
「キレーでいーじゃない」
 弟の叫びに一切動じることもなく、姉は煎餅をぱりっと口で割り折って、もぐもぐと食べながら本の頁をぱらりと捲った。
 二人が何についての話をしているのかというと、答えは彼らの住む家の外観にある。
 クリスマスが近くなると、一部の家屋でよく見られるクリスマスイルミネーション。
 切原赤也の家が、今、まさにその旬の時期を迎えていた。
 色とりどりのライトは言うに及ばず、屋根やら壁やら窓やらにも、びっっっしりと何らかの電飾が掛けられ、夜ともなると、それこそ昼とも見紛うばかりに明るくライトアップされているのである。
 元凶は…自分の母親と姉。
 やたらと派手なコトが好きなこの二人が、よりによってタッグを組んでしまったのがまずかった。
 最初はささやかな電飾だけだったのが、今はもう御近所では知らない人のいない程にグレードアップして、すっかり夜の珍名所となってしまっている。
 特に姉の気合の入れ方は凄まじく、日を追うごとに、何らかの新しいアイテムを何処かから調達してくるのだった。
「アンタだって、最初は大はしゃぎだったじゃない。それに何か物足りないって言ってたし。あたし聞いてるわよ、その台詞」
「ええお姉さま、申し上げました、確かに」
 一転、丁寧な口調で認めたが、無論そのまま引き下がる切原ではない。
「だからって世の中限度ってモンがあらぁな!! 今じゃもう殆どチンドン屋の根城みてーになってるし、何で住んでる俺がこそこそ隠れて帰らなきゃなんねーんだよっ!!」
「お父さんみたいに堂々と帰ればいいじゃない。じゃなければ明るい内に帰れば?」
「それが出来れば苦労しねーっての!!」
 切原が所属している男子テニス部は毎日の練習量も非常に多く、帰りはいつも遅くになるので、当然家に着く頃には眩い灯火が豪華絢爛に灯されているのである。
 自分の父親は特に気にする風でもなく悠々と帰って来るのだが、思春期の男子には色々と難しい事情というものがあるのだ。
 そして更に、切原の怒りの理由は…
「お陰で電気代がかさむって理由で、俺の小遣いまで十パーセント引き下げられるし…! 世の中値上げブームだってのに、何で俺の小遣いだけ時代に逆行しなきゃなんねーんだ! これじゃあ欲しいシューズも買えねーよ! それに…」
「それに? 何よ」
「こんな爛々と灯りがついてたら、サンタさんが避けて通っちまうだろうが!! 小遣いも下げられてその上サンタさんまで来なかったら、俺、これから何を生き甲斐にして生きていけばいーんだよっ!!」
「………」
 中学生にもなって、本気でサンタを信じているような希少な存在は、おそらくこの男ぐらいだろう。
 疑わない心は美しいものだが、ここまで来ると度が過ぎる…
 無論、姉は知っている。
 自分達の親が、それこそ自分のイルミネーション同様に、ノリノリで毎年、家の屋根に足跡をつけ、庭にはトナカイの糞に似たモノをまき、プレゼントを子供達の枕元に置いているという事実を。
 それもまた愛情であることはよく分かっているが、流石にこの弟を見ていると、やり過ぎだったのではないかとも思うのだ。
 まぁ、親からしたら、喜んでもらえている分サンタ冥利に尽きると思うが。
 ため息をつきつつも弟の夢は壊さず、姉は至極、現実的な対処法を提案した。
「…じゃあ、恋人でも作れば? 誘ってウチのイルミネーション見せたら、それこそ確実に落とせるわよ」
「俺の評価をな」
 切原の答えはそっけなく、彼はけっと後ろを向けながらこそっとぼやいた。
「やってる本人が出来る気配もねーってのに、なに寝言言ってんだよ」
「あーかーやーっ!!」
 小声だったが、それを聞き漏らさなかった姉が煎餅を入れた器を投げ、見事に切原の頭を直撃する。
「どあっ!!」
 姉に虐待された哀れな弟がリビングで倒れて力尽きた時、『もうごはんよー』という呑気な母親の声が響いた…


「いてててて…」
「あれ? 切原、どうしたんだい? 怪我?」
「あーいや…ちょっと家庭の事情で」
 翌日の部活の時、後輩が頭を擦っているのを部長が見つけて声を掛けると、相手はむ〜っと渋い顔で答えた。
 まさか、姉におやつの器でコブ作られました、とは言えない…
「家庭内暴力か、ほどほどにしとけよ赤也。今にパンダ色の車が迎えに来るぞ」
「俺が犠牲者なんスけど…」
 物騒な忠告をする銀髪の先輩に一言物申したところで、この部には珍しい女性の声がかけられてきた。
「え? 切原さん、何処か怪我したんですか?」
「…ありゃ?」
 驚いてそちらを見ると、部室の壁際に立っていたおさげの少女が、心配そうに自分を見つめている。
 竜崎桜乃という青学の一年生なのだが、自分達立海のレギュラーメンバーにとっては友人というか、テニスの後輩というか…とにかく懇意にしている人物だ。
 特に切原については、彼女に対しては越前リョーマに対する態度とは遥かに違う、それはもう天と地ほども。
 あの生意気一年生とは違って、この娘はやたらと素直で気配りも出来る優しい子。
 やや気弱な面はあるが、そこがまたこの男所帯でむさ苦しい部において一服の清涼剤の様な役目を果たしているのである。
「なんだ、竜崎来てたのか? いつから?」
「さっきですよ。おばあちゃんと一緒に来たんですけど、ちょっと遊びに来てしまいました、お邪魔はしませんから」
「おー、そうか。ま、ゆっくりしてけよ。俺達は練習であんまり構えないけどな」
「お構いなくー。私が勝手に来ているんですから、もし邪魔ならそう言って下さい」
「んなこたねーよ」
 こんな感じである。
 まぁ、切原に限らずメンバー全員、似たようなものであるが。
「…ところで切原さん、頭はどうしたんですか?」
「あーいや…ちょっと家で姉貴とな…」
「喧嘩したんですか?」
「いや、喧嘩というか…まぁ、ちょっと色々あったんだよ」
 言葉を濁している切原と、興味津々という桜乃の会話の中に、そこに丁度居合わせていた部長である幸村が笑顔で入ってきた。
「…もしかして、またあれかい? 切原の家って、今イルミ…」
「わ―――っ! わ―――っ!! わ〜〜〜〜っ!!!」
 部長の発言を掻き消すように、切原はぶんぶんと手を派手に振り回しながら声を上げた。
「きゃ…」
 驚く桜乃の前で、切原は部長を連れて部室の端へと移動すると、相手と頭を突き合わせて小声で訴えた。
『部長っ! それについては、今も着実に家で増殖中なんで、マジで触れないで下さいっ!』
『増殖って…綺麗じゃないか、女の子はああいうのは好きだから、誘って見せてあげたらいいのに』
『作ってんのは姉貴ですって! それに、「わーい、僕んち、こんなに凄いんだぞ〜」なんて、ギンギンギラギラの家見せたって、引かれるだけでしょ!? 最近では見た目だけじゃなくて、熱で引火して火事になるんじゃないかマジで心配なんスよ、俺!!』
『うわぁ…何だか俺も興味湧いてきた…』
『勘弁して下さいってば!!』
『はいはい、分かったよ、切原』
 笑って頷いた部長はひとまずそこから離れると、不思議そうにこちらを見つめる桜乃に微笑んだ。
「ちょっとしたアクシデントみたいだね。まぁ、コブ一つで済んだみたいだし大丈夫だよ」
「そうですか…切原さん、お大事に」
「あー…あんがと、竜崎」
 何とかピンチを乗り切った…と思っているのか、切原の胸が安堵で大きく動いたが、その彼に部長が今度は真面目な表情で言った。
「さ、切原。そろそろ次の練習に移ろう。竜崎さんが邪魔しないって言ってくれてる以上、彼女を言い訳にするのは許されないよ」
「は、はいっ! んじゃな、竜崎、また!」
「はい、頑張って下さいね」
 切原は、部長の厳しい言葉に一気に背中を押されて、すぐにコートへと向かうべく部室を後にする…と、その後、手を振って切原を送り出した桜乃に、さりげなく幸村が尋ねてきた。
「…竜崎さん、クリスマスによく見る、家のイルミネーションってどう思う?」
「え…?」
「竜崎さんは、そういうのって興味ない?」
「いえ、ありますよ? 夢があって、凄くいいですよね! 綺麗に飾られている家を見ると、つい立ち止まって見ちゃいます」
 笑顔で語る少女に、幸村も同じく微笑んで予想していた通りだと数回頷く。
「…ふぅん。やっぱりそうなんだ」
「あの…それが、何か?」
「いや…何でもないよ。ちょっと聞いてみただけ」
「? はい…」
 その時の会話はそれで大した進展もなく、そのまま終わったのだが…

 新たな進展が生じたのは、部活が終了した後のことだった。
「じゃあみんな、今日はお疲れ」
『お疲れさまでしたっ!』
 揃った挨拶も終わり、全員がばらばらと散ってゆくところで、幸村は再度、結局練習を最後まで見学していた竜崎を呼び止めた。
「これから帰るんだよね」
「はい…おばあちゃんは先に帰るってことでしたから、駅に行くつもりですけど」
「そう…じゃあ、一つお願いしていいかな。そんなに遠いところじゃないから俺も途中まで一緒に行くけど、届けてほしい物があるんだ」
「? それって…何ですか? 誰に?」
「まぁ、それはお楽しみってところで…準備が出来たらすぐに行くよ。ちょっと待ってて」
「あ…はい」
 幸村が部室に消えてからしばらくして、外で待っていた桜乃に今度は切原が駆け寄ってきた。
「よ、竜崎。良かったら、途中まで一緒に帰らねーか?」
「あ、切原さん、お疲れさまです。あの、それがこれから、お届けものを頼まれちゃってて…」
「届け物? 何処に?」
「それがよく分からないんですけど…幸村さんが途中まで一緒に連れて行ってくれるって…」
「…部長が?」
「はい」
「ふ…ふーん…そっか…」
 桜乃から視線を外した切原が、何となく不安そうな表情を浮かべる。
(何だ…? 届け物って…てかそれより、部長、もしかしてコイツに気があんのか…? 参ったな、凄ぇ強敵じゃねぇか)
 実は、桜乃に仄かな恋心を寄せる二年生エースが、心の中で焦燥にかられているのには全く気付くこともなく、当の相手はにこにこと笑いながら少年を見つめている。
「切原さんも、一緒に行きますか?」
「あ? あ〜いや…俺は、いいや…ん、じゃあ、またの機会にな」
「そうですか? 残念ですね…」
「おう、また誘ってくれな」
 会話が丁度途切れ、切原がその場を去ったところで、タイミング良く着替えを済ませた幸村が歩いてきた。
「お待たせ、さぁ、行こうか。そんなに遠くないからよろしくね、竜崎さん」
「あ、はい…お願いします、幸村さん」
「うん」



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