愛のデリバリーサービス(前編)
「今年の九月二十五日は金曜日…と」
九月に入って間もなくの頃、立海テニス部の部長である幸村精市は、自分の手帳のカレンダーを開き、その日の日付の部分にきゅっと丸を付けていた。
場所はテニス部部室内、時間は授業を終えてすぐの放課後だ。
これから彼を含めたテニス部員達が、順次集まって今日の練習内容をこなしていくのだ。
しかし、今部室に来たばかりで、開始時間にもまだ余裕がある幸村はまだ制服姿のままだ。
そこに、副部長である真田を始めとする、他の三年生レギュラー達が続々と入ってきた。
「精市、もう来ていたのか」
「あ、弦一郎。ううん、俺もついさっき来たばかりだから…」
にこりと穏やかな笑顔で親友にそう返した幸村は、入ってきたメンバーの中に一人、二年生エースがいない事を確かめた。
「…切原はまだ来ないのかな?」
「一年と二年は確か、俺達とは時期がずれる形でそろそろ中間試験の準備時期だ。ホームルームが長引いているのかもしれないな」
「成る程」
もしそうなら、今頃は試験範囲についての説明やら何やらが行われているのかもしれないな…と思いつつ、幸村は好機とばかりに全員に呼びかけた。
「本人がいないんなら丁度いいね。みんな、そろそろ切原の誕生日なんだけど…」
「お、そっか」
「そーいや今月だったよな」
ダブルスペアのジャッカルと丸井がそうだそうだと頷いていると、その隣に並んで立っていたもう一組のダブルスペアもああ、と納得の態で幸村に言った。
「そうか、そろそろ考えんといかんのじゃな」
「余裕があるからと言って先延ばしにしておくのも危険ですからね」
そして、皆が自然に幸村の周囲に集まって円陣を形成する。
それは彼らにとって年に八回ある或る恒例行事…しかし各々が参加出来るのは、その内の七回分のみ。
何かと言うと、各レギュラーメンバーの誕生日に際してのプレゼント検討会である。
当然、当人は自分のそれには参加出来ないのだ。
彼の知らない処で検討会はこっそりと行われ、そして誕生日当日にプレゼントは中身が完全サプライズの状態で渡される。
お互いに気心が知れた仲間達であり、色々と語り合う事も多い彼らにとっては珍しい秘密主義のイベントだが、だからこそ彼らは大いにこれを楽しんでいた。
渡されるプレゼントは大体一つ。
八人それぞれが選べば八つ贈る事は可能だが、やはり中学生という身分上、あまり高価なものを買う事は難しい。
しかしそれぞれがお金を出し合って合わせたらそれなりの金額になり、当人が買いたくても手を出しにくい物でも買える可能性は高くなるのだ。
大切なのは数ではない、金額でもない、その人が欲しいと思っているものを与えて祝ってやりたいという気持ちだ。
「じゃあ、いつもと同じぐらいの予算でいいかな…余ったら、それはパーティー分の予算に回すってことで…」
「パーティーはいつものファミレスでええかの」
「あ、そう言えばその時期フェアやってるから、寧ろそこがいいな〜」
「では一応、そこに当日の夕方に予約を入れておこう」
誕生日当日の打ち上げパーティーについてはそれ程悩む事もなく次々と決まっていき、その予定があらかた決まった後で、さて、と全員が仕切り直す様に沈黙した。
それを破ったのは…部長の幸村だった。
「…肝心のプレゼントなんだけど、何がいいかな…切原が欲しがってるもの、誰か知ってる?」
まぁ大体は察しがつくけど…と思っていたところで、丸井がはい、と挙手した。
「何か、新作のゲームについて騒いでたぜい」
意外性も何もなく、あーやっぱり、と全員が納得の意味で溜息をつく。
あの立海一のわんぱく小僧は、とにかくテニス以外になると自堕落な生活を地でいっている。
寝坊、遅刻、ゲーム好き、ついでに言うと喧嘩っ早くて勉強苦手。
聞いているだけならあまり根性が据わってない様なキャラとして捉えられがちだが、学校内で殆ど保護者的な立場である真田の言う事によると、『あの根性の据わり方は並の人間のものではない』とのこと。
大体の人間はそれを聞いて、あの厳格な男に褒められるとはなかなかの人物、と思うかもしれないが、何ということはない。
『俺の鉄拳制裁を一年以上受け続けて一向に生活態度が改善されないとは! 普通の人間だったら一発、二発で片は着く!!』
つまりはそういうコトだ。
根性は据わっていても、その方向性が激しく間違っているらしい。
「ゲームか…確か去年もそうだったよね」
幸村は、人が求めるものはそれぞれ自由だし止める権利もないよね、と割とその提案については肯定的だったが、去年と同じものであるというところが少し引っ掛かっているらしい。
「ま、別にいいんじゃないか? 全く同じタイトルのヤツを贈る訳じゃないし」
「口に出して騒ぐって事はそれだけ気持ちも乗ってるって事だろい? 単純なヤツだし、特に捻らなくてもいいんじゃねい?」
ジャッカルと丸井は、それを贈るのが一番だろうとあっさりと賛成派に傾いている。
「…俺としては児童図書をセットで贈りたいぐらいなんだがな」
熟読して生き方を改めろ、という意味を込めての台詞だったらしいが、それを口にした真田に、柳生が諭す様に言った。
「気持ちは分かりますが、贈ったが最後、切原君がどういう行為をするのかは目に見えています」
「ん?」
「積ん読(つんどく)」
「…………」
これ以上的確な予想もないだろう、と思いつつ、柳が最終的に幸村に確認を取った。
「代案も今ひとつの様だし、赤也がそれを望んでいるということであれば失敗はあるまい。そのゲームを贈るということで話を進めてもいいだろうか、精市」
「うん、それでいいと思うよ。じゃあ何ていうタイトルかを調べないとね」
「………」
話が進んでいく様子を、何故か神妙な顔でじっと仁王が見つめていたが、そこに遅れてドアを開いた二年生エースが入ってきた。
「ちーっす! すんません、ホームルーム今終わって…」
ナイスタイミング。
丁度話も上手いところで終わっていたので、先輩達は普段と変わりない振りをして相手を誤魔化しに掛かった。
「ありゃ? 何みんなで話してたんスか?」
「いや、そろそろ一年と二年は試験の時期だねって」
「あーもー、その話は止めて下さいよ…今しがた試験範囲聞いてきたばっかなんスから」
「ふふ、ごめんごめん」
相手が苦手な話題を敢えて振る事でそれ以上の追求を幸村がかわすと、続けて柳が偵察作戦を敢行する。
「ところで赤也。俺の親戚の子が最近ゲーム機を買ってもらったそうなんだが、何かお前のお薦めのものはあるか? 同じ男なら好みも似ているだろうから参考に聞かせて欲しいのだが」
誕生日が近い人間なら、その台詞だけで何となく察しがついてしまいそうな質問内容である。
『…あれ、確か去年も全く同じ台詞で探り入れてなかったかい? 柳のヤツ』
『ああ、俺も覚えがあるなぁ…』
あの時はバレるんじゃないかと傍で聞いていて冷や冷やしたものだったのに…と丸井とジャッカルがこっそりと聞き耳を立てていたが…
「あ、別にいーっすよ。今度新しいゲームが出るんスよ! 欲しいんすけど、親は試験の結果次第だって言って…」
去年と全く同じ台詞を振られながら、切原は全く気付く様子も無く、相手の相談に乗っていた。
去年と同じ台詞…なのに、全然気付いてないっぽい。
『…そう言えば、去年も散々柳に語った後で、誕生日当日にそのゲーム貰った時、『エスパーっすか!?』って騒いでいたよなぁ、アイツ…』
『うん…多分今年も言うんじゃないか』
単純って幸せなんだなーと彼らが生温かい目で見守っている向こうでは、しっかりと切原が欲しがっているゲームの名前を聞き出している柳が淡々とそれをメモしていた。
その時、それを眺めていた仁王がつと動いて、ぼそ、と幸村に囁いた。
『そのゲーム、一応予約するのは構わんが、買うのはギリギリまで待った方がええのう』
「? 何でだい?」
『いや…何となくじゃよ…なーんか胸騒ぎがするんよな…』
「…? うん、別に急ぐこともないから覚えておくよ」
不思議に思いつつも、相手の言う事に、幸村は素直に頷いていた。
そして切原の誕生日前日…
「仁王の言った通り、ギリギリまで遅らせたけど、流石に今日がリミットだよね」
「本来の発売日も先週の話だったのだ。試験も近いし親が買ってくれるという可能性もほぼ無かったから問題はあるまい」
「そうだな…じゃあ部活が終わった後で、誰かが代表で買いに行けば問題ないだろ」
いよいよ明日が本番の日!ということで、先輩達はいつかの時と同じ様に、部室でその準備の為の最終確認を行っていた。
そこに、明日の主役がいつになく晴れやかな、嬉しそうな顔で入ってきた。
「ちーっす!!」
「やぁ切原…どうしたの? 随分とご機嫌だね、何かいいことでもあった?」
「そりゃあもう!!」
よくぞ聞いてくれました!とばかりに、その若者は嬉々としてその理由を語りだした。
「昨日、遠方からウチの叔父さんが遊びに来たんですけど、折角久しぶりに会えたからって好きなものを買ってくれたんスよ」
「ふぅん……え?」
好きなもの…?
ざわ…っ
切原以外の全てのレギュラー達の背筋に、寒いものが走った。
誰もが軽く聞き流している振りをしているが、同じ境遇の幸村には、皆が同じ予感を感じている事が分かった。
まさか…
「そ、そう…好きなもの…何を買ってもらったの?」
正直、聞きたくなかったが、こればかりは聞かない訳にはいかない。
水面下では緊張状態の先輩達の内心を知る事なく、切原は無邪気に答えた。
「先週発売したばっかのゲームっす!! 暫くはアレで楽しめるかと思うと、気合いも入るッスよ〜〜」
(やっぱり〜〜〜〜!!)
気合いが入っている後輩とは裏腹に、見事に予想が当たった先輩達はがっくりと脱力感に襲われていた。
(あーあ…予感的中)
唯一、幸村に忠告していた仁王だけは、割と冷静に事実を受け止めている様子。
(無意識下でもここまで俺達を困らせるのかコイツはっ…!!)
(憎んじゃダメだ! コイツは何も知らないんだから…!! 知っててやってたら即ボコだけどな!!)
必死に感情を抑えている丸井達の隣にいた柳生が、柳に近づいて耳打ちする。
「どうしましょう、柳参謀…プレゼント、同じ物は流石に…」
「そうだな…仁王の忠告に助けられたのはせめてもの幸いだった。予約を取り消せば、予算はまだ生きているからな…しかしゲームの他にあいつが欲しいものか…」
どうやって聞き出そうか…しかし聞き出してもそれは果たして自分達で買えるものだろうか?
さて困った…と思っていると、切原が楽しそうな表情から少しだけ不満げなそれへと変わっていき、ぼそりと小さな愚痴をこぼした。
「けど、週末はちょっと憂鬱なんすよねー。土曜は俺が留守番して、家事もする様にって親に言われちゃって…試験前にゲーム買ってもらったペナルティーだって」
「ふぅん」
「あーあ、試験を代わりに受けてくれるロボットとか、勝手に家事やってくれるロボットとかいねーかなー」
呑気にそうのたまう後輩を見て、真田が怒りを押し殺した声で幸村に囁いた。
『どうしてこんな怠惰な奴の為に、俺達がここまで心を砕かねばならんのだ…!』
『言わないでよ、俺も同じ事考えてたんだから…』
やれやれと肩を落とした部長だったが、それからすぐに、はっと何かを思いついた様に目を見開き、静かに考え込んだ。
待てよ…今の切原の台詞…そこに何かヒントが隠されていた気がする…
「あ…」
その答えに行き着いた幸村が改めて切原を見上げ、対する相手は、何事かときょとんとした瞳を向けるのみだった。
そして翌日
「ハッピーバースデー!! 切原っ!!」
「いやいや、どーもッス〜〜」
予約していたファミレスで、切原は先輩達から祝福を受けて思い切り上機嫌だった。
「今日は君の分はチャラだから、思い切り食べなよ」
「おおっ!」
歓喜に沸く後輩に、但し、と幸村が条件を出した。
「…君にあげる筈だったプレゼントなんだけど、それは今日はあげられないんだ」
「へ?」
「明日、君の家に届くように手配しておいたよ。どうせ留守番で家にいるんだろうから、ついでに受け取ってくれるかな」
「はぁ…そりゃ別にいいっすけど…何ッスか?」
「それを言ったらつまらないじゃないか。君の驚く顔を見られないのは残念だけど、きっと喜んでもらえると思うよ」
「へぇ…そう言われたら楽しみっすね。期待してるッス」
「びびって腰抜かすなよい」
「くれぐれも、道を踏み外す事がないようにな。たるんどる真似をしたら、俺が容赦はせんぞ」
(な、何が起こるんだ、明日…っ!!)
明日届くというプレゼントに興味と不安を抱きながらも、切原はその日は大いに飲んで食べて、思い切り自分の誕生日を満喫して帰宅の途についた。
その帰り道…
「………」
切原は楽しかった会の余韻の中でポケットから携帯を取り出し、かぱりと画面を開いた。
「…ちぇ、来てねーや」
着信メールの報告がない事を確認し、彼は舌打ちして再びそれを畳んでポケットにしまった。
今日と言う日、自分は先輩達からだけではなく、多くのクラスメート達からもお祝いの言葉を受け取った。
クラスや授業のタイミングで会えなかった友人からは、メールという形で受け取ったりもしている果報者である筈の若者は、それでも、誰にも見られていない今は浮かない顔を消す事が出来ない。
(そりゃ、確かに今日は女子テニス部の活動があるって話だったけどさ…お祝いのメールぐらいくれたっていいんじゃねえの?)
他の奴らはどうでもいい…いや、感謝はしているし、蔑ろにしたい訳でもない。
ただ、俺にとっては重みが違うんだ、あいつとは。
素直で優しくて…ちょっと内気なところはあっても、そこがまた可愛くて。
(…あ、もしかして、言うのが恥ずかしいとか…?……や、でもそれも何か違う気がするしな…)
もしかして、あいつ、俺の誕生日そのものを知らなかったり…?
俺はあいつにとって、その程度の奴なんだろうか…
(…まぁ、俺らと同じ立海の生徒じゃないけど、結構仲良いと思ってたんだけどな)
期待したらいけなかったのか…?
誕生日を迎えた若者が暗くなった道の途中、星空を仰いで思いを馳せていたのは、一人のおさげの少女だった。
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