初デートに完敗


 最初に告白したのは俺。
 場所は、コート脇の木の下で。
 下らない話をしている最中に、不意に沈黙の時が流れて…
 その時間を埋めるように、俺は何も言わずにキスをした。
 それから、『アンタが好きだ』って告白して…真っ赤になったアイツは滅茶苦茶可愛い顔して、頷いてくれたんだ……


「ああ、分かったぜ。じゃあ次の日曜な、忘れんじゃねーぞ」
 立海男子テニス部の部室で、部活動が始まる前の時間、二年生エースの切原は酷くご機嫌な様子で誰かに携帯で電話を入れ、何事かの約束を取り付けていた。
「へっへー、楽しみ〜」
 その機嫌は携帯を切った後でも尚続いており、そんな彼を見ていた先輩の丸井が、ガム風船を膨らませながら同学年の柳に尋ねた。
「どうしたんだぃ? やけに切原ご機嫌じゃんか」
「ああ…竜崎と次の休日に会う約束を取り付けていた様だな」
「おっ、ってコトはデートかい? やっるぅ!」
「何と言うか…我が子の成長を見るようだ…」
 ほろりとジャッカルが優しい先輩の心を見せている…だけではなく、やっと自分の不運の元凶が手許から離れてくれると感激している一方で、しかしその事実を伝えた柳本人は、何処か不安を感じている微妙な表情を浮かべていた。
「…どうかしましたか? 柳参謀」
「うむ…いや、切原はこれまで本人に思い入れのある女性と深く付き合った事はないのだが…それでも気の合う女性と遊ぶ事はあったのだ。複数人と」
「…まぁ、別にええと思うがのう」
 固定した恋人がいる場合はそれは浮気で感心出来ない行為ではあるが、只の同級生とか気の合う友人として遊ぶ程度なら構わないだろうと、銀髪の詐欺師はさらりと流した。
 別に大昔の貞操観念ギチギチの時代でもないのだし、あんまり固すぎるのもそれはそれで問題だ…例えばウチの副部長とか。
「…しかし、奴はこれまで一度もそれから彼女たちとの親交が深まる事はなく、寧ろそれを契機に縁が離れている場合が殆どだ。今回もそうならないか、多少懸念がある事は否めない」
「? 何だい? 会っても間がもたないとか?」
「そうか? 今更照れるってガラでもないだろう」
 丸井やジャッカルが首を傾げても、やはり真相は見えず、結局柳からの返答を待つしかなかった。
「…今までのアイツは女性と一緒に遊びに行く時にも必ずゲームセンターは外していない。多少寄る程度ならいいだろうが、ずっとそこに篭るというのはデートコースとしては…」
「うわ最低」
「そりゃあドン引くわ」
 あちゃ〜と二人の先輩が呆れて首を振ったが、参謀はそれでも考えられる望ましい可能性を示唆した。
「まぁ…今回ばかりは相手があの竜崎だ。今までの単なる友人としての女生徒達よりは、流石に考えている事だとは思うが…」
 そこにタイミングも良く、渦中の後輩がその場を通り過ぎようと近づいて来て、柳は彼に声を掛けた。
「赤也」
「あ? 何スか? 柳先輩」
 相手はまだ有頂天なのか、あまりこちらに積極的に意識を向けている様子はない。
「…今度の日曜、竜崎と会うのか。あまり趣味に合わない所は止めておけよ」
「あ、大丈夫ッス。今度、行き着けのゲーセンに面白いゲームが入ったんで、それ見せに…」

 げしっ!!

 最後まで聞き終える事もなく、丸井とジャッカルが切原を思い切り蹴り飛ばした。
 流石にダブルスパートナー同士、こういう時でも息ぴったり。
「お・ま・え・はどーしてそこまで学習能力がないんだ―――――っ!!! 馬鹿なのか!? ええっ!? それとも馬鹿なのかっ!?」
「もーいい、別れろぃっ!! キレーさっぱり別れちまえっ!! おさげちゃんは代わりに俺が貰ってやらぁっ!!」
「わ―――――――――――っ!! 何スか何スか! 暴力反対ッスよ!!」
 尚もげしげしと足蹴攻撃を受けながら訴える後輩の叫びに、詐欺師・仁王はふぅとため息をつきながらゆっくり首を横に振った。
「お前さんに暴力反対と言われた日には、首を括って死にたくなるのう…」
 コートの中で悪魔化した彼自身を見せてやりたい。
 まぁ、日常生活ではああいう姿を見せない分多少はマシ…と思うしかないのだが。
(しかし、竜崎相手でも結局、そこに行き着くとは…或る意味筋を通していると看做すべきなのか…)
 そして、柳生はいまだに先輩達から愛の鞭を受けている切原を助けるでもなく暫く見つめた後…
(…単に馬鹿なんですね)
と、結論付けていた。


「えーと、待ち合わせ場所は、あそこのアーケードのゲームセンター、か…ふふふ、赤也さんらしいな」
 デート当日、切原に言われた通り、桜乃は軽い足取りで待ち合わせ場所になっているゲームセンターへと向かっていた。
 普通の年頃の女子であればゲームセンターを指定された時点で多少、何をか言わんや、ということにもなりかねないが、幸い桜乃はあまりそういう面に関してはこだわりはなく、相手の希望などを優先させる気遣いが出来る子だった。
 それに何より、彼女自身がデート初体験だったので、デートをするという事実だけで朝からドキドキしており、行き先について深く考えるゆとりもなかった。
(わ〜…デートなんて初めてだなぁ…お、おかしくなかったかな、この格好…)
 自分のお気に入りのワンピースに、その淡いピンクに合わせたバッグ、靴も白いサンダルでまとめてみた。
 非常に清楚で、ワンピースの丈も膝下まで余裕であり、露出が激しいワケでもない。
 年齢相応のおしゃれをした可愛い女の子、といった感じであるが、今からデートに赴く本人としては全てが不安に感じられるものなのだ。
(だ、大丈夫だよね…基はあまり自信ないけど、笑顔で乗り切って…)
 基がどれだけ凄いのかを未だに理解出来ていないらしい少女は、一歩一歩踏み出しながら、これから会う若者の事を考える。
 まさか、あんなに唐突に、あんなに熱烈な告白を受けるとは思っていなかった…
 確かに、他の男性達よりは明らかに彼との距離が近かったのは自覚していたけど…妹みたいな存在かもしれないと不安に思ってもいた。
 そんな自分の不安を打ち消すように、いきなりキスをして『好きだ』って…本当にびっくりしたけど、彼のあまりに真剣な顔を見て…凄く嬉しかった。
(強引なトコロもあるけど、優しいし…あ、でもちょっと、ほっとけないトコロもあるかな…)
 切原のことを思い出しながら、ふふっと思い出し笑いをしていた桜乃は、確かにその時、非常に幸せだったのだろう…しかし、そんな彼女を一気に不幸のどん底に陥れる事件が起きた。
 さわっ…
「っ!!!!!」
 突然だった。
 急に少女の柔らかなお尻を、ワンピースの薄い布越しに下から撫で上げるような感覚が襲ったのだ。
 いや、『ような』ではなく…明らかに意志をもって撫で上げてきた。
 場所は何処にである通常の歩道…しかし人はいない。
(ひっ…!!)
 かろうじて悲鳴は心の中だけで抑えたものの、その背筋に走る悪寒で、桜乃はびくんと背を仰け反らせ、一歩も動けなくなってしまった。
 そんな少女の脇を、すぅと通り過ぎて先へ行く一人の人影…
 シャツとジーパンというラフな格好をしていた、後姿の男だった。
 もしかしたら大学生ぐらいかもしれないが、あまりにもあっさりと歩いて行った為に顔までは確認出来ない。
 しかし…
「っ!!」
 はっと桜乃が我に返って後ろを振り向いても、そこには誰もない…つまり、彼しかいないワケだ…自分のお尻を触った不届き者は!!
「ちょっ…何するんですかぁっ!!」
 酷いっ!! 人の…女の子のお尻を撫で回すなんて! 変態っ!
 そのぐらい言ってやりたかったが、あまりの恥ずかしさと怒りの為に、言葉が上手く声に出てきてくれない。
 立ち止まったまま、せめてそれだけ叫んだが、向こうは振り返りもせずにすたすたと何事もなかった様に歩いて行く。
 ここがもし人通りのある道だったら、やらなかっただろう…自分より年下の女子一人だから、大きく騒げないと見越して、さっきみたいな舐めた真似をしたのだろう事は、桜乃にも十分に想像出来た。
 そして何より悔しかったのは…彼の思う通りだった事だ。
 自分が騒いだところで、非力な身体では何も出来ない…下手に騒いだらもっと酷い目に遭わされるかもしれない…その恐怖が桜乃の邪魔をした。
(くやし〜〜〜〜〜〜〜っ!!! デート前なのに、最っ低!!)
 珍しくその顔にあからさまな嫌悪の表情を浮かべながらも、桜乃は歩き出すしかなかった。
 あの男は脇道に入ってしまったらしく、もう姿は見えなかったが、おぞましい感触はまだお尻に残っている気がする。
 少しでも早く忘れようと、桜乃は自分でぱんぱんとお尻を軽く叩きながら、再びゲームセンターへと向かって行った。


「おっ、来た来た。こっち、桜乃」
「あ、赤也さん」
 目的地に到着すると、既に来ていた切原に声を掛けられた。
 先程の不愉快な体験を全て忘れた訳ではなかったが、取り敢えず、相手の朗らかな笑顔を見た事で多少は心も落ち着き、桜乃はいつもの様に笑顔で相手に挨拶した。
「こんにちは、今日は宜しくお願いします」
「お、おう…そんな、堅苦しく考えんなって。ちっとゲームするだけなんだし」
 言いながら、切原はじーっと桜乃を見つめて視線を外そうとしない。
(うっわ〜〜〜〜! 私服だ〜〜)
 いつもは立海の見学に来る時は青学から直接来る為、彼女の制服姿しか見た事が無い…が、今日は勿論制服ではなく、私服の出で立ち。
 桜乃はそのファッションを随分気にしていたが、それだけ悩んだ甲斐はあった様だ。
(あ―――やっぱコイツってば可愛いな〜〜! 可愛いな〜〜!!)
 切原は、表立っては言い難い言葉を、せめて心の中で叫びまくってみた。
「?……あのう?」
 自分の世界に一時逃避していた若者に、どうしたのか、と桜乃が不思議そうに尋ねたところで、相手ははた、と我に返った。
「あ、い、いや、何でもねぇ……えーと、その…に、似合うじゃん、その格好」
「! そ、そうです、か?」
 拙い言葉でも褒めてくれた恋人に、桜乃が嬉しそうに頬を染めて喜ぶ姿は、正に花弁が綻び艶やかに咲く花そのものだ。
「お、おう…」
「有難うございます…その、赤也さんも、凄く…格好良いですよ」
 黒のジーパンに黒を基調としたデザインシャツを纏った若者は、確かにその顔立ちも相まって、若々しい中にもワイルドな印象であった。
 雄々しい、という表現にはまだ若すぎる感はあるものの、男らしさは十分にアピール出来ている。
「そ、そっか?」
「はい…素敵です」
 にこ、と微笑んで褒めてくれた相手の言葉に、早速切原は血圧上昇。
(あー何か、マジでやっべえわ俺!…コイツと付き合ってったら、将来全身の血管ブチ切れるんじゃねーの?)
 何とかしないとなーと思いつつ、鼻血が出ないように鼻を押さえながら、切原は彼女にセンターの中に入るように促した。
「ま、まぁ、ここで服を褒めあってんのも何だしさ…入んね?」
「あ、そうですね…こういう所、滅多に来ないから楽しみです」
 会って早々、お互いの服を褒めあう辺りはいかにも慣れていないデートという感じではあるが、互いが幸せならば大した問題ではないのだろう。
 彼らは若者を先頭に、早速ゲームに興じるべく中へと入って行った。
 屋内は、外が天気が良いにも関わらず多少薄暗い。
 昼日中ではあるが、既に電飾が賑々しく辺りを照らし、合わせて各種の機台から溢れんばかりの電子音で、中は結構騒々しかった。
 休日ということもあり、人も結構いる様だが、場慣れしている筈の切原もその人ごみには不思議そうな顔を浮かべていた。
「っかしーなー…いつもはここまで賑わってないんだけど…俺の知らないゲームでも入ったのか?」
「……あっ、あれじゃないですか? 赤也さん」
 そう言って桜乃が指し示したのは、センター中央にあるカウンターに大きく張り出された『アームレスリング大会』と書かれた宣伝ポップ…日付はまさしく今日!
「っへー、あんな企画があったのか、全然知らなかったぜ」
「久し振りに来たんですか?」
「や、来てはいたけどな。俺の興味は完全にコッチだったし」
 ちょいちょいと近くのゲーム機を指し示して、にっと笑う若者に、桜乃はくすっと微笑みながらこそっと耳打ちした。
『挑戦したらどうですか? 赤也さん、強そうだし優勝出来るかも』
 負けず嫌いの若者なら乗るかと思いきや、相手はあっさりと首を横に振った。
「やだよ面倒臭え…こういう休日ぐらいは、そーゆートレーニングもどきからは解放されてぇんだ」
「うふふ…確かにそうかもしれませんけど」
 そう言っている若者の両腕には、見慣れたパワーリスト…休日であっても、それを外す事は決して許されない。
 何だかんだと言っても、立海の鉄の規律はしっかりと守っている切原に、桜乃はくすくすと笑ってそれ以上の勧誘は避けた。
「じゃあ、赤也さんの好きなゲームを教えて下さい」
「そうそう、そうこなくっちゃな、じゃあこっちに来いよ。面白えモン見せてやるからさ」



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