不思議なトライアングル
「おさげちゃん! 今度の日曜一緒に遊ばねー!?」
「竜崎! 日曜にパーク行かねパーク!」
「ええ…?」
その日、青学の中学一年生竜崎桜乃が、久し振りに立海のテニスコートを訪れると、早速二人の男性の熱烈な歓迎を受けていた。
立海の中学三年生の丸井ブン太と二年生の切原赤也…共に、立海男子テニス部のレギュラーメンバーである。
実は、二人の歓迎を桜乃が受けるのはこれが初めてではなく、以前より、同じ光景は繰り返されているのだ。
何故か? 答えは至極簡単…しかし結構厄介な問題でもある。
実はこの二人、桜乃という少女にぞっこんなのである。
彼女が立海に来るようになってから、最初は妹の様に接していたのだが、次第にそれ以上の思慕の念を抱くようになってしまったらしい。
それが二人の内のどちらかであれば、話は簡単だった。
もし桜乃も相手を憎からず思っていたら、無事に、平和に、一組のカップルが出来上がったというだけの話なのだから。
ところがそこに一人の参入者が出てきた場合、恋愛の成就を賭けたバトルが勃発する。
つまり…今の三人は正に、桜乃を巡って、そういう状態なのだ。
厄介なのは、丸井も切原も立海のレギュラーという同じ立場であり、元々は非常に仲良しの仲間だったこと。
そして、桜乃本人が、まさか二人が自分を恋人にしたがっているなど微塵も思っていないということだった。
これだけ迫られていて何故?という話もあるが、元々来た時から非常にフレンドリーに接し、妹の様に扱われていた事もあり、今の様な状況に『慣れて』しまったということもある。
そして桜乃自身、丸井と切原が非常に仲の良い先輩後輩の関係であった事実も知っているので、彼女からしてみたら、自分をネタに二人がじゃれている…と思っているらしかった。
「おさげちゃんは俺の〜〜っ!」
「ずりーッスよ! こないだだって先輩、一緒に片付けとかしてたじゃないスか! 今度は俺の番でしょ!?」
「はいはい、お二人とも、喧嘩はいけませんよ」
だから、ずっとこんな調子。
自分を巡っての争い(?)であるにも関わらず、桜乃が二人を優しく宥めるという構図が、これまでも幾度も繰り広げられていた。
「…まだ気付かないんだ…凄いね」
それを遠くから見ていた部長の幸村がはぁ…と感嘆の溜息をつく傍らでは、柳が苦渋の表情を隠そうともしない。
「互いにライバル意識が高まって、テニスの腕の向上に繋がっているのはいいのだが…そろそろ竜崎本人に知らせてもいいかとも思う」
「…好きだと言われたら、誰でも分かりそうなもんだがな」
ジャッカルが腕を組んで不思議そうに首を傾げた隣で、銀髪の若者仁王が、ひらひらと手を振って相手の意見を否定した。
「いや、あの博愛主義の娘には通じんと思うよ?…見ときんしゃい」
そう言って、自分の手を口元に当て、彼女に向かって大声で叫ぶ。
「おーい! 竜崎―っ!」
『はい?』
向こうも彼の呼び声に気付いて振り向いたところで、詐欺師は続いて爆弾発言。
「俺、お前さんのコト好きなんじゃー!」
『!!』
向こうの張り合っていた二人だけでなく、周りのレギュラーもぎょっとした表情を浮かべたのだが…
『ふふっ、有難うございます仁王さん、私も仁王さんのコト、好きですよー』
と、呑気な少女の返事が返ってきた。
「ほらな? 多分全世界の人類に、アイツ、同じ返事を返すと思うぜよ」
はっはっは、と楽しそうに笑う彼に、傍の柳生が冷静に一言。
「成る程、これ以上彼女らしい返答もありませんが…後の二人には通じていませんね」
見ると、丸井と切原が一緒につかつかつか…と仁王の方へと物凄い形相で歩いてきていた。
「ありゃ、怒りの矛先、俺にチェンジか?」
別に慄く素振りも見せず、仁王はそれから楽しそうに二人から逃げ回り始め、向こうの少女はそれを不思議そうに見つめていた。
「…嘆かわしい」
ぶすっとした顔で真田が一言呟き、幸村はくすくすとそんな彼らを面白そうに眺めていた。
「可愛いけど、かなりの難攻不落レベルだよね、彼女」
「そりゃなー、難攻不落なのはもうとっくに知ってるっての」
部長がそう言っていた事実を聞かされた切原は、翌日の昼休みに、学校の階段を下りながらそうぼやいていた。
素直で優しい子で、いつでも前向きな少女が気になり始め、彼女のことが好きなのだと自覚したのはつい最近のこと。
かなりの鈍感であることは知っていた、それを全てひっくるめて自分は彼女が好きになった。
あんな良い子、他の誰かに取られる前に自分のものに!と意気込んでいたところに、全く同じタイミングで、先輩でもある丸井が彼女にアタックをかけてきたのだ。
幾ら部活で仲良くしていたとは言え、そこまで息ぴったりにならんでも…と内心はかなり落ち込んだのだが、それでも気を取り直して自分も桜乃にアプローチを始めた。
今のところ…お互いに撃沈してばかりだが。
(これが相手が見ず知らずだったら、もっと楽だったのにな〜…)
凹むぜ…と思いつつ、階段を降りきったところで、少し先の通路から声が聞こえてきた。
『マジ!? おさげちゃんが!?』
「!」
聞こえてきた声質と単語に、ぴくんと切原が敏感に反応を示した。
(今の…丸井先輩、だよな)
声は間違いなく彼のそれだし…しかし、それ以上に気になるのはその言葉。
『おさげちゃん』って…やっぱ、アイツのことだろうな…
切原が気にするのは当然の事であり、彼は小走りにそちらへと向かうと、こそっと陰からその通路の様子を伺った。
やはり、思った通り、丸井が誰か見覚えのない女生徒と嬉しそうに話していた。
「次の日曜に、丸井さんにここに来てほしいって…」
「うん…あ、新しく出来た映画館じゃんコレ…」
聞こえてくる言葉の端々から、何についての話題かが読み取れる。
どうやら、日曜に桜乃から何処かに誘われている様だ。
(嘘だろ…俺、そんな誘い受けたコトねーぞ!?)
まさか…この恋愛は、俺の敗北…?
がーんっとショックを受けている間に、丸井は上機嫌で女生徒から受け取った紙を握り締め、通路の向こうへと走っていった。
「サンキュな!」
「ええ…」
そして丸井がいなくなったところで、切原は必死に意識を保たせつつ考えた。
(い、いや待て…別にデートとかそういうのじゃないかもしれないし…どうやら彼女、竜崎から言伝頼まれたみたいだし、その時のコトを聞けば…)
そうだな、そうしよう…と思って一歩前に踏み出そうとした時だった。
「ねぇ、いいのー? 本当にこんなコトやって」
「ばれたら大変だよー?」
いきなり、数人の賑やかな女性の声が割り入ってきたかと思うと、今まで隠れていたのか、数人の女生徒が出てきたかと思うと、その言伝を頼まれていた女子に近づいていった。
(…ん?)
何だか、様子がおかしい…と、切原は再び足を止めて彼女達の様子を伺った。
別に何かを疑った訳ではない、が、何故かそうしなければならない様に感じたのだ。
それは最早、本能と呼ぶに相応しいもの。
しかし、後に、彼はその時の行動が如何に正しかったかを思い知る事になる。
「大丈夫よ、あの子結構引っ込み思案で内気だから、何か言われても強く否定なんて出来ないんじゃない?」
その言伝を受けた女生徒は、丸井を前にしていた時とは明らかに態度が、雰囲気が変わってしまっていた。
彼の前ではあんなにしおらしい態度だったのに…何かが引っ掛かる。
「丸井先輩にあれだけ迫られてて何の返事もしないなんて、ちょっと勘違いしてるのよ、あの子。この位されたって当然でしょ?」
「そりゃそうだけどー」
「先輩が可哀想じゃない? デートすっぽかされた様に見せかけるなんて…」
その一言が、切原の意識を別の意味で覚醒させた。
先程までの、失恋の可能性で受けたダメージどころではない衝撃が切原の心を走り、ざわっと彼の産毛が総毛立つ。
(……何だって…?)
つまり…どういうコトだ?
あの子が丸井先輩をデートで映画館に呼びつけたっていうのは全くの嘘で…彼女が先輩をデートの待ち合わせ場所に放置したと思わせる為に、こんなコトをした?
そんな事したら…確かに、あのプライドの高い丸井先輩は間違いなく怒るだろう。
激昂して何も知らない桜乃にそんな状態のまま迫ったら、相手は言い訳をするどころか、何も言えなくなってしまう事もありうる。
嫌な気分に吐き気まで感じ始めていた切原の耳に、まだ無遠慮な声は届けられていた。
「もし二人の言い分がかち合ったら、気付かれるかもしれないよ?」
「そうなったとしても、もう完全に元には戻れないわよ。どんなに相手が否定したって、一度自分が邪険に扱われたらそうそう相手の言い分は信じられなくなるんだから」
「いい気味じゃない」
「じゃあ、丸井先輩が待っている処に行って、それからどっかに誘ってみたらどうかな」
「それもいいよね、フラれた腹いせに乗ってくれるかも」
「フラれるんじゃなくて、そう思わせるんでしょー?」
徐々に彼女達の声が遠ざかっていく…どうやら、幸いにも向こうの方へと行ってくれた様だ。
下手に隠れる必要もなく、切原は望んでもいなかった情報を手に入れた。
しかし、それは何とも喜びに欠ける…嫌なもの。
「……」
むかむかする気持ちを抑えながら、切原は顎に手をやり、暫く黙したままだった。
もし…聞かなかったことにしたら?
自分がここにいた事を忘れて、全てを無かった様にしたら…?
あの二人は…望む望まざるとに関わらず、多少なりの諍いを起こすかもしれない。
それとも、彼らの持ち前の性格で、この災難も乗り切ってしまうだろうか?
乗り切ってしまえば、それはまたいつもの生活が戻ってくるだけのこと。
しかし、万一諍いが生じた時は、自分は…?
彼ら二人の間に亀裂が生じた時…その時、自分が桜乃の手を強く引いたら…彼女はここに、自分の許に来てくれないだろうか…?
今までの三人の力の均衡を破り、彼女を手に入れることが出来ないだろうか…?
そう考えたら…これはまたとないチャンスなのかもしれない。
切原が顎から手を離した時、彼の瞳には何かを決意した強い光が宿っていた。
「仁王先輩」
「んー…?」
同じ昼休み、銀髪の若者は昼食を美味しく食べ終えた後、自分の机でのんびりと新刊のテニス雑誌をご機嫌で読んでいる真っ最中だった。
人を騙す才能に長けた若者も、肘をつきながら雑誌を面白そうに眺める姿は中学生相応のものだ。
そんな彼の処にいきなり二年生の後輩が現れ、声を掛けてきたのだが、仁王はまた何か下らない話でもあるのかと、最初は視線すらも送らなかった。
「何じゃ? また辞書でも貸してほしいんか?」
「…ちょっと、相談に乗ってほしいコトがあるんスけど」
「相談…?」
改まったコトを言う…と、珍しい相手の台詞に、仁王は一時雑誌から視線を外し、自分の斜め後ろに立っている後輩を見遣った。
「……」
そこには、いつもと変わらない姿の切原が立ち、こちらを見下ろしていた。
何も言わないいつもの相手…が、その瞳を見た瞬間、仁王の表情から薄い笑みが消えた。
詐欺師は感じ取ったのだ、相手の様子が明らかにいつもと異なることに。
そして、その相談がいつもの軽い話で済むものではないという予感を。
「…おう」
読んでいた雑誌を躊躇いなくばさりと閉じながら、仁王は相手の方へと向き直りつつ足を組んだ。
「…面白そうじゃの……何があった」
まるで、獲物を見つけた狡猾な蛇の様な瞳だった。
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