運命の日曜日…
その日、切原は朝からベッド上で寝転がり、まるでふて寝状態だった。
とにかく、今日は何もやる気が起きない。
(あーあ……力抜けるぜ〜…これで良かったんだとは思ってみてもよ〜…)
起き上がるのすらおっくうだ…と思っていた時…
RRRRR…RRRRR…
「……ん?」
この音は…何だ、自分の携帯か。
ベッド脇に置いていた携帯が鳴り出して、切原はそれにもうんざりといった表情で手を伸ばす。
本当に、心底今は動きたくないらしい。
「何だよ、貴重な休みの日に…もしもし?」
『おーう切原か、俺じゃよ』
向こうから聞こえてきたのは、相変わらず何を考えているか分からない銀髪の詐欺師の声だった。
「!? 仁王先輩? 何か用ッスか?」
『暇なんじゃ、遊ばんか?』
いきなり前振りをすっ飛ばしてきた先輩の明るい声を聞く程に、こちらは脱力感が酷くなる。
自分が今どんな心境か、知らない相手でもないだろうに……
「先輩…ちょっとは俺の気持ちを察してもらえませんかね」
うんざりといった口調の後輩の訴えにも、向こうは全く引く様子はない。
『遊園地に行こうと思うんじゃ、すぐに用意してくれ』
「人の話、聞いてます?」
『聞いとるよ? じゃあ、こっちも話を一つ』
それまで明るい笑みを含んでいた詐欺師の声が一転、何かを企んでいる様な不気味さを思わせる笑みを含んだそれへと変わる。
『来なかったら、お前さんの企みぜーんぶバラしちゃる』
「!!」
『それでもいいならいつまででも寝とってええよー?』
「この人非人〜〜〜〜〜っ!!」
『うん』
しゃあしゃあと返す相手に思いつく限りの文句をぶつけてみたいと思ったものの、今や相手は下手に触れることすら憚られる人間爆弾。
自分の企みは気付かれる訳にはいかない。
それが無事に完遂されるまでは、どうやら相手の言うままに従わざるをえないようだ。
「…分かりましたよ行きますよ。行けばいーんでしょ行けば」
『話の分かる後輩は好きじゃよ、そんじゃ、今から言う場所に集合ってコトで宜しくのう』
「へいへい」
仕方ない、今日は詐欺師の暇潰しになる覚悟で腹を括るか…
集合場所を聞き出して通話を切ると、切原はのそのそと起き出して身支度を整え、家を出て行った。
(しかし、遊ぶにしてもあの先輩が遊園地なんて珍しいな…もっと落ち着く場所とか選ぶと思ってたけど)
そう、例えば…今頃「あの二人」がいるだろう映画館とか…?
(…あ、何かまた落ち込みそう…)
沈みそうになった気持ちを何とかかんとか浮上させながら、切原はそれを前向きに切り替えるべく深呼吸を一つする。
そうだな…こういう心境の時には寧ろ、賑やかな場所に身を置いて、ぱーっと何もかも忘れて遊んでしまえばいいのかもしれない。
まさか、あの詐欺師がそこまで考えて自分を誘った訳ではないだろうけど…
「…で?」
何の事件にも遭わずに無事に目的の遊園地で、待ち合わせ場所に指定された広場に来た切原はきょろきょろと辺りを見回してみた。
あの詐欺師の髪の色なら、かなり離れた場所からでも見つけられる自信はある…相手が変な変装をしていない限りは。
(……してたりしてな、変装)
あの先輩は、本当に自分の予想の範疇を超えたコトを毎度毎度仕出かしてくれるから、気を抜かずにいかないと…
(って、そんな人物に協力依頼した時点で、どっか間違っちゃったのかもしんねーけどさ)
けど、この作戦…成功させるのに一番適した人間は自分の知る限りじゃ彼ぐらいだし…と心の中で自分の弁護を図っている時だった。
「あ…」
「……?」
誰かの声が聞こえたかと思うと、自分の左手に明らかな意志を持って何者かが触れてきたのに気付き、切原はそちらを見た。
艶々とした黒髪を揺らした女性…その顔立ちには見覚えがある。
髪型はいつもと違う様だけど、いつも通り可愛い……え?
「……へ?」
こいつ…竜崎?
髪は下ろした状態だけど…私服だけど…何で彼女がここに?
切原が何事かを言う前に、少女はにこっと笑うと、自分の後ろを振り返って声を大きくして言った。
「丸井さーん、切原さん、いましたよー」
『おう、見っけた?』
返って来た元気な声…間違いなく、丸井のそれだった。
「はあぁ!?」
何で!?
何でこいつら二人がここにいんの!?
だって、今頃こいつら……映画館にいる筈じゃ!?
唖然とするしかない切原の前に今度は丸井が私服姿で現れると、そこに後輩がいる事に驚きもせずに、にひゃっと笑いかけてきた。
「おう、いたいた! おっせーぞい赤也。まぁ、集合時間には間に合ったけどなー」
「しゅ、集合時間!?」
何ソレ!? 何の話!?
「何スかそれ…大体アンタ、映画か…」
がっす!
「〜〜〜〜〜〜〜!!」
桜乃の視界では見えない場所で、丸井は、切原が全てを言い終える前に気合の入った膝蹴りをかまして口を封じた。
「…どうかしましたか?」
「いやいや、ちょっと興奮しすぎて舌噛んじまったみてー、すぐに元に戻るから!」
「はぁ…」
何も知らない桜乃に背を向けた切原は、必死に痛みと戦っている。
その隙に、後輩に膝蹴りをかました先輩は、彼女に聞こえないようにこっそりと耳打ちした。
『俺にフカシこくとはいー度胸じゃねえかよい』
「いちち…いや、何がどーなってんのか…」
RRRRR…
苦しんでいたところに、再び切原の携帯が鳴った。
仕方なく出てみると…
『おう、赤也。丸井達には会ったか?』
と、自分をここに呼んだ筈である詐欺師の相変わらず呑気な声。
慌てて、切原は小声で向こうに呼びかけた。
この異常事態…向こうの詐欺師が一枚噛んでいるのは間違いないっ!!
『仁王先輩っ!? これってどういうコトっすか!? 二人を上手く映画館で待ち合わせる様に誘導する話だったでしょ!?』
結局…切原はあの女子達の話を聞いた後、悪魔に魂を譲り渡す愚行は犯せなかった。
何とか上手い具合に全てをまとめられないか…しかし自分が下手に出しゃばれば、丸井には間違いなく全てがばれてしまう。
そうなると、彼があの女子達に騙されかけてたという事も、彼自身が知るところとなるだろう。
だからこそ、自分の姿を隠す為に、自分は詐欺師にこの問題の解決を望んだのだった。
『丸井先輩にも、竜崎にも気付かれることなく、二人が日曜に映画館で会う様に仕組んでほしい』
それが切原の下した解決策だった。
これでもしかしたら二人の仲は進んでしまうかもしれない…しかしまぁ、塩を送った様なものだと思えばいい。
自分は、恋敵とは言え、先輩を貶めるつもりもいがみ合うつもりも毛頭無いのだ。
その頼みを詐欺師が快諾し、最早間違いはないだろうという事で、今日は頼んでおきつつちょっとセンチな気分に浸っていたところだったのに…
『いやいや、まぁそのつもりだったんじゃがのう、あの後で丸井が来たんじゃよ。何かおかしいってな』
『……おかしい?』
小声で聞き返す切原も眉をひそめる。
『そ。受け取った紙の筆跡がどうにも竜崎のものと違うって、俺のトコロに確認に来てな……俺としてはほんっと〜〜〜〜にお前さんの頼みを聞いてやりたかったんで、何とか誤魔化そうとしたんじゃが…』
その時点で非常に嘘くさい…と思いつつ、切原は次の相手の発言を待つ。
『…めんどくなって全部バラした』
「バカ―――――――――――――ッ!!!!!」
最早、我慢ならず、彼は涙目で携帯に向かって怒鳴る。
『先輩に向かってバカとは失礼な』
「じゃあ何スか!? 俺に来ないとバラすとか何とか言っときながら、最初っからもう丸井先輩には秘密ダダ漏れだったってコトっすか!?」
『まぁそうなるのー』
「詐欺師にも程があるでしょ、アンタ――――ッ!!」
まだまだ言いたい事は山ほどあった…のだが、向こうがブツッと通話を切ってしまってはどうしようもない。
「あっ!! 逃げる気ッスか先輩〜〜〜〜〜っ!!」
「はいストップ」
ぐいっと彼の襟首を掴んだ丸井が、先程から不思議そうにこちらを見つめている桜乃へと、そのままずるずると引きずっていく。
「バレたんだから潔く言う事聞けっての。今日は三人で楽しもうっておさげちゃんには言ってんだから、ちゃんと辻褄合わせろよい」
「……」
楽しもうにも、既に気力が萎えてます…と言う気力すらなく、切原はそれから大人しく丸井に引き摺られる形で連れて行かれてしまった…
それから三人は、一緒に色々な乗り物に乗って遊びまくった。
特に、何も知らない桜乃は純粋に心から楽しんでおり、それは丸井にとっても切原にとっても嬉しいことには違いなかった…因みに切原に関しては、ヤケクソ感が無きにしも非ずだったが。
「あ、クレープ売ってますね、私買ってきます」
「お、美味そうじゃん。俺が行こうか?」
「いいですいいです。私、行って来ますから、お二人はここで待ってて下さいね」
屋台のクレープ屋を見つけた少女が嬉しそうに走っていき、目的のクレープを買い求める間、残った若者二人は近くのベンチに待たされることになった。
「…で?」
口火を切ったのは、丸井の方だった。
「お前は俺とおさげちゃんにバレることなく、仁王まで使って俺らを映画に連れて行こうとした訳かよい」
「……そうするしかないでしょ、俺が出しゃばる訳にもいかねーッスから」
互いにそっぽを向きながら、二人は互いの真意を語る…桜乃には聞かせられない裏の真実を。
「バッカじゃね? お前にとっては最後のチャンスかもしれなかったんだぜい? おさげちゃんを自分のものにする」
「すっげー自信ッスね」
ふんっと鼻息を荒くして切原は言い返したが、そこに丸井が更に言葉を重ねる。
「口出しさえしなきゃ、その女共の思う通りになったかもしれないのにさー…ま、そうそう上手くはいかなかっただろうけど」
「……」
切原が沈黙を守ったのを契機に、暫く二人の間には何の言葉も交わされず、ただ周囲の喧騒だけが耳に障った。
「……俺ね、丸井先輩」
不意に、切原が呟く。
「ん?」
「…竜崎のコト、すげー好きなんスよね」
「知ってる」
だからこういう状態になってんだろい、と丸井は苦味を含んだ笑みを浮かべる。
その相手をちら、と見て、切原も同じ様に苦笑いを浮かべ、続けた。
「……けど、丸井先輩のコトもすげー尊敬してるんスよね…厄介な事に」
「は…?」
丸井が振り向くと、諦めた様な笑顔で、後輩はぽり、と頭を掻いていた。
「だから、そーゆー卑怯な真似はしたくなかったッスよ」
相手の意外な言葉に丸井は数秒間言葉を探せずにいたが、ぐいと顔を隠すように前髪をかき上げる仕草を見せる。
「……ちぇっ、何だよい、ソレ」
「しょーがないっしょ、本当なんだから……丸井先輩だって最初から知ってたんなら、そのまま乗っかっちゃえば良かったのに」
「バーカ、それ知って乗ったら俺こそクズじゃねーかよい…お前にだけ良いカッコさせっか。それに、俺だってなぁ」
ふてくされた顔で、丸井はぐい、と切原を真っ向から見据えた。
「後輩を思い遣るぐらいの度量は持ってるつもりだってーの」
「!…」
そして、二人はそのまま再び沈黙し…
「……そっすか」
「そう」
再び、それぞれの前を見据えた。
丁度、あの少女が三人分のクレープを両手で持って、こちらに走ってくるところだった。
もうそろそろ、この話題も止めておいた方がいいだろう。
「……じゃあ、取り敢えず今日は休戦ってコトでどうっすか」
「それでいんじゃね」
恋の争いは忘れて、今日は只の先輩と後輩に戻って遊ぶか…久し振りに。
そして以降の立海…
「おさげちゃん、一緒にラリーしよラリー!」
「ダメっすよ! それは俺の役ですってば!!」
「ああもう…順番に相手して下さい、お二人とも」
全く変わり映えのない光景が、相変わらずそこにあった。
「よく飽きないよな…」
「私達ももう見慣れてしまいましたから、口を挟む気にすらなりません」
ジャッカルや柳生が淡々とあの三人を見つめる脇では、やはりマイペースの幸村が笑っていた。
「そうだね…でもまだ、あれが彼らにとっては一番いい形なのかもね」
「そうか?」
腑に落ちない顔をする真田にも、ふふ、と笑ったままの部長の隣では、柳がノートを見開きながら評する。
「二人とも、己の恋路は己で決着をつけるだろう…厄介ごとが起こらない限りは俺達が口を出す話でもなかろう」
「……」
その厄介ごとが起こって多少手を貸したばかりの詐欺師は、何も言わずにあの三人を見つめて薄く笑っていた。
どうなることかと思ってはいたが…まぁ、望ましい結果になったということだ。
あれから切原もあまりうるさくは文句を言ってこなかったし…詐欺師の面目も守られた。
(ま、こっちもぎすぎすした仲間とラケット振る気にはならんしのう…どういう結果になるにしろ、もう暫くは賑やかなままでいてもらおうか)
青空の下の立海コートは、今日も賑やかながらに平和だった…
了
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