「…で、君のよく分からない料理を食べた所為で桜乃ちゃんが小さくなって、これ以上君の料理の犠牲者を増やさない為に、わざわざが彼女が付いてきてくれたと…」
「ハイ…」
その日の昼休み
切原の先輩であり、好敵手でもある三年生を含めて、立海男子テニス部レギュラー陣は、中庭で一同に会し、昼食会を開いていた。
そこには、その場にそぐわぬ一人の少女…幼少化してしまった桜乃がちょこんと同席している。
「わー、かわいーっ!」
「パン食べるか? パン」
「頂きます」
「俺の妹に手ぇ出さないで下さいっ!!」
顔は見知っていたが、それより更に小さくなってしまった桜乃を物珍しがってか、さっきから丸井とジャッカルが上げ膳据え膳とやたら少女にかまってやっている。
それが気に入らないのか、切原が二人にがぁっと噛み付いたが、すぐに副部長から手痛い指摘を受ける羽目になってしまった。
「少しは弁えろ、そもそもお前が下手な物を作らなければ彼女もこういう姿にならずに済んだのだろうが…」
「う…」
全く以ってその通り。
彼女がこんな姿になってしまった原因は、例えそれが本意ではなかったとしても、切原の作り出した料理とも呼び難いあの代物達の所為である事は疑いようがなかった。
もし。
彼が調理実習の時に、また同じ様な物体を作り出し、それを他人が食するようなコトになってしまったら、事は更に大きくなり、被害も甚大。
そうなると、大好きな兄の人生も大きく狂ってしまう!という予想に至り、桜乃は苦肉の策として、妹である事を伏せて同伴するコトにしたのだ。
結論を言うと、それは予想以上に上手くいった。
見た目は小学生でも精神が中学生だったお陰もあり、家庭科の教師を誤魔化すのはそう難しいことではなかった。
『赤也お兄ちゃんと一緒がいいです…』
ぴとりと彼の足に縋りながら、親戚の子供を騙ってそう訴えたのだ。
『んまー! 可愛らしいお子さん! お家に一人になるから連れて来たの? それなら仕方がないわね』
決定まで、僅か五秒。
内心、妹の演技力に慄いてさえいた切原だったが、取り敢えず傍に付いていた彼女のお陰で、調理実習は無事に終えることが出来たのだった。
『お兄ちゃん、お卵、割っておきましたよー』
『お兄ちゃん、お塩』
『お兄ちゃん、はい、これ』
さり気なく、切原が探しているものを持って来るという形を取りつつ、実は彼にこっそりとヒントを与えながら、桜乃はまんまと主導権を握り、課題の作品を作ったのだ。
まさか幼稚園児程度にしか見えない子供が、切原の陰に隠れて腕を揮っているとは誰も思うまい。
味の方も、殆ど桜乃が陰でつけていたのだから間違いがある筈も無く、彼は無事に及第点…しかもかなり高い点を付けてもらえたのだった。
「ずるっこ〜〜」
「こっ、この場合は仕方ないっしょ…またこんな下手こいたら、俺、もう立海にいられなくなりますもん…」
丸井の指摘にそう言っておいて、自分の台詞に恐怖を覚えたのか、切原ががくがくと身体を震わせる。
「と言うよりも、何処かの研究機関に拉致られても不思議ではないな」
こんな摩訶不思議な現象を起こす食物など、どうやったら生み出せるのか…と、参謀である柳は、じっと桜乃を純粋な研究欲に満ちた瞳で見つめている。
「いや、そういう事よりも…柳先輩。やっぱ、コイツを元に戻す方法って分かりませんか?」
彼女をここに連れて来たもう一つの大きな目的を切原が切り出したが、相手の参謀は微かに眉をひそめながら現実を述べた。
「幾ら俺でもそこまでは面倒見きれん…食物によってそうなったというのなら、それが消化されるまでは何もせずに戻る事を期待する方がいい」
「…やっぱそうっすか…ん?」
仕方ないか…と思いつつ彼がふと振り返ると…
「ほれ、飴舐めんしゃい、飴」
「いや、本当に可愛いですね…つくづく切原君の妹君だとはとても信じられません」
今度は仁王と柳生が桜乃に思い切り世話を焼いていた。
「知らないオジサンについて行っちゃダメ〜〜〜〜〜ッ!!!」
ごんっ!!
間違ってはいない発言なのだが、言った場所とタイミングが悪かった。
「誰がオジサンじゃ、真田じゃあるまいし」
「全く失敬な…」
切原に対し抗議の鉄拳を食らわせた仁王と柳生の背後では、さり気なく引き合いに出されてしまった真田がこめかみに青筋を浮かべて微かに震えている。
「そう言うお前らも十分失敬なんだがな…」
「まぁまぁ…」
それは仕方がない事だよ…とは口には出さず、相手の肩をぽんぽんと叩いて幸村が怒りを宥める。
「そうそう、単に俺らは可愛いだけだし…おさげちゃんが」
と丸井が言えば、
「別にお前の妹を狙っているという訳じゃないぞ…多分」
と、ジャッカルが続く。
「あわよくば、お前も身内にして弄ろうとか考えちゃおらんぜよ…表向き」
と、嫌な笑顔で仁王が囁いたかと思えば、
「まぁどんな立場になるにせよ一番可愛いのは桜乃さんですからね…切原君より」
と、柳生がさらりと言い切った。
(俺の人生の為にも、こいつらにだけは桜乃はやれねぇっ!!)
下手したら一生、弄られキャラで終わってしまう!!と、切原が危機感を思い切り募らせていたところに、くい、と彼の腕が何者かに引かれた。
「ん…」
「お兄ちゃん…」
桜乃だった。
さっきまでいつもと変わりない様子で昼食を食べていたのに、何となく元気がなく、ぐったりとしている様子だが…?
「ど、どうした? 桜乃…」
少女の様子が少しおかしいと他の部員も気付いた様子で、一時後輩をからかう事は止め、様子を伺う。
そこは流石に先輩としてだけではなく、人としての当然の対応だ。
「…ごめんなさい…ちょっと、疲れちゃった…」
「へ…」
「無理もない…精神は中学生のままだとは言え、身体は幼弱化してしまっているからな。小学一年生女子が中学二年生男子のスケジュールに半日付き合ったのだと思えば、電池切れは当然だろう」
「あ…」
そっか、そうだよな…
柳の説明に、切原が我に返る。
確かに多少は疲れるかもしれないとは思っていたものの、そうやって言葉で表されると、自分はまだ認識不足だったかもしれない。
彼女が望んだこととは言え、もっと気を掛けてやるべきだったかもな…
そもそもここに桜乃が無理やり付いて来たのだって、俺の調理実習の事、気にしてくれてたからだし……
「…そ、そっか…じゃあ、ちょっと休むか? どっかで…」
「う〜ん……」
保健室にでも連れて行こうか…と思っていた切原の隣でゆらゆらと揺れていた桜乃は、もう意識が半分眠っているのか、目をこしこしと擦りつつ相手に生返事を返す。
しかしどうやらそこまでが彼女の限界だったらしく、そのまま座っていた切原の太腿の上にぱたりこと倒れてしまった。
「げっ!」
「…すぅ……」
びっくりしている兄を他所に、桜乃は兄の膝枕で心地良さそうに寝息までたてはじめてしまった。
完全に熟睡状態である。
「……え〜と…」
非常に嬉しい状態ではあるのだが、如何せん先輩方の視線の真っ只中での出来事であり、切原の反応も微妙になる。
「おー、膝枕!」
「満腹で、眠くなったみたいですね」
「いやいや、アツイのう、赤也『お兄ちゃん』」
にやにやと意味深な笑みを浮かべた先輩達が早速二人を冷やかしたが、気が付いているのは当然起きている切原だけだった。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!」
出来ることなら怒鳴りたかったのだが、怒鳴ったら妹が起きてしまうので大声も出せず、動くことも出来ず、切原は不本意ながらも大人しくまな板の上の鯉状態にならざるをえない。
(コイツらいつか絶対に潰す〜〜〜〜〜〜っ!!)
わなわなと震える後輩に、静かに眺めていた幸村が苦笑しながら助け舟を出した。
「ほら、桜乃ちゃんが安心して眠れなくなるからそこまでだよ。あまり騒々しいと可哀相だ、ゆっくり寝かせてあげよう」
部長の一言で先輩達が退いたところで、切原はふぅと息をつき、桜乃を起こさないように気遣いながら、彼女を前に抱きかかえた形で立ち上がった。
何だか…どっと疲れた気がする。
「……俺、今日はもう帰るっす」
「む…? 部活はどうするつもりだ、赤也」
「休むっす」
即答し、彼は珍しく真っ向から副部長の真田の視線を受け止めた。
「俺にとっちゃ、妹の方がずっと大事なんで」
「!…」
後輩の反論に怒りは見せず、寧ろ、『ほう』と感嘆した様子の副部長だったが、そんな相手の反応にも構わず、切原はさっさと中庭を後にした。
おそらくそのまま一度教室に戻り、帰路につくのだろう。
「……」
無言で後輩の背中を見送る親友に、幸村がくすっと笑って尋ねた。
「寂しい?」
「ふん」
常勝を掲げる部のレギュラーである以上、そこに驕りや甘えは許されないが、人としての情は汲むべきである。
しかしそれは分かっていても、やはり目を掛けている後輩が身内を優先して部を休むとなると、少しは調子が狂ってしまうようだ。
「ま、しょうがないじゃろ…あんな姿になっとるし」
「本人は気丈に振舞っていましたが、やはり不安でしょうからね…切原君が傍についていてあげた方が安心するでしょう」
仁王や柳生も、今日ばかりは後輩の休む理由に理解を示している。
その脇では、丸井とジャッカルが後輩の意外な一面に感心していた。
「けど、あんなにグータラな赤也も、ちゃんとお兄ちゃんやってんだなぁ」
「ああ、桜乃ちゃんも隠しているようで、赤也にべったりだったからな」
ちょっと癪だが、認めてやるか…
先輩達は、全員文句なくその結論に達したところで、互いに笑みを交わしていた。
「ん…」
疲労した身体を十分に休めた桜乃が目を覚ましたのは、自分のベッドの中だった。
部屋の中が薄暗いのは、もう外が夕暮れ時だからか…
(…私…あ、そっか、立海に行ったけど疲れちゃって…じゃあ、もしかしてお兄ちゃんが…)
連れて帰ってきてくれたのかな…?
そう思っていると、タイミングよく部屋のドアがノックされる。
「はい…?」
『お、起きたかー?』
丁度考えていた相手の声が聞こえると同時に、ドアが開かれる。
ひょこりと覗き込んできたのは、やはり切原だった。
「お兄ちゃん…」
「親父達はまだ明日までは帰れないってさ。腹減ってないか? コンビニものだけど、あっためたらあるぜ?」
「あ、うん…食べる」
「分かった。持ってくるから、ちょっと待ってな」
「え? いいよ、私が行くから」
「いーっていーって! 動くなよ」
「???」
それからまた少しの間、姿を消した後、切原がコンビニ弁当を他の器に移したものを盆に乗せて運んで来た。
「ほれ」
「ありがとー。お兄ちゃんのは?」
「ん、俺はまだいいや」
ベッドに上体を起こして、桜乃はまぐまぐと兄の見ている前で夕食を食べ始める。
「コンビニって本当に便利ね…結構美味しいし、一人暮らしの強い味方。お兄ちゃんもきっと将来、お世話になるんじゃない?」
「あーまぁな……さっきも、何とか一品ぐらいは食えるもんが作れないかと思ったけどよ…俺は食べるだけに専念した方がいいと悟ったワケよ」
「何作ったのよ…」
「いやいやまぁまぁ…」
視線を脇に逸らす相手の表情が、何となく強張っている…
(これは、キッチンが相当凄いコトになってると見ました)
だから、ここから移動させたがらなかった訳か…相変わらず単純なんだから。
「…後で、お片づけ手伝うね」
「い、いいって…俺が散らかしたんだし」
「お兄ちゃんに任せてる方が不安なの」
「ちぇっ…まぁ、否定はしねーけど」
「うふふ…」
くすくすと笑う妹を暫く眺めていた切原は、はぁと深く溜息をついた。
「…ホント、すまねーな、桜乃」
「え?」
「いや…俺の所為でそんな格好になっちまってよ…柳先輩はああ言ってたけど、もし戻らなかったら…」
確かにそういう可能性も無いとは言えなかったが、妹本人は意外と前向きに受け止めていた。
「大丈夫よ、きっといつかは戻ると思うわ。それに、お兄ちゃんの所為でもないんだから、気にしないで」
「けどさ…」
食い下がる兄に、桜乃は自分の心配している別の用件を切り出した。
「そういう事を心配するぐらいなら、これからも少しずつでも料理のスキルを磨いていってよね。私だっていつまでも独り身ってワケじゃないんだから、お兄ちゃんの世話ばかり出来なくなるかもよ」
「!!」
はっと雷に打たれた様に、兄がそこに立ち尽くす。
「……どうしたの?」
「…つまり俺の手料理食ってお前が子供のままだったら、ずっと嫁には行かずに済むと」
「本気で殴るわよ、お兄ちゃん」
妙な方向で頑張りだしそうな兄に、桜乃がしっかりと念を押した。
「お兄ちゃんこそ、そろそろ恋人らしい人っていないの? 幸い、テニス上手いからファンは沢山いるんだし…」
「お、俺の恋人の心配までしなくていーって…今は考えらんねーよ、そんなの」
「えー? 勿体無いなぁ」
「いいから、お前はもう寝ろよ」
このままだと、今度はこっちの方へと嫌な話題が飛び火しそうだ、と思い切原は早々にそれを切り上げて、食器を下げる口実に部屋を出て行く。
「……」
「……」
部屋を出て行った兄と、部屋の中に残った妹…
二人は、扉一枚を隔てながら、全く同じ事を考えていた。
(まぁ、本当はまだまだこのままでいいんだけど…)
何気にこの兄妹に恋人が出来るのは、まだ当面先の話の様だ。
そしてその日が過ぎ、桜乃達がゆっくりと眠った翌日には、あの参謀の言葉の通りになったのか、桜乃の姿は元に戻っていた。
それからも、相変わらず切原の料理の腕はなかなかスリリングなレベルだったらしいが、幸い、以降桜乃が幼児化することはなかったと言う……
了
前へ
切原編トップへ
サイトトップヘ