そこで、はっとクラウザーが感心している桜乃に振り返った。
 ナイスタイミング!
 ここで上手く話を向けたら、彼女の携帯のメルアドも聞く事が出来るかもしれない!
 これまで何度か話をしたことはあるが、そこまでの仲には至っていなかった…ここでメルアドを聞けたら、またそこから一歩進んだ関係に進めるかも…!
「サ…サクノ?」
「あーでも、携帯のメルアドって…」
 呼びかけるクラウザーには残念ながら気付かず、桜乃がふと顔を上向けて思い出した様に呟いた。
「うっかり『そんなに親しくない人』に教えたりしたら怖いですよね。私の友人がそれで結構酷い目に遭った話を聞いちゃって。とんでもない数のいたずらメールが来たそうですよ」
 がんっ!!
 瞬間、仁王達の目には、クラウザーの頭上に巨大な岩石が落下した光景が見えた。
(おう、古典的表現)
 今時、何処の昭和の漫画じゃ…と心で突っ込んでいる間にも、桜乃の呟きは続く。
「女の子同士ならそんなに抵抗はないんですけど…相手が男の人だとどうしても警戒しちゃいますよねー」
 ぐっさーっ!!
 今度は、巨大な銛でクラウザーの胸が貫かれている…様な心理的描写が見える。
(岩に潰され銛で突かれ…こいつも散々じゃな〜〜)
 しかも懸想の相手に…そして向こうにその自覚がないのが、更に涙を誘われる…いや、泣かないけど、隣の心優しい相棒みたいに。
「? 柳生さん、どうしたんですか?」
「いえ、ちょっと目にゴミが…」
 くぅっと白いハンカチを眼鏡の奥に押し当てている若者を桜乃が気遣ったが、無論、彼はその涙の理由を語る事はなかった。
 言葉の壁もあるだろうに、更に高いハードルまで…
「…Then…See you later…」(じゃあ、またね…)
 心のショックは相応のものがあったらしく、クラウザーはその場の全員に挨拶すると、ふらふら〜っとおぼつかない足取りでそこを去って行った。
「あら、クラウザーさん…」
 その様子を見ていた桜乃が、心配そうに頬に手を当てる。
「何だかお元気なかったみたいですけど…大丈夫でしょうか?」
「…」
「…」
 言えない…君の所為だよ、なんて……
『そもそも仁王君がメルアドの話なんか振るからですよ!』
『何で俺の所為になるんじゃ!?』
 つんつんと互いの肘でつつき合いながら言い合ってみるが、こうなってはどうしようもない。
 結局、クラウザーは桜乃のメルアドをゲットするチャンスを一つ失ってしまった。
(うーむ、俺の所為ではないが…ちょいと寝覚めが悪いのう…)
 その時の事は詐欺師の胸に引っかかったままだったが、結局、何事もないままその場は終わってしまった。



 数日後…
「…Well…?」
 その日の昼下がり、昼食を終えたクラウザーは食堂で自分の携帯を久しぶりに手に取り、届いたメールをチェックしていた。
(これ、は…後で返信で構わないかな…これは?)
 見慣れないメルアドから一通、届けられているのに気付いたクラウザーがそれを開くと、日本語の文章が並んでいる。
(…Chinese letters…)(漢字だ)
 平仮名の中に混じっている漢字に、ほんの少しだけ身構えてしまう。
 日本人にとっては馴染み深い漢字だが、異文化の人間が見たら非常に難解な文字なのだ。
 一般の書類は、アルファベット圏の人間が見ると魔女の契約書の様に見えるとすら言われているらしい。
 クラウザーも日本に滞在している期間はそんなに短い訳ではないが、漢字を容易く読むまでにはレベルは至っていないのだった。
 それでも彼は取り敢えずメールを再度確認し…親切にも一つ一つの漢字にルビがふっている事実に気がついた。
 これなら、何とかなるかもしれない…
 ほっとして、改めてメールを見直し、ゆっくりと読んでいく…と。

『不幸の手紙  これを受け取った人は、このままの文面で自分の友人三人にメールを回すこと。回さなければ、あなたに不幸が訪れます』

「……………」
 これも…いたずらメールに含まれるのだろうか…しかも他人を巻き込む分、かなり性質が悪い…
 知らず、クラウザーはがっくりと肩を落として深い溜息をついた。
 ついていない…特に最近はメール関係では落ち込む事ばかりだ。
(サクノのメルアドも聞けなかったし…そのくせこんな要らないメールは舞い込むし…一体どんな奴なんだ、こんなの送るなんて…!)
 目の前にいたら、柱に縛り付けた上で心おきなく磔の刑に処してやるのに…!
 また危険な思考が彼の脳内に持ち上がった時、
「What’s wrong with you?」(どうしたんですか?)
「ッ!?」
 母国語で呼びかけられ、はっと振り向くと、いつの間にか桜乃が立っていた。
 驚いたが、よく考えたらここは食堂なので、彼女がいてもおかしくはない。
「ア…サ、サクノ?」
「はい」
 にこ、と笑ってクラウザーに返事を返した少女は、彼が手にしている携帯を見て、相手の異変の原因がそれなのかと予想した。
「携帯…メールか何かですか?」
「Ah…コレ」
 別に隠す必要もない内容だったので、クラウザーはひょこんと首を伸ばしてきた桜乃に、画面を見せた。
 それを読んだ桜乃が、すぐにその内容を察してあらら、と苦笑する。
「あー、確かに凹みますよね…これは」
「…サクノ…コレ、送らないとダメですカ?」
 他国でもこういうチェーンメールがあるのかは知らないが、クラウザーは真剣に送るべきなのか否か迷っている。
 気にせずに放置したらいいと言うのは簡単だが、慣れていない人間はそう言われても結構気になってしまうかもしれない。
 そう考えた桜乃は、あ、と何かを思いつくと、自分のポケットに入っていたメモ帳とペンを取りだすと、何かを書き記してクラウザーに手渡した。
「じゃあ…This is for you」(これ、あげますね)
「What…?」
 受け取り、中身を見たクラウザーの目が見開かれる。
 メールアドレスだ!
 しかもこの状況から考えると…この主は間違いなく…
 桜乃を見ると、彼女は笑いながらメールを書いたメモ帳と自分を交互に指差した。
「えと…三人分、送っていいですよ。三人分って分かるかなぁ…」
 桜乃の意図するところはクラウザーにも十分通じてはいたが、それより彼には気になる事があった。
「サクノ…デモ…このアドレス…イイんです、カ?」
「え?」
「この間…男の人には、あまり教えたくナイと…」
「ああ…」
 以前、仁王達と一緒にいた時の話題の事について言っているのだと知った桜乃は、あっさりと頷いた。
「クラウザーさんならいいですよ。だって、友達でしょ? We are friends, aren’t we?」
「!」
 相手のにこやかな笑顔に、どきっと胸が高鳴る。
 友達と…認めてくれた?
 しかも本人から、メルアドも貰えた…これって…
「ア……Thank you…アリガトウ、サクノ」
「はい、気軽に送って下さいね」
 にこ、と微笑んでくれた少女に、予想以上の収穫を得られた異国の若者は、いつになく深い笑顔を見せていた。


 そして、そんな二人の様子を遠くから双眼鏡で覗いている銀髪の若者が一人…
「…何をしているんですか、仁王君」
「んー…不幸の幸運のメールを送っとったんじゃ」
「どっちなんです」
 後ろから徐に声を掛けられても仁王は悪びれる様子は全くなく、双眼鏡を外してにやりと笑う。
「ま、これで義理は果たしたじゃろ。逆恨みされるのもごめんじゃし」
 また何か企んでいたのかと思いつつ、柳生はその内容については聞かなかった。
 聞いてもこの天邪鬼が答えてくれるとは限らない。
 そして、答えてくれたとしても、それが真実であるかどうかは彼にしか分からないのだ。
 聞きだそうと構えた時点で、その者はもうこの詐欺師の掌の上で踊らされている。
 それでも。
 もし多数の人間に迷惑を及ぼす様な事であれば、意地でも聞きだして阻止しなければならないと思っていたが、幸い今回についてはそんな『匂い』はなかったので、柳生は静観するという選択肢に至ったのだった。
 因みに『匂い』を嗅ぎ分けるのは、長年の付き合いの彼だからこそ出来る技である…本人には習得する意思などこれっぱかりもなかっただろうが。
「…どうでもいいですけどね、下手なメールを送ったら追跡されて突きとめられかねませんよ」
「大丈夫じゃ、海外のサーバを転々とさせて、痕跡は残さんように細工しとるけ」
「貴方の人生の目的は何なんですか」
「世界平和」


「あれー? 来ないなー…クラウザーさん、不幸のメールの事、忘れてるのかなー?」
 そしてそれから桜乃の元には、クラウザーからのメールが届くようになったが、遂に不幸のメールが送られることはなかったのだった…





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