運命のケーキバイキング
立海大附属中学校 海林館 テニス部部室…
「仁王、お願いがある」
「何じゃ、おやつならさっき分けてやったじゃろ」
部活動を終えた部員が着替えをしている中、一足早く着替えを済ませた丸井が、同じく着替えを済ませてテニス雑誌を読んでいた仁王に改まってお願いを申し出たが、相手は視線すらよこさず、愛想のない一言を返すのみ。
その反応に、丸井はぶーと唇を尖らせ、抗議の証とばかりにガム風船を膨らませた。
「仁王…お前、一体俺のコト、何だと思ってんだよ」
「何を今更」
言わせるな、とばかりに、仁王は相変わらず雑誌に視線を固定させていたが、丸井はそれでも尚、食い下がった。
「なぁ〜〜、頼むって。これって、詐欺師のお前ぐらいしか頼めないんだから」
「面倒臭そうじゃのう、何じゃ」
これ以上無視を決め込んでも、相手はきっとず〜っと自分に纏わりつくだろう、ならいっそ一度話だけでも聞いてあげた方が、収拾は図れるかもしれない。
仁王はそう判断し、ようやく雑誌を降ろして丸井に目を向けたのだが…
「今週日曜、俺とデートして」
「却下」
その単純な会話が、周囲のレギュラー部員達の動きを一瞬にして止めた。
即答した仁王も表情が完全に強張っているが、当の丸井はその空気を全く読むこともなく、あ、と思い出した様に上を向いた。
「あ、ちょっと違ったか、御免」
何が違うのか、と誰が問う間もなかった。
「女装して、俺とデートして」
「大却下」
更なる冷たい空気が部室中に吹き荒れ、仁王の返事はそれにも増して冷え切っていた。
何事だ、丸井が狂ったか、と辺りが騒然とする中、丸井本人は一気にヒートアップして仁王に迫る。
「何だよ! こんだけ言わせたんなら聞いてくれたっていいだろぃ!?」
「事と次第によるわ! 今の今まで俺に読ませんかったのは見事じゃが、何で俺までホモの泉に足突っ込まにゃならんのじゃ!!」
珍しく仁王が髪を乱して反抗し、左手ではしっかり『えんがちょ』を切っている。
それに対し丸井も負けてはいない。
「ホモじゃねーよぃ! だから女装してって言ってんじゃん!!」
「そーゆー話題を大声で喚くな―――っ!!!」
二人の寒い会話を止めようと大声を張り上げたのは、立海レギュラーメンバーの中でも人格が出来ている、ジャッカルだった。
「丸井―――っ! お前なんっちゅう事を喚くかーっ!? ウチの副部長が倒れてしまったわーっ!!」
見るとそこには哀れ、昏倒した真田がジャッカルに抱きかかえられており、切原と柳生が駆け寄っていた。
「うわーっ!! 副部長しっかり!!」
「傷は浅いですよっ!…急所かもしれませんが…」
遅れて真田の様子を冷静に見た柳がぼそりと呟く。
「…真田の健全過ぎる精神には負荷が大きすぎた様だな」
「え〜〜〜? 知らね〜〜、俺のせいじゃねぇもん」
対し、丸井は実にそっけなく、反省の気持ちが微塵も見られない…と、
「ほう…」
柳が返したその直後、かっと彼の瞳が開眼したかと思うと、丸井を鋭い視線で射抜いて金縛りの状態にしてしまった。
勿論、本当にそういう術を使ったのではなく、正解は、その眼力で丸井を射竦めたのである。
『柳が開眼したっ!!』
『よりによって、何でこんなどうしようもない話題で〜〜〜!!』
『…逃げたい』
辺りの男達が冷や汗を流しながらこそこそと囁きあう。
冷静と思われていたが、流石に親友が失神させられたことには我慢がならなかったらしい。
こういう所からも、柳が単に冷静なだけの人物ではないことが伺える。
(ぎええぇぇぇ〜〜〜〜〜〜っ!!!)
心の中で悲鳴を上げる丸井の隣では、仁王がふっと諦めた笑みを浮かべて視線を逸らせていた。
「俺もまだ修行が足らんの…」
こんなトラブルに思い切り巻き込まれるとは…
「…で?」
数分後、柳の友情の証である冷却シートを額に貼った状態で、真田が渋い顔で丸井に尋問を行っていた。
部室の中に置かれたベンチの上に正座させられた丸井の頭には、小さなコブが出来ている。
これも、柳の愛の一撃によるものだ。
「…イジメじゃねぇのかぃ、コレって」
「お前に与えられた精神汚染とは比べ物にならんわ馬鹿者――――っ!!」
早速、喝を浴びせた真田だが、途端に襲う眩暈にこめかみを強く押さえつける。
「弦一郎、あまり無理をするな」
「…したくはないのだが、しないことにはまた倒れそうでな」
わなわなと震える真田はそれはもう鬼気迫っており、恐怖の対象である…はずなのだが、如何せん、額の冷却シートがそのシリアスさを思い切りぶち壊しており、さっきから推移を見守るレギュラー陣は笑いを抑えるのに必死だった。
「…あ〜…その…お前の目的は一体何だ」
改めて放たれた質問に、傍観していた仁王ははぁ〜とため息をついた。
まぁ、妥当な質問だな。
露骨な質問内容である場合は、やはり露骨な答えで返ってくる場合が多い。
そうなると、真田、今度は失神なんて可愛いもんでは済まなくなるかもしれんし、下手な答えを聞いてしまったら、自分だって速攻で退部届けを出しに走るだろう。
仁王がそう思っている間に、丸井はけろっとして答えた。
「ケーキ! バイキング!」
「…は?」
問い返したのは真田だけではなく、その場に居合わせた全員、つまりは、幸村を除いたレギュラー一同。
「…それと仁王と何の関係が」
「これ」
丸井がポケットから出したのは、何かの紙切れ…いや、チケットだった。
それを受け取った柳が、流暢にそこに記載された内容を読んでいく。
「グランドホテル、五周年記念、×月×日日曜、イベントホールにおける大ケーキバイキング開催…」
聞いた限りでは、何の変哲もないバイキングの招待状か…
確かに丸井は無類のお菓子好きであり、それは普段の嗜好からも明らかだ。
辺りのバイキングイベントには必ず顔を出し、殆どの大きな施設では『歩くイナゴの大群』と呼ばれており、顔も覚えられているとか…
しかしそれと女装…
「どこに関係が…」
言いかけた真田と、柳の音読の続きが重なった。
「無料での参加資格は男女カップルに限り、個人での参加は別途五千円を頂きます…」
「……」
ぶちっと何かが切れる音がしたのは、真田の頭の中ではなく、仁王のそこだった。
(何じゃと〜〜〜?)
つまり、俺はその為に女装させられるハメになりかけたってことか?
樋口一葉一枚分で?
「…丸井、一回豆腐の角で頭ぶつけてみんしゃい」
「だって五千円だぜ!五千円!! 中学生にとっての五千円ってのは地球より重いんだぃ!」
力説する丸井に対し、尋問している筈の真田がまたもふらつく。
「弦一郎…!」
「…脳が溶けそうだ」
柳に支えられる副部長を見て、男達はあちゃ〜といった表情をそれぞれ浮かべた。
『溶けてる…んでしょうか』
『…融点突破か』
『何スか、その呪文』
こそこそと囁きあう部員の向こうで、真田がようやく合点がいったとばかりに丸井に怒鳴った。
「そんな事で他人に女装を迫るな!! 普通に女の友人の誰かを誘えばいいだろうが!!」
尤もだ。
しかし、そんな至極当然のことを大声で諭さないといけない自分が酷く物悲しい…
きっと精神修行に明け暮れていなければ、悔し涙ぐらい流していただろう、と真田は思う。
しかし、丸井も正座しながら必死に反論を試みる。
余程、このバイキングイベントには心惹かれるものがあるらしい。
「だって俺まだ彼女いねーし! 女子のクラスメート誘ったらヘンな誤解受けるじゃん!!」
「女装男を連れていった方が、余程変な誤解を生むだろうが!! お前は自分が女装を迫られた場合を考えろ!!」
「…俺が女装したら、エスコートして連れてってくれんの?」
「……」
ダメだ、今の丸井にはバイキング以外の事象は何の意味も為さない…まかり間違って連れていく、なんて答えた日には、本当に女装ぐらい仕出かしそうだ。
「いーじゃんか死ぬワケでもなし!! じゃ、他のヤツがダメなら副部長がやってくれよぃ!!」
「……いいんだな?」
相手の神をも恐れぬ暴言に対し、最早ヤケクソになっているのか作戦なのか、真田がひくっとひきつった顔で笑った。
『イヤアアァァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!』
これには、男達の声なき悲鳴が部室中に響き渡った…・心の奥底まで。
同意を求められたところで、ようやく丸井も自身の言葉の愚かさに気づき、正座をしたまま頭をベンチにごんっとぶつけるまで下げる。
「すんません、言葉のアヤです、撤回させて下さい…」
「…本当に豆腐が要るかの」
やれやれ…という顔で仁王が呟いた。
「確かに俺は詐欺師と言われとるが、それはあくまで話術とか色んな要素が入ってのもんじゃ。単純に女性に見せかけたいのなら、ウチなら幸村あたりが余程適任だぞ」
「仁王! お前まで何を…」
嗜めようとした真田だったが…
「幸村にはこないだとっくに頼みに行ったよぃ!! 丁度、授業が一緒だった時に言ったんだけど…」
またも丸井が放つ爆弾発言に、皆は恐慌状態に陥ってしまった。
幸村の親友でもある真田や柳に至っては、表情から心を読み取ることすら困難になってしまっている…つまりは、無の境地…・言ってしまえば現実逃避だ。
『言った!?』
『言ったんですか!?』
『漢だ!!』
『けど、或る意味バカだ!!』
皆の心の声に気づかず、被告人は事の顛末を堂々と披露する。
「そしたら幸村、にっこり笑って『じゃあブン太、一生、責任もって俺の面倒みてくれるってことだよね?』って言ってさぁ!! 俺まだ中学生だっての! 働けもしないのに、出来ない事って分かってて言うんだぜー、あんまりだよな」
「丸井! 待て! ちょっと待て!!」
「他に突っ込むトコロは満載の筈ッスよ!?」
ジャッカルと切原が大慌てで突っ込みを入れたが、次の瞬間には真田が遂に爆発してしまった。
柳も流石に今回は止める気配がない。
「そこへなおれ――――――っ!!!」
怒声が飛ぶ部室の端へと器用に避難した柳生と仁王は、あーあと肩を竦めながら息を吐いた。
「…融点どころか、沸点も突破しましたよ副部長」
「…絹と木綿と、どっちがええかの〜」
「くそう〜〜、いいなぁ〜〜〜」
バイキング当日、あれだけお灸を据えられたにも関わらず、丸井はそのイベントが催されているホテルの前をうろうろと歩き回っていた。
先程から自分が見ている間にも、少なくとも五組のカップルが楽しげに中へと吸い込まれていった。
多分、あのイベントへ参加するのだ。
「うあ〜〜〜…俺のミモザケーキ、パンナコッタ、チーズスフレ、ティラミス、アップルパイ、アフォガート…」
俺のなのに〜〜〜と、本気で恨みがましそうな目でカップルを見送る丸井は、はっきり言って怪しい。
ここはもう勇気を出して、誰かナンパでもして中に入れてもらおうかな〜、どうせタダになるんだから、相手もそんなに嫌とは言わないかも…と特攻作戦すら辞さない心境になっている。
けど、見ず知らずの女性に声をかけるのはやっぱり勇気が要るよな〜と、友人に女装を迫った豪傑は今ひとつ勢いに乗れていない。
知ってる子が通ってくれないかな〜〜〜〜?
「はぁ…今日だけのイベントなのに」
かっくし、と首を項垂れた丸井の耳に、近くの通行人の声が聞こえてくる。
「面白かったねー、映画」
「うん、やっぱり噂になってただけあったね」
「最後は泣きそうになっちゃったけど」
「ね、これから何処行く? 桜乃」
「うーん、ちょっとお腹も空いたし…」
ぴくん…っ
聞き覚えのある女性の名前を聞いて、反射的に丸井の顔が上げられた。
サクノ…?
きょろっと慌てて辺りを見ると、丁度自分の前を通り過ぎた少女達がいた。
その内の一人は腰まである長いおさげであり、それを認めた瞬間、主人を見つけた犬の様に丸井は彼女に走りよって、ぐいっ!とその腕を掴んでいた。
「きゃあっ!!」
「おさげちゃんっ!?」
背後からいきなり腕を掴まれて悲鳴を上げた桜乃が、相手の顔を確認して、恐怖から困惑の表情へと変わっていく。
辺りで何事かと驚いている友人達の顔は変わることはなかったが…
「やっぱりおさげちゃんっ!!」
「ま、丸井さん? どうしたんです?」
知り合いである事には一応安心したが、いまだにきつく腕を掴んでくる丸井に桜乃は怪訝そうに首を傾げて尋ねた。
「会いたかった――――っ! 今、一番会いたいヤツだったんだ、お前っ!!」
「はいぃ!?」
驚く桜乃の友人達が、キャ――――――ッと黄色い声を上げた。
告白よ、告白だわっ!と騒ぐ彼女達に、桜乃は慌てて誤解を解こうとする。
「ち、違うよ、多分…丸井さんはそんなつもりじゃ…」
向こうの騒ぎには目もくれず、丸井はようやく見つけたバイキングへの蜘蛛の糸を手放すまいと、桜乃の腕を更にがっちり掴んだ。
「な、これから俺と付き合って!? お前じゃなきゃダメなんだよ、頼むって!! 一緒に行こう!?」
「ま、まままま丸井さんっ!?」
誤解は更に大きく、深くなっていく…相手の悪意のない発言によって…
「いや〜ん! 桜乃やるぅ〜〜!!」
「すっごい情熱的な彼氏じゃん!」
「しかもイケメンだし! 何処で知り合ったのよこのこの〜〜〜!」
友人達は、まるで映画のワンシーンを直に見ているかの様に大興奮している。
年頃の乙女が見たら、一気に盛り上がってしまいそうなシチュエーションというのもあるだろう。
「いやあの、テニス部の人で…・あ、あの丸井さん、私、今日はお友達と約束で…」
何とか穏便に彼の申し出を断ろうとした桜乃だったが、彼女の言葉を聞いた丸井は、今度はその友人達にぐるっと首を巡らせて照準を変えた。
「なぁ、俺、今日はおさげちゃんと一緒にいたいんだ、貸してくんない? 嫌だって言っても、離すつもりないけど」
更にぎゅーっと桜乃の腕にしがみ付く丸井は、とても年上とは思えない。
まるで駄々をこねる子供の様だが、何処か憎めない…いや、可愛ささえ覚える。
「あ、はい、どうぞどうぞ〜」
「是非、連れていってあげて下さい!」
「桜乃を宜しくお願いします」
友人達は一致団結して、桜乃を丸井に譲渡した。
「ちょっとみんな!?」
「いいじゃない、付き合ってあげなさいって」
「私達は私達で楽しむから、デートしなよー」
「学校で詳しく教えなさいよ〜?」
きゃっきゃっと楽しそうに盛り上がりながら、三人の友人達は歩行者用道路をそのまま歩いて行ってしまった。
「……」
呆然と立ち竦む桜乃とは対照的に、丸井はつい先程とは打って変わって大はしゃぎだった。
「ラッキ――! おさげちゃんにこんな所で会えるなんて、俺ってやっぱ天才的〜〜〜っ!!」
「あ、あの…私、いきなりそんな事、言われても…」
「あ?」
「だって…こないだ、ちょっとお話しただけなのに…その、いきなり…」
告白されても…という言葉を飲み込んだ桜乃に、丸井は、はぁ?と首を傾げた。
「何言ってんだ、ぶつぶつ…っと、こうしちゃいられない! 時間がねぇんだ、おさげちゃん、こっちこっち!!」
「え? え?」
丸井の勢いに最後まで押されっぱなしで、桜乃はずるずると彼に腕を引かれてホテルへと入っていった…
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