「いらっしゃいませ」
「これチケット。コイツが俺のパートナー」
「承りました、お通りになって結構です」
「サンキュ」
「どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい」
「あ…はい」
 ホテルのホール入り口で、丸井は胸を張り、チケットを従業員に渡した。
 相手は二人が同年代であることと、身なりが整っていることを瞬時に判別し、彼等を通すことを許可した。
 悠々とホールに入る丸井とは反対に、桜乃はどこかおどおどしていて落ち着かない。
 殆ど説明も受けずにここまで「連行」されたのだ、当然の反応だろう。
「あの、丸井さん、ここって…?」
「ん? ああ、言ってなかったっけか、ケーキバイキングの会場だよ」
「ケーキバイキング?」
「そ、世界中のお菓子が集まる今日だけの大イベントなんだけどさー、カップルじゃないとタダで入れないんだよ」
「…ああ…そういう…じゃあ、ガールフレンドを連れて来たらよかったんじゃ…」
「うるせーよぃっ! 俺だっていつか彼女は出来るんだからな!!」
「……」
 そういう事か…分かってしまったら、何だか一気に緊張が解けてしまった…
(いきなりの告白は困るって思ったけど、それなら…あ、でもみんなの誤解は解かないと…)
 でもどうやって解こうかな〜と思っている間にも、丸井は目敏く開いているテーブルを見つけると、桜乃の手を引いてそちらへと移動する。
「よっし、あそこを俺達の前線基地にするぜぃ!」
「わ、わわっ…」
 場所を確保し、いざ出陣!
「じゃ、俺が戻ってくるまでおさげちゃん、留守番な、頼むぜぃ」
「は、はい…いってらっしゃい…」
 おらおら、どけどけぃっ!!という声が聞こえてきそうな程に勢いよく、丸井はプレートを片手にケーキ達の場所へと突進して行った。
(うわぁ…元気だなぁ…)
 テニスしている時の彼も自信に満ちて活動力があるけど、そのエネルギーはこの食欲から来るのだろうか…?
『にーちゃん、そのオムレツケーキすぐに次の持って来て! おっと、そっちのモンブラン、ツーピース貰った! そこのねーちゃん、無視してないでズッパイングレーゼちょーだい!』
 遠くからでも、彼のだとはっきり分かる声が響いてくる。
(でも、ちょっとだけ静かにしてほしいなぁ…)
 笑えません…と桜乃は赤くなりながら、強張る顔を何とか笑顔に保とうとしていた。


 それから暫くして丸井がようやく戻ってきた時、彼のプレートの上には持ち主の顔が隠れる程にお菓子の山が積み上げられていた。
「いやー、さっすが有名ホテルの一大イベント! お菓子の量も尋常じゃねぇな、さぁ食うぞ〜っ!」
「もう…お腹壊しても知りませんよ?」
「何言ってんだい、俺はこの程度の量ならすーぐ食い終わっちまうぜぃ?」
「本当ですか?」
「おう。俺の心配はいいけどよ、折角来たんだしおさげちゃんも何か選んできたら?」
 そう言えば、自分も空腹だった。
「そうです、ね…じゃあ、行って来ます」
「早くな、お前が戻ってきたら、俺またお菓子貰いに行くから」
「まさかそんなに長くは行きませんよ」
 あはは、と笑って桜乃はケーキの並べられたテーブルへと歩いていった。
 丸井の言う通り、そこは甘い匂いの立ち込めた、夢の世界…
 見たこともないお菓子から、馴染みのあるお菓子まで、様々な美味しい宝石が並んでいる。
「わぁ…迷うなぁ…」
 見たことないお菓子を試したくもなるし、好きなお菓子の味も楽しみたい…
 桜乃は選びに選んで、先ずは五個ほどプレートに乗せると、一旦自分達のテーブルへと戻った…が、
「遅い!」
「えっ!?」
 待っていたのは、ぶす〜っとふくれっ面をしている少年と、綺麗さっぱりお菓子の東京タワーが取り払われたプレートだった。
「早くって言ったじゃん、おさげちゃん」
「え…ええっ!? まさか、もう食べたんですか?」
「おう! 腹減ってたからな、最初からエンジン全開」
(嘘…)
 嘘、と思いたかったが、周囲の客の呆然とした表情と、皿の様な目玉がこちらに向けられている事実に気づき、桜乃はそれが真実であると嫌でも思い知らされた。
「……」
「よーし、第二陣、出陣っ!! 次はあっちのテーブル制覇だぃ!」
「…気をつけて…」
 もう他に言う言葉もなく、少女は再び、一時の恋人を送り出す。
 まさか、一回目程は積み上げてこないだろう…と思っていたが、再び彼が戻ってきた時、そのプレートの上には、今度はサグラダ・ファミリア(*)が建設されていた。
 よくもまぁ、地球の重力に逆らってここまで積んだものである。
 流石、バランス感覚は絶品だ。
「いや〜、食べれば食べるほどに征服欲っての? 出てくるよな〜。何で山に登るのか? そこに山があるからだ!って感じ」
(そして世界中のお菓子は、この人に食べつくされてしまうのでしょうか…)
 既に向こうのボーイは、『勘弁して』という目でこちらを見ている。
「…ん? 何だそれ、俺知らないぞ、そのお菓子」
「あ、これ、何か最後の分のお菓子だって言ってましたよ。えーと、ブディーノ・ディ・リコッタ、イタリアのチーズケーキですって」
「うまそー!うまそー! くっそー! もうねぇの? うあーしまった―――!!」
 自分の目の前にも立派な建造物がそびえているのに、丸井は最後のお菓子ということが気に掛かるのか、じーっと桜乃のプレート上を見つめている。
 ここまでされて、落ち着いて食べるなど出来るわけもなく…
「…しょうがないですねぇ、あげますよ」
 苦笑しながら、桜乃はあっさりと丸井にその分のお菓子を譲った。
「いいの!?」
「そうしないと、丸井さんに恨まれそうですもん」
「いや、そこまではしないぞ…でも、当分忘れないかな」
「やっぱり」
 笑いながら桜乃はそのケーキを隣のプレートに移してやり、丸井は嬉しそうに同じく笑いながらそれを見ていたが、流石に悪いと思ったのか、ケーキにフォークを入れてひとかけらを持ち上げた。
「じゃあ、これやる」
「え?」
「全部貰うの悪いし…ほれ」
「え、で、でも…」
 これって…丸井さんのフォークだよね…
 狼狽する桜乃の心中には気づかず、相手は彼女を急かした。
「早くしろって、ほら」
「は、はい…」
 勢いに負け、桜乃は目を閉じてあーんと口を開ける。
「…っ!!」
 その顔を見て、丸井は不覚にもドキリとした。
(うわ…なんか、コイツ可愛いんじゃ…)
 今まで、単にバイキングを食べる為の『連れ』だった少女の『女性』を意識した瞬間。
「ほ、ほら…」
 かろうじてケーキを落とさずに相手の口に運んだ丸井は、遅れてようやくそのフォークが少女の唇に触れた事実に気づいた。
(あ…!)
 どくんと自分の心臓が強く脈打ち始める…テニスもしていないのに。
「あ、有難うございます…美味しい、です」
 桜乃がハンカチを口元に押し当てて礼を言う、その隠れた頬が何となく赤い。
「そ、そか、そりゃ良かったな」
 一瞬、フォークを取り替えてもらおうかとも思ったが、それは止めた。
 上手くは言えないが…それはとても失礼な事である気がした、そして、自分は嫌ではなかったからだ。
「さーて、食うぞ〜!」
 吹っ切るように、丸井は再び目の前の塔に挑む。
 自分の心の動揺を悟らせる前に、彼はお菓子に夢中になっていると見せる事で、桜乃の注意を逸らせようとしたのだ。
 がつがつと食べるお菓子はとても甘く、少女の唇に触れたフォークが自分の唇に触れた時は、もっと甘く感じる。
(何だよこれ…)
「丸井さん?」
「ん?」
 呼ばれて振り向いた丸井の唇に、ふわ…と柔らかな物が触れる。
(え…っ!?)
 一瞬、ほんの一瞬だけ不埒なことを想像した少年だったが、それは桜乃が持っていたハンカチだった。
「…えっ?」
「もう…口元が汚れてますよ、ちゃんと拭かないと」
 こしこし…と力を加減して、桜乃は丸井の口元を白いハンカチで綺麗にしてゆく。
 言葉もなくただされるがままの相手に、彼女は仕方がないですね、とばかりに笑った。
「丸井さんったら、美味しそうに食べるのは見ていても楽しいですけど、ちゃんと行儀良くしないとダメです。未来の恋人に嫌われますよ?」
「うっ…」
 他のテニス部メンバーにも言われた事のある台詞だが、反抗しなかったのはこれが初めてかもしれない。
「はい、取れましたよ」
「サ…サンキュ…あ、それ」
「え? ハンカチ?」
 汚れたハンカチをバッグにしまおうとしていた桜乃に、丸井は手を差し出した。
「それ貸して。俺、洗濯して返すから」
「え? 別にいいですよ」
「ダメ! 俺が汚したんだし、絶対洗って返すから、貸して!!」
 何だか、やけに気合が入っている詫びの入れ方であり、結局桜乃はそれを彼に渡した。
「気にしないでいいんですよ? コンビニで買ったものだし…」
「や…別にいいって」
「はぁ…」
 それから、丸井はまたケーキの撲滅に没頭し始めた…


 結局、バイキングの終了時間ギリギリまで、二人は会場に留まっていた。
「いやー…食った食った、満足満足」
「はぁ…そうでしょうね」
 先に歩いてホテルを出る少年の身体を、少女はしげしげと興味深そうに見つめる。
 入った時と全然変わらない…
 お菓子の山…幾つ制覇したのかもう覚えてないけど、あれだけの量があの身体の中に…?
(人体の神秘だなぁ…)
 最後の方なんか、ホテルの人、泣きそうな目してたなぁ…赤字かも…
「なぁ、おさげちゃん、あのさぁ」
「はい?」
「…またこういうイベントあったらさ、俺と行ってくんない?」
「え? またカップル限定ですか?」
「そう。別にカップル限定じゃなくても、俺が行きたいイベントに」
「…私は、別に構いませんけど。でも丸井さん、立海では結構モテるんじゃないですか? 別に私じゃなくても…」
「や、俺はおさげちゃんがいい。お前、優しかったし」
「は、はぁ…」
「じゃあ、決まりな!!」
 本人の了解を得て、丸井はにこっと嬉しそうに笑った。
「じゃあ、メアド交換しよう! それと住所とかも教えて、ハンカチ送るし」
「はい、いいですよ」
 そして二人は、それぞれの情報を交換して、その場は別れたのであった…


 その日、丸井は予定より遅く、夕方になって家に戻った。
 母親が彼の居場所を尋ね、弟達が彼の部屋にいると答えていた夕飯時、丸井は自分の机の前に座っていた。
 書き終わった小さな便箋と、隣には帰りの道すがらで買ったばかりの白いハンカチ。
『悪い、あのハンカチやっぱり汚れ落ちなくて。チョコがしっかり残ってて、処分するしかなかった。お詫びに新しいハンカチ送るから。本当、ゴメンな』
 そんな一言が書かれていた便箋とハンカチ、それらを少年は大きめの封筒に入れて封をする。
 表には、予め書かれていたあのおさげちゃんの住所。
 満足したようにそれを机に置き、丸井は、前に手を伸ばしてそこに置かれていた例のハンカチを取り上げた。
 しかし、便箋に書かれていた内容とは異なり、それはもう丸井の手洗いにより綺麗な白色を取り戻していた。
 チョコの名残など、微塵も見られない。
「……」
 無言のまま彼は桜乃から借りたハンカチを見つめていたが、やがて机の引き出しを開けると、空いていた空間に大事そうにしまい込んで、再び引き出しを閉めた…






(*) サグラダ・ファミリア:スペインのバルセロナに建造中の教会。百年以上前から建設されているのに、いまだ完成していない。真田みたいに体力に自信がある人は、是非スペインに行った時にエレベーターを使わず頂上まで登ってみるといい。死ねるから。


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