星は知らない


「世の中は賑やかだなぁー」
「なんせ、クリスマスだからな。特にカップルにとっては一大イベントだろ」
「ふん、そんな事にうつつを抜かすとはたるんどる。大体俺達はまだ中学生だぞ、他にやるべきことは山ほどあるだろうが」
「ふふふ、弦一郎。それは人それぞれでいいじゃないか。やるべき事をやっているのなら、その人の過ごし方は自由だよ」
 クリスマス前日…つまりはクリスマス・イヴ。
 世間ではイベント真っ盛りだが、ここ立海大附属中学男子テニス部は、そんな世界の風潮は完全に隔離されていた。
 相も変わらずの厳しい練習、練習、練習…ひたすらに練習あるのみであった。
 部長はとにかく、副部長に至っては、全くイベントそのものに興味を持てない様子だ。
 いや、クリスマスを否定する気はないのだろうが、カップルでのイベントという捉え方が納得いかないらしい。
「へへっ、でも楽しみだな〜」
 部室で着替えている間、唯一、異常に嬉しそうな顔をしているのが一人…丸井ブン太だ。
 練習中もいつにも増してハッスルしており、終わった今もまだテンションが高いまま。
「何だよ、クリスマスったって、お前も俺達と同じだろ?」
 ジャッカルが浮かれる相棒に苦笑し、それに続いて柳生も言った。
「大体ウチのメンバーは、それぞれ家族で集まって、のんびりと夕食を共にし、ゆったりとした時間をくつろいで過ごすことが殆どですね…まぁ私は、家族団欒は非常に贅沢な時間だと思います」
「そうだな」
 柳生の意見には真田も特に異論は唱えない、おそらく自身の持つクリスマスのイメージと最も近いからだろう。
 しかし、丸井はぷーっとガム風船を膨らませながら、自分の小さな手帳をぱらぱら捲り、ジャッカルに対してきっぱりと言い返した。
「へーんだ。俺は、今日、予定一杯で大忙しなんだよぃ。今日の甘〜い一日のために、一生懸命お小遣い貯めたんだぜー? お前らと一緒にすんなよなぃ」
「なにっ!?」
 意外な言葉に、ジャッカルが驚く。
「えっ!? まさか、丸井先輩、彼女できたんスか!?」
 聞いていた切原も、ぎょっとした様子で丸井を見る。
 あんなに練習三昧の日々の中…しかも色気より食い気満々の男が、いつの間に…
「へえ」
 幸村は、いつもの笑みを変えることはなかったが、実に面白いという感じで声を出した。
「ほう…意外なデータだ」
 柳は逆に興味津々といった感じで耳を傾けたが、唯一、コート上の詐欺師である仁王だけは冷たい視線を送るのみだった。
「…甘い一日ね」
 ぼそりと呟くと、仁王の手がひゅっと素早く丸井の手帳を奪い取る。
「あーっ!」
 叫ぶ丸井の前で、仁王は今日の欄に記されていた記述を一気に読み上げた。
「駅前でマロンクリームロール限定版、A店でストロベリーケーキクリスマス仕様限定版、B店で特製ガトーショコラケーキワンホール、C店で和風抹茶風味ロールケーキ一本、D店で…」
「ケーキの予約ばっかじゃねーかっ!!」
 びっくりさせられたのが悔しくて、ジャッカルは思わず丸井の頭を軽くはたいてしまった。
「いてーっ! ぶつことないだろぃ!!」
「お前の頭の中は、本っ当に食うコトばっかか!! 今に餓鬼道に堕ちるぞ!!」
「そこって食うモンあんの?」
「知るかーっ!!」
 無益な言い合いを続けるダブルスの二人に、もう一組のダブルスの二人が呆れた視線を向ける。
「…しかし、ジャッカル君、餓鬼道なんてよく知っていましたね」
「ジャッカル、丸井に多くを望まん方がええよ…そういう奴じゃ」
 他の部員一同も言う言葉が見つからず、あーあと一様に力が抜けた顔をしている。
 ただ、唯一、部長の幸村は面白そうにくすくすと笑っていた。
「…確かに、甘い一日なんだが…」
 何かが違うだろうとこめかみに指を当てている真田の隣では、柳がノートを見ながら眉をひそめている。
「今のケーキのカロリーを単純計算しても、裕に五千カロリーを軽く超える…正直、全てを食べる前に、通常の人間であれば体調の不良が現れてもおかしくない筈だが…一度、身体の中身を検証する必要があるな」
「…聞いてるだけで胸焼けしそうな俺は、正常なんスかね…」
 切原はうっぷと口元を手で押さえ、既に顔色が青い。
 焼肉だったら幾らでも来い!という彼だが、流石にそこまでの甘いもの攻勢は頂けないのか。
「やれやれ…ブン太はやっぱり、まだ食い気が先かな」
 ふふ…と笑った幸村の視線の向こうでは、まだジャッカルと丸井が言い争いを続けていた…



「あーくそ――っ!! ジャッカルの所為で遅くなっちまったじゃねーかよぃ! 出遅れたーっ!!」
 部室を飛び出して、丸井は早速、今日の一大イベントを開始していた。
 無論、主なケーキ店がこの時期のみ出す、クリスマス限定版のケーキ奪取作戦である。
 店によっては、早めに行かないと閉店してしまうので、丸井の様に複数の店のケーキを予約している場合は、とにかく巡る順番が重要なのだ。
 勿論、そんな事は丸井はとっくにお見通しであり、前もって地図とにらめっこして、細かく一店一店の距離を測り、最短距離を叩き出し、順番は何度もシミュレーション済みである。
 一店目も二店目も順調に巡り、三店目も無事にゲット。
 いずれもホール並の大きさのケーキなので、流石に三つを持つとかなり目立つのだが、丸井は周囲の視線など気にしていない。
「えーと…次の店は〜っと…ん? ゲゲッ!!」
 順調に巡って有頂天だった丸井の作戦に、大きな誤算が生じたのは四店目の場所に着いた時だった。
「嘘だろぃ!? こんなに並んでんの!?」
 思わず声に出してしまった様に、彼の目の前には長蛇の列、列、列…
 最初は別の店から伸びているのではないかと思っていたが、どう見てもその先頭は、目的のケーキ店。
『ここのって凄く美味しいのよね』
『うんうん、特にクリスマスのケーキはすっごい人気あるからね。並ぶのは大変だけど、それだけの価値はあるもん』
 前に並んでいたOL風の二人の女性がそう話しているのが聞こえた。
(うわちゃ〜〜〜〜、マジ!? こんだけ並んでいたら、買うまでどんぐらいかかるんだよぃ!)
 取り敢えず並んでみたものの、これからどれだけの時間がかかるのかは予想もつかない。
 そっと頭を列から出して、前の人数をおおまかに数えてみるが…まずい、五十人以上はいるかもしれない。
 となると、どう考えても三十分はかかりそうである。
 それからまた次の店に向かうとすると…
「…やべぇ、時間ギリギリかぁ?」
 予約票を取り出して確認した丸井の顔が青ざめる。
 次の店でケーキを受け取る最終期限が、もう今から一時間を余裕で切っている。
 この込み具合からいけば、かなり厳しい…かと言って、ここを抜けて次の店に行ったとしても、今度はここの店の終業時間を過ぎてしまう。
 どちらを取るか…まさに究極の選択…!
(うぐぐ〜〜〜!! ジャッカル〜〜、この恨みは死んでも忘れねぇからな〜〜! 餓鬼道とかに行ったって覚えててやるー! 枕元に立ってやる〜〜〜〜!!!)
 食べ物の恨みもここまでくればいっそ見事である。
 今日この時、ジャッカルがくしゃみをしていたとしても、別に驚きもしない程の念の込め方。
 背後に並ぶ人が怪しそうな視線でこちらを見ているのにも気付かず、丸井は一人で身悶えしていたが、不意に彼の注意を引き付ける声が聞こえてきた。
「あれ? 丸井さん…ですよね?」
「ん? あっ!!」
 声のした方へ顔を向け、少年のそれが驚きの表情へ変わる。
 そこには、学校こそ違えど、自分や立海のテニス部レギュラー陣と仲良しの少女が立っていたのだ。
 竜崎桜乃…青学の中学一年生で、向こうの男子テニス部顧問の孫である。
 制服の上から学校指定のコートを纏っている少女は、行列の中から丸井を見つけて、近づいてきた。
「おさげちゃん!!」
「なに踊ってるんですか? こんな所で…」
 どうやら別に彼女がやたら視力が良い訳ではなかったらしく、行列の中で一人、丸井がやたら挙動不審な人物として目立っていただけの話だった。
 悶えている上に、二つも三つもケーキの入った箱を抱えていたら、それは確かに目立つだろうが…
「いや、別に踊ってはいねーけど…おさげちゃんは何でここに?」
「お友達とお茶した帰りなんです。こっちが近道だから通っていたんですけど…凄い行列ですねぇ、ケーキですか?」
「うんうん、そーなんだ…ってことはさ、おさげちゃん、もしかして今、ヒマ?」
 試しに聞いてみた質問に、少女は素直にこくんと首を縦に振った。
「え? ええ、もう帰ろうと思っていたところだし…」
「マジ!?」
「………」
 答えた途端に、相手のこの嬉しそうな表情……
 桜乃は、逆に何となく一抹の不安を覚えた。
 この人は、悪い人じゃないんだけど、結構自分のペースに相手を巻き込んでくるから…
「…丸井さん、何だか、CMに出てたワンちゃんみたいな目をしてますよ…」
 大きくてつぶらな瞳をうるうると潤ませ、何かを必死に訴えている…これはもしかして…
「おさげちゃん! お願いがあるんだけど!」
 ほらきた、と桜乃は内心、予想を的中させてしまった自分にため息をついていた。
 これまでの経験から、こういうパターンは大体お願い事になる。
 そして、その内容は…
「…食べ物ですね?」
「ピンポン!」
 人差し指をたてて、少女の洞察力の鋭さを褒めた少年は、いそいそと自分が持っていた予約票の一枚を彼女に差し出した。
「実はさ、この次に行く予定だった店が、もう閉店ギリギリでやっべーの! 悪いんだけど、その店でケーキ、代わりに受け取ってきてくんない!? 代金は先払いだから受け取るだけ!」
「え…ケーキって…まだ買うんですか!?」
「そうだよぃ」
「…ご近所さんに配る話じゃないですよね…」
「あったりめーだろい? 俺の取り分、なくなるじゃん。折角貯めたお小遣いの集大成なのに」
「…食べるのに、何日かけるつもりなんです…」
「このくらいなら、明日までにはほぼ完食だな…あ、でも勿体ないから少しは残して明日に…」
「いいです…聞いた私が間違ってました…」
 既に桜乃は諦めた口調で彼の発言を止めたが、周りの人々の奇異の視線は尚一層強いものとなってしまった。
「なぁ、ダメ?」
 相変わらず丸井は気にしていない、寧ろ、桜乃の返事の方が気に掛かる様子だった。
「もう、仕方ないですねぇ…いいですよ、行ってあげます」
 特に予定もないし…と引き受けた桜乃が、丸井には天使に見えたに違いない。
「ラッキー!! サンキュな、おさげちゃん! えーと、店の場所分かる?」
「うーんと…あ、何か見たことある名前…ええっと…先の大きな交差点を越えて、白いビルを曲がったところにある店ですか?」
「そうそう! 店の前にトナカイの人形が飾ってあるから、目印になると思う」
「はい、分かりました…で、買ったらここに戻ってきたらいいんですか?」
「え? うーん…そうだな。もしかしたら俺ももう買い終わってるかもしれないし…」
 どうしよう、と悩む少年に、桜乃があっと声を上げ、続けて提案した。
「じゃあ、この先のプロムナードにある大きなもみの木で待ち合わせませんか?」
「もみの木?」
「すっごく綺麗にライトアップされてるって聞きました。大きな木だし、待ち合わせにもいいと思いますよ」
「へぇ〜」
 クリスマスはケーキ以外のイベントには全く興味なかったから、正直そんな情報も知らなかった。
 しかしプロムナードなら、ここから桜乃が向かう店の丁度中間地点になり、確かに都合がいい。
「いいぜ、じゃあ、そのもみの木で待ち合わせな!」
「はい…じゃあ、行ってきますね」
「おう、シクヨロ!!」
 予想外の心強い援軍を得て、丸井は再び元気一杯になり、桜乃に手を振って彼女を店に送り出したのであった…



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