桜乃が行った店は予想よりは行列も少なく、目的のケーキも問題なく購入出来た。
「有難うございましたー」
「どうも」
 店員から袋を手渡され、桜乃はそのまま約束していた待ち合わせ場所へと向かう。
 初めての場所ではなく、プロムナードについては何度も足を運んでいるから、迷う心配もない。
(丸井さん、もう買い終わったかなぁ…それにしても、相変わらず凄い食欲…)
 今自分が持っているケーキだって、一人だったら余裕で一週間はかかりそう…
(まぁ、丸井さんらしいけど…ふふふ)
 逆に食欲のない彼だと、却って体調とかの問題を疑ってしまう…
 元気でいるのなら彼はあれでいいのだと、自分を納得させる形で桜乃はうんうんと頷きながら、一路、もみの木のある場所へと向かった。
 暗かった道が、徐々にプロムナードに近づくにつれて明るくなる。
 もみの木だけでなく、そこまでに至る道の両側に植えられていた並木にも、美しい青い光が無数に灯されていた。
 まるで、夢の世界の闇を灯す魔法の木々のようだ…
「うっわぁ〜〜〜、きれーい…」
 夢見る表情で呟き、桜乃は少しだけ歩く速度を落とし、ゆっくりと並木道の間の歩道を歩く。
 そこには彼女だけでなく、多くの人々がこの景色を楽しむべく集まり、人の流れを作り出していた。
「やっぱり、夜に見たら全然違うなぁ…」
 上ばかりを見ながら、桜乃はゆっくりゆっくり歩く。
 そして、青い木々の誘いが終わったところで、視界が開け、桜乃の正面に、更に大きく鮮やかに輝く存在が現れた。
「ふぁ…」
 声を上げることも途中で忘れ、桜乃は首が痛くなる程に上を見上げる。
 巨大なもみの木…それが様々な光の粒に照らされ、金、銀のモールに包まれ、荘厳な姿を現したのだ。
 もみの木の前には、プロムナードのもう一つの名物である円形の噴水。
 今日、この噴水も様々な色彩に満ちた光に照らされて、道行く人々の目を楽しませていた。
「大きいなぁ…それに…凄くキレイ…」
「おーい」
「あ…丸井さん?」
 少し離れた所からの呼び声に振り向くと、もみの木のライトアップの光に照らされた少年が、手に沢山の荷物を抱えた姿で、彼女を呼んでいた。
 最初に会った時より、箱が一つ増えている…という事は、あの店でのケーキ入手は無事に終了したらしい。
「おさげちゃん! お疲れっ!」
 とんとんとんっと足取りも軽く、まるで荷物の重みさえ感じさせない様子で、丸井が桜乃の前まで駆け寄ってきた。
「はい、丸井さんもお疲れさまでした。無事に貰えましたか? ケーキ」
 彼女の持っている箱の入った袋を見て、その笑顔が更に深くなる。
「おうバッチリ! おさげちゃんも有難うな、助かった〜〜!」
「うふふ、来年からは、少し早めに回った方がいいですよ?」
「おう、そうする…の前に、やっぱ一回ジャッカルをシバいておくのが先だな…」
「え?」
「あ、いや、こっちの話」
 ぶんぶんと首を横に振ってごまかした後に、丸井は少女から袋を受け取った。
「サンキュ〜〜〜、いやー満足満足…」
「お、重くないですか?」
「全然ヘーキ! 男の体力、ナメてもらったら困るって。 でも、ま、心配してくれてるのは嬉しいぜぃ、有難うな」
「…本当に体力あるんですね」
 はぁ〜っとため息をつく桜乃に、丸井はへへへ、自慢げに笑うと、きょろっと辺りを見回した。
「お、あそこベンチが空くぞ。ちょっと座んね? 折角来たからもう少し見よう」
「はい、いいですよ」
 少年は少女より先に空いたばかりのベンチに行って席を確保すると、そこに二人並んで座ったところで、もう一度立ち上がる。
「え? 丸井さん?」
「ちょっと行ってくる。すぐ戻るから、ここにいろよな」
「はい?」
 何処に行くんですか?という質問の時間さえ許さず、丸井はまた鉄砲玉のように飛び出していった。
 本当に行動が迅速…はっきり言えば、落ち着きがない。
 ケーキの山を放置する訳にもいかず、桜乃は仕方なく一人でベンチに座って相手の帰還を待った。
(本当に、何処に行ったのかな…)
 ぼうっと目の前の噴水を見つめ、暫く待っていた桜乃だったが…
(遅いなぁ…)
 なかなか来ない。
 何処に何をしに行ったんだろう…と思いつつ、こうなったら景色を思い切り楽しもうと改めて上を見上げた時、

 ぴとっ

「きゃんっ!」
 いきなり背後から熱いものが右頬に当てられ、桜乃はびっくんと身体を震わせた。
「え…っ!?」
 慌てて振り返ると、悪戯に成功した丸井の満面の笑みと視線がぶつかる。
「へっへー、ビックリした?」
 にっと笑った相手が手にしていたのは、何処かから買ってきたらしいホット缶だった。
「ホイ、手伝ってくれたお礼。飲めよ、あったまるからさ」
「あ…どうも、有難うございます」
 これを買いに行っていたのか…
 しかし、景観に配慮しているのか、辺りには自動販売機らしいものは見当たらない。
 彼がなかなか来なかった理由が何となく分かり、桜乃は少し恐縮しながら頭を下げたが、当の本人はあっさりと笑って手をひらひらと振った。
「いいんだって、俺、マジ感謝してんだから。さ、飲もうぜぃ」
「はい…あ、カフェオレ」
「あとはブラックしかなかったんだよ。苦いのヤだしさ」
「あは、そうですね」
 もみの木のイルミネーションの下、桜乃が、後ろにいた丸井と改めて正面から向き合う。
「…!」
 首を傾げて、にこ…と笑いかけてくる桜乃に、一瞬、丸井の顔が僅かに強張った。
 何気ない、いつもの仕草だったのに。
 同じ顔の筈なのに、桜乃が別人に見える…可愛いというか、綺麗というか…
 もみの木の光の所為か?
 それとも、夜の闇の悪戯か?
(あ…あれ…?)
 何だ、これ…何か…胸が…ヘン、だ…
 相手の動揺も知らず、桜乃はプルタブを開け、中身を一口飲んで息をついた。
 温かで、少し甘味が強いカフェオレが、喉を通って身体を温めていく感覚が心地いい…
 瞳を閉じて、ほう…と白い吐息を吐きながら微笑む桜乃は、隣の丸井が向けてくる視線には気付かなかった。
「……」
 カフェオレを飲みつつも、視線を桜乃からなかなか逸らせないのか、さっきから丸井の眼球運動がやたらと忙しい。
 そして、異常を感じた胸も相変わらず何かがおかしい…やたらとドキドキする。
(おっかしーな〜〜〜…不整脈? 俺、健康には自信あんだけど…)
 それに、カフェオレの所為か、顔も何となく火照っている。
「……」
 もしかして…と隣の少女を再び見つめた。
 もしかして、コイツの所為…?
 いや、でも、この子とはこれまでも他のメンバーとも同じように付き合っていたし、決してそんな気持ちでは…いや、決して嫌とか思っている訳じゃなくて、もし彼女が俺の方を向いてくれてたら…あれ? じゃあ、俺って…俺って…
 あれ? あれ? と悩む彼に、桜乃が、丸井さん、と呼びかけた。
「お、おう? 何だぃ?」
 出来るだけ自然に…自然に…
「ここって…凄いですよね」
「あ?」
 いきなりの感想を漏らした後、桜乃が前の光景を見ながら言った一言。
「…見事にカップルばかりですよ」

『ぶっ!』

 さっきまでの自分の心を見透かされた様な台詞に、丸井は思わず、口の中のカフェオレを噴き出してしまった。
「きゃっ!!」
「わっ、悪いっ! げほっ! げほげほっ!!」
 咄嗟に謝ったが、僅かに口の中に残っていたカフェオレが気管に入り、今度は激しく咳き込んでしまう。
「だ、大丈夫ですか丸井さん! 私、そんなに変なコト言っちゃいました?」
 彼の心の動揺は露知らず、桜乃は優しくその背中をさすさすと擦ってやりながら、気遣いの言葉を掛けていた。
「い、いや…別に…」
「あ…もしかして…私と一緒にいたら勘違いされて、迷惑ですか?」
「違うっ!!」
 がばっと顔を上げて思い切り否定したのは、殆ど条件反射だった。
「きゃ…」
「んなコト絶対ないから、帰るなんて言うなよな!?」
「は……は、い…」
 むきになって要求する丸井の珍しい態度に、桜乃は驚きつつも素直に頷く。
「…あ…」
 すると今度は、言った本人が我に返った様に呆然としながら声を漏らし、肩を落としてため息をついた。
「…はぁ…何だよ、俺…」
「…?」
 何か、言えない悩み事でもあるのだろうか?
 そう思った少女だが、どうも聞きだせるような雰囲気ではない。
 何だか、おかしなコトになってきたなぁ…と思いつつ、桜乃がもう一度カフェオレを含んで上を仰ぐと、もみの木のイルミネーションが星のように輝いていた。
 そして、更にその頂上、一番上には一際大きな星。
「あ、丸井さん、あれ見て下さい。大きな星がありますよ、もみの木のてっぺんに」
「え…?」
 悩む少年の気を少しでも紛らわせようと、少女は上の一番大きな飾りの星を指差した。
 彼が同じように見上げると、確かに大きな星が金色に輝いている…きっと中に電飾の仕掛けが施されているのだろう。
「ああ…そうだな、綺麗だ」
「ですね」
 眺めている丸井に頷いて、桜乃もまた、大きな星を見上げる。
 大きく輝く星が心を強く引き付けたのか、桜乃はひたすらに木の頂きを見つめ続ける。
「……」
 しかし早々に視線を外し、丸井が一心に見つめたのは、自分のすぐ隣にいる少女だった。
 淡い光を浴び、無心にもみの木を見上げてその美しさを愛でる少女は、もしかしたら彼女自身が星の様に輝いているのではないかと思うほどに眩しい。
(…何だよ…やっぱ、俺…こいつのコト…)
 自身の気持ちに気付きつつある丸井が見つめていたその娘が、不意にこちらを見て、相手の視線に気付いた。
「…ふふ」
 何かを見透かした様に、桜乃は笑った。
「丸井さん、欲しいんでしょ?」
「え…!?」
 言い当てられて、ドキッとする。

『欲しい!』

 思わず叫びそうになるところをぐっと堪え、丸井は遠慮がちに尋ね返した。
「…え…いいの? くれんの?」
 お前のこと…俺にくれんの?
 だったら俺…マジで貰っちまうよ…?
 見つめる相手に、桜乃が無邪気に笑った。
「あはは、あげたいですけど流石に無理ですねー。私だって、あれ、持って帰りたいです!」
 そう言われて指差されたのは、あの大きな頂の星
「…へ?…」
「子供の時からああいうのって欲しいんですよね。全然成長してないって言われるかもしれませんけど」
「あ……ああ、そう、あの星な…」
 そうか…そうだよな…何いきなり期待してんだ俺…
 よく考えたら、現実的にありえない話なのに思わず本気で想像してしまった。
 かくんと肩から力を抜いた丸井の反応に、桜乃があら?と覗き込む。
「? 何か別のものだったんですか? 丸井さんの欲しいのって」
「あー…いや、そうだよ、俺も星が欲しいってさ、思ったんだ…けど、あれよりまだちょっと遠いかな」
「…もっと高いところにあるんですか?」
「まぁ…そう」
「スケール大きいですね…流石は丸井さん」
「まぁね…俺、天才的だし」
「ふふふ、そうですね」
 笑う星は、変わらず朗らかで、屈託ない。
「ちぇ…今に見てろよぃ」
 本気になった俺は、結構容赦がないんだぜ?
「え?」
「や、何でもね…なぁ、竜崎、腹減ったろ、ケーキ食わない?」
「…はい!?」
 何かの聞き間違いでは?と思った桜乃だったが、どうやら相手は本気のようだ。
 自分が買ったケーキの中から、早速どれか一つを選び出そうとしている。
「ちょ…ちょっと丸井さん!?」
「どれがいいかな〜…あ、これがいいや、一番美味いって評判だったヤツ」
「え? 本当ですか?…じゃなくてっ!」
 つい乗ってしまいそうになったが、何とか踏み止まってみた。
「ど、何処で食べるんです? こんなに…」
「ここで食べよう、丁度眺めもいいし。こんな時のためにフォーク付けてもらったんだ」
 ケーキの箱を取り出し、付けてもらったフォークも準備する丸井は完全に臨戦態勢に入っており、桜乃はただただ唖然とするばかり。
「…こんな時って…どんな時なんです?」
「食べたくなった時に決まってんじゃんか」
「…家に帰るまで我慢とか…」
「やだね、俺は今ここでおさげちゃんと食べたいんだ」
「え…」
 高い場所にある星を求めるなら、自分の手で無理やりにでも引きずり落とす!
 獲物を定めた彼は、もう立ち止まることは無い。
「いいだろぃ、イブの夜にこうして過ごすってのもさ。俺が他人にケーキ譲るなんて、無いことだぜ?」
 ウィンクする丸井は、いつの間にか悩みも勝手に解決してしまったらしい。
 さっきまでは肩を落とすわため息つくわ、何かと不思議なリアクションを返していたのに、もういつもの彼に戻ってしまっていた。
「…もう」
 仕方ないと笑い、桜乃は丸井に頷いた。
「いいですよ、じゃあ、御一緒します」
「おう!」
 かくして、もみの木の下でささやかで不思議な宴が始まったのだった。

「こうしてるとさ、俺達もなんかカップルみたいじゃね?」
「ちょっ…丸井さん!?」
「へへへ、赤くなってる〜 でも俺、お前のコト、嫌いじゃねーぞぃ」
「も…もう!」
 まだ、恋人でもない二人。
 求められている星は、今はそれにすら気付いていない。
 シャンパンもない、洒落た店でもない、愛や恋を語るような言葉も今はない。
 それでもこの時、このもみの木での一時が、星へ至る道に繋がっていると少年は信じていた…






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