ナイスコントロール
「ほい、綱渡り…っと」
『おお―――――――――っ!!』
その日の体育の授業は男女ともテニスであり、立海男子テニス部のレギュラーである丸井ブン太は一躍人気者だった。
「へっへ〜〜〜、どぉ? 天才的だろい?」
普段からテニスに馴染みのない他の生徒から見たら、丸井の「綱渡り」はまさに、神業の域である。
「うわ、すっげぇ!」
「こんな事出来るのにそれでも部長じゃないなんて、ウチのテニス部って本当に凄いんだなー!」
「何だよ、これじゃあハンデくれないと勝てねーじゃんか」
賞賛からやっかみまで、実に様々な声が丸井に浴びせられ、彼はふふーんと鼻を高くする。
元々子供っぽい性格の彼は人から注目を集めるのが大好きで、更にそこに賞賛が加わると途端に上機嫌になる。
「バーカ、幸村は特別なんだよ。天才的な俺が認めたヤツなんだからな」
「へぇ〜〜」
「でもテニスって結構面白いなぁ…なぁ丸井、今度俺にも教えてくれよ」
「おう…ポテチ二袋で手を打とう」
「相変わらずちゃっかりしてんな〜〜」
にひひ、と笑う丸井にクラスメートの女子達がぶ〜っと不満のブーイング。
「何よ〜〜〜、丸井君、こないだ私達がお願いした時には断ったじゃなーい! 何で男子だけ〜〜!?」
「だ、だって女子は男子とまるで違うしな〜。女子は女子テニス部のヤツに頼めばいいだろぃ」
女子達の圧力にたじたじとなりながらも丸井は彼なりに持論を展開したのだが、向こうは全く納得する様子はなかった。
「でも、前は教えてくれてたじゃない! 最近になって急に止めちゃって…」
「そ、そりゃあさ…こっちにもこっちの都合が…」
「あ、もしかして最近、青学の女子が男子テニス部に来てるって事と関係あるの?」
ぎっくうぅぅ!!!
「……」
さっきまでやたらと饒舌だった丸井が、顔を強張らせて口ごもる向こうでは、女子達が一気にヒートアップする。
「え〜〜〜〜!? ずる〜〜〜い!!」
「私達でも邪魔者扱いされるのに〜〜〜!!」
何ソレ〜〜〜〜!と非難が沸騰した場で、丸井が両手を振り回して青学の女子の擁護に入る。
「ア、アイツは別! ちゃんと青学からの使いってことで来てたりするんだから、変な勘ぐり止めろって。下手なコト言ったら、青学や、テニス部のみんなに迷惑掛かるんだからな!?」
「ほんと〜〜〜?」
「怪しいな〜〜〜〜〜」
「ホ、ホントホント…」
尚も疑惑の目を向けられた人気者は、じりじりと迫られ後ずさりながら強張った笑顔を浮かべている。
そこに口を挟んできたのは、先程まで一緒に話していた男子生徒たちだった。
「ああ、でも確かに最近、おさげの青学の制服着た子をよく見るよな」
「そうそう、テニスコートの方にばかり行くから、てっきり女子テニス部に関係あるかと思っていたんだけど」
「結構、可愛いって人気あるんだよな」
ぴく…!
丸井に見えないダンボの耳がくっついて、男子の発言を拾い上げる。
「…はい?」
ゆっくりと彼が振り返ってみると、そこでは男子と女子が別れて舌戦を開始していた。
「まー! 男子ってすーぐそんなにデレデレして!!」
「何だよー! 可愛いから可愛いって言われるんだろ!?」
「そーだぜ!? 会ったヤツが『すっげぇいい子だった』って話してたって!」
「わざわざ他の学校の子にだけ注目するのって、どうなのよー!」
男女の諍いから外れてしまった丸井は、外された事実より、耳に入った言葉に衝撃を受けていた。
人気ある…!?
すっげぇいい子だったって…
(俺、ぜんっぜん知らないんですけどその話〜〜〜〜!!)
てっきり立海男子テニス部だけに顔を見せていると思っていたあの子…竜崎桜乃…
他の生徒とも繋がりがあったなんて…いや、それはコートに来る道程とか、確かに有り得る話だろうけど…
(…マジで…?)
男女の舌戦に遂に教師が気付いて仲裁に入っている間、丸井は呆然と佇むばかりだった。
「そうだよ? 竜崎さんは、最近立海の中でも人気なんだ」
放課後のテニス部、丸井が話した昼間の授業での騒動について、幸村はあっさりとその事実を認めていた。
「嘘…」
「まぁ、全生徒が知っている訳じゃないけどね。あの子って何と言うか、守ってやりたいって思うような儚さがあるだろう? それに優しいし…俺から見てもすごく良い子じゃないか」
「ぐ…そ、そのくらい、俺でも知ってるよぃ」
ぷいっとそっぽを向いてしまった同級生に、幸村がおやおやと笑う。
「そうだね、特にブン太はあの子の事がお気に入りみたいだし」
「別に、そんなんじゃ…!」
「あの子が来始めてから、君の取り巻きがすっかり少なくなったよね。部長の目をあまり甘く見ちゃダメだよ」
「〜〜〜〜〜」
「まぁ、彼女がいると君の技が格段に冴えるのは良い事だ。後はいつでもそのぐらいの力を出せる様になってくれたら言う事はないんだけど」
(ほんっと部長向きだよ、この男…)
にこ、と優しい笑顔を浮かべる向こうで、部員達の全ての状況を理解し、把握している男は、まるで鉄壁の様に隙が無い。
いつもは穏やかな瞳を浮かべている彼だが、本気になった時のそれは同一人物かと疑う程に鋭く、見つめられるだけで竦んでしまいそうになる。
普段とのギャップがあまりに大きい所為で戸惑う者もいるのだが、それこそ優しい性格の彼がそれだけ真剣にテニスと向き合っているという何よりの証なのだ。
「幸村に言われなくても分かってるって、俺だってちゃんとレギュラーの一員なんだし。テニスの腕は欠かさず磨いてる…コントロール力がいいと、他でも結構役に立つんだぜぃ」
「期待しているよ」
ふふ、と笑って、幸村が他のメンバーの調子を見る為に席を外した後も、結局丸井はむ〜っと気難しい表情を解くことはなかった。
(けど…そうか、あいつ、人気あるのか…そりゃ、あんだけいい子ならトーゼンだけどさ…)
そんな或る日の事だった。
「〜〜〜〜〜〜」
立海の校舎の壁際で、一人の女子が酷く困った顔をしてじりじりと壁際へと後ずさっていた。
時は放課後
もう夕暮れも近い頃だったが、別に彼女は夕暮れを恐れている訳ではなかった。
それよりも大きな問題が、彼女のすぐ傍に迫っていたのだ。
「ねぇ、いいじゃん、ちょっとお茶に行くだけだってば」
「君、最近よくここにいるよね。可愛い子だなーって見てたんだ」
彼女の身体にその影が差す程に近寄っている三人の男子生徒が、少女にナンパをかけていたのだ。
おさげの少女が余程勝気な子であったら、きつい一言で追い返す荒業も可能だったかもしれないが、残念ながらそういう性格ではなかったらしい。
「あのう…困ります。私、コートに行きたいんですけど」
その場を取り繕う嘘ではなく、本当に行く予定だったのである。
少女…竜崎桜乃は、今日もまた立海テニス部の見学に訪れており、今まさに立海に到着しコートに向かおうとしていたのだ。
今日は早めに到着出来たと喜んでいたのに、途中でこんなトラブルに巻き込まれてしまうとは…
何とかその場をどいて、見逃してもらえるように穏便に話してみるが、向こうはそんな彼女の態度を更に冷やかすように口笛まで吹いた。
「困りますだって!」
「可愛い言い訳だね〜」
どう言っても放してもらえそうにない雰囲気を感じ取り、おさげの少女は心細さに身体を震わせた。
(どうしよう…誰か、助けて…!)
そう心で叫んでも、残念ながら放課後の時間帯も災いし、彼女の危機を見て助勢してくれる人間は期待出来なかった。
「きゃっ!!」
竦んでいた桜乃の声が悲鳴に変わったのは、その腕が男子に握られてしまったからだ。
「ちょ…嫌ですってば!」
「いいじゃんか」
嫌だと言っているのに尚も手を離そうとしない相手に必死に抗おうとしても、男女の体力差では敵いそうもない。
「いや…っ! 離して…!」
ひきつった声を上げて震える娘の頭上に、不意に影が差した。
「…っ?」
それは自分を脅かす輩達の影ではなかったが、何の影であるか気付く前に、実体そのものが目の前に降って来た。
ごんっ!
がんっ!
がすっ!
見事な打撲音と共に男達が同時に頭を押さえて悲鳴を上げる。
「ってぇ!!」
「ぐあっ!!」
「んだぁ!?」
三人の足元に落ちたのは、かなりの厚さを誇る辞書達だった。
英和辞典、和英辞典、百科事典…
それらが三人の頭に落下し、直撃したらしい…少女を寸でのところで避けて…
「…!?」
何が起こっているのかと立ち竦む彼女の耳に、おーいと呼びかける声が聞こえてきた。
左右を見ても誰の姿も見えなかったが、上を見たところで…
「っ!? 丸井さん!?」
「わりーい、当たんなかった〜?」
三階の窓からひょこっと身を乗り出してこちらを見下ろしていたのは、自分のよく見知った若者だった。
向こうは少女の姿を確認すると、更にぐっと身を出してにこっと笑う。
「お! おさげちゃんじゃんかー! おひさ〜〜」
「あ…丸井さん…」
にこにこと笑う男の笑顔で一気に緊張が解けた桜乃が、ほ、と安堵の吐息を漏らし、そんな彼女の先程までの危機に気付く事もなく丸井はひらひらと手を振った。
「あれ? もしかしてそっちの人達に当たっちゃったかい? 悪いね〜、棚に戻そうと思ってたら手が滑ってさ〜〜、悪い悪い!」
棚に戻そうと思っていて、何故それらが三冊も外に放り出されるのか、普通だったら疑問に思う。
無論、被害に遭った三人も例に漏れなかった。
「お、お前ナニしてんだよ!?」
「ふざけたコトしやがって」
「降りて来い!!」
丸井に悪口雑言を浴びせた三人だったが、それに答えを返したのは彼ではなかった。
「…ほう?」
低く、地の底から這うような声が三人の耳に届くと同時に、校舎の影から一人の鬼が現れる。
いや、真実は鬼の様な形相をした風紀委員長、真田弦一郎だった。
「それでは折角降りてきたことだし、少し話を聞かせてもらおうか? お前達…」
「真田さん…」
きょとんとする桜乃とは裏腹に、彼女をからかっていた三人が真っ青になって震えだした。
「げ…!」
「真田委員長…っ!?」
立海の風紀を乱す輩には一縷の情も見せない真田に見つかってしまったのは、正に悲劇としか言い様がなかったが、それも三人の行動が招いたコトだ。
「竜崎、お前はコートに向かえ。今回の事は俺がしっかり見届けている。お前には何の落ち度もないのだ、気にするな」
「は、はい…」
ぺこ、と一礼して桜乃は言われるままにその場を離れ、本来の目的地であるコートに向かった。
そして、少し走ったところで…
『このうつけども――――――――っ!!』
真田、大激怒。
血管が切れる音が聞こえてきそうな程の怒声が背後から聞こえてきた……
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