(きっと、普段でもこうなんだろうなぁ)
 こういう強引さに女性は弱いのだが、相手はそれを利用するどころか自分の行為に気付いてさえもいない。
 知らないが故の邪念の無さに、女性の方も笑って許してくれるのだろうが…ここまで鈍感だと、ちょっと気の毒な気もする。
(その気になったら、もっとモテるかもしれないのに…丸井さんは、恋愛とかには興味ないのかなぁ)
 ちょっと残念…と思ったところで、桜乃は自分の考えに赤くなる。
(や、やだ、私…図々しい)
 自分が口を出すことじゃないのに…と少しだけ自己嫌悪に陥った彼女を連れて、丸井は店のドアをくぐって、空いている席へと向かい、自分の隣にぬいぐるみ、そして向かいに桜乃を座らせた。
 そこにメニューを持ってきたウェイトレスに、パフェとココアを二つずつ注文した後、彼ははぁ〜っと息を吐き出して笑う。
 やっぱり、彼女を連れて来て正解だった…人の視線がもう気にならない。
 と言うより、寧ろ視線を受けるのが嬉しくて仕方がない。
「ふい〜、やっと一息ついた。おさげちゃんに会って助かったぜぃ、何しろコイツがあったからなぁ〜」
「…それですか?」
「そうそう…実は福引で当たったんだけどさ…結構、目立つじゃん?」
「いえ、結構どころか…かなり」
 実際、自分が丸井を最初に見つけた時も、彼の姿ではなく、あのピンクの謎の物体に目を引かれ、そして彼と言う存在に行き着いたのである。
 正直、持っている人間よりもあちらの方が存在感が上だと思ってもいいぐらいだ。
「やっぱ、そう?…だから、男が持ってると、周りの視線が流石に気になるって言うかさ〜〜。けど、おさげちゃんが一緒だと、何かカモフラージュって言うか…俺がアンタの荷物持ってる感じになって、変に思われないからさ」
「成る程〜」
 了見が狭い女性だったら、利用されたことに対して文句の一つも放っていたかもしれないが、桜乃はうんうんと納得した様に頷いた。
「…流石の丸井さんでも、それは恥ずかしかったですか」
「何か気になるなその言い方……俺って普段、そんなに鈍感?」
「いえ、というか、人の意見がどうあれ、あまり気にせずに自分を貫くタイプだと思っていました」
「うわぁ…そう言うと一気に格好良く聞こえるなぁ」
 別の言い方をしたら、相手に構わず迷惑考えず、思うままに突っ走る鉄砲玉タイプなんだが…
「まぁ、恥ずかしかったぜ。正直、おさげちゃんに会わなきゃずーっとこの商店街このままで歩いていたろうし…同じ学校の奴に見つかったら大事だったっての」
「女子の方に同じ様に同伴してもらったら良いじゃないですか」
「…あ?」
「私じゃなくても、立海のどなたかに会えたら助けてもらえましたよ? 丸井さん、立海では凄い有名人じゃないですか、格好良いって」
「………」
 暫く無言で相手を見ていた丸井は、すいっとその視線を横に逸らし、ちょっとだけ拗ねた様に呟いた。
「……ドンカン」
「はい?」
「何でもない」
 ぷるぷるっと首を横に振って相手の言葉をかわすも、丸井は複雑な心境のままに相手と向き合った。
(別に誰でもいいって訳じゃねーんだよ。お前だったから誘いもしたし、ラッキーだと思ったのに…こういうのって、コイツにはまだ早いのかな…一年だしなぁ)
 どうやら、互いが互いを想っていても、同じく互いが互いを同じ様に誤解しているのが、二人にとっては不幸だったらしい。
 自他共に認める仲良しさんではあるのだが、更にそこからの一歩を踏み出す切っ掛けは、まだどちらとも持てない様だ。
 そうこうしている内に二人のテーブルに目的のパフェとココアが運ばれて来て、彼らはその美しさに一時そちらの会話を中断させた。
 こういうところも、彼らは似ている。
「わぁ〜〜、美味しそう」
「おう、ここのパフェは絶品なんだぜ? 俺が保証してやる」
「楽しみです! いただきまーす」
 早速、食べ始めた二人の顔に、晴れやかな笑顔が浮かぶ。
「美味しい〜〜〜〜、ここのクリーム最高〜〜〜!」
「だろだろ!?」
 ぱくぱくと食べ続け、見る見るパフェの山が解体されてゆく…
 そうして空腹を満たされた桜乃は、まだ少しパフェを残しながらも、ちらっと丸井の隣の物体を興味有りげに見つめた。
「? どうしたぃ?」
「いえ…見れば見るほど圧倒されるんですけど…肝心の中身を聞いていませんでした」
 何です?と尋ねた少女に、丸井は袋をぽんと叩いて答えた。
「クマのぬいぐるみ…よく分かんねーけど、イギリス生まれのブルジョワらしい」
「ぬいぐるみ!?」
「……」
 その単語を聞いた途端に身を乗り出し、きらきらと瞳を輝かせた桜乃に、思わず丸井は身体を引いた。
 ナニ、この反応の素早さ…ただのぬいぐるみなのに…
「それで一体分ですか?」
「うん…デカイだろ?」
「おっきいですねぇ…へぇ、そうなんだ…クマの…」
 ぶつぶつと呟く相手の視線は、既に袋の方へと固定され全く動かない。
 開けられないと分かっていても興味が尽きることはなく、桜乃はまるで袋を透視しようとしているかの様だった。
「…見てみる?」
 『見たいオーラ』全開の相手の熱意に完全に押される形で、丸井は袋に手を掛けながら訊いてみた。
「え!? でも、プレゼントなんじゃ…」
「いや、さっきも言ったけど福引で当たったもんだし、誰にやるって話もないんだ。そのまま運んだら恥ずかしかったから、ラッピングを頼んでみたら…」
「…より恥ずかしくなってカムバック、と…」
「そう」
 それ以上に返す言葉もなく、丸井はしゅるんと開け口を止めてあったリボンを解き、がさごそと袋の上部を引き下ろして、クマの頭部をひょこりと覗かせた。
「キャ――――――――――ッ!!」
 見た途端、桜乃は頬に手を当てて歓喜の声を上げる。
 可愛いっ!!
 心の中でそう絶叫した彼女は、ますますぬいぐるみの方へと集中し、その熱意は丸井ですらもたじろがせた。
(女の子って、ホントこういうモノには弱いよな〜〜)
 言い方は悪いが、布と綿の寄せ集めの物体に、何故ここまで心を惹かれるのだろうか…?
「…ほれ」
「わぁ!」
 袋から全体を出して、テーブルの上を越える形で桜乃にぬいぐるみを手渡すと、相手は嬉々としてそれを受け取って抱き締める。
「きゃ〜〜〜! おっき〜〜〜い! きゃ〜〜〜! もふもふ〜〜〜〜!!」
(何か…こういう時の女子のパワーって凄い)
 感心している丸井の周りの席の人間達も、そのぬいぐるみの贈呈に注目していたが、誰もが『彼氏が彼女にプレゼントしているのだろう』という見解に達していた。
 知らないのは、当人達二人だけである。
「………」
 桜乃がきゃいきゃいと喜びながらクマのぬいぐるみに抱きつく姿を、丸井は半ば呆然として見つめていたが、それはやがて徐々に薄い笑みへと変わってゆく。
(へえ……可愛い顔で笑うじゃんか)
 コイツの笑顔はよく見てたつもりだったけど…こんなにじっくり見たことはあまりなかったかもな。
(すっげぇ得した気分だけど…何か…)
 彼女がずーっと嬉しそうにぬいぐるみを両手に抱えて抱き締めている姿を見ると、嬉しい気持ちの他にも別の感情が沸き上がって来る。
 認めたくはない、認めたくはないが…
(…ぬいぐるみを羨ましがってるって、俺って天才的にバカ!?)
 あの小さな手に力いっぱい抱き締めてもらっているぬいぐるみが、自分より遥か彼方の特等席に座っている様な気がして、それはそれで落ち着かない。
 馬鹿馬鹿しいことだと分かっていても、ついぬいぐるみの立場と自分のそれを置き換えて考えてしまい、丸井は照れを隠すようにパフェの残りを掬って口に含んだ。
「ね、丸井さん?」
「んあ?」
「この子って、丸井さんに似てますよね」
「っ!」
 思わず吹き出しそうになって呼吸を止め、必死に耐えている男の前で、桜乃は全くそれに気付かずぬいぐるみの顔にすりすりと頬ずりをしている。
「おっ…俺!?」
 じゃあ、アンタ、俺に頬ずりしてんの? 今?
 心の中の問い掛けなど、相手に伝わる筈も無い。
「このつぶらな瞳とか、可愛いお顔とか、似てません?」
 べったりとぬいぐるみにくっついている桜乃は、引き離すのにも一苦労しそうである。
 つまりそれは、自分とぬいぐるみを入れ替えたら……
(…自分の言ってることとやってる事が、俺にどう伝わっているのか分かってんのかな…天然もここまで来たら立派だよぃ)
 何とかパフェを吹き出さずに済んだ若者は、やれやれとスプーンを置きながら少女の言葉に肩を竦めてみせる。
「…じゃあ、やろうか、ソレ」
「え!?」
 指差されたぬいぐるみを視線で追いかけて、桜乃はそれをまた丸井へと戻し、驚きも露に尋ねた。
「で、でも、これって折角当たったんじゃないですか?」
「別にいいぜ? 当たったんだから元手はタダ同然だし、俺が持っているよりアンタが持っててくれた方が大切にしてもらえるだろ、ソイツもその方が幸せだろうし」
「けど…」
「あーもー、いいって言ってんだろ? やるよ、やるって! やるからソイツ…」
 相手の遠慮を断ち切るように投げやりに言った後、嬉しそうな笑みを浮かべて一つのお願い。
「俺だと思って、大事にしてくれよな! ちょーっと悔しいけどさ」
「!」
 彼が最後に付け加えた言葉に、相手の想いを感じ取った桜乃が素直に赤くなる。
「あ、もしぬいぐるみで物足りなくなったら、俺に抱き付いてもいいから。俺、体温高いし、ぬいぐるみよりぬくぬくだぞぃ」
「ちょ、ちょっと丸井さん! 恥ずかしいことを言わないで下さいよ!」
「俺に似てるって言ったぬいぐるみに、そんなにべったり抱きついてるアンタを見ているコッチの方が、よっぽど恥ずかしいんだけど…ってか、俺よりぬいぐるみの方が良い訳?」
「う…っ!!」
 ぴしっと指を指されながら指摘を受け、桜乃はようやく自分の仕出かした行為を認識した。
 言われてみれば確かに…っ!!
「〜〜〜〜〜〜」
 ゆっくり…ゆーっくり、今更ぬいぐるみから恥ずかしそうに身体を離す桜乃の姿に、丸井がぶっと吹き出す。
「遅いって!!」
「だって〜〜!」
 それからも、丸井は桜乃に突っ込みつつ、嬉しそうに笑っていたが、やがて楽しい時間は過ぎてゆき、二人は互いの家へ戻ることとなった。
 清算を済ませた後に店を出ると、やはり外は多くの人で賑わっている。
 もうすぐ夕刻になれば、この人ごみは少しは解消されるのか、それとも更に混み出すのか…
「今日は有難うございました、丸井さん。じゃあ、この子、貰っていきますね」
「おう、大切にしてやってくれよ…あ、それとさ、まだ返事、聞いてなかったぃ」
「はい?」
 何か質問されていたかな…と悩む少女が手にしていたぬいぐるみを、丸井がひょいと抱えて、そのまま傍の地面に置くと…
「ほれ」
「っ!?」
 むぎゅっと桜乃を強く胸の中に抱き締めた。
「ま、丸井さんっ!?」
 慌ててじたばた動く少女を面白そうに拘束しながら、丸井は相手の顔を覗きこみながら首を傾げた。
「…で、どお?」
「なっ…何がですっ!?」
「どっちがいい? ぬいぐるみと俺と」
「!!」
「…なぁ、どっち? やっぱ俺よりぬいぐるみの方がいい?」
「そ…そんな事は…っ」
「じゃあ、ちゃんと言えよ。分かんねぇだろぃ?」
「〜〜〜!!」
 言わないと、離さない気だ…!!
 相手の心の中に潜んだ企みを読み取った桜乃は、はう〜と赤くなりつつ彼をちょっと恨めしそうに見上げたが、仕方ないと覚悟を決める。
 男子の腕力には敵わない…と思いながらも、実は無理矢理逃れようという気もないのだけれど…
「…丸井さんの勝ちです」
「…へへっ」
 ぬいぐるみ相手に随分と子供染みた勝負を仕掛けたものだが、勝ちは勝ち。
 嬉しさを顔中で表しながら、丸井はこそっと囁いた。
『あーもー、俺がコイツの代わりにお前と一緒に行けたらいいのに…』
「え…」
 ちょっとだけ名残を惜しみつつ、丸井はそっと彼女を解放して、軽く手を振った。
 このままずっと一緒にいられたらいいけど、それは無理だから…
 未練が強くなると離れるのも辛くなる、だから、もう行かなきゃな。
「じゃな、また絶対に立海に遊びに来いよ。テニス、教えてやっからさ」
「は、い…有難うございました」
 桜乃も、名残惜しそうにしながら手を振ってくれたことが、凄く嬉しかった……


 家族は、福引の結果には最初からあまり期待していなかったのか、丸井が外れたと報告しても特に詳しく問うこともなくそのまま話は終わってしまった。
 夕食も終わり、自室へと戻った丸井は、それから暫くぼんやりとした時間を過ごす。
(あー…ガムもお菓子も買い忘れちまったな…まぁいいや)
 今はお菓子をぱくつくような気分でもないし、明日でも間に合うと予定を新たに考えながら、彼はふぅと机に腕を置いてその上に顎を乗せた。
(…アイツ、今頃ナニしてっかな…)
 RRRRR…
「ん?」
 不意に携帯のベルが鳴り、丸井は応じて耳元へとそれを押し当てた。
「もしもし?」
『あ、あのう…丸井さん、ですか?』
「! おさげちゃん?」
 珍しい桜乃からの電話に、若者はぐいっと一気に顔を上げた。
 こんな夜に掛かってくるなんて、本当に珍しい…ってか、初めてじゃないか?
「どうしたんだ? もう夜だぜぃ?」
『あの…もうお休みになるところでしたか?』
「いや? 俺は結構遅くまで起きてる方。大丈夫だけど…何かあったのか?」
『いいえ…そういう訳じゃないんですけど…そのう…ぬいぐるみ、有難うございました。さっきまでブラッシングしてあげてたんですけど…』
(クマのぬいぐるみにブラッシング〜〜!?)
 何処まで過保護なんだよ…てか、そもそもぬいぐるみにブラッシングなんて必要あんのか!?と丸井は深く悩む。
 女の子というのは予想以上に奥が深い生き物らしい。
 そんな彼の耳に、照れ笑いを含んだ桜乃の言葉が続いて聞こえてきた。
『…何だか丸井さんを思い出しちゃって…この子に話しかけても返事してくれないし、ちょっとお話出来ないかなって思って…』
「……!」
『あのう…駄目ですか?』
「い、いや、大丈夫!」
 即答し、若者は心の中でガッツポーズをとった。
 余り物じゃなかったけど、御利益十分!!
 ぬいぐるみは手放したけど、それよりずっと良いものを手に入れた…コイツとの時間を。
 そして、俺は…
「いーよ、話そう。俺もお前と話したいしさ!…それと、さ」
『はい?』
「…そんなに心細いんなら、またいつでも『ぎゅっ』てしてやる。そっちにいる、『俺』の代わりにさ」
 ぬいぐるみじゃ、絶対にしてやれない事を、俺がお前にしてやる。
 ぬいぐるみじゃ与えられない温もりを、お前に、一杯、一杯、あげるからさ……






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