二百十四個…口で言うなら一秒程度で済むが、いざそれだけの数のカップケーキを作るとなると、最早、小工場並みの労力が必要である。
「ううっ、家庭科の先生と仲良しで良かった〜〜〜」
放課後の家庭科室を貸し切る交渉に成功した桜乃は、十一日はずっとその場に篭りっきりで、ひたすらに作業を行っていた。
同日に仕上げて十二日に配送してもらえば、今の輸送機関なら翌日には相手の自宅へと到着する。
そうなると十四日には十分、女子達への配布は可能となる筈だ。
(クッキーとかだとどうしても割れちゃったりする可能性があるからなぁ…カップケーキなら多少は日持ちもするし、丁度いいかも)
家庭用だと何度オーブンの扉を開け閉めしなければならないだろうと考えていたが、学校に業務用オーブンが備え付けられていたのは有り難かった。
「これなら一回でもかなりの数が焼けるもんね…えーと、荒熱をとったものからビニルに包んでテープで止めて…と」
よいしょよいしょと単調作業を繰り返しながら、桜乃は一個ずつ確実に贈り物を仕上げていったが、ふと手を止めてじっと完成品に見入った。
「……うーん」
上手くは出来たけど、何だか味気ないなぁ…まぁ、男の人の贈り物って感じではおかしくはないけど…
(あ、そうだ…)
何やら一計を案じつつ、桜乃は全てのカップケーキを焼き終わると、大きな袋に入れて何とか持ち帰り、それからまた自宅で一手間かけた作業を行った。
そして何とか次の日に無事に配送を終えたのだが、結果大変な寝不足になってしまい、少女は一日中真っ直ぐ歩けない状態で、帰宅するとすぐに布団に入ってしまったのだった。
「お〜〜〜〜〜! 来てる来てるっ!!」
そんな桜乃の努力の成果は、確かに十三日に丸井の自宅へと届けられていた。
早速中身を確認した若者は、その出来栄えに満足すると同時に、ぎょっと驚いた。
「うわ、何だこれ…シール?」
ビニルを止めている円形のシールに、ペンで丸井の似顔絵が描かれていた。
マンガチックなタッチだが、膨らんだ風船ガムから髪型から、確実に自分だと分かる。
明らかにそれは、桜乃の手作りだった。
(…って、ちょっと待て…んじゃ、二百十四個分…全部手書きで描いたのか!? アイツ!!)
ケーキだけでも凄い労力だったろうに…こんな気配りまで…?
「…バーカ」
ちぇっと舌打ちをすると、一個のケーキを取り上げて口元に軽く触れさせながら丸井は呟いた。
「…どーせ全部、他の女にやるんだぜ?……こういうのは俺だけにしてくれたらいいんだよ。お前は…俺の女なんだから」
あっちが女でも…妬いちまうくらい、好きだってのにさ…
ホワイトデー当日…
『きゃ〜〜〜!! 可愛〜〜〜い!!』
『美味しそ〜〜〜〜!! さっすが丸井君っ!!』
当日放課後に丸井が配ったケーキは、シールの影響もあって大好評だった。
これで、来年のバレンタインも何とかチョコレートの心配はせずに済みそうである。
試験も無事に終了し、その手応えもしっかりと感じていた丸井は、部活動中でも全ての問題が片付いて機嫌は上々だった。
「どうじゃ、丸井。高校には上がれそうか?」
「おう! 答え合わせしてきたけど、ま、大丈夫だろ!」
「そういう仁王君はどうでした?」
「丸井に負けるぐらいなら首括っとる」
詐欺師が爽やかな笑顔で物凄く物騒且つ失礼な物言いをすると…
「…取り敢えず、高校での俺の目標が今決まった」
絶対括らせてやる…と学生らしからぬ野望を抱いた丸井が宣戦布告。
「お前達は高校に何を求めているんだ…」
『有意義な学生生活』
「嘘付け!!」
実に迷惑だといった表情で真田が二人に突っ込んだが、確かに同級生の立場から見ると迷惑と言う他はないだろう。
それに対しての二人のハモりは見事だったが、それと信じることは全くの別物。
「ふふ…じゃれあうのはそれぐらいにして、そろそろ練習を始めるよ」
達観している部長の幸村は丸井達の発言は完全スルーの状態で、彼らにコートへの移動を促した。
(首括らせるのはいいのかな…いや、多分二人を信じているから…と言い切れないのが恐い…)
「どうしたの、切原」
「い、いえいえいえ…別に何でもないッス」
心中を見透かされそうで、切原はぶんぶんと首を振りながらドアノブを掴んで扉を開く…と…
「お?」
「わ…」
丁度ドアの前に来ていたらしい人物ともう少しでぶつかりそうになったところで、切原は何とかそれを未遂に防ぐことが出来た。
「あ…竜崎?」
「ご、ごめんなさい、切原さん」
「おさげちゃんっ!?」
切原の呼びかけに敏感に反応した丸井が、先程まで対抗心を燃やしていた仁王をあっさりと無視して扉へとダッシュした。
「お、飼い主が来たか」
「仁王君…」
言いえて妙ではあるが、やはり紳士としては注意しなければならないだろうと柳生が口を挟んだが、丸井はもう竜崎しか見ておらず新たな火種にはなりそうにもない。
「おさげちゃん!! おひさーっ!」
「こんにちは」
桜乃が部室に入ると、レギュラー達も彼女に挨拶を返す。
それはごく自然な形であり、気負いや緊張などとは無縁の場所だった。
いつもと同じ光景だ。
「やぁ、よく来たね竜崎さん。今日は早かったんだね」
「午後の授業が一時間分早く終わったので、すぐに来たんです」
「そう…この時期は一年生でも臨時スケジュールなのかな?」
朗らかな笑みで桜乃と話していた幸村は、あ、と思い出した様に声を上げた。
「丁度良かった…後で、ホワイトデーのプレゼントをあげるよ。練習の後になるけど、いいかな」
幸村の言葉の後には、他のレギュラーからも同じ旨の発言が相次いだ。
「わ、そんな…貰えるだけで凄く嬉しいですよ!」
「そう言ってもらえると嬉しいな…じゃあ、後でね」
「はい、楽しみにしています」
元気な返事を受けて、笑顔で男達が部室を出て行った後、丸井が最後に桜乃と向き合って足を止めた。
「…おさげちゃん、あのさ…」
「はい?」
「俺もプレゼントあるんだ! その…部活の後で、ちょっと時間くれる?」
「はい…いいですよ?」
「そっか…じゃ、後でな!」
にぱ、と嬉しそうに笑うと、彼も他の男達の後を追って、外へと駆け出して行った。
それは練習の時間に追われているというよりは、何処か、照れが入っている様に見えた。
「…そう言えば」
あのケーキ、どうだったんだろう…他の人達もいたから聞けなかったけど、それも後で聞いてみようかなぁ……
部活動が終了し、メンバーからそれぞれの贈り物を受け取った桜乃は、全ての活動が終了した後で約束通り丸井に付き合って、外のベンチに座っていた。
「そう言えば、丸井さん。あの…ケーキは無事に渡せましたか?」
桜乃が微笑んで尋ねた質問に、丸井は実に晴れやかな笑顔を浮かべて強く頷いた。
「おう! すっげぇ好評だったぞ! チョコチップがアクセントになってて滅茶苦茶美味かったし!!」
「そうですか、それは良かっ……」
「…え?」
不意に言葉を途切らせてじっとこちらを見つめる少女に、丸井は何事かと表情で返す。
「…美味かったって…余分な分は無かった筈ですけど…」
ぎくっ!!
やばい! ついうっかり言っちまった!と若者は自分の口を押さえた。
「もしかして、誰かの分、食べちゃったんじゃ…」
「い、いや!! ちゃんと全員に渡したって、二百十三人!!」
慌てて弁解した相手の台詞に、再び桜乃がぴくーんっと鋭く反応。
「……私、二百十四人分って言われましたけど……」
ぎゃ――――――っ!!!
更に深い墓穴を掘ってしまった、と男の顔色が青ざめる。
「……丸井さん…」
「う………」
全てを理解したとばかりに、ベンチに座りながら桜乃は丸井にずずいっと迫った。
「一個逆サバ読みましたね〜〜〜〜〜〜〜っ!!??」
そして、それは丸井さんの胃袋の中なんでしょうっ!!
「ご、ごめん!! ついっ! 出来心でっ!!」
的確に言い当てられて、丸井は相手の気迫に押されて両手を合わせて謝った。
しまった…秘密にしておくつもりが、つい彼女の腕前を褒めてしまったばっかりに……しかし、彼女の手書きのシールが自分の携帯に貼られていることまでは見抜けまい。
「出来心と言う割には、最初から追加している分、確信犯ですよね…」
「ううっ…だってよぉ…」
ぷくーっと頬を膨らませて不満を露にしている少女に、丸井はちらちらと視線を上げては下げを繰り返し、必死に機嫌を直してもらおうと弁解する。
「だって、やっぱ嫌じゃんか。何でお前が作ったお菓子を他の奴にやって俺が食えねぇんだよぃ!?」
「丸井さんがお願いしたことですよ? そもそも今回は丸井さんの代理じゃないですか…」
「それでもヤダ!!」
「〜〜〜〜」
不満顔が桜乃から丸井へと伝染し、最初にそれを浮かべていた少女は仕方がないとばかりに苦笑する。
「…お子様なんですから」
「おさげちゃんの方が年下じゃんか」
「気持ちの問題です」
「む〜〜っ…」
不服そうに唇を尖らせた若者に笑いながら、桜乃はすっかり機嫌を直した様子で頷いた。
「…いいですよ、お役に立てたなら…そこまで欲しがってもらえるのも、嬉しいですよね」
「……」
微笑む相手に暫し見蕩れてしまった丸井は、はっと我に返ると慌てて鞄の中からラッピング袋を取り出し、ずいっと桜乃に差し出した。
「じゃ、じゃあ、これ、俺のプレゼントな!」
「わ!…あ、有難うございます…あの、開けてもいいですか?」
「おう」
どきどきしながら袋を開けると…小さなホールのチョコケーキが姿を現した。
ラッピングされていても、僅かに立ち昇った甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「きゃあ! 美味しそう…!」
「へへ、自信作。昨日、腕によりをかけて作ったんだぜぃ?」
「え…昨日って…試験中じゃないですか!」
「二百個は無理でも、一個にじっくり時間かけるぐらいは出来るって…他の奴はともかく、お前にだけは、さ…やりてーじゃん」
「!…丸井、さん…」
「…結構、美味いと思うぜ?」
「……あの…ここで食べていいですか? 一口だけ」
「ああ、お前のだもん」
にこりと笑って答えてくれた若者に、桜乃は嬉しそうに笑うと少しだけラッピングを解き、はくんとケーキを一口かじった。
濃厚なチョコの風味も、スポンジの柔らかさも、全てが絶品だ。
それにチョコと言っても殆ど苦味は無く、とてもまろやかな味わいで、桜乃はすっかりそれが気に入ってしまった。
「おいし〜〜〜〜!」
はくはくと美味しそうにケーキを食べる桜乃を幸せそうに見つめていた丸井は、不意ににかっと笑って彼女を指差した。
「やっぱ、アンタの方が子供じゃんか」
「むっ…チョコなら丸井さんだって好きじゃないですか〜」
「違うって…ほら」
彼の指先が桜乃の口元に触れ、付着していたケーキの欠片を示す。
「え?…や、やだ、付いてます…?」
慌てた少女の手が欠片を取るのを待たず、丸井が顔を寄せた。
ぺろっ…
(え…!?)
湿った柔らかな何かが、軽く自分の口元を掠めていく。
頭が真っ白になってしまった桜乃の隙を突き、丸井は彼女の頬に手をやって顔を固定させると、再び舌で相手の口元を舐め上げた。
ぺろっ…
「あ…っ」
小さな悲鳴を上げて、ぞくんと背筋を震わせた桜乃に、丸井はそっと囁いた。
「…これでも俺の事…まだ子供だって思ってんの? おさげちゃん…」
「あ……ま、るい…さん…?」
「油断しすぎ…アンタに関しては、俺、結構大人なコト考えてんのに…ほら」
ちゅ…
「ん…っ」
桜乃の耳元から唇を離した丸井は、そのままそれで相手の唇を優しく塞いだ。
「んんっ…!」
全身に電流が走りぬけ、力を瞬く間に奪ってゆく…
(丸井さん……!?)
あんなに無邪気な顔で笑って、お菓子が好きな丸井さんが…こんなに力強くて、大胆だったなんて…男の人って…こんなに…
ようやく唇を離してくれた後も、丸井はまた舌先を覗かせて、ぺろんと桜乃の唇を舐め上げた。
「…子供の『好き』とは訳が違うんだ…俺、アンタが本気で好きだからさ…ちゃんとそこは分かっとけよぃ?」
「……っ」
キスで全身の力が抜けてしまい、まだ身体に残る電流に小刻みに震えながら、桜乃は必死に丸井にしがみ付いていた。
頭がくらくらして、まともに物が考えられない…唇の熱と相手の抱擁の感触しか、分からない…
「…おさげちゃん」
自分に縋る少女の姿を月明かりの下で見つめ、丸井は薄く微笑んで彼女の身体を抱き締めた。
その表情は普段の子供っぽいそれとは明らかに違う…確実に大人への道を歩み始めた男のものだ。
「…すげぇ好き…」
万感込められた告白を、桜乃は月明かりの下、夢見心地で聞いていた……
了
前へ
丸井編トップへ
サイトトップヘ