『お疲れ様でしたーっ!』
部員全員の声が響き、その日の全日程が無事に終了した後で、丸井はいそいそと帰宅の準備を部室内で始めていた。
その表情はやけに明るい。
勿論、家に帰る前に楽しい一大イベントがあるからだ。
(へへーっ、試合にも快勝したし、練習も上手くこなせたし、後はおさげちゃんからプレゼント貰うだけだな!)
ちゃっちゃと着替えを済ませて、鞄を持つと、彼は急ぎ足で待っていてくれた桜乃の許へと大急ぎで向かっていった。
「おさげちゃんっ!」
「あ、丸井さん、お疲れ様でしたー」
終了後は外で待ってくれていた少女の傍へと駆け寄って、丸井は上機嫌で相手に話しかけた。
「なぁなぁ、何? 何くれんの!?」
「んもう…ちょっとは言い方を考えて下さいよ」
そんなあからさまな、と相手は苦笑したが、最早食事をお預けにされた犬状態の丸井には殆ど聞こえていないかの様だ。
「だってさぁ…」
「あまり竜崎さんを困らせたらだめだよ、ブン太」
「あ、幸村」
丁度そこに、同じく帰ろうとしていた幸村が通りすがり、丸井に声を掛けた。
「まぁ、気持ちは分かるけどね…そうだ、竜崎さん」
思い出した様に、彼は少女へと視線を移して首を傾げた。
「こないだの…役に立ったかな」
「あ…はい!」
(ん?)
こないだ…って、ナニ?
戸惑う丸井の目前で、二人は何か共通の話題で軽く話し込む。
「有難うございました、お陰様で…」
「そう、役立てて何よりだ。教えはしたけどちょっと心配だったんだ。結構、難易度高そうだったからね」
「えへ、確かに高かったですけど…結果オーライです」
「それなら良かった」
二人の仲睦まじそうな会話に、丸井の嫉妬アンテナがぴーんっと見事に立ち上がる。
(むっ!! 何やら秘密の匂いっ!)
人には誰でも他人に知られたくない秘密があるのは知っているが、若者は目の前のそれについては見逃す気にはなれなかった。
幸村だけだったらそれ程でもなかったのだろうが、桜乃が関わってきたところでそうも言っていられなくなる。
彼女が他人と…しかも男性と、自分の知らない秘密を共有するなんて認められない!
恋人じゃないけど、彼女について一番よく知っている、そして一番近くにいるのは、自分じゃないと許せない!
「むーっ、何だよい二人とも、俺に内緒でナニ話してんだ?」
むっとした彼の口調に、幸村がいけないいけないと秘密めいた笑みを浮かべつつ、たっとその場を離れた。
「俺の口からは言えないなぁ…竜崎さんにとって、一番大事なコトなんだから」
「ぬわに〜〜〜っ!? じゃ何でオメーは知ってんだよ!?」
激昂する丸井に、向こうがけろっと一言。
「だって信用あるもん、俺」
「うわーんっ!! おさげちゃんのバカ―――――ッ!!」
「ええっ!? 私!?」
何で!?と動揺する桜乃に、丸井は「ずるいずるい!」と両手を振り回して抗議していたが、一方で元凶である幸村は苦笑しながらその場から撤退を目論んでいた。
「仲が良いね、本当に。じゃ、お邪魔虫は退散するから後は宜しく、竜崎さん」
「こっ、この状態で放置ですか?」
「俺がいたって混乱するだけじゃないか」
「えーと…アナタが混乱の元凶だというツッコミはなしで?」
「うん、なしで、じゃあね」
あまりにも堂々とした態度で撤退された所為で、哀れ桜乃は猜疑の目も露な丸井にじとーっと睨まれる状況に一人捨て置かれてしまった。
「…丸井さん、そういう目は止めて下さい」
「だってよ〜〜〜…」
なかなか機嫌を直してくれそうにない相手に、桜乃は苦笑いをしながら、取り敢えずその場を一緒に離れるように促した。
「ちょっと一緒に来て下さい…いい処があるんです」
「?」
桜乃が丸井を連れて来たのは、立海から程近い場所にある河川傍の遊歩道だった。
河から道までは芝で覆われている、ちょっとした近所の人の憩いの場所ともなっている。
更に遊歩道には一定の距離を置いて桜も植樹されており、丁度この時期、美しい花が目を楽しませてくれている。
「あそこで飲み物を買いましょうか…あったかい紅茶がいいかな。丸井さんも一緒でいいですか? 奢ります」
「ん、そりゃいいけど…」
「じゃあ、行ってきます」
一度二人は桜の内の一本の根元に腰を落ち着けた後、桜乃は傍にあったスタンド・カフェへと飲み物を求めて行ってしまった。
「……?」
こんな所に連れて来て、何だろう…?
まぁ、眺めは綺麗なトコロだから、別にいいけど…と、思いつつも、どうしても丸井は先程の彼女と幸村のやり取りが心に引っ掛かっていた。
秘密を無理やり聞き出すというのは、あまりに狭量だと思うが…やりたい思いについ引き摺られそうになってしまう。
(一体、幸村のヤツと何話してたんだろ…おさげちゃんにとって一番大事なコトって…ああもう、折角の誕生日だってのに、モヤモヤしてそれどころじゃねぇってのい…!)
う〜〜〜っと唸りつつ、モヤモヤを頭から追い出そうとする様にわしゃわしゃと頭を掻きまくっているところに、紅茶の入った紙コップを二つ持った桜乃が戻って来る。
「…な、何してるんですか?」
「……」
呼びかけられ、ぴた、と手を止めた若者は、そこからぐりんっと桜乃へ勢い良く顔を向けた。
「…幸村と何話してたんだよい」
「え…?」
紅茶を渡しながら問われた事に即答できなかった相手に、少しだけ苛立ちを募らせた丸井がぷいと顔を背けた。
「おさげちゃんの一番大事なコトって言ってたじゃんか…アイツに言えて、俺には言えないんだ?」
「そ、そんな事ないですよう…ただちょっと事情があって…」
「ふーん」
相槌を打ちながらも、丸井は全く納得している様子ではない。
仕方がないなぁ、と困った様に笑っていた桜乃は、ふと自分達の頭上から風に乗って降って来る桜の花弁に目を遣り、手を伸ばしてその幾枚かを捕まえた。
そしてそれを握ったまま、彼女は自分の持っていたスポーツバッグから、包装されたティッシュ箱程度の大きさの物体を取り出すと、ぽん、と相手の座っていた膝上に乗せる。
「ん?」
「プレゼントですよ、丸井さんに」
「!」
そうだった。
幸村と彼女の間の秘密にばかり注目して忘れかけていたけど、最初はこれがメインだった。
「ふ、ふぅん…サンキュ」
嬉しい…けど、やはりいつもの調子が出てこない。
自分でもどうしていいのか分からなくなっていた丸井に、桜乃がまた桜を見上げて花弁に手を翳しながら言った。
「折角ですから、開けてみて下さい」
「え?…うん」
特に断る理由も無く、丸井はその包装紙を留めているテープを剥がし、中身を明らかにしていく、と…
「…えっ?」
中は、プラスチック製の化粧箱。
透けて見える中身は、小さな円盤状の物体が並んで鎮座していた。
ピンク色の、綺麗に焼き上げられたマカロンだ。
その箱の表面に貼られているシールに記された店名は、丸井にも見覚えがあった。
(これって…あの店の…)
自分が涙を呑んで諦めていた、あの店の限定スイーツ!!
現地人でもなかなか入手することが出来ない、桜のマカロン…!
「え…っ?」
何で!?と丸井がその箱と桜乃を幾度も交互に見つめる。
見つめられた少女は、自分の分の紅茶は傍の地面に一時置き、今も桜の花弁を宙で受け止め、捕えることに夢中になっていたが、相手の視線を感じて上を見上げたまま答えた。
「丸井さん、食べたかったんですよね? 頑張って並びましたよー、無事に手に入れるまで冷や冷やしてました」
「アンタが何で…知ってんの?」
これを俺が欲しがってたコト…何で?
呆然とする相手に、桜乃がくす、と笑う。
「…こっそり教えてもらいましたもん…幸村さんに」
「!!」
は、と丸井が思い出す。
そうだった…
あの日、雑誌を見せて…あいつにはその事を教えていたんだった。
「最初から言ったらつまらないじゃないですか、折角の誕生日なんですから…」
「…って、え? じゃあ、アンタが言ってた大事なコトって…!」
「びっくりしました?」
にこっと思い切り微笑まれ、丸井は瞬間、がっくりと脱力した。
かろうじて手にしていた紙コップは落とさずに済んだが、抜けた気力が半端ない…
「…おめ〜よ〜〜」
「ええっ!? だってだって、人生にはサプライズも必要ですよっ!?」
「心臓に悪いってのい!! 俺はてっきりアンタと幸村が…!!」
力説してきた少女に、丸井も負けじと、がぁっと言い返したのだが…
「幸村さんが…?」
「………」
きょとん、とする相手に、自分の抱いていたやましい疑念を明らかにする訳にもいかず、途中でがっくりと首を項垂れた。
「………いや…俺を仲間はずれにしちゃってんじゃないかな〜って…」
「そんなコトあるわけないじゃないですかぁ」
あはは、と思い切り笑っている桜乃に、更に脱力しながらも、そこでようやく丸井は安心する事が出来た。
(そ、そっか…じゃあ、大事なコトってのは、俺の誕生日プレゼントの事だったんだ…うん、じゃあ許せるよな…うん! 許せる!)
うんうんと頷いているところに、桜乃が再び丸井に声を掛けた。
「ねぇ、丸井さん?」
「ん?」
そこで、彼女はふいっと握った右の拳を上に掲げ、その掌をふわりと開いた。
すると、それまで手中に捕えられていた桜の花弁が、丸井の目前でぱぁっと降り注いできた。
「お…」
美しい、桜の花弁のシャワー…春の色をした、ほんの一瞬の魔法。
あるものは風にそのまま運ばれ、あるものは丸井の手にしていた紅茶の水面へと降り注ぐ。
一枚、二枚、三枚……
魔法を掛けられた一瞬は、しかしそれよりもずっと長い時を若者の心に刻んでゆく…
丸井は花弁のシャワーに目を奪われ、暫く呆然とそれを見守っていたが、ふと目を手にしているコップへ落とすと、即製の桜の紅茶が出来上がっていた。
「お誕生日、おめでとうございます!」
祝いの言葉を投げかけられ、はっとそちらを見ると、桜乃が嬉しそうに微笑んでいた。
その無邪気な姿に、思わず息が止まる。
(あ、あれ…? こいつ…)
いつもより、ずっと綺麗に見えちまうんだけど…これって、桜の所為…?
それとも、背後から照らしている、夕焼けの所為…?
「折角のお誕生日で、しかもこんなに桜が綺麗な季節なんですもの…桜の木の下で、桜のマカロンを食べて、桜のお茶を飲んで…えへへ、桜尽くしのプレゼントです」
結構考えたんですよ、と微笑む桜乃の表情、仕草、その一つ一つが、若者の胸を見えない刃で貫いてゆく。
俺の為に…ここまでしてくれたんだ…
(あ、ダメだ……何か、歯止め効かなくなっちまってく…)
止めないと、と思いながらも、一方では止めたくないと願ってしまう。
熱に浮かされつつある中で、丸井は相手に倣って紅茶を傍に置き、ぐいっと桜乃の方へと身を乗り出した。
ダメだ、やっぱ止めらんない…!!
「なぁ、言っていい?」
「はい?」
「惚れた!」
「っ!!」
「つか、ずっと惚れてたけど、もう我慢の限界! 黙ってらんねぇ!」
思い切り良く激白した後、丸井は手を伸ばして相手をぎゅーっと強く抱き締めた。
「ま、丸井さん…っ!?」
驚く桜乃に構わず、丸井の腕は更に強く彼女を抱いた。
「…考えてくれたプレゼント…桜尽くしだったよな…?」
「え? そ、うですよ…?」
「じゃあ、アンタもだ」
「え…」
「桜乃…桜の字、入ってるじゃん」
「! それは…そう、ですけ、ど……」
顔を寄せられて頬を染める少女は、相手の言わんとしている事に薄々気付いた様子であり、そんな相手を丸井は楽しそうに覗き込んだ。
「ならさ、アンタもプレゼントに…俺の恋人になって」
「…っ」
真っ赤になって声も出せなくなってしまった桜乃に、そっと頬に手を当てる。
「大事にするから…俺だけの桜乃になって」
「〜〜〜」
更に頬を赤くして俯いてしまった少女の姿に、脳髄をやられそうになりながらも、丸井は少しだけ苦味を滲ませた笑みを浮かべた。
「俺じゃダメ?」
「そっ…そんな事はないですっ…けど…」
取り敢えず、速効で否定してくれたという事は、色好い答えを期待してもいいということだろう。
焦らせず、相手の答えを待つことにした丸井の前で、桜乃は俯いて恥ずかしさに視線をきょろきょろと彷徨わせながら、それでも必死に答えようとしていた。
「…ま、丸井さんこそ…私なんかで…」
「アンタがいいんだ…他のヤツはどうでもいいけど、アンタが俺以外の誰かの恋人になるなんて絶対にやだ」
ここまで熱烈な言葉を面と向かって言われてしまったら、最早、乙女も覚悟をしなければならないだろう。
「……分かりました」
しかし、元々好意を寄せていた相手であればこそ、その覚悟も決めることが出来た。
まだ照れを残しながらも、桜乃は丸井に笑顔で頷いた。
「あの…私を、丸井さんの恋人にして下さい…」
「! うんっ!」
心からの笑顔で、丸井は激しく頷くと、再び桜乃をぎゅっと抱き締めた。
「するっ! 今からアンタは…俺『限定』の桜乃だ!」
「きゃ…」
抱き締めた身体をほんの少しだけ離し、恋人の少女の顔を覗きこんだ若者は、にっと勝気な笑みを浮かべる。
彼の笑みに少女が『何か』の意図を感じ取った時には、その唇は相手によって優しく奪われていた。
「ん…っ」
それが「キス」というものであると気付いた桜乃は、微かに身体を震わせたが、そのまま相手にされるがままに任せ、目を閉じる。
何故なら、もう彼女は彼の恋人だからだ。
優しくも強引なキスを与えた若者は、その味をゆっくりと楽しんで、唇を離した後も深く笑った。
「アンタのキスも俺『限定』な…誰にもやんなよい?」
「し、しません!」
真っ赤になって否定する恋人が可愛くて、つい笑ってしまった丸井は、そこでようやく彼女がくれたマカロンの箱に目を遣った。
今回の、全ての発端となった桜乃からの贈り物だ。
丸井は改めてそれを取り上げ、しげしげと眺めた。
「…春限定、か」
それはその時でなければ手に入らない、心惹かれる響きではあるけれど…
「……へへ、桜乃」
「はい…?」
「アンタは俺『限定』の恋人だけど…時間に関しちゃ『無限』だからさ」
だから、春も夏も秋も冬も…ずっと一緒にいような…?
了
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