お菓子よりも君がスキ


「やっべぇ!! 俺の元気の素、忘れた〜〜〜〜っ!!!!」
「はぁ?」
 その日、関東大会決勝の日
 よりにもよってその戦いが始まろうかという時に、ダブルス1の選手、丸井ブン太が大声を上げた。
 何事かと相方のジャッカル桑原が振り返ったが、向こうは自分の持ってきた鞄の中を何度も覗き込みつつかき回しているばかり。
「どうしたんだ、丸井」
「あ〜〜!! きっと玄関に置きっぱなしだ〜〜〜!! あれが無いと俺の天才的妙技が全部不発に終わっちまう!」
「なにっ!? そんな重要なものなのか? 一体何だ!?」
 聞き捨てならない台詞に、ジャッカルが顔色を変えて聞き直した。
 今日の決勝は何としても勝たないとならない重要な一戦。
 その戦いを揺るがす程の重要なものがあるのならば、今からでも何処かで調達して…
「俺の好物の駄菓子一式!!」
「ほー、そりゃ大変だ」
 調達してやろうと思っていた意志があっさりと引っ込んで、ジャッカルは冷めた視線をそっぽに向けた。
「うわあぁぁん!! 薄情者〜〜〜〜!!!」
「メシ食って来たんなら試合までは持つだろうが! 試合終わったら遠慮なく餓死でも何でもしろ!!」
「ひっでぇ―――――っ!!」
 ぎゃんぎゃんと言い争う二人を背後に、同じくダブルスの仁王と柳生が、敢えて振り向くこともないままにコートを見つめていた。
「…あんな奴でも立派にテニス部レギュラーが務まるんじゃ…そう考えると、如何に立海が平和か分かるのう…」
「返答に窮しますね…まぁ、平和なだけでは済まないと思いますが」
 柳生の言葉が終わるか終わらないかというところで、がすっという鈍い音と、副部長である真田の怒声が背後から響いてきた。
「やかましいっ!! 愚痴を言う暇があったらさっさとアップでもしてこんか!!」
 大体ナニが起こったか…振り返らなくても十分分かる。
「ほら」
 やっぱり平和では済まなかった…と柳生が端的な言葉を発すると、銀髪の男はやれやれと首を振った。
「気の毒にのう…」
『うわ―――――んっ!! もうグレてやる! 死んでやる! 試合放棄してやるうぅ〜〜〜っ!!!』
 ばたばたばたっ!!と煩い足音を響かせて、レギュラーが待機するベンチから丸井が叫びながら飛び出して行った。
「待て丸井!! 最後のだけは聞き捨てならん!!」
(ひっでぇ部活…)
 グレるのも死ぬのも勝手だが、試合には出ろと…?
 本気で、物騒な台詞で呼び止めている真田の隣で、二年生の切原は青い顔をしている。
「こら〜〜〜〜〜っ!」
「……そろそろ俺達も化けるかの」
「そうですね」
 相棒のジャッカルが丸井を追いかけて飛び出していくのを横目に、仁王と柳生は実にのんびりとした会話を交わしていた……


 立海側でそんな騒動が起こっているとは露知らず…
「何だか向こうのベンチ、賑やかだね」
「気合が入っているなぁ」
 真実を知らないレギュラー達がそんな呑気な話をしているベンチから、少し離れた場所のロビーに、一人の少女が足を運んでいた。
 青学の応援に来た、一年生の竜崎桜乃である。
「ふぅ…さて、どうしよう」
 彼女が足を動かす度に、がさがさとビニルの擦れる音が真下で響く。
 正体は、両手から下げられた大量のお菓子を詰め込んだビニル袋だ。
(ううん…折角買ってきたんだけど、ちょっと残念)
 実は今日という大事な試合、無論自分は応援に来るつもりだったがそれだけでは何となく気が済まなくて、レギュラー達への差し入れにと大量のお菓子を買い込んで来たのだが…

『気持ちは有難いんだけどねぇ、多分、奴らは全員、食べるような気分じゃないと思うよ。それに余計な物を食べると試合中の動きにも影響するからね。これはお前や他の生徒で応援中に食べるといいよ』

 祖母のそういう言葉と一緒に、これらのお菓子は返品されてしまったのだった。
 無理強いも出来ないので、これはやはり自分が責任を以って消費するしかないのだろうが…
「ちょっと無理よねえ…全部食べるって」
 一応育ち盛りとは言え、自分もれっきとした乙女…流石にこれだけのカロリーを摂取するのは気が引ける。
「…ふぅ、じゃあみんなで分けて…」
『うわぁ―――――んっ!!!』
「え…?」

 どんっ!!

「きゃあん!!」
「のわぁっ!!」
 いきなり何かが激突してきたと思ったら、小さな桜乃の身体は宙を飛んですってんころりんと床に派手に転がってしまった。
 ぶつかった何かも完全に無事では済まず、よろっと減速した後で、ぺたんと床と同化してしまう。
「はううぅぅ〜〜〜」
「いぢぢぢっ…ご、ごめんよう! 大丈夫かい!?」
 起き上がり、四つんばいになって小さく呻く少女に謝ったのは、立海のテニスウェアを纏った若者だった。
 真っ赤な髪できょろっと大きな瞳を向けてきた若者は、尻餅をついた体勢からがばっと跳ね上がると、急いで桜乃へと駆け寄って手を伸ばした。
「ほれ、手、貸してみ」
「あう…す、すみません〜」
「謝んなって…今のはマジで俺が悪かったからよぃ…怪我、ないか?」
 軽々と少女の身体を引き上げてやった男…丸井は、起こした少女の全身をぱぱっと軽く確認して、明らかな怪我や打ち身がない事を確認した。
「良かった…」
「有難うございます〜…あ、いけない…」
 ぺこりんとお礼をした桜乃は、ぶつかった拍子に袋を手放した所為で辺りに散乱してしまったお菓子達を見回し、腰を屈めて拾い上げ始めた。
「!!」
 同じく床に落ちていた多くのお菓子を見た丸井の瞳が爛々と光る。
 当然だ。
 お菓子などの甘い物大好き人間である丸井にとっては、それらは正に宝の山。
 しかも、試合前に必ず食べる筈の菓子類が無い今は、その執着は普段のそれとは懸け離れている。
(すっげ〜〜〜!! うまそ――――――っ!!)
 心の中でそんな叫びを上げながら、彼は桜乃に手を貸すべく自分からもお菓子を拾い上げ始めた。
「け、結構沢山落ちてるから、手伝ってやるな」
「すみません〜」
 いそいそと手早く拾う桜乃の動きに対して、丸井は一個一個、品物を確認しながらの動作である。
(う、こんなの初めて見る…東京限定? うわ、これって俺の好きなシリーズの最新版、まだ食ってない…何か…どれも美味そうなのばっかりでレベル高っ!!)
「……?」
 何事かをぶつぶつと呟きながら拾い上げている丸井の方を、桜乃が不思議そうに見つめる。
(何だろう…何か気になる事でもあるのかなぁ)
 見た目、いかにも人懐っこそうな男だったというのもあるのだろう、普段内気な桜乃がこの時は珍しく自分から見ず知らずの相手に話しかけていた。
「どうしたんですか?」
「…なぁアンタ…これってさぁ、何処で買ったの?」
「はい?」
「俺の知らないお菓子ばっかだよぃ…うまそー」
 話しかけた相手は、桜乃よりもお菓子の包装が気になるのか、そちらにばかり視線を遣って、きらきらと目を輝かせている。
(…何だか子供みたいな人…)
 自分も子供だという自覚はあるけど…それより幼い印象が強い。
「ほれ、これで全部だな…にしても…」
「?」
 自分が拾った分を桜乃に渡した丸井は、じっとお菓子を見つめた後で今度は桜乃の全身を改めて見つめ…何かを納得した様にうんうんと頷いた。
「…まぁ、それは個人の自由だよな…うん」
「………はっ!」
 視線から相手の意図を読み取った少女は、大慌てで両手を振り、それを否定した。
「ちっ、違いますっ! 私だけのじゃなくて、差し入れですから、差し入れっ!!」
「何だ、そーなの? いーなーいーなー、差し入れ貰える奴…」
「は、はぁ…」
 お菓子に熱い視線を注ぎながら、自覚があるのかないのか、明らかにおねだりモードに入っている。
 とどめは…

 ぐぅぅ〜〜〜〜〜っ

「……」
「……」
 はっきりと聞こえたのは間違いなく腹の虫…
 もしかして、わざと鳴らしたのではないかと思う程のグッドタイミング。
「…くす」
 自分より長身なのに、まるで小さな子供みたいな相手に、桜乃は思わず笑みを漏らしてしまった。
「…食べます?」
「えっ!?」
「良かったら、どうぞ?」
「い、いいの!? マジでいいの!? んなコト言ったら、ホントに食べちゃうよぃ!?」
「はぁ…どうせ一人じゃ食べられませんから」
「うわーいっ!! うれしーっ!! アンタ、良い人だなぁっ!!」

 むぎゅっ!!

「っ!!!!」
 いきなり抱きつかれ、桜乃は思わず身体を硬直させてしまった。
(わわ…っ…!!)
 生まれて初めて、異性からここまでがっちりと抱きつかれたのだから当然の反応である。
 しかも…名前も知らず会ったこともない相手から…
 しかしその三秒後には動揺する彼女の身体をすぐに離して、丸井は代わりにお菓子が入った袋に飛びついていた。
「いやもう、ほんっと助かる〜〜〜〜!! もー少しで餓死するトコだったんだ〜〜!」
「が、餓死ですか…」
 ロビーに設置されていた椅子に並んで座り、桜乃はなかなか物騒な告白を聞きながら、改めて相手の着ているウェアを見つめた。
 このテニスウェアは…間違いない。
「あの、ええと…立海の方…ですよね?」
「ん? ああ、そうだぜぃ?」
 はぐ…と早速スナック菓子を頬張りながら、丸井はこくこくと頷いた。
「餓死…って、そんなに立海の練習は厳しいんですか?」
「そりゃあなぁ…常勝立海の為には並の練習じゃやってけねーもん。けどまぁ、練習がある程度辛いのは我慢出来るけどさ、チームメイトが冷たいのは堪んねーよなー…さっきも俺、グレて飛び出して来たんだけどさ」
「ええっ!?」
「だって俺がお菓子忘れてきたってのに、だーれも心配してくんねーの…ヒドイと思わねぃ?」
 既に最初のお菓子を全て食べ終えた丸井は、次に目をつけていた獲物の袋を怒りに任せてばりっと破る。
「はぁ…」
「特にダブルスの相方と、副部長なんか、死んでも試合出ろって言うような奴らだぜぃ?」
「副部長さん……ああ」
 桜乃の脳裏に、黒の帽子を被った厳格そのものの顔立ちの男の姿が浮かんだ。
 多分、立海のテニス部副部長…真田弦一郎のことだろう…確かに納得。



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