遺される者
「これって…どういうコト?」
「どういうもこういうも…見たままの通りなんだが」
「しかし、普通の事態ではないことは明らかでしょう」
或る日の立海大附属中学・男子テニス部の朝錬にて、一つの問題が生じていた。
レギュラーだけが秘密裏に集められた部室の中、困惑に彩られた彼らの台詞が飛び交っている。
「思い当たる節はないのかい? ブン太」
「あったらとっくに言ってるっての」
その中心にいるのは部長の幸村…ではなく、ダブルスの名手、丸井ブン太だった。
普段は陽気に仲間達と絡むのが常の彼だったが、今日はやけに機嫌が良くない。
ついでに言うと…背も低かった。
「け、けどどう見ても異常でしょ!? たった一日で何でここまで見た目変わるんスか!」
「背を誤魔化すのはとても技術が要るんじゃよ…方法が分かれば教えてほしいぐらいじゃ」
「ふむ…過去の記念写真などのデータから推測するに、現在の丸井は中学一年生時の体型とほぼ一致する」
そう…最後の参謀の指摘が示すように、今日の丸井ブン太の姿は昨日までの彼のものとはまるで異なっていた。
端的に言うと『小さい』…更に具体的に言うと、『幼く』なっているのだった。
元々童顔だった顔立ちは更に幼さを際立たせており、年齢相応の身長だった身体は明らかに縮んでいる。
縮んでいると言っても、鍛え上げられた身体を構成する筋肉などの黄金比は保たれており、見た目は全くおかしくない。
しかし、昨日まで三年生の身体の丸井を見ていた他のレギュラー達の目からしたら、それはもう違和感ありまくりの姿だった。
「昨日、帰るまでは全く異常なかったよね…家に帰ってからも何の変化も無かったの?」
幸村が首を傾げて尋ねた質問に、幼少化した丸井はぶーと唇を尖らせて答えた。
「別に…いつもみてーに飯食って風呂入って寝ただけ。弟達も俺について何も言わなかったし、身体が変わってたってコトはないと思うんだけどさ…朝起きたらこれだろぃ? 何かもーパニくっちゃって、親の目誤魔化して飛び出してくるのが精一杯だったんだぜぃ?」
「確かに、ご家族が見たら驚かれるでしょうね…」
「まーた一年生に戻ったなんて知られたら、学費の無駄遣いだって叱られるに決まってるっつーの! タダでさえ食費でぶーぶー言われてんのに、これ以上耳タコ作られて堪るかっ!!」
「……」
「まぁ、コイツの家族だから深いトコロは突っ込むな、な?」
何か悟った様子で、ジャッカルが、ぽん、と柳生の肩を叩いている間に、副部長の真田が幸村に困った表情で確認を取った。
「しかしどうする? 他の非レギュラーにはこいつが丸井だとは知られてはいないが、どう考えてもばらせる事態ではないぞ…」
それに続いて柳も進言する。
「授業に出るにしろ、この外見ではみんながパニックに陥る、或いは最初から丸井と認めずに放逐される可能性もあるな……やはりこういう異常が出たなら一度病院に…」
瞬間、丸井はダッシュ移動し、幸村の背後へと隠れてしまった。
どうやら、柳の『病院』という一言に過剰反応を示した様だ。
「…行きたくないんだね」
苦笑する幸村が背後を振り返ると、縮こまった丸井が警戒心も露に参謀の方を伺っている。
「注射ヤダ!!」
「何処の幼稚園児だお前は」
呆れて呟く真田の意見もそっちのけで、丸井は徹底抗戦の構えを崩さない。
「やだやだやだ!! ぜってー行かねー! きっと行ったら全身隅々まで調べられた挙句に、実験材料にされて、色んな薬やら手術やら受けさせられて、最後には謎の物体になって宇宙のどっかに家出するんだーっ!!」
「宇宙も迷惑じゃろうなぁ、そりゃあ」
「先輩、もしかして昨日の映画見たッスね」
仁王や切原が律儀に反応を返す向こうで、柳達は最早呆れて言葉も無い。
「…こういう発言をしていたら、コイツが丸井だというのは誰でも納得するだろうが」
「同時に恥を晒すことにもなるのではないか?」
ようやく呟かれた副部長と参謀の言葉には、既に疲労感が滲んでいた。
「…どーしても連れてくってんなら、代わりに幸村に検査受けてもらう」
「今更どうってコトないけどね」
散々入院生活を堪能してきた部長は余裕の発言をかましたが、無論それが如何に無意味であるかという事も理解しており、やれやれと苦笑いを浮かべた。
「まぁ、この様子だとすぐに命に関わるってコトもなさそうだし、もう少し時間の猶予を与えてみてもいいかもね…ただ、やっぱり人目についたら騒動になるのは間違いなし」
「朝錬は不参加という形で、非レギュラー達には適当な理由を付けておこう。仁王、頼むぞ」
「了解ナリ」
「ちゃんと真っ当な理由をつけるんですよ、仁王君」
詐欺師の領分であるところはしっかり彼に依頼して、柳は幸村の陰に隠れたままの丸井に指示を出す。
「後は取り敢えず、保健室で大人しく寝ておくか、何処かに身を隠しておけ。自然に元に戻る事を期待するしかない事態なのは悔しいが、俺達にはどうにも出来んぞ」
「…もし戻らなかったら、俺、どうなんの?」
「全てを話してお前本人だと世間が納得したら、それはそれで解決するが、希少な症例として医療機関で管理されるコトは正直ありうる…それを拒否するならば、お前がもう一度別人として過ごす方法もあるな」
「出来るのか!?」
ジャッカルが驚いた顔をしたが、柳はあっさりと頷いた。
「戸籍を少々弄って住む場所を変えたらそれはもう他人と同然だ。意図して探られない限りは幾らでもやり様はある」
「……」
参謀の口調だけなら実に容易い事に聞こえるが、それでも結構な手間隙を要する作業だ。
聞いた丸井がじっと押し黙ってしまったのを受けて、ジャッカルはみんなに確認する。
「あんまり大事にするのはこいつにとっても良い事とは思えない。今はそんな事は考えなくていいだろ?」
「…いつまで秘密を守れるかは微妙だな」
真田が現実的な意見を返している間に、丸井はそろっと幸村の傍から離れて皆を見回した。
「え?…じゃあ俺、部にも参加出来ねぇの?」
「出たらバレるじゃろ?」
「やだ!! 絶対に参加するっ!」
意地でそう断言する男に、切原が遠慮がちにそれを止めた。
「け、けど先輩…参加するったってその格好じゃモロバレでしょ? 身長だって、俺より更に低くなっちまってる感じだし、どうにも誤魔化しようがないッスよ」
「それでも出る!!」
「ああもう、またお前は〜〜〜!!」
そうやって引っ掻き回すんだから!とジャッカルが嘆息してどうしようかと悩んだが、そこはすかさず部長が割り込んできて鎮静化を図る。
「ブン太、部活動への参加は部長としては認められないよ。部内に混乱を招く可能性があるなら俺にはそれを止める義務があるんだ」
「う〜〜」
「…けど、テニスをやりたい気持ちは分かるからね。どうだろう、今日の部活が終わったら、そのままテニスクラブに行って俺が相手をするから、それで我慢してくれない?」
「…クラブで? 試合してくれんの?」
「うん、丁度そろそろ個人的なトレーニングもしたいと思ってたし、正直クラブの会員じゃあ手応えが無くてね…それまではブン太が自主的にトレーニングをしてたらいいんじゃない?」
「……」
暫く何かを考えていた丸井だったが、何処かで妥協はしなければならないという事は理解していたらしい。
「…分かった」
結局、彼は部には不参加となるが、その後の部長直々の指導を受ける事で条件を呑んだ。
そしてその日の部活は、裏の事情があり、丸井ブン太の不参加のままで進行していた。
「あら? 丸井さん、今日は姿が見えないんですね」
「ん? ああ…アイツ今日は風邪で休み」
そんな時、何も事情を知らない少女が、ここ立海テニス部の聖地でもあるコートを訪れ、ジャッカルと会話を交わしていた。
彼女は青学の一年生である竜崎桜乃…今年からテニスを始めたばかりという超初心者であり、且つ、立海のレギュラー達からテニスの技能関係なしに超可愛がられている女性である。
皮肉な事には、レギュラーの中でも渦中の人物である丸井が最も彼女を気に入っており、何かにつけて傍に寄せたがっているのだが、今日はその若者の姿が無く、周囲もやけに静かな事もあり、桜乃はすぐに場の違和感に気付いていた。
「まぁ…いつもあんなにお元気なのに」
「ま、たまにはこういう時もあるじゃろ。大した事はなさそうじゃし」
「それならいいんですけど…」
仁王の口添えもありそこは上手く誤魔化したが、やはりいつも可愛がってくれる若者の姿が見えない事で、桜乃は少しばかり落ち着かない様子だった。
「ごめんね、竜崎さん。君が来ていた事は彼にも伝えておくから」
部長が桜乃にそう言って詫びると、少女はふるるっと首を横に振って微笑んだ。
「あ、いえ…却って気を遣わせるのも申し訳ないですから…」
(つか、ちゃんと報告しないと後でどやされるのは俺達なんだよな〜)
ビミョーな立場だな、と切原は渋い顔で目を閉じる。
兎に角、あの先輩はこの子に関する欲求が並ではない。
彼女に関する何かについて自分達が知っていて、彼が知らないとなると、それはもう大騒ぎになってしまうだろう。
いずれこの件についてはどういう結果に落ち着くかは分からないが…テニスと同様に彼女の事も彼の心のかなりの部分を占めているのは確かだ、さてどうなるか……
「どうかお大事にと、お伝え下さいね」
「おう、まぁアンタのその言葉を聞いたら、アイツもすぐに元気になるって」
ジャッカルは、複雑な心境ながらもそう言って、彼女を慰めた。
そして、部活動は特に何の問題もなく終了し、桜乃はいつもの様に駅前までレギュラーに送ってもらっていた。
「有難うございました」
「じゃあの」
「お気をつけて」
彼らと挨拶を交わして、一度改札に向かった桜乃だったが…
(あ、いけない、こないだ仁王さんに借りてた雑誌、返してなかった!)
まだ改札は抜けてないし、走れば間に合うかも…と、急いで駅前のロータリーに出たところで、彼女はぱちくり、と目を丸くした。
(あらぁ?)
予想通り、彼らはまだ視界に入る場所を歩いていたが…その場所がおかしい。
(何で皆さん、あっちの道に行くのかなぁ…普通ならあそこで別れてる筈なのに…)
いつもならここでまた幾つかのグループに別れている彼らなのに、今日に限ってはまだ一つのグループのままに移動している。
何だろう…何故か凄く気になる…
(…ついてこ)
好奇心旺盛な年頃の反応としては当然考えられる結果である。
もしかしたら、丸井さんがいない日に限ってのこんな行動なら、彼と関わりがある事かもしれない…
お見舞いという事だったら、是非自分も便乗させてもらいたいし…もしかして自分に告知されなかったのは、住まいが離れていたからだろうか?
だとしたら、今すぐに声を掛けたら、追い返されちゃうかも…
正しくはお見舞いではなくテニスの特訓目的なのだが、合っているところは合っている。
なかなか鋭い勘を働かせた娘は、それからある程度の距離をとりながら、彼らの後ろをてくてくとついていった。
そんな彼女が足を止めたのは、一つの建物の前だった。
「ここって……」
その外観、後ろにライトアップされた敷地を見て、すぐにそこがテニスクラブだという事に気付いた桜乃は、あれ?と首を傾げた。
部活動の後に、またこんな場所まで来てテニスを…?
しかも個人ではなく全員で、なんて……もしかして近いうちに大きな大会でもあるのかしら…でも、青学でも特にそんな話は出ていなかった筈だけど…?
(何だろー…もしかして非レギュラーにも見せない秘密の練習!?)
それは是非見せてもらいたいな、と思いつつ、外から中の様子を伺っていた桜乃は、あっと思わず声を上げた。
「丸井さんっ!?」
幸村達が集っているところに、一人の若者が合流しているのが見えた。
後姿で顔は見えないけど、あの燃える様に赤い髪は…間違いない、彼しかいないっ!
(え?え? だって、幸村さん達、丸井さんの事は、風邪だって…)
それなのに、その風邪で寝込んでいる筈の人が、どうしてああやって元気に歩いて、彼らと合流して…しかもテニスウェアまで着込んでいるの…?
「…どういう事だろ」
彼らの人となりからして、自分を悪い冗談で誤魔化したり騙したり、という事はあり得ない、だからこそ分からない。
(う〜〜〜〜ん)
暫く外で悩んでいた桜乃は、結局中に入って直接丸井に話を聞くことに決定する。
どうせこれを見てしまった以上は、家に帰っても気持ち悪いだけだし…と心で繰り返しながら、彼女はゆっくりとクラブのドアをくぐった。
一方、そんなくのいちが自分達をつけているとは露知らず…幸村達は早速コートに出て試合の準備をしていた。
「わざわざみんなまで来てくれなくて良かったのに…」
「何言うとるんじゃ、お前さん達だけで強くなろうなんて、許す訳ないじゃろ?」
「俺達もいた方が、丸井も退屈はせんだろう」
仁王や真田の言葉に、幸村が苦笑する。
何処までも強さに貪欲で仲間思いな部員達だな…でもそういう所が好きだけどね。
「丸井は今まで何やってたんだ?」
ジャッカルの質問に、相手は手を頭の後ろで組みながらの抜けた返事を返した。
「んー? まぁあちこちブラブラしてさ…ちょっとここに早く来て打ち合いやったり壁打ちしたり…まぁ部活と同じ事してた」
そんな丸井に、柳が心底不安だという表情で念押しする。
「くれぐれも、知人にはお前の正体を知られない様にするんだぞ。後々の計画を立てる前から面が割れたら、相手によってはもうどうしようもないぞ」
「わーってるって! 今までも誰にも気付かれなかったし、上手く人目は避けてたからさ、それよりさっさと相手してくれよな。ずっと退屈してたんだからさ!」
そう言いながら、丸井は皆を促してコートへと出て行き、他のメンバー達もそれに従った。
「さーって、試合、試合っと…」
自身のテニスバッグをベンチで開いて、ラケットなどを取り出した丸井が、さぁコートに向かおうとした時だった。
「…タオルも持って行った方がいいですよ、丸井さん」
背後から非常に聞き覚えのある声…
本来ならそこで少しでも疑い、誤魔化しに掛かるべきだったのだが、普段から彼自身が相手に対してあまりにも心を開き過ぎていたのが墓穴を掘った。
「おっ、そっか。サンキューな、おさげちゃ…」
振り返って、桜乃の顔を見て…そこでようやく彼は自分が掘った墓穴に飛び込んだ事を自覚する。
「…え?」
向こうは、丸井の顔を見て、きょとんとした表情のまま、身体ごと固まってしまっていた。
見られた…上に、聞かれた…!!
(しまったぁ!!! ついうっかり返事しちまったぁ!!!!!!)
その様子を、少し離れた場所から見ていたレギュラー達が、あーあと嘆息。
さっさと先に行ってしまった彼を責めるべきか、こういう不測の事態に対応出来なかった自分達を恥じるべきか…
「…いきなりツラ割れてやんの」
「バッカ野郎…」
流石に切原も、今だけは先輩相手の言葉遣いにはなれず、ジャッカルはがっくりと頭を垂れた。
その後、殆ど間を置かず…
「きゃああああああ!!! まっ、丸井さんがあぁぁぁ!?」
と、桜乃の叫び声が聞こえてきた…当然と言えば当然の反応。
「…こうなったらもう、彼女も輪に入れるしかないね」
「同感だ」
幸村の提案に柳が頷き、真田は自分を納得させるように一人呟いた。
「まぁ…せめて立海に対して好意的な相手で良かったというべきだな…」
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