「そんな事が…」
「そーなんだ…信じらんねーかもだけど、信じてくれよぃ」
「信じるも何も…実際小さくなった姿を見せられている訳ですから、もう信じるしか…」
流石に初見時には動揺が激しかった桜乃だったが、他メンバーの説明によって今はかなり落ち着いて事態を把握していた。
と言っても、原因が分からない以上は、せいぜい丸井の見た目が変わったという事実ぐらいだが。
「でも、こうしてみると確かに彼の一年生時代の頃そのものだから、懐かしいね」
「結構背って伸びるもんなんだなぁ」
幸村やジャッカルの言葉を受けている丸井はむすっと仏頂面で無言だったが、桜乃はそんな彼の姿を見て、わー、わー、わー!と内心声を上げていた。
(私と同級生だったとしたら、丸井さん、こんな感じなんだぁ…ちょ、ちょっとドキドキする…)
いつもより幼い感じだけど、確かに丸井さんだし…格好良いというか可愛いというか…普段より身近になった様な…でも、それって自分の気のせいなのかな…
「さー、試合だ試合っ!! 誰でもいいからやろーぜっ!!」
桜乃の思考を丸井の大声が遮り、彼は改めてテニスコートへと入っていった。
「今日はやけにやる気じゃのう、丸井」
「まぁ、朝も放課後も参加出来ませんでしたからね」
仁王と柳生が言う通り、今の彼はやたらとやる気に満ちている。
ぶんぶんとラケットを振り回して相手を待ち構える姿は、いつにも増して闘争心を燃やしている様だ。
「すまんな、竜崎。この時間は丸井は俺達との試合に集中してもらうから、お前の相手をするのは難しいぞ」
「あ、はい。でも、見学はいいですよね」
「無論だ」
そして真田の許可を受けてから、桜乃はコート脇のベンチに座って丸井の特訓を見学し始めた。
「っくぜぇっ!!」
身体は幼くても、今まで重ねてきた経験は確実にその中に息づいているのか、フォームや選球眼はいつもと何ら遜色ない。
しかし、身体が幼くなっているからこその違いも、確実に現れていた。
「よ…っ!」
その腕の動き、力の加減、タイミング…全ては完璧だった筈だったのだが…
相手の切原の打球を返した丸井は、確実に向こうに入ると確信したボールがあと一歩のところでネットに掛かり、こちらに落ちてしまう一瞬を目撃してしまった。
「え…!?」
「! 先輩…?」
切原本人も、今のはもう向こうの点になると思っていたらしく、驚いた様子で相手を見つめていた。
「…綱渡り…使わなかったんスか?」
「…打った、つもり…だったんだけど」
呆然とする丸井を、幸村が審判席から冷静な視線で見下ろしている。
「……綱渡り…今ので間違いないと思ってたのに…」
この俺が…コントロールを誤った…?
「切原、もう一度、同じボールを打ってみてくれ。ブン太、もう一回やってごらん」
「幸村部長?」
不思議そうに相手を見上げた切原だったが、相手の視線に強い意思を感じ、促されるままに頷くと、指示の通りに出来るだけ先程のものに近い形での球を打った。
(よっし、今度こそ見切った…っ!!)
さっきのはきっと、ボールの軌跡を見誤ったんだ、けど今度は…っ
「うりゃっ…!」
前回よりもより確信を持って丸井は綱渡りを披露する…が、
「…っ!?」
やはり、今回も同じ結果となってしまった。
「嘘だろぃっ…!? 何で今のまで外すんだよっ!」
「力が足りないんだよ…そして角度が違うんだ」
ざっと審判席から降りた幸村は、丸井へと近づくと、彼の左の掌と自分の右のそれをぴたりと重ねてみた。
大きさの相違が明らかになり、それに彼の言葉が重なった。
「身体が小さいという事は、それに応じて筋肉量が少なくなるという事だ。それに身長が縮んでいるということは、それだけ視界にずれが生じている事が予想される。二年という歳月を経た身体の成長による違いが、ブン太の感覚を狂わせているのさ」
「そんな…だって、天才的な俺がそんな事ぐらいで感覚狂わせるなんて…」
「天才的だからこそ、だよ」
懐疑的になっている丸井に、しかし幸村は断言しながら掌を離す。
「ブン太の技が天才的と言われているのは、その緻密なコントロールを常人では出来ないからこそなんだ。ほんの僅かな違いによって、結果が狂わされる程に絶妙な力加減。君の身体は一年生のものに戻ったけど、染み付いた感覚は三年生の時の君のままなんだろう…」
「え…じゃあ…ナニ?」
相手を見上げて…低くなってしまった身長のまま見上げて、丸井は強張った表情で確認した。
「今のままじゃ俺…コントロールが滅茶苦茶だってコト…?」
「いや、素人とはそれでも比べ物にならないと思うよ。けど、さっきみたいに実戦の中では、その感覚を意識で取り繕う事は難しいだろうね」
「……」
部長の冷静な評価を聞いて沈黙していた丸井は、ぐ、とラケットをきつく握ると、睨み付ける様に相手を見据えた。
「…じゃあ、とっととその感覚を書き換えりゃいいんだろぃ? 今の俺の身体を基にした感覚をさ…なら、やる」
宣戦布告にも似た台詞を言い、彼は幸村との会話を打ち切って試合へと戻った。
「…やってやる」
結論から言って、たかが一日だけで全ての感覚を書き換えるという芸当は、流石の丸井でも難しかった。
二年という期間で成長した身体…日々、蓄積されていった微妙な感覚…それを数時間でリセットするには、相応の時間が必要だということは容易に想像出来た。
それでも、丸井は特訓を終える瞬間までそれにこだわり続けていた。
「いい加減にせんかっ!! 身体を壊すつもりか丸井っ!!」
結局、最後まで粘った丸井を真田が叱り付ける形で今日の特訓は終了し、クラブでメンバーは解散となった。
「……」
「丸井さん、お疲れ様でした」
「あ…竜崎」
一人、コートに残ってベンチに座っていた丸井に、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出し、桜乃はちょんと彼の隣に座った。
「奢りです」
「はは、サンキュ」
受け取って早速中を飲み始める若者をじ、と眺める少女に、流石に相手も暫くしてその熱い視線に気付く。
「な、何だよぃ」
「…やっぱり、三年生に戻りたいって思いますか?」
「え?」
「…今日の丸井さん、いつもよりずっとずーっと熱心に練習していらっしゃったから…見ていて恐いくらいに」
「あ…」
「だから、やっぱり戻りたいのかなーって」
何となく悲しそうな…申し訳なさそうな表情で尋ねる少女に、丸井は一瞬言葉を詰まらせ、それからきょろきょろと辺りを見回した。
そして、周囲に誰もいない事を確認すると、何かを決意した様な顔で告白する。
「…誰にも言うなよな、こんなコト……本当は俺、三年生とかそういうのに、正直拘っちゃいないんだ」
「え…?」
「俺が拘ってんのは…立海レギュラー」
「!」
は、と瞳を見開く桜乃の視界に映る丸井は、幼い顔立ちながらも、テニスプレーヤーとしての誇りを失ってはいなかった。
「立海テニス部の鉄の規律は知ってんだろぃ? 常勝不敗…そこにはどんな妥協も甘えも存在しない…ただ、その強さに裏打ちされた勝利だけがある。確かに練習は厳しいけどさ、気持ちいいんだ、誤魔化しとかが通じない純粋な評価だけで見てもらえるのが…」
「丸井さん…」
「もし今のままの技術なら、俺は間違いなくレギュラーから落とされる…それが嫌なんだよぃ。三年生だったとしても残された時間は僅かだけど…妥協はしたくない、だろぃ?」
そう言って、ふうとため息をつき、丸井が困った様に笑う。
「それに、ここで外されたらあいつらと一緒にテニス出来ねーじゃんか。今更ハブにされるなんて、それも悔しいし、さ。でもまぁ、ちっと若返ったと思えば、なかなか悪くねぇかも。だって幸村達の方が俺より老けてるって事になるだろぃ? へへへ…」
自分の身体が変化してしまうなんて、結構な大事件だと思うのだが、彼はそんな事は何でもないという様に笑っていた…が、本当の気持ちはそういうものではないのだと、最後に微かに見せた寂しげな笑みが教えてくれた。
「…あーけど…やっぱちょっと寂しいかなぁ」
アイツらの背中見なきゃいけなくなるってのは……
「丸井、さん…あの…」
その寂しさを、どうやって埋めてあげられるだろう…そう悩みながら、考えながら、桜乃は殆ど無意識の内に、彼の両手を包むようにぎゅと握り締めていた。
「…私は、でも、丸井さんがこの姿になって…実はちょっとだけ、嬉しいんです」
「はい?」
どき…と少しだけ心臓の鼓動が速まる。
「だって…同級生なんですよ? 今の丸井さん…その、三年生の時と比べたら確かに可愛くなってますけど…何だか、距離が縮まった気がします…だから、嬉しくて…」
「……」
「その…もし、戻らなかったら…青学に来ませんか!?」
「えっ…!?」
「わっ、私だったら、同じ一年生ですし…一緒にいてあげられますよ? 丸井さんが寂しくないように一緒にいられるし、私の友達も一杯紹介してあげますから…!」
精一杯励ましているのだろう。
両手を強く握って、必死にそう誘ってくる桜乃は、当事者である自分以上に、自分のことを考えてくれている様だ。
いや…それは多分、思い違いではない。
彼女はそういう人間だった…よく見てきたから十分に分かっている。
この子の心も、この子に対する自分の気持ちも…よく、分かってる。
ああ、こんな切実なコトになっちまっているのに、それが分かって嬉しくなっちまうって、俺、どんだけやられちまってんだよ、コイツにさ。
「……ぷっ」
少女の大胆な提案に唖然としていた丸井は、それから軽く吹き出して、そのまま大声で笑い出してしまった。
「お、おかしいですか?」
「い、いやっ…大丈夫…何か、一気に気が抜けた…そうだな、アンタがいたら寂しいなんて感じる暇もなさそうだ…けど、やっぱ一年生のままは嫌だ」
嬉しいけど、と言いながら手を解く若者に、桜乃は微かに落胆した表情を浮かべる。
それは…やはり自分と一緒にいるのは不本意だということなのか…
それが彼の真意だというのなら、もうこれ以上私が誘うことは出来ない。
「…そですか」
「あーもう、そんな顔すんなって! そういう意味じゃなくてさ…」
そう言いながら、丸井は小さな身体でも、一度は解いた手でがしっと力強く桜乃の身体をきつく捕え、その頬に軽く唇を触れさせていた。
「…え!?」
『…待っててよ、おさげちゃん…俺、急いで大きくなるから』
自分を想ってくれている娘に、優しく囁きかける。
『やっぱ好きな女を男として守るならさ、『可愛い』だけじゃ駄目だろぃ? 俺は天才的に格好良く、アンタの傍にいたいんだ…くっだらねぇプライドかもしんないけどさ…駄目?』
少しだけ勇気を出したアピールに、物凄く大胆な答えを返された少女は、真っ赤になりながらもこくんと頷いて、ひそりと囁いた。
『…丸井さんは、いつだって格好良いですよ……天才的に』
「!!…へへ」
翌日…
「……戻ってる」
起き出した丸井は、制服がぴたりと合う身体を何度も確認し、鏡を覗き込み、一日振りの自分の身体と対面を果たしていた。
昨日は、家に戻って自分の部屋に引き篭もり、夜、家族が寝静まった後で台所の残り物を食べたりして無難に過ごすだけだった…のに、何の細工もなしに、戻っている。
何だったんだろう、昨日の身体は…夢…じゃないよなぁ?
「っと、いけね…朝錬、朝錬」
昨日は身体が幼少化していたから色々と弊害が出ていたが、もう元に戻った以上は、自分の足を引っ張るようなものは無くなった筈だ。
それを立証する為に…自分がレギュラーの座に相応しいと確認させる為に、行かなければ。
幸い昨日は家族にも顔を見せずに誤魔化せたし、周囲への詳しい説明はレギュラー達ぐらいで済む。
「…後は、アイツだな…」
家から出て学校に向かうまでの道程で、丸井はふと思い出した様に携帯を取り出すと、手際よくメールで文を打ち込むと、それを誰かに送信した。
(…こうなっちまうと、ちょっと惜しかったかもしんないな…宿題とか一緒に出来たかもしれないし、教室が一緒だったら、色々と遊べたかも…)
楽しそうに笑いながら、彼は携帯をパチンと閉じて、よく晴れた空を見上げた。
「…けど、俺、待つの嫌だし…今すぐにでも、アンタが欲しいからさぁ」
だから…これで良かったんだよな…
了
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