こいつは俺のだから
今日は太陽も燦燦と輝き、風も程よく吹いている。
寒くもなく、暑くもない…心の洗濯をするにはうってつけの日和である。
この日、立海大附属中学三年生の丸井ブン太は、いつもより一層気合を入れてスタイルを決め、いつもより一層ご機嫌な様子で家を飛び出していた。
ほぼ毎日、共に出かけることになるテニスバッグは、今日は家で大人しくお留守番。
何故なら、この日は彼が所属している男子テニス部の休日練習もお休みなのだ。
だから、今日は丸井自身が完全に自由に時間を使える非常に貴重な日…そして、それ以上に、彼にとって大きな記念日だった。
「いってきま〜〜〜〜っすっ!!」
真っ赤に染めた髪を風に揺らせながら、彼は猛ダッシュである場所へと向かっている。
急いでいる様子ではあるが、別に遅刻とか何かに追われている様な危機感は見受けられない、寧ろ、小さな子供がはしゃいでいる様な純粋な楽しさだけが彼を支配している様子だった。
(あいつ、もう来てるかな〜〜…先に行って驚かせるのもいいけど、待っててくれるのも、嬉しいもんだし…)
心の中でそんな声を上げながら、三年生レギュラーを張るテニス少年は息切れなど微塵も起こす様子もなく、走り続けていた。
今の彼の心を占めているのは、今日この日に体験する初デート。
生まれて初めて『恋人』と二人きりで会い、共に過ごす時を楽しむという日なのだ、これに興奮しないワケがない。
遅刻などいしないようにと持っている目覚まし時計やら携帯などを駆使し、更には夜更かしも休んで早めに床に就くなどの努力もした…したのだが…
(今日は多分、帰ってからぶっ倒れるだろうな〜〜…試合の前でも爆睡出来るのに、昨日なんかほっとんど寝れなかったしさ〜〜)
誰の所為でもないのだが…突き詰めて考えたら自分が悪い事になるのか?
初デートの緊張からだろうか、早めに床に就きながら、結局丸井はごろごろごろごろ布団の上を何度も往復して転がって時間を潰し、睡眠などロクに取れなかったのだ。
もし寝不足の状態であれば、日常生活では授業中に睡眠補給をするのがお決まりなのだが、流石にデート中に補給をする訳にはいくまい。
しかし、今の丸井は眠気を感じるどころか、爛々と瞳を光らせてさえいる。
おそらくこれから会う可愛い恋人への想いの成せる業…そして、典型的なナチュラル・ハイ状態。
いつもより、よりテンパった状態で、彼は一路、目的地に向かって走っていた…
「つーいたっ!」
丸井が到着したのは、彼の住む地区にある、国内でも有数の規模を誇る遊園地だった。
その入場口近くにある円形の花壇が、二人の待ち合わせ場所である。
かなり大きな花壇で人目につくこともあり、彼ら以外にもここを待ち合わせにしている客は多く、周囲は様々な人々で賑わっていた。
やはり、中でも一番多いのは若いカップル達だ。
無論、丸井本人も相当若い部類に入っている。
「ええと…あいつはまだかな…」
きょろっと辺りを見回して、丸井は目当ての少女を探す。
彼女は普段から派手な格好をすることはないので、服装などから本人を探すということは難しいかもしれない。
しかし服装以上に、あの娘はある一つの大きな特徴を持っている…それは腰まで届く長いおさげ。
彼女を恋人にした今でこそ桜乃という名で呼んではいるが、それまでは丸井が長いこと「おさげちゃん」と呼ぶようになっていた所以だ。
あれだけ長いおさげを持つ女性はそういないだろうということで、今日も丸井は彼女のおさげを目印に探していたのだが…どうやらまだ来てはいないようだ。
「うーん、俺が先だったか。でもまぁ、待ち合わせにはまだ二十分ぐらいあるしな…」
「ブン太さん…?」
「ん…?」
後ろから誰かが自分を呼ぶ声が聞こえ、何気なく振り向いたところで丸井の身体が硬直した。
「え……っ?」
そこに立っていたのは一人の小柄な女性…
彼女は、振り向いた丸井の姿を確認し、安心した様な…そしてちょっとだけはにかんだ様な笑みを浮かべてみせた。
「あ、やっぱりブン太さん…あの、お早うございます」
「え…っ、さ、さく、の…?」
つい、不躾にも指で相手を指し示しながら問い掛けてしまったが、相手は気を悪くすることもなく、こくんと頷いた。
「はい」
髪型こそ違うが…間違いない!
青学の一年生、竜崎桜乃…紛れもない、自分の恋人だ!
「うっ…うわあぁぁ」
思わず感嘆の声を上げながら、丸井はじ〜っと少女の姿を凝視する。
今日はおさげじゃない!
心の叫びの通り、その日の相手はトレードマークであるおさげを解いて艶々のストレートを晒していた。
流石にそれだけではお洒落心に欠けると思ったのか、顔の両側の髪を編み込みながら後ろでまとめ、淡い桃色のリボンで結んでいるスタイルだ。
そして彼女の服もまた、純白のボウタイブラウスと、リボンと同色系の淡いスカートでまとめられており、見るからに清純少女。
(めっ、めっちゃくちゃカワイイ〜〜〜〜!!)
確かに今日はデートだ、自分だってそのつもりで思い切り気合を入れて来た!
こいつだって、いつもと違う…制服じゃない服で来るだろうことは知っていたけど、だからって、ここまで目を惹くって反則じゃないの!?
「ああ、良かった…私、また迷子になるんじゃないかって冷や冷やしていたんです。ここに着いてもずっと不安で…早く来て下さって有難うございます」
「あ、ああ…まぁ、うん、その…」
向こうはしきりに丸井に感謝しながら満面の笑みを浮かべていたが、言われた本人はと言うと、最早心ここに在らずの状態で、答えが答えになってない。
「? ブン太さん…? あの、どうかしましたか?」
流石に向こうも若者の異変に気付いたらしく、不安げに声を掛けてくる。
「私、やっぱり、これ、似合いませんでしたか?」
「へっ…? に、似合わない…?」
全然考えてなかった一言を切り出され、丸井はきょとんとして相手の全身を見た。
「何で? すっげぇ可愛いけど」
「!!」
「あ…! いや、その…えーと、さ…」
さらっと本音を述べてしまった若者に、少女が真っ赤になったことで、お互いが気恥ずかしい状態に陥ってしまう…いかにも初めてのデートに緊張している男女といった様子だ。
「な、何でいきなり似合わないなんて言うんだよい? アンタ、それがいいと思って着て来たんだろい?」
「あっ…それは、そうなんですけど…そのう…」
疑問をぶつける事で沈黙の空間を破った丸井に、桜乃はもじ、と身体を揺らせつつ伏目がちに答えた。
「何だか…周りの視線が痛くて…」
「視線…?」
言われ、反射的にきょろっと辺りの客の様子を伺った丸井の顔が見る見る青くなっていく。
(やっべえ〜〜〜〜〜っ!! 危機一髪〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!)
桜乃が感じていた痛い視線の正体は、すぐに分かった。
男性陣!
この花壇の周りにたむろしていた男達一同の視線が、確かに桜乃へと向けられていたのだ。
但し、彼らの視線の持つ意味は、桜乃が感じていた『似合わない』というものではない。
同性の自分にはよく分かる。
こいつら…桜乃を狙っていたんだ!!
今も、彼女の視線が外されているのをいいことに、さりげなくちらちらとこちらへと視線を向けてくる男達がいる。
彼らもおそらくは自分の彼女との待ち合わせ中なのだろうに、それでも赤の他人であるこの子に無遠慮なまでの視線を向けるとは…
しかしもしフリー状態の男だった場合には、こちらが早めに来てなければ桜乃に先に声を掛けて、無理やりにでも何処かに連れて行かれてたのかもしれない!
(あっぶっね〜〜〜〜!! 冗談じゃねーっての!!)
自分の勝手な予想にぶるっと身体が震えそうになり、丸井はとっととこの危険地帯から抜け出そうと逃避を試みた。
無論、一人でではなく、肝心の恋人も連れて、だ。
「慣れない格好だから気になるだけだって、全然ヘンじゃねーよ。じゃあ、揃ったところで、ぼちぼち行こうぜい、桜乃」
さらりと相手の懸念を払ってやりながら、丸井は手を伸ばして相手のそれをぎゅ、と握った。
「は、はい…」
桜乃も、赤くなりながらも頷いて答え、一緒になって歩き出す。
デートが始まる前からちょっとした危険を乗り切った二人は、ようやくそれから遊園地のゲートをくぐった。
至る所に設置されたスピーカーから、賑やかな音楽が流れると共に、多くのアトラクションの案内のアナウンスが聞こえてくる。
時々、合間をぬって聞こえてくる迷子のお知らせも、こういう場所にはつきものだ。
わいわいと混雑している道を二人並んで歩きながら、彼らは絶好の日和の中でのデートを楽しみ始めていた。
「いいお天気で良かったです。でも、ちょっと混んでますね」
「まぁ、いつもこんな感じらしいからな〜、遊園地は何処でもそうだろ…っと、手ぇ離すなよ、しっかり握って」
促した男に、桜乃は半歩後れつつも必死に追いかけながら笑った。
「そうしたいんですけど、この人の波じゃ引き離されそうで…きゃ!」
言っている傍から、向こうから流れてきた人々の一団に、二人の繋いだ手が離されそうになり、慌てた丸井がそれを引っ張って桜乃をこちらへと引き寄せる。
「っと、あぶねー…手だけ繋ぐんじゃダメっぽいなー、ほれ」
「はい?」
苦笑して、肘を持ち上げる形で腕を掲げてみせた丸井は、顎をしゃくりながら言った。
「掴まれよい、腕組んだらもっと安全だろい?」
「え…っ」
そんないきなり大胆な…と躊躇った桜乃が見上げると、向こうは勝気な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「ちゃんと守ってやっからさ…ほら、早く」
「あ…はい」
ちょっぴり急かされて、桜乃は言われるままに相手の腕に手を触れ、それを掴むと、ぴとりと身体を相手に密着させた。
男子と女子…しかも年齢差もある為、身長の相違はやむを得ないが、それでも二人並んで歩く分には何ら支障なかった。
「な、何だか、近いからドキドキします…」
「ま、まぁ…その内慣れるだろうからさ、練習だと思えばいいんじゃね? 嫌だったり歩きづらかったら言ってくれていいし」
「…練習、ですか…そうですね…あの、でも…嫌じゃないですよ…?」
ぎゅうっ…
「…!!」
嫌ではない、という気持ちを行動でも示そうとしたのだろうか…桜乃は縋っていた丸井の腕に更に身を寄せて力を込めてきた。
(ううわあっ!! やっべ…感触がモロに…っ)
向こうは既に腕を組んでいる事で舞い上がっているから気付いていないのだろうが、彼女の女性らしく成長を始めている柔らかな胸が、丸井の腕に押し付けられる形になり、感触が布地越しに伝わってきている。
しかし、まさかそれを指摘することも出来ずに、丸井も隠れてドキドキしながら必死に平静を装っていた。
(や、柔らかいんだな〜…女の身体って……)
場数を踏んでいる強者ならゆとりをもって愉しむことも出来たのだろうが、何しろ丸井にとっては初めての恋人で初めてのデートだ。
桜乃に気付かれないように細心の注意を払うことで精一杯だったが、この至福の一時を過ごす代償と思えば安いもの、と彼は惜しみない努力を費やしていた。
「もうちょっとでアトラクションコーナーに着くからさ、何に乗りたいか決めとけよい」
「はい…でも、あまり刺激が強いのはダメかもですね。ブン太さんは、何がいいです?」
「へへ、俺は刺激が強けりゃ強い程歓迎なんだけどさ、今日は桜乃が乗りたいヤツに乗ってみてーな。アンタっていつも遠慮してるみたいだから、たまには自己主張ってのもやってみたら?」
「そんな…」
言われた少女は困った様に首を傾げて小さく笑う。
丸井は、そんな相手の姿が大好きだった。
立海に彼女が見学に来はじめた当初は、手作りの菓子などをよく作って持って来てくれるいい子、ぐらいの印象だった。
物をくれる子は大好きだった丸井が、そんな桜乃を気に入らない筈がない。
『サンキューな! おさげちゃん!』
礼を言われた後、桜乃はいつも遠慮がちに小さく笑い、頷いていた。
それは、最初は心からの感謝を見せてくれていた立海メンバー全員に対する恥じらいであり、喜びの感情だったのだろう。
大好物のケーキだった時には、抜け駆けでそれを独り占めした時もあり、そんな時には桜乃はびっくり箱を開けた様な顔をして…やはり困った様に笑っていてくれた。
しかしそんな儚げな笑顔を何度も見せられながら、決して向こうからは出しゃばって歩み寄ろうとしない桜乃に、次第に丸井はもどかしさを覚えるようになっていった。
こちらから歩み寄れば拒むことはない…しかし、向こうからはなかなか近づいてこない。
こちらの練習の邪魔をしないようにとの心遣いだということも分かっていた、それでも、丸井は、近くに来て欲しいと願うようになったのだ。
立海メンバー達の傍ではなく…自分だけの傍に。
そしていつしか、菓子などよりも先に相手の姿を目で探すようになってしまった丸井は、意を決して桜乃に言った。
『お菓子じゃなくてさー…アンタのコト、独り占めしたいんだけど…いい?』
そんな唐突な告白を聞かされた桜乃は、言葉を失い、頬を朱に染め、ただ佇んでいたが…その後こっくりと一度だけ深く頷いてくれたのだ。
その日から、桜乃は丸井だけが独占する女性となった。
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