それから丸井は毎日何らかの形で彼女と連絡を取り合い、相手の心から不必要な遠慮というものを片っ端から取っ払っていった。
他の人間はどうでもいい、ただ、自分に対する心の垣根だけは持っていてほしくなかったのだ。
丸井の努力の甲斐があってか、徐々に桜乃はより自然な形で自分に寄り添ってくれるようになり、呼び方も苗字から名前に変わってゆき…ようやく、今回のデートにこぎつけたという訳だった。
それは喜びもひとしおというものだろう。
もし待ち合わせ場所の花壇で鳶に油揚げ攫われる様な事態になっていたら、軽く事件ぐらいは起こしていたかもしれない。
取り敢えずは逃さずに済んだ幸せをがっちり掴みつつ、丸井はパンフを桜乃と一緒に覗き込み、検討を始めた。
「トロッコに乗ってコースを巡る冒険モノとかあるみたいですね…あ、こっちは船に乗るみいたいですよ?」
「うーむ、どっちがいいかな〜〜…まぁ桜乃がいい方でいいんだけど」
「……あ、船の方、乗っている間は無料で船内のお菓子食べ放題みたい」
「船! 船! 絶対に船にしよう!!」
優先権を譲るという意志は何処へやら。
必死に主張を始めた恋人に、桜乃はくすくすと笑いながら承諾した。
「はいはい」
立海を初めて訪れた時、挨拶代わりにと持っていった手作りのお菓子を一番喜んでくれたのが、この若者だった。
立海レギュラー達は青学から来た自分でも平等に扱ってくれたが、それでも、それに甘えてはいけないと思い、なるべく目立たない様にこっそりと見学させてもらっていた。
そんな自分の視界に、あの赤い髪の少年がとても鮮やかに映っていたことを今も覚えている。
いつも元気にコートの内外関係なく駆けずり回っている丸井という男は、テニスから離れても持ち前の明るさを失うことはなかった。
『アンタも来いって、みんな一緒に食った方が美味いんだからさ』
生来の性格で前に出られない自分の手を取り、彼らの世界に誘ってくれた人…
お菓子が好きで子供っぽいけど、とても頼りになる人…
遠くにいても、あの人の姿だけはすぐに分かる。
だから、憧れていた彼から告白を受けた時には、失神しそうな程に嬉しくて、声も出なかった。
断るなんて思いもよらなくて、頷くしか出来なかったけど…そんな自分でも、この人は相変わらず優しく手を取って導いてくれる。
時々、強引過ぎる気もするけど、私にはそれで丁度いいのかも…
「じゃあ、船の方に行きましょう…あそこの分かれ道を左に行くみたいですよ」
「おう、行こう!」
声に意気込みを込めて宣言し、桜乃を連れて丸井が目的の分かれ道に差し掛かった時だった。
「あら? ねぇ、あなた、ちょっといいかしら?」
「え…?」
「?」
急に、前触れなく女性の声が桜乃へと投げかけられると同時に、何者かが二人へと走り寄って来た。
よく見ると面識も何もない、スーツ姿の女性。
いかにもキャリアウーマンという感じの女性だが、彼女の後ろにはカメラなどの取材道具を抱えた若い男達も数人いる。
何だろう、遊園地を取材しているクルーのインタビューだろうか…?
「何ですか…?」
桜乃が答えている一方で、丸井は取り敢えずは沈黙を守りつつ聞き耳を立てている。
もしナンパ野郎だったら問答無用で無視して去っていただろうが、向こうは女性だし、遊園地側から内部での活動許可を与えられた証である腕章を着けている。
いかがわしい勧誘の類などではないだろう。
結構な観察眼を持っている丸井の隣では、桜乃が女性から活動の主旨の説明を受け始めた。
「私たち、女性誌の特集で、アミューズメントに来る恋人達のファッションチェックやインタビューをしているんだけど、受けてくれないかしら? 貴女、可愛いし、センスもイケてるわ。それにカレシの方も十分釣り合ってるから、二人で受けてくれたら尚助かるんだけど」
「ええ!? そ、そんな…私なんかが、恥ずかしいです」
「そう言わないで、お願い! ほんの幾つかの質問に答えるだけだし」
頼み込まれ、桜乃は困った様子で丸井の方を振り仰いだ。
「…ブン太さん…?」
どうしましょう、と瞳で訴えてくる恋人に、んーと丸井も少しだけ唸って考え込む。
「…別に嫌なモンを無理して受けるコトないよな?」
当然、一度は桜乃の味方に回った丸井だったが…
「写真撮らせてくれて質問にも答えてくれたら、全国共通のグルメ券、一万円分ずつあげるけど」
「答えるぐらいはいいんじゃねーの」
ころっと意見が正反転。
「ブン太さんの裏切り者〜〜〜〜っ!」
そう来ると思った!と心で叫びつつ、桜乃は丸井を非難した。
「いやそんなだってさ…答えるだけで一万円って、かなりお得じゃねい?」
「受け取ったら多分、黙秘権効きませんよ…」
「大丈夫、もし答えにくい質問が来たら、ピ一―――ッで、ピ一――――ッてな感じで、隠すしかない様な言葉で答えたらいいから」
「…仁王さんの入れ知恵でしょ、ソレ…」
自分にはそんなコト出来ません!と突っぱねたものの、結局桜乃は恋人の強固な意志には勝てず、インタビューを受けて、写真で服装のチェックもされてしまった。
「二人の出会いは?」
「え、と…テ、テニスが縁で…」
「告白したのはどっちから?」
「…か、彼から…です…」
「どんな台詞で?」
「え、えーと…」
三十分にも満たない時間だったが、桜乃にとっては少なくともかなりの精神力を必要とするものだったのは間違いない。
全てが終わった後には、既に遊園地のアトラクションを巡る前からぐったりとした様子の彼女がいた…因みに丸井の方はと言うと、なかなか出来ない経験を満喫していた様で逆に活き活きしている。
「ありがとー、雑誌が発売されたらチェックしてねー。採用されるかどうかは分からないんだけど…じゃあこれ、謝礼ね」
「は、はぁ…」
「サンキュー!」
インタビュアーから封筒をそれぞれ受け取って礼を言ったところで、相手は改めて桜乃へと向き直り、じっと彼女を見つめ始めた。
「…? 何ですか?」
「うーん…貴女、本当にイイ素材よ? もし良かったら、モデルとかやってみない?」
「え…」
ぴくんっ
今まで相手方には寛容だった丸井が、その時初めて肩を揺らし、瞳に鋭い光を宿した。
(こいつを…モデルにぃ?)
そんな彼の前で、キャリアウーマンは戸惑う桜乃に勧誘を続けている。
「ウチの会社、ファッション系の情報に力を入れてるんだけど、そういうのってやっぱりモデルの質にも左右されるところがあるのよ。見たところ学生なんでしょうけど、学生でも活躍出来る場っていうのはあるし、貴女ならイケると思うんだけど…」
「そんな、恐れ多いです」
目立つ場所に自分から赴いて、多くの人の目に触れるなど考えられない、と桜乃は断った。
「うーん、残念ね…可愛い彼女さんが世間で評価されたら、彼氏の鼻も高くなると思うけど…」
「え…」
ブン太さんが…喜ぶ…?
一瞬、思考を止めてしまった桜乃だったが、その彼女の背後から、する…と腕が二本伸ばされ、がっちりと彼女の前で手が組まれた。
腕の持ち主は…背後に立っていた丸井だ。
「わりーけど」
今までののらくらとした口調とは一転、反論など許さないといった力強さで、丸井は断言した。
「コイツは俺だけのもんだからさ…これ以上、他の奴らの目に触れさせるなんてゴメンだねー」
『!!!』
(ブ、ブン太さんっ!?)
唖然としたインタビュアー達を尻目に、丸井は言うだけ言うとさっさと桜乃の手を引いて、船のアトラクションコーナーへと歩き出した。
「じゃ、そーゆーコトで。券、あんがとさん」
「あ、あの…あの…」
まだ動揺が抜けきれない桜乃は、連れられるままに歩いていたが、彼らがもう見えなくなった辺りでようやく言葉を発することが出来た。
「ブ、ブン太さんっ、なんてコト言うんですか…!」
「あ? だって、本当のコトじゃん。アンタは俺のもんだろ?」
「そ、それは…」
「…違うの?」
「ち、違いません…けど…」
「じゃあいいんじゃん」
「そういう意味じゃなくてですね…」
ああいう恥ずかしい台詞を人様の前で言わないで欲しいという意味なのだが…と桜乃が思ったところで、いきなり相手が腕を掴んで引き寄せてきた。
「きゃ…っ」
そのままぱふんと自分の胸に恋人を捕えたところで、丸井は悪戯っぽい笑みを含んだ声で囁いた。
「俺は世界中に言いたいくらいだけど…? コイツは俺だけのなんだから、可愛いからって誰も手を出すんじゃないってさ」
「!!」
「もしモデルなんかになったら、勘違いした野郎共がハエみたいにたかってくるに決まってんじゃん。そんなん絶対許さねぇからな、俺…アンタに触っていいのは俺だけ…」
二人が立ち止まった歩道の脇、彼らを避けて多くの入場客が歩いて行く。
ある人は彼らの様子になど気付かず、ある人は何かを察しながらも何も言う事もなく…
「〜〜〜〜〜…」
「だから、アンタは俺の傍にいるんだ……ずーっと、な」
「…はい」
それから二人は幾つもの乗り物に乗った…筈なのだが、桜乃の記憶には乗り物やイベントについてなどはまるで残らず、唯、傍にいた若者の笑顔だけが刻まれていた…
「今日は、有難うございました」
「ん…すっげぇ楽しかった、また一緒にどっか行こうぜい?」
「はい、是非…」
色々あったが、それでもとても楽しかった一日だった。
桜乃はわざわざ自宅まで送ってくれた恋人に、玄関前まで来たところで丁寧に礼を述べていた。
「ブン太さんも、どうか気をつけて帰って下さいね」
「分かってるって…なぁ、桜乃」
「はい?」
「俺らってさ…恋人、だよな?」
にっと笑って確認してくる相手に、桜乃はきょとんとしながらも頷いて肯定した。
「え、ええ…」
「へへ、じゃあさぁ…」
更に笑みを深めた男は、ぐい、と桜乃の顔に自分のそれを寄せる。
「キス、しよ」
「え…っ」
「大好きってコト、伝えたいしさ…俺も、伝えてほしい…」
「ブン太…さん…」
静かな…しかし熱情のこもった告白に、桜乃の顔もまた炎を注がれた様に真っ赤になった。
そんなお願いされたら…する前から気が遠くなってしまいそうだ。
くらくらと眩暈を覚えている桜乃の身体をもう一度抱き締めて、丸井はゆっくりと相手の頬に触れてその顔を上向かせる。
互いの瞳が見詰め合った瞬間、微かに桜乃のそれが揺れたが、そのまま静かに瞼が伏せられた。
まるで神への祈りを捧げるように少女は若者にその行為を許し、誘われるように男は顔を寄せ、想いを果たした。
夕暮れから夜の闇が世界を覆う…そんな一時のことだった……
「とんでもないコトになっちゃいました〜〜〜〜〜〜!!!!」
それから数ヵ月後、立海を訪れた桜乃は一冊の女性誌を持って丸井の許に速効で向かっていた。
「お? 桜乃、どしたん?」
「こ、これっ、この雑誌に、載っちゃってるんです!! 私達のコト!!」
「……ああ、あの時の…」
雑誌を見せられても、今ひとつ記憶が定かではなかったらしい丸井は、数秒の黙考の後にようやくあの日のインタビューのことを思い出す。
何だ、結局採用されたんだ…あれからもう結構時間も経ってるし、てっきりボツになったと思っていたけどな〜と呑気に思っている若者とは対照的に、桜乃は真っ青になり、非常に混乱した様子だった。
「こんな書き方されるなんて思ってませんでしたよう〜〜〜!」
「どれどれ?」
相手のうろたえぶりに興味が湧いたのか、丸井は彼女の持っていた雑誌を受け取って問題のページを確認する…と、
『この日、〇〇パークで一番イケてたアツアツ、ラブラブカップル……』
という見出しで、デカデカと二人の写真が載せられていた。
インタビューも恋愛についてのものがほぼ全て掲載されており、二人の熱愛振りがゴシップ調の書き方で綴られている。
要約したら、折角恋をするのなら、彼らのように全力投球で相手を想うべし…というところだろう。
当人達でなくても、かなり気恥ずかしくなりそうな文面だが、女性はこういうネタが好きなのだろうか…?
「パッションだな〜〜〜」
「何呑気なコト言ってるんですか〜〜! これ、ウチの学生も結構買ってるんですよ!? ブン太さんの学校の人だって買ってる筈です!! あ〜〜んっ!! やっぱり引き受けるんじゃなかった〜〜〜〜〜っ!! 服だけの話だと思ってたのに〜〜〜〜」
これで当分は友人達から冷やかされたり話のタネにされるのは間違いない!と、桜乃は悲嘆に暮れていたが、丸井はこの期に及んでもマイペースだった。
「ま、いいじゃん、人の噂も七十五日って言うしさ…ふーん、こういう名前の雑誌ね…」
結構コイツ、可愛く撮れてんじゃん…見る用と、保存用と…あと予備に二冊ほど買っておくか…
「ちょっとは責任を感じて下さいっ!」
誰の所為だと思ってるんです!と迫る少女に、丸井はにへら、と笑って答えた。
「まぁ何とかなるんじゃね。俺を信じてついて来いって感じ? おお、まるでプロポーズみたいじゃんか、かっこい〜〜〜」
「!!!!!」
ぶちっ!!!
滅多に切れない桜乃の堪忍袋の緒が、切れた。
「信じてついていったからこーなったんでしょ――――――――っ!!??」
「あ、そっか」
そんな二人の様子を、遠巻きに見ていた立海メンバーが面白そうに笑いながら評した。
「順調に丸井の教育は進んどるようじゃのー、完全に地のままで話しちょるよ、あの子」
「心労だけが気になるところですが…」
「いんじゃないっすか? 結構楽しそうですし、あの二人」
桜乃の丸井に対する遠慮が完璧に払拭される日も、そう遠くはなさそうである…
了
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