昼休み…
「…あ、来た」
「……」
ジャッカルと丸井が外の中庭で昼食を食べていた時、ジャッカルが声を出して丸井に注意を促した。
中庭の少し離れた場所に植えられていた木の陰から、こっそりとこちらを覗きこんでいるのは、最早その姿が当たり前になりつつある桜乃だった。
あれから彼女は朝の休み時間にジャッカルを通じて丸井に弁当を届け、昼食を食べ終わったであろう昼休みの適度な時間にはまたこっそりと、空になった弁当箱をジャッカルを通じて受け取りに、こうして少し離れた場所に姿を見せるようになっているのである。
丸井もその姿はこれまでも当然目にしていたのだが…これまでは何事かという疑心や困惑、遠慮が大きくて、ロクに声も掛けられなかった。
しかし、今日こそは…!!
「…おい」
「…っ」
久し振りに丸井から呼びかけられた少女は、遠目でも分かる程にびくっと身体を震わせて反応する。
「…やっぱお前が諸悪の根源じゃねぇのか?」
怯えている様に見えるぞ、と突っ込むジャッカルは無視で、丸井は構わず相手に声を掛け続ける。
「お前、何か最近ずーっと俺のコト避けてんじゃん! 何だよい、俺何かしたか!? 一体どういうつもりなんだよい!」
間違いなく向こうにも聞こえている程度の大声で、丸井が彼女に呼びかけると、向こうは数秒視線を下に向けて何事か思い悩んでいる様子だった。
そしてその沈黙の後、吹っ切った様にぐっと顔をこちらに向け、桜乃が同じく大声で答える。
どんな台詞であっても、それは久し振りに聞く彼女の肉声だった。
「わっ、私…っ! もう二度と丸井先輩の傍には行きません!! 近寄らないで下さい!!」
「っ!!」
その断言に、少なからず丸井の心はがーん!と衝撃を受けた…と、同時に、何か妙なスイッチがオンの方へと傾いた。
近寄らないで…だとう…?
「ふ〜ん…そんなコト言っちゃうか…」
ゆら…と嫌な雰囲気の中で丸井が立ち上がり、不気味な笑顔を浮かべつつ相手を見据える。
何かをするな、と禁じられたら、寧ろやりたくなるのが人の心…となれば、取るべき行動は一つ!!
「んぜってー捕まえるーっ!!!」
「きゃ――――っ!! きゃ――――っ!! きゃ―――――――っ!!!」
大人げも何もなく、丸井は普段鍛えている身体をいい事に、その華奢な少女を全速力で追いかけ回し始めた。
向こうも必死に悲鳴を上げながら庭から走り去ってしまったが、おそらく逃れる術はあるまい。
消えた二人の去った後を眺め、ジャッカルは残された弁当箱はどうするのかと思いつつ呟いた。
「…事態を知らなきゃフツーに通報したい光景だな」
幾ら何でも本気で女を追い掛け回すのはマズイだろう、丸井……
ジャッカルでなくても予想出来た通り、桜乃は丸井の追撃から逃れきる事は出来ず、人気のない校庭脇の細い通路で確保されてしまっていた。
「つかまえた〜〜〜!!!」
「ふえええええん!! おまわりさあぁぁぁん!!」
『この人、チカンですう!』という叫びこそなかったものの、丸井の両手で身体を捕まえられた少女はそれでも必死にじたばたと四肢を動かしている。
正直、男にとっては不名誉極まりない格好だ。
相手を落ち着かせ、尚且つ自身の主張の為に、丸井は声を大にして呼びかけた。
「あのなぁ! 俺に近づきたくねぇならねぇで、はっきり理由を言えってのい!! 何も知らされなかったら俺だって納得出来ないじゃんか! ナニがあったんだよい!?」
「うう…」
怒鳴るような声に圧されたのか、桜乃はもがいていた身体を徐々に落ち着かせ、最早逃走は諦めた様子でしゅんと項垂れた。
「…嫌いだって、言われたから…」
「あ?」
「……馴れ馴れしくベタベタしてくる奴、嫌いだって…先輩が…」
「!!」
指摘の言葉にどきりとする。
確かにそうだけど…こいつの前ではそんなコト言ってなかったのに…
「んなコト、誰が…」
「先輩が言ってました! 教室で、桑原先輩と一緒にいた時…!!」
「……えー?」
そんな事あったっけ…?と過去を反芻していた丸井は、その十秒後、ほんの数日前の昼休みを思い出したところで硬直した。
もしかして、それって…あの、ジャッカルにクッキー勝手に食われて、邪推されて、昼休みにも放課後にもコイツが来なかった日!?
そう言えば確かにあの時自分はそういう意味の台詞を『大声で』叫んでいたし、あの日から、ぷっつりと俺のこいつのコミュニケーションの糸が切れていた様な…
「…もしかして…俺らの教室での話、聞いてた?」
「…」
声にこそ出さなかったが、桜乃はこっくりと深く首を縦に振った。
当日、丸井達の教室に遊びに行き、そのドアを抜けようかとしたところで、あの宣言が耳に飛び込んできた。
その時はまだ二人も少女の存在には気付いておらず、ショックを受けて引き返してしまった彼女の行動など、知る由もなかったのだった。
(ってぇコトは…)
よーく考えた先で丸井が行き着いた結論。
(諸悪の根源、俺〜〜〜〜!!??)
自分に責任はないと思っていたのに、蓋を開けてみたらまさしく自分が原因だった。
更にショックを受けている丸井の前で、ようやくこちらに向き直ってくれた桜乃は、少し居心地悪そうな表情を浮かべながらも、ぽつぽつと語ってくれた。
「…傍に行ったら嫌われるって思ったから…お弁当とか、桑原先輩に預けることにしたんです……桑原先輩ならダブルスでもご一緒だし、よく傍にいらっしゃるから…」
何だか一気に脱力感が襲ってきた気がする…
「……ああそう…ん?」
桜乃の台詞を心で思い返したところで、ふと丸井が首を傾げた。
今のって…さ…
「……それって、さ…俺に嫌われたくないって、コト?」
「!」
単刀直入な質問に桜乃は顔を紅潮させる事で答えとし、それをまともに見てしまった若者も、自身が尋ねていながら少し戸惑ってしまう。
(あれ? な、なんかコイツ…可愛くね? 久し振りに会った所為? でも、俺とコイツ、そんな長い付き合いでもねーのに…他の奴はダメで、何でコイツならいいんだ?)
そう思っている内に、丸井にもう一つの疑問が浮かんできた。
今、浮かんだものではない…ずっと以前から、うっすらと感じていた事だった。
「…あ、のさぁ、お前…」
「…?」
「お前さ…会った時から何となく、俺のコトやけに熱心に見てなかった? 俺の自惚れなら悪いけど、何となくそう感じててさ……俺達、どっかで会ってた? 何でお前、そこまで俺にこだわんの?」
もしかしたら、本当に自分の自惚れだったかも、と思うような疑問だったが、問われた桜乃は明らかに彼の台詞に反応を示した。
微かに肩を揺らし、動揺した瞳を向けて、答えるべきか否かを迷っている。
その仕草に、必要以上に丸井の胸も高鳴った。
もし当たっているのなら…知りたい!!
「あの…」
「! う、うん…?」
「……転校する少し前に…見学に来たんです…その時に」
思い出しながら、桜乃は過去の記憶を語り、微笑む。
「コートの近くの木の上で…眠っている先輩がいました」
「!!」
「凄く高い木の枝に、まるでベッドに寝ているみたいに何気なく横になっているのを見た時…すごいなぁって…真っ赤な髪がお日様の光で凄く良く映えて、眩しくて…太陽みたいな人だなって」
「〜〜〜〜〜」
それがいつの事なのかは言えないが、覚えはある。
天気の良い日の暇な時間、部活が始まる前とかそういう自由な時間に、自分は確かにコートの近くの木の上で昼寝をすることがあるのだ。
そこなら、部活の始まりが近くなると部員の声も聞こえてきて、丁度良い目覚ましになる。
そんな何気ない日常を、知らない間にこの子に見られていたのか…しかも、それを太陽みたいだって…
(うわ…顔、熱い…)
絶対に赤くなってるだろ、髪だけじゃなくて顔も!
自分に突っ込みを入れながら、さり気なく手で顔を隠していると、桜乃の言葉の続きが聞こえてきた。
「また会えるかなって思っていたら、本当に会えて…先輩、優しいし強いし、やっぱり太陽みたいな人だなって、憧れてたんです……一緒にいたら楽しかったし、料理も美味しそうに食べてくれたから嬉しかった…嫌われたくなかったから、近づけなくてもお弁当だけでも届けたくて…」
ああ、だからジャッカルに頼んでたんだ…謎、解けた。
そういう事だったんだ…とようやく合点がいった若者だったが、相変わらず手は顔に当てられ、紅潮を隠している。
謎は解けたが、熱が引かないのだ。
(それってもう、説明だけじゃなくて殆ど告白に聞こえるんだけど)
しかも、これまで数多の告白受けて断ってきた俺が…初めて受けたいって思ってるんだけど!?
(これはやっぱ…チャンス、だよな?)
逃したら、次のチャンスはいつになるか…少なくともテニスの試合みたいに何秒後、何分後ってワケにはいかないだろうな…下手したら何週間、何ヶ月…それでも来ない可能性だって…
試合とはまた異なる緊張感の中で丸井は必死に考えを巡らせ、持ち前の状況判断能力で即座に実行へと移った。
今までは受けていた、けど、今度はこっちが攻めるのみ!!
「あのさ! 憧れとか何とか言ってるけど、それって結局…お前は俺が好きってコトだろい!?」
「!」
端的で単純な確認に、桜乃の頬も丸井に負けないぐらいに朱に染まる…いや、丸井以上に。
「せ、先輩…?」
戸惑う様子の少女に、丸井がじれったさそうに歩を踏み出し、顔を相手の直前まで寄せた。
早く、早く…! 教えてくれよ!
知りたくて、待ちかねて、俺の心臓が今にもどうにかなっちまいそうだから!!
「違う!? 俺のコト、好きなの、嫌いなの!?」
「すっ、好きです…っ!」
迫る若者に、桜乃は否応なく本音を吐き出させられ…はっと気付いた時にはもう発言の後だった。
ゆったりとした時間の中で、ムードを盛り上げて告白…などといった乙女の思い描く告白シーンには程遠い。
既に山場を迎えるための台詞を自分が言ってしまったのだと桜乃が理解した時には、相手の男は勝ち誇った様にこちらを向いて笑っていた。
「…いーぜ、じゃあお前だけは、俺の傍にいることを許してやる…てか、傍にいろ」
「え…?」
「もう拒否権はねぇぞい…俺の恋人だって決めたんだから」
「ええっ!?」
素っ頓狂な相手の声に、丸井が少しむっとして言い返す。
「ええっ!?て何だよい!? 嫌か!? 俺の恋人になるの」
「い、いいえっ!! う、嬉しいですけどそのっ…いきなりで…私なんかがいいのかなって…」
「…いきなりでもないじゃん」
「え?」
そして、ぎゅーっと相手の小さな身体を抱き締める。
「お前、ずっと俺の傍にいたじゃん……けど、俺、お前だけは、傍にいても嫌じゃなかった。煩くないし、媚びないし、明るいし…綺麗だった」
これは本当だからな、と念を押しながら、若者は軽く桜乃の頬に唇を触れさせた。
「!」
「俺も、好きだったんだな…俺にとっては、お前の方が太陽だ」
太陽は何も語らず、媚びもせず…しかし燦燦と恵みの光を注いでくれる。
だから、あんなにも綺麗だ。
「似てるんだ、お前に」
その光を独り占めしたくなったんだ…心まであったかくしてくれる、その笑顔を…
太陽に負けない程に熱く赤くなった頬の可愛い恋人に、丸井はにこりと微笑んだ。
「だから、お前はこれからも俺の傍にいて…笑っててくれよな?」
了
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