優しい詐欺師
立海大付属中学男子テニス部の朝は早い。
「っはよー」
「うあよーっす」
他の学生達が、まだまばらに登校している中、男子テニス部のレギュラーメンバーは、既にテニスウェアに着替えて、コートで朝練を済ませていた。
皆、それ程に疲労の色は無いが、もし一般学生が彼らの朝錬に付き合っていたら、半分の時間ももたずに逃げ出していた事だろう。
常に自身を律し、勝利に向けて邁進する彼らの姿勢は、立海の学風に拠るところもあるのだろうが、最も大きな要因は、やはり今の部の副部長の気概だろう。
無論、部員達を統括しているのは部長である若者なのだが、普段から温厚で控えめでもある彼は、大事がない限りは副部長である自分の親友にまとめを任せている。
「赤也、何をぐずぐずしている! この程度で音を上げるとは、たるんどる!」
今もまた、副部長・真田弦一郎は二年生エース、期待の星とも呼ばれる後輩を叱咤している。
その相手は、確かに他のレギュラー達と比べてやや足取りがおぼつかなかったが、何となく、それは単なる疲労によるものではないものにも見える。
その理由とは…
「だぁ〜〜…昨日つい図に乗って遅くまでゲームに嵌っちまったぁ…あー、眠てぇ」
くせっ毛をふわふわ揺らし、瞳をしぱしぱさせながら、その二年生エースこと切原赤也は、副部長の声に追われる様に動き回っている。
この程度の朝錬で彼が参るはずもなく、本当の理由を告げて誤解を解きたくもあったのだが…
『…なにぃ? ゲームで徹夜していただと?…』
鬼の形相の真田に、なます切りにされる哀れな自分の姿が思い浮かび、結局断念せざるを得なかった。
自業自得と言われたら、それまでの話である。
「赤也、急がんか!」
「わ、分かってますって!!」
後輩でもある彼はコートの朝錬後の片付けなどもしないといけないので、特に急がないとホームルームに間に合わなくなってしまうのだ。
賑やかな二人を、既に部室に入り、着替えている他のメンバーが笑って観ている。
何だかんだ言っても、面倒見の良い真田と、ある意味それに乗っかっているやんちゃ坊主は、この部に於いてはムードメーカーになっている様だ。
「あーあー、大丈夫かねぇ赤也は。ホームルームから爆睡しちまうんじゃねぇの?」
切原のお守り役であるジャッカルが苦笑する隣では、テニス部参謀の柳がこくんと頷いて言った。
「昨日発売された格闘ゲームソフトを赤也が購入した確率は百パーセント…彼の性格から、夜を徹して遊戯に耽った確率…九十六パーセント」
「そりゃ御愁傷様だな」
柳の推測を疑う様子もなくジャッカルが首を振っている向こうでは、ロッカーの前で二人の若者が会話を交わしているところだった。
「仁王君、君が好きだった炭酸飲料の新作が出たんですよ。昨日、家の近くの店で見つけましてね、如何です?」
眼鏡で己の視線を隠している男が、ペットボトルを銀髪の相手に差し出すと、相手は少し驚いた様に瞳を見開き、そのまま笑顔に変わってそれを受け取った。
「おお! すまんのう柳生。宣伝は見とったんだが、なかなか見つからんでな、有難く頂くぜよ」
「私も昨日試してみましたが、炭酸の刺激が強い割に後味は爽やかですね。スポーツの後にはぴったりでしょう」
「そうか…どれ」
銀髪を後ろで括った仁王と、やけに礼儀正しい柳生の二人は、ダブルスのパートナーである。
一見共通性がある様には見えない二人だが、彼らはコート上ではまさに息ぴったりのコンビネーションで相手方を撹乱し、打ち倒してきた。
特に銀髪の仁王という男は、別名『コート上の詐欺師』とも呼ばれ、その名の通り様々な作戦で相手を騙し、心を揺さぶることに長けている。
『コート上の』という制限が付いてはいるものの、彼は専ら普段から隙を見せることはない。
だから周りからは一風変わっているとか、油断できないとか言われることもあるらしいが、本人は一向に気にしていない。
そういうミステリアスなところが女生徒には受けているらしいが、今のところ彼には彼女達の誰かに心を曝け出す様子もない。
何とも掴みどころのない男なのだ。
しかし、彼はその眼力と天性の詐欺の能力を悪意をもって使うことはなく、それを知っているからこそ、レギュラーメンバー達は彼と普通に付き合えている…のだが。
「おい、丸井? さっきからなに新聞を睨んでんだ?」
「今日の社会、時事問題の小テストがあんだ。くあ〜、ワケわかんねぃ!」
赤毛の相棒がいらいらした顔で新聞を読んでいた理由を知り、ジャッカルは肩を竦めた。
「今日の新聞じゃ新し過ぎるんじゃないのか? もう問題、出来てるだろ…」
「あ―――――っ!! そうだった――――――!!!!」
「ボケっぷりも天才的だな…」
「うっわ〜〜〜!! やべぇ、やべぇって!! 柳―! 出る問題予想してくれ〜ぃっ!」
「丸井、すぐにヤマに頼るのはお前の悪いクセだ…」
「だってよぉ…って、うん?」
涙目になっていた丸井ブン太が、ふと、一つの記事に目を留めた。
「どうした?」
「いや、これ…これって俺達の地区の話じゃん?」
三人が新聞に注目している向こうで、相変わらず仁王と柳生は新作の炭酸飲料の話題に花を咲かせている。
「おう、いけるの」
「でしょう」
「新しい味が出るのは嬉しいんじゃが、季節限定だと少しがっかりもするな」
「そうですね、気に入った味でも時期が過ぎたらなくなってしまいますからね。もし人気があれば固定商品にもなるでしょうけれど…」
「ん〜…この味は残してほしいのう」
炭酸の喉越しを楽しみ、ペットボトル半分ほど飲み終えた仁王は、一度それをロッカーに置いて身支度を始めた。
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