悪魔の首輪
一人の悪魔がおりました
悪魔は真を言えない為に、ずっと一人でおりました
寄る人全てに嘘をつくので、ずっと一人でおりました
悪魔は誰とも契約をせず、しかし自由と在りました
自由が悪魔と在る代わり、一人ぼっちのままでした
或る日、悪魔を見た娘が、彼に首輪をあげました
今日も今日とて平和な立海…
「久し振りの立海〜…皆さん、お元気かなぁ」
少し寒くなってきた時期、桜乃は少しでも身体を暖める為に駆け足で久し振りの立海を訪れていた。
時間的にはもう部室には誰も居ない筈…だが、自分の荷物をそこに置かせてもらうべく、彼女はコートではなく部室へと足を向けた。
「やっぱりちょっと寒くなってきたなぁ…」
『……−・・――』
「あれ? 誰が話して…」
桜乃が部室の前に近づいてきた時だった。
『ずっと好きでした! 私と、付き合って下さい!』
「っ!!」
無論、桜乃が受けた訳ではない。
部室の中から女子の声が聞こえてきたことから、どうやら部員の誰かに告白の真っ最中である様だ。
(はわ! あわわわっ!!)
北風で冷えていた身体を一気に熱くしながら、桜乃は大慌てでドアの前から走り去り、側の曲がり角の陰に隠れて息をついた。
(どっ…どーしよー…まさか告白の現場に出くわすなんてぇ! う〜〜、荷物置けないし…)
どきどきと動悸を感じながら、桜乃は他人事ながらに動揺していたが、やがて向こうからドアを開く音が聞こえてきた。
『すみません…でした…っ』
そして、涙を滲ませた声と、走り去る音…
(あ、終わったみたい……何か、振られたっぽいけど…)
悲恋を連想させる音が全て消えてしまった後、桜乃はそーっと部室に再び足を向ける。
(告白された人も、もう行ったかな…)
こそっと覗き込んだ部室の中には…
「はー…やれやれじゃ」
銀髪の詐欺師が、うんざりといった表情を浮かべながら肩を竦めているところだった。
「仁王さんっ!?」
思わず叫んでしまった声は、当然彼にも聞かれてしまう事となり…
「ん…」
男が振り向き、桜乃と視線を合わせる。
「……」
「…・・わ」
桜乃が硬直し、何とか取り繕おうと自分の両耳を塞いで目を閉じる。
「私、何も見てませんからっ!!」
「遅すぎじゃ」
びしっと突っ込むと、プライベートを知られながらも仁王は軽く苦笑いを浮かべた。
「何じゃ、竜崎、見とったんか?」
「す、すみません!…聞くつもり、なかったんですけど…」
聞くつもりはなかったが、聞こえてしまった……
自分が心密かに慕っている男性が告白された現場を見聞きしてしまい、桜乃の胸が高鳴る。
(うわ、どうしよう…盗み聞きする嫌な女の子って思われちゃった…?)
「ええよ、お前さんがそんな趣味悪い子だとは思っとらん」
「……」
「隣のクラスの女子での、ルックスもまぁまぁじゃし、成績も上位、スポーツも得意で、性格も悪くはないんじゃが…」
そこまで評価していながら、最後に腕を組んで不機嫌も露に一言。
「全く、部活動中に告るなというんじゃ…ペース乱れるじゃろうが」
(手厳し〜〜〜〜〜っ!!!)
その所為で振られたのだとしたら、見知らぬ女生徒には心から同情する。
普通、女性から告白されるなんて、男性にとって嬉しい極上プレゼントものなのでは…なのに、それをそういう理由だけで…?
それなら…多分、私なんて…
「に、仁王さんって…」
「ん?」
「…理想が高いんですか?」
「いや? そんな事はないぜよ」
「そうですか?」
疑惑の瞳に見つめられ、相手はくっと唇を歪めて桜乃を面白そうに見つめた。
「そうじゃの、身体は体重が適正範囲に入っとって健康、学力はまぁ赤点取らない程度でええがバカではないこと。ルックスはそこそこで可じゃが俺と釣り合う程度。性格は俺をイラつかせたりせんことと、他には犯罪歴がないこと」
(そんな事ありますよ…)
結構、ビミョーにハードルが高い気がするのだが…ルックスがそこそこでいいと言いながら、この人と釣り合うってそう簡単なものではないし。
「……あれ?」
不意に、桜乃は思いつく。
「……それじゃあ、今の人だって十分範囲に入っているんじゃないですか? 顔は見てませんが」
「不可」
微笑みながら、きっぱりと拒絶し、仁王は人差し指を立てて軽く振った。
「一つ…絶対に譲れんことを忘れとった。一番、重要」
「?」
「悪魔も騙せる詐欺師を、束縛なしで側におけるぐらいの女。これが大前提」
(高すぎっ!!!)
何ですかそれはっ!と突っ込みたいところを抑えて、桜乃がおずおずと尋ねた。
「それって…仁王さんでも無意識に、側にいたくなるぐらいの女性って事ですか?」
「んー…まぁそれもあるが。俺と対等に渡り合えるか、俺を動かせるぐらいの女なら、退屈せんでええじゃろ? ま、首輪付けられて、生き方あれこれ指図されるのは真っ平御免じゃが」
「…仁王さんは、誰かに干渉されるの一番嫌いですもんね。でも、仁王さんが自分からその人の側にいるって…相当からかい甲斐のある人?…」
「ロマンスぶち壊しじゃの」
別にそういうものに人生賭けている訳ではないのだが…と断りながらも、男は桜乃との会話を結構楽しんでいる様子だ。
「俺でもな、女の子の可愛い仕草とか、小さい身体で頑張る姿を見ると、惹かれたりもする。ま、それですぐに告白しようなんて、浮ついてはおらんがの」
「あは、強敵ですねぇ…」
にこにこと笑ってこちらを見上げる少女は、自分も今、十分に可愛い仕草をしているという事実に気付かない。
微笑みながらも、詐欺師は彼女の無垢な瞳が眩しいのか、それとも苦手なのか、ちょっとだけ視線を逸らせつつ話を返した。
「そういうお前さんはどうなんじゃ?」
「え?」
「俺じゃなくて、お前さんはどうなん? 理想の男性って…」
がちゃっ…
仁王が言葉を終える前に、部室のドアが開いて副部長が入室してきた。
相変わらずストイックな表情だが、今日は特に眉間の皺が多い様な気もする。
「…いいところで邪魔が入りよったか」
「む? 仁王? こんな所で何をしている、油を売っている暇があれば…」
「こんにちは、真田さん」
すぐに仁王に対してお説教を始めようとした真田に、ひょこんと彼の陰から顔を覗かせて桜乃が挨拶をした。
「竜崎? 来ていたのか?」
「すみません、お邪魔しています。あの、仁王さん、他のクラスの方に呼ばれて、今さっきまでここで応対していたんです。サボってはいませんよ?」
「……」
自分を庇った桜乃を何も言わずに見下ろす詐欺師に、真田が一瞬視線を向け、それはまた少女へと戻された。
「そうなのか?」
「はい」
「ふむ…ならば、仕方がない」
真っ直ぐに見つめる少女の瞳にやましさの色が全くない事を読み取った男は、銀髪の男に向けた疑惑をあっさりと引っ込めると、更に部室の中に進みながらため息をついた。
「お疲れなんですか? 真田さん」
「いや…練習程度で今から疲れるほど、腑抜けてはおらん」
「…じゃあ切原さんですか」
「……」
(大当たり〜、どんどんってトコロか)
一層渋い顔をした相手に、少女は自分が機嫌を損ねさせてしまったのかと、おろおろと謝る。
「あ、あの…すみません、私何か、いけないことを…」
「いや、そうではない…見事にその通りだ」
自分の機嫌が悪いと、即座にあの後輩へと繋がってしまうとは……普段どれだけ彼に辛酸を舐めさせられているのかが実感出来てしまう。
「…今度は何ですか? つまみ食い?」
「そういう可愛いものなら俺の一喝で事は済む…最近、奴の物損事故がやたらと多くてな」
「物損…何か壊しちゃうんですか?」
「ガラス窓をな…ここ一週間で三枚やった。新しい技の開発をするのは構わんが、とにかくコントロールが酷すぎる。未完成の今は、打ってから何処へ飛ぶのか、赤也自身でも分からんのだ」
ふうーとため息を吐き出す副部長は、帽子のつばを弄りながら締め括った。
「さっき職員室に呼ばれて、以後、奴が物を壊した場合は部で弁償することになった。完成形が見えるまでは、強打での練習は暫く自重しろとは言ったが…」
困った、という相手に、桜乃は何とか元気付けてあげようと必死に言葉を探した。
「え、えっと、あのっ……じゃあ、私も協力して…協力して…その…」
しかし、結局適切な言葉が見つからず…
「…何をしたらいいんでしょう…?」
と、困った顔で逆に真田に問い掛けてしまう。
「い、いや、別にお前が気にする事では…」
「でも、何かお力になれることがあれば……私も皆さんにはお世話になってますから」
「…気持ちは有り難いんだがな…これは赤也の問題だ。奴も少しは責任というものを感じるべきだ」
相手の心遣いを有り難いと思うのは本心だが、それでも真田は苦笑しつつも桜乃に断った。
そして、そんな少女に銀髪の男がぽんと頭に手を乗せ、なでなでなで…と優しく撫でて笑った。
「お前さんは、本当にいい子じゃの…そういう子を見ていると…」
「?」
むにっ!
いきなり彼の手が伸びて、桜乃の両方の頬を摘まんで横へと引っ張り一言。
「弄り回したくなるのは何でじゃろ?」
「ひ〜〜んっ!」
「仁王っ!!」
真田に叱られても何処吹く風、笑顔を消さないままに桜乃を解放すると、銀髪の男はひらっと手を振って部室を後にする。
「ははっ、恐い恐い。じゃあ俺は練習へ戻るぜよ」
そのドアが閉められる間際…
「…―――」
「…え?」
何かを彼が呟いた様な気がして桜乃が振り向いたが、既にドアは彼によって閉められていた。
「どうした?」
「いえ…何となく声が…」
「声?」
「あ、多分気のせいです…私も、外に行きますね。また見学させて下さい」
「うむ」
真田とも会話を交わした後で、桜乃はようやく最初の目的である荷物を置いて、コートへと向かった。
「ちぇー」
(あ、あそこにいるの、切原さんだ)
ふくれっ面をしながらラケットを弄っている若者に気付いて、桜乃が相手に近づいて声を掛ける。
「切原さん、こんにちは」
「お、竜崎じゃん」
「何の練習をしているんですか?」
「いや、新しい技の開発をな。もう少しで出来そうなんだけどさ」
「え!」
先程までの真田との会話を思い出し、桜乃は慌てて相手の腕に手を掛けた。
「いけませんよ、またガラス割ったりしたらどうするんです? 弁償でしょう?」
「あ、何だ、聞いてたのか?」
手を掛けられたまま、切原はちぇっと舌打ちをしたが、軽く腕を振ってそれを振り解いた。
「大丈夫だって、ちっと力を抜いてやったらそんなに飛ばねーし」
「切原さんの力は強いですから、それだってどうなるか分かりませんよ…」
「へーきへーき、副部長だって、強打は禁止したけど軽く打つ程度ならいいってさ」
「む〜……じゃあ、私もここで見てます」
「……なんで?」
「ちゃんと力を抜いているかどうか、チェックしてますから」
「なんかやり辛えなぁ…まぁ、いいけどさ」
別に嫌がらせでもないのなら、好きに見学させておこう、という見解で、切原は特に止める事もなく引き続き技の開発を始めた。
と言っても、桜乃にはフォームの何処をどう弄って打っているのかは全く分からない。
聞いても多分…と言うか確実に教えてくれる訳もないだろう。
(ナックルサーブとはまた別の技かな…まぁ、真横の校舎にボールが飛ぶなんてこと、そうそう無いとは思うけど……)
切原と校舎の狭間に立っていた桜乃は、ちらっとその校舎を振り返る。
彼女の心配を他所に、切原はひたすらにボールを打ち続けた。
数球飛ばしたところを見ても、力を抜いて打っている分にはコントロールはつけられるのか、大体前方の同じ角度へと向かって飛んでいく。
未完成と言っても、ほぼ形としては完成しているのか……
静かにそんな事を考えている桜乃の視線の先の男は、彼女の心中など知る由もなく、軽い球を打ち続けることで確実にストレスを感じていた。
軽く力を込めた球など、実戦で使うことなどありえない。
役に立たない球ばかり打って、何になる?
力一杯打ってこその勝負球だ、確かにまだコントロールについては自信はないけど…
(けど、ちょっとだけ…)
それまでの甘い球が思った通りの球筋を描いていたのも、彼の心を動かしたのだろう。
ぐ、と握った球を放り投げ、腕を背後に振った切原の身体が、今までより格段にバネを効かせている形を取った事に、桜乃が気付いた。
違うっ! あれは全力の…!
「切原さん!?」
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