言わせてみたい
『気になる子には必ず好きと言わせてみせる、どんな手を使っても』
結構、自信はあったんじゃが…こんなに手間取るとは俺もまだまだじゃったかのう…
「……はぁ」
ホワイトデー
男性が女性に対し、バレンタインのお礼をするとされる日本独自の記念日である。
最近はこの制度そのものに反発する人も多いと言うが、まだまだ時代はこのイベントを許容している様だ。
その日、立海の一教室に於いて、一人の銀髪の若者が窓際の席に座り、とても疲れた表情で肘をつきながら外を眺めていた。
しかし疲れていた…と言えばそう見えるし、ただ単に眠そうだ、と言えなくもない。
いついかなる時も自分の真意をそう簡単には他人に読ませない、その信条を徹底させているのか定かではないが、吐き出すため息にはおよそ力というものが感じられなかった。
「失礼しますよ…仁王君」
「ん?…何じゃ、柳生か」
呼びかけられてふいっと外から室内へと顔を向けた仁王は、声から既に相手の正体を察して然程驚く素振りも見せずに相手の来訪を迎える。
テニスを通じて親友となった彼らは、他のレギュラー達よりも接触する機会は多い。
それは彼らがダブルスペアであるという事実に加えて、二人が時に互いを演じるという詐欺を企てる事にも起因しているのだが、何より互いを信頼しているという絆が最も大きい理由だろう。
「どうしたんじゃ?」
「それは私の台詞ですよ。どうしたんです、死に掛けたクラゲみたいな格好をして…」
「…せめて哺乳類に格上げしてくれんかの」
「死に掛けた仁王君みたいな格好」
「まんまじゃよ…つか、恐ろしいことをサラリと言うのう」
『紳士』という異名を持つ相手ではあるが、結構普段から歯に衣着せぬ台詞を言う彼に、仁王は怒る事もなく寧ろ楽しそうに言葉を返した。
「別に何もないが……ちょっとうんざりしとったトコロじゃ」
「うんざり…ですか」
聞き返した柳生から再び視線を逸らし、仁王は外を眺めて『うんざり』という口調で続けた。
「素直に受け取ってくれるだけならいいものを、余計な猿芝居ばかり見せられたら流石にうんざりじゃ…俺を騙せる器量も無いのに無茶ばかりしよる。合わせる俺の立場にもなってほしいもんじゃよ」
ちょっと不機嫌テイストも入った最後の口調に、柳生は早速何かを察して頷いた。
「…今年はどんな手が来たんですか?」
「ひたすらに泣き落としとか健気さのアピールとか好意の押し売りとか…萎えるばっかりの手管で流石に最後は俺でも切れそうになった」
「中学生最後のホワイトデーですから、バレンタインに諦めがつかなかった人達も必死なんでしょう」
「義理じゃと言うとるのに、自分に都合の悪い言葉は認めようとせん…厄介じゃ」
朝から今まで、ホワイトデーのプレゼントを女子達にお返ししていた中で、どうやらまたひと悶着あったらしい。
どんな時にも心を見せない男は女子達からの人気も高く、バレンタインデーのお返しの場すらも告白のシーンに変わる…無論、男の意志は全く無視で。
向こうが本気での贈り物であることは責めるつもりはないが、だからと言ってこちらが恋人にならなければならないという謂れもない。
仁王は全て義理で通すつもりなのだが、向こうは冷めた彼の気持ちを少しでも振り向かせようと、あの手この手で迫ったのだ。
それが更に詐欺師の心を凍らせるとも知らずに……
「中学生からあんな手管使うとは、将来が末恐ろしいのう」
「それをあなたが言いますか…」
女性達の今この時だけの努力より、あなたの日常における詐欺師としての才能が恐ろしい、と柳生は思ったが口には出さず、代わりにここにはいない女子のことを切り出した。
「…で、竜崎さんにも義理のお返しですか? 仁王君」
「さぁの……」
再び外へと視線を遣り、言葉を閉ざした親友に、柳生はやはりと微笑んだ。
「あの子は大変いい子ですね。素直で純粋で…ホワイトデーは告白をする良い機会なのではないでしょうか…全ての男性にとって」
「…何を言いたいんじゃ、柳生」
「時には正直な言葉も必要だという事です。好きなら好きと言えばいい…向こうが言うのを待っている間に、誰かに盗られる可能性もありますよ、仁王君」
「余計な世話じゃよ」
「言うのが恥ずかしいなら、私が化けて言いましょうか?」
「要らんことをするなと言うんじゃ」
うんざりといった口調から、僅かに苛立ちと怒りの感情を覗かせた銀髪の男に、柳生は苦笑してそれ以上の発言を控えた。
(本当に、素直じゃないんですからね…)
放課後の男子テニス部部室
「こんにちは」
「あ、おさげちゃん! 待ってたよぃ! ハッピーホワイトデー!!」
「わ!」
立海を訪れた一人の少女に、レギュラーメンバー達が早速、それぞれの贈り物を贈っていた。
バレンタインに彼女から貰ったプレゼントへのお返しであり、他の立海女子達へ返したものよりは幾分豪華なものである。
それは彼女が、普段から彼らから非常に気に入られ、可愛がられているという何よりの証でもあった。
「うわぁ…素敵なものばかりです! 本当に良いんですか?」
「勿論だよ、こちらこそ普段からお世話になっているからね。ほんのお返し」
「そんな……」
幸村からの言葉に微かに頬を赤らめた桜乃は、恥ずかしがりながら俯いて、そして一瞬だけ仁王へと視線を向けた。
彼はまだ、桜乃への贈り物をせずに、ロッカーの方を向いて何事か準備を行っている。
実は、桜乃はトラブルこそあったがバレンタインには彼に本命のチョコを贈っており、また、相手もまんざらでもない返事を返してくれていた…額へのキスという形で。
しかし、普段から人を欺く詐欺師の通名を持つ彼と、奥手な桜乃の性格もあり、それからの二人の進展はと言うとさっぱりだった。
無論、彼女が立海を訪れた時には良い雰囲気ではあるのだが、互いを想う気持ちを顕す言葉というものが無いのだ。
桜乃は、少なくともメッセージという形では伝えている…しかし、仁王からは『好き』という言葉は一度もない。
彼の性格を考えたら仕方ないかとも思うが、やはり女心としてはちょっぴり残念なところもあるのだ。
こういうホワイトデーには少しは期待出来るかとも思っていたのだが、当の本人は言葉どころか贈り物にも無頓着の様子だし……
(クールな仁王さんらしいと言えば仁王さんらしいけど…)
ちょっとだけ悔しいな、と思っていた時だった。
「竜崎」
「は…?」
その仁王から不意に背後から呼びかけられ、桜乃はどきっとしながら振り向いた。
他の部員達が外へと出て行く中で、仁王は銀色の袋を手にして桜乃に呼びかけつつ、それを差し出した。
日常でもよく見るスナック菓子が入っているような包装袋だったが、その上部は既に開けられており、男はそちらを桜乃へと向ける。
「ホワイトデーのお返しじゃ、お前さんも一個、取りんしゃい」
「あ、はい、有難うございます…何ですか?」
「フォーチュンクッキー」
フォーチュンクッキーと言うと、所謂占いの紙が挟まれているクッキーで、引いた本人の未来を占うものである。
「他の女子にも配っとったから、もう殆ど余ってないが…余り物には福があるかもな」
「あ、他の方にも配ってたんですか」
「結構よく当たると評判での」
「本当ですか?」
「『失せ物出る』とか『待ち人来る』とか、本当にそうなったと聞いたぞ」
(…おみくじ?)
西洋と東洋のコラボレーションに驚いている少女に、ほれ、と仁王が袋を差し出す。
「ほら、運試し、じゃ。当たりが出るとええの」
「当たり…?」
不思議な言葉だと思いつつも、促され、桜乃はすぽんと袋の中に手を入れて…
「…中で何かに噛まれるってことは」
「俺は手品師じゃなくて詐欺師じゃよ…」
「そうですよね…えーと…」
(色んな意味で気になる子じゃの…)
もぞもぞと暫く袋の中で品定めをしていた桜乃は、ようやく一個を選んですぽんと手を出した。
一枚のクッキーが折り曲げられた形で、その継ぎ目に細長い紙が挟まっている。
「わー…何が書かれてるのかな」
しゅるんとクッキーから紙を抜き出して、桜乃は恐る恐る中身を読んだ。
「……」
「…どうじゃった?」
「はっ…!」
すっと上から覗き込まれ、桜乃が強張った顔で相手を見上げたが、既にその時、紙の内容は相手に筒抜けの状態だった。
「……ほう」
にや…と仁王が唇を歪め、桜乃へと顔を寄せて誘うように言った。
「なかなか面白いモノを引いたのう…お前さん」
「え…」
まるで迷子の子猫の様な瞳を向けた少女に、微かに仁王の表情が揺らぐ。
(可愛いのう…)
もう少しだけ、触れてみたい…もう少し、もう少し……
「…折角じゃ、ここで、試してみるか?」
さわり…と頬を優しく撫でられて、桜乃の身体が戦慄く。
(あ……あれ…?)
囚われてしまうかも…と思った時には、彼女の身体は壁の隅へと追いやられ、男によって逃げ道を塞がれてしまっていた。
「に…仁王…さん?」
「ん?」
「…あ、あの…私…気持ちならもう伝えて…」
「声に出しては言うとらん」
「そ、れは…仁王さんも同じですよ…」
「そうかの…?」
そう言いながら、仁王はしっかりとその事実を覚えているし知っている。
だから、自分は敢えて言わない。
『先に好きだと言わせてみせる』
そう決めていたから。
どちらが先に相手を好きになったのか、それはもう誰にも分からないしどうでもいいことだ。
しかし、こんなにも心を奪われたのは彼女が最初…そしておそらくは最後。
何と言う笑い話だ、詐欺師がこんな幼い少女にいつの間にか心を盗られていたなんて…そしてそれを受け入れているなんて…
だから、これはせめてもの意趣返し。
他人にとっては下らないプライドかもしれない、しかし、自分にとってはそうではない。
文字に記した言葉ではなく、唇から紡がれる言葉を聞きたい…お前のその唇から。
俺の心を奪った以上は、その覚悟を見せてもらおう……どんな手を使っても、引きずり出してみせる。
「……?」
桜乃は、部屋の隅に追い込まれ、頬を固定され、仁王を見るしかない…いや、寧ろ目を離せなかった。
いつもの様に、不敵な笑みを浮かべている銀髪の男…いつもと同じ筈なのに、何か…違和感があった。
迫られているのは自分…では迫っているのは彼?
その筈なのに…彼も何かに追われている様な、そんな気がした。
「どうしたんです…?」
「何が?」
「…いつもと違いませんか…?」
「……同じ、じゃよ?」
にこりと笑うその笑みは本心か欺きか…
どちらにしろ、桜乃の瞳を奪ってしまうほどに美しいそれを浮かべながら、ゆっくりと彼は顔を相手のそれに近づける。
「…そんな言葉が聞きたいんじゃない」
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